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良かった過去とどう向き合うか?

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 今朝SNSを見たら元陸上選手の為末大さんのFacebookにこういったことが書かれてました。 過去の記憶が残っているからこそ、むしろ過去を越えられなくなっているわけです。過去の自分の亡霊とどう向き合っていくのか。悩ましい問題です。しかし、生きるということは過去を重ねることですから、これからは逃げられないのだろうと思います。 木曜日は南紀白浜空港でウエルビーイングセミナーに参加しました。 小林正忠さんが講師で楽天の色んな話を聞いている中で SOYトリップは天狗の鼻をへし折る為にやっている という話をしていました。 我々はまだ一度も受賞したこと無いですが モールで店舗運営をしている中では歴史もある一つの大きな評価軸ですので 受賞すると天狗になってしまう気もわかりますし 最初の目的はそうじゃなかったかもしれませんが 楽天はそういったことも考えて設計してるんだと感じました。「良かった過去との向き合い方」です。 土曜日 大学の百周年に参加してきました。62歳なので卒業して40年。早いものです。 僕たちのときも 銀座東急で大々的な祝勝会をやってもらって卒業しました。 今から考えると内容はともかく小さな世界でトップになったことで 僕自身は多少なりとも天狗になって社会に出たように思います。これも「良かった過去との向き合い方」の話です。 他にも 参加したOB連中と色んな話をしました 現役時代には 下級生のときに好成績を出して 上級生になって良くなかった方も大勢いました。これも「良かった過去との向き合い方」の話です。 皆さんもそうだと思います。成功した過去とどう向き合うか? 失敗した過去とどう向き合うか? 良かった過去 悪かった過去 とどう向き合っていくか? 常に付きまとう難しい課題です。

セルフマネジメントが何よりも難しい

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先月は今期の取り組みの色んな話でした。 今期一番注力したいのは「仕組み」です。これは組織風土って言うのかもしれません。特に今期注力したいのは やり切る仕組みづくり 執務室にホワイトボードを貼って運用をスタートしてくれてますが、まだそんな仕組みにはなってないのかなぁ。。ロジも日報にタスク、進捗 管理を書いてくれてますがこちらも抜け落ちる事は無くなったと思いますが、やり切る仕組みにはなってないような気もします。 前もお話ししましたが、母校の部は去年も三冠取得して日本一になりました。僕たちの時もそうでしたが 小さな世界の中ではトップチームです。 トップチームっていうと外から見ると精鋭が集まってるように見えたりすると思いますが 恐らく 僕の頃もそうだったように 一人一人はそこそこポンコツです。ポンコツでもあの組織にいたからそんな結果が出せたんだ と思ってる連中ばかりだと思います。 どうやら この原体験があるからだと思います。 この会社もそういったトップチームと呼ばれるような組織に出来るもんならしたい と言うのがどこか僕の中にあるのかもしれないなぁ。。と最近 自分自身で感じてます。 話は逸れますが、中期目標である 売り上げ●●億 30人規模 営業利益●,000万 と言ってますが 実は この30人規模というのはまさしく大学の頃の部活の人数規模からも来ています。30人規模のリーダーシップやフォロワーシップの経験があって もう一度再現してみたい というのがどこか僕の中にあるのかなと。50人や100人規模の組織は僕には経験がなく 30人規模とは全員に目が行き渡る規模感です。 トップチームと呼ばれる組織にという話に戻します。 日頃有り難いことに 僕自身のことより 「ナカヱさんとこはスタッフの方 優秀ですね」と言われることが圧倒的に多いです。皆がしっかりやってくれてるからそういう評価を聞くんだと思うんですが、それをもっと引き上げたいということかなと。 その方法ですが 例えば ジムに行ってトレーナーが就くと限界までトレーニングが出来たりします。 子供の頃 塾に行ったり家庭教師がいると勉強が進む。 数ヶ月前に青木から聞いたんですが、「学童保育に行くと宿題はやってくるんですよ」っていう話を聞きました。それと同じかなと思ってます。 自分のことを管理出来る人ってまず居なく 何よりも自分の管理が一番

多少ポンコツでもやり抜けるような仕組みづくり

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先週 朝会で来期の戦略の話をしました。 去年も掲げていた「紙一重を超えていこう」に関連する内容が今年もありました。 今年は「やり抜く力」という表現です。 当社の価値観の一つですので僕自身もとても重要視してる事の一つです。 何で重要視してて必要と感じるかの話しをします。 一つは誰でもそうだと思いますが、同じ事に取り組んでも取り組み方によって結果は毎回違ったりします。解りやすいところでいうとカケッコでは頑張って走るのとそうでないのとでは結果は明らかに違ってます。手を抜くと結果も残念なものになります。誰でも理解できる当たり前のことです。 もう一つは 葛藤しながらもうひと頑張りしてやりぬいた ソコにしか無いものがあるように感じるから。 それは なんとも言えない達成感であったり 大きな気づきであったり 従来の価値観が変化したり その後の人生に大きな影響を与えたりします。 来期は 皆で「多少ポンコツでもやり抜けるような仕組みづくりをしていこう」という考え方です。 ・意志が強かったり ・優秀だったり そうじゃないとやり抜けれないような仕組みでは無くて 凡人でもやり抜ける ポンコツでもやり抜ける そんな仕組みがあるんじゃないか それを皆で作っていきたいと思ってっます。 毎回 大学の話になって恐縮なんですが 今年 大学の部が 11月下旬 ちょうど我々が社員旅行のタイミングに 伊勢で王座獲得して久しぶりに三冠のタイトルが穫れました。日本一です。今年は40年ぶりに僕の代とたまたま同じ内容のタイトルでした。 実際に40年前 僕も当時その中に居ましたけどもセレクションで入学してるとはいえ決して優秀な連中ばかりではなかったです。それこそ どこにでもいるような 多少ポンコツな連中ばかりでした。 おそらく今もそうだと思います。 多少ポンコツでも仕組みができればやり抜けると思っています。皆で見たことのない景色を見てみたいと思ってます。

「願望を一つに絞り込む」

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今週 週末にe研の方たちと福井県に行ってきます。3社の会社を見学してくる予定ですがとても楽しみにしてます。 朝会のテーマは分類分けしてみると「チームワーク」「理念」「自己開示」「信条」「リーダーシップ」「出来事」「弓での学び」で 朝会でよくお話している大学の部での気付き たった4年間ですが、弓をやってたお陰で色々な気付きがありました。色んなお話させていただいたと思うのですが、調べてみたら30近く そんな話を朝会でネタにしてました。何でもかんでも話してるわけではなくて技術的な話なんかは転用できないので・・・何かしらビジネスや日常にも繋がる話をお伝えしようと思ってるわけなんですが   流石にもうネタも尽きてきた感じで最近はそっちにまつわるネタが無かったのですが、一つまだお話していないのがありました。 この話は在学中にも感じてて 後輩たちにもよく言っていた話です。 どういう内容かというと 大学生の18歳から22歳という年齢は色々やりたいことが多い年齢だけど 例えば 恋愛・旅行・色んなゲームや遊び・ファッション、音楽 それを全て犠牲にしないと難しいよ。という話です。 色んな欲求・欲望や願望を諦めて日本一を目指さないと無理だろうなと当時思ってたから後輩たちにもそう伝えたんだと思います。 僕自身は4年間ずーっとそうだったか?と言われるとそんな事はなく そんな期間が約1年間くらいはありました。 寝ても覚めてもどうやったら優勝できるかしか考えてなかった。そんな期間が確かにありました。4年の最後はカラダに不調をきたすくらい追い詰めていたかもしれません。 オリンピック選手が寿命を削ってでも金メダルを獲りたい という状況に多少なりとも近かったと思います。 「願望を一つに絞り込む」 そこまでしないと望むものは得られない 何でこのタイミングでお話をしたか?というと先週 ユニホームネクストさんのセミナーを受講してそのタイミングで横井社長がおしゃってた話です。 上場前のタイミングはそうだったようでした。 やっぱりそうなんだと思いました。 残念ながら僕はビジネスでそこまで追い詰めた経験は無いので(家族の事や子供の成長・健康など・) 皆さんに会社でこの話をするのはどうかなぁと思っていたのですが・・・ビジネスでも そこまで追い詰める方はしっかり結果を出す事ができるというお話をさせていただきました。

教えるものの心得「無言歌の教え」

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前回は「教わる者の心得」の話でした。 良き師に恵まれることは肝要だが此れはなかなか得難い どこかしら良いところがあるはずだから良いところを真似よ。 という内容でしたが 今回は「教える者の心得」です。 武術には 免許皆伝 目録 巻物なんかがあると聞いたことはあると思います。 ちなみに免許皆伝とは師匠が弟子(でし)にその道の奥義(おうぎ)をことごとく伝授すること。らしいです。 僕が大学のときに学んだ日置流印西派には 無言歌の教え というのがあり 詳しくは教わってないのですがネットで調べると26首あって57577で読まれているようです。 その一番目に出てきてる代表的な歌をご紹介します。 「人毎に生まれつきぬる弓かたちを みな一様と思うもぞ憂き」 ネットに掲載されてる解説には「人は生れつき骨格も気質も夫々異なるものであるから教えも一様ではない。変りあるところをよく見立てて指南する事。」ということらしいです。 人はそれぞれ違う。 ストレングスファインダーの強みの違いです。

良き師に恵まれることは肝要であるが、之は仲々得難い

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 僕が2015年頃まで約10年間 大学の弓道部に関わることになったきっかけですが、当時 現役監督をされていた方が現役のまま病で亡くなられました。青森県むつ市の大先輩で 監督として川崎の道場まで毎回 通って下さってました。 その方が道場に書き残して張り出してくれていた「心得」の話です。 大学の部では毎年秋に代替わりをします。2013年秋に代替わりをした新四年生からある問題の相談を受けました。その問題を上京して収める時に使ったのが その元監督が書いてくれていた上記の「心得」の話です。 弓道修業の要領 1.習う者の心得 良き師に恵まれることは肝要であるが、之は仲々得難い 従って ・出来るだけ良い手本(射)を多く観ることを心がける ・下手な射は手本にするな ・先輩たる者、それぞれ苦心の末何か体得し個性となっているから其の良いところを学べ  ご自分が監督をされていた時に一番最初に『良き師に恵まれることは肝要であるが、之は仲々得難い』と書いてるわけです。 これは弓だけではなく仕事にも通じるとおもいます。 『良き師に恵まれることは肝要であるが、之は仲々得難い』 「良い上司に恵まれることは肝要であるが、之は仲々得難い」 「良い社長に恵まれることは肝要であるが、之は仲々得難い」 僕も「恩師」と呼んでる方が 何人か居ましたが全てに完璧な立派な方ではないです。それぞれ尊敬できるところも、良いところもそうではないところも、強さも弱さも合わせ持ってる方です。 逆もしかりです。 最近 世の中では、「配属ガチャ」「上司ガチャ」さらに「親ガチャ」なんて言葉もあるようです。大当たりのガチャなんて最初から無いわけなんですけどね。

ルーティン(ルーティーン)

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「ルーティン」 スポーツでよく使われる言葉でもあります。イチロー選手やラグビーの五郎丸選手が有名で、このお二人ほど特徴的ではないもののスポーツ選手なら大抵 独自のルーティンを持ってます。大相撲でも立ち会いの前 特徴的なルーティンのお相撲さんも多いです。 僕がやってた弓も同様に「体配」と言って弓を引く時の型 所作があります。堅苦しいので僕は好きではなかったですが、今思えば これにも色々理由があることがわかるし効果があったことも想像できます。 スポーツ選手ではなくても 毎朝起きてからの繰り返し行ってること 家を出る前にやってること 寝る前にかならず行う一連の行動 誰しもやってるはずです。 僕自身もこの数年 毎日の神仏に祈ることも ルーティンとなってます。 一般的にその効果には ・心やカラダのスイッチが入る ・元の自分に戻れる ・今ココに集中できる 何で今日ルーティンのお話をしたのか。。ボクの中で何かが閃いているわけではないですが、意識してやることが大事かなぁと年齢を重ねたからか最近は特に感じてます。 おそらくその効果はまだまだ解明されてないだけで奥深いんでは無いかと思ってます。

気付きの多い 学びの多い会社

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還暦を迎えて 自分の中で何が変わってきたか 最近良く思うのは 「次の世代に何を残せるんだろう?」という視点で考えることが多くなってきました。恐らく その考えは 同世代のお勤めをされてる方々が引退をするタイミングだからだと思います。 この会社にしてもそうですし 個人的なこと プライベートでも そういう視点で考えることが多くなってきました。 例えば どういった会社を残したいか?という問いには 誤解をされても困りますが、現時点では「気付きの多い 学びの多い そんな会社を残したい」と今は感じてます。もちろん利益が無いと存続できないのが会社ですので適切な利益や、従業員やステークホルダー・地域への還元は当たり前という前提です。 「気付きの多い 学びの多い そんな会社を残したい」それは何処から来てるかと言うと やはり大学での経験からの部分が大きいです。 僕は高校・大学と弓をやってましたが、その7年間で色んな学びや気付きがありました。高校と大学 どちらでの学びが多かったかと聞かれると 圧倒的に大学の4年間です。もちろん 高校から大学へと年齢や経験を重ねる事での気付きや学びの多さはあると思いますが 圧倒的な違いは それだけでは無いだろうなと感じてます。 高校の3年間と 大学の4年間では 目指している目標が全く違ってました。高校のときはのんびり1年生の頃は遊び半分で2年生の秋くらいから本気モードになりましたが、それでも目標はインターハイ出場くらいでした。 一方 大学の4年間は常に日本一を目指す 入部したときからそんな環境に置かれた4年間でした。高い目標を常に目指していたことが全てだと思いますが、その高い目標を目指すことで精神的にも肉体的にもギリギリの負荷がかかった状態で4年間を過ごしました。チクセントミハイのフロー図で言うところのフローから不安ゾーンを常に出たり入ったりしている緊張感の高い状態の毎日でした。 そんな状態に置かれた4年間だったからこそ気づきや学びが多かったんだと思ってます。 会社もそれに例えると誰もがフローな状態、もしくは 経験を積めば不安ゾーンを出たり入ったりしている状態でお仕事ができるという環境が 気づきや学びが多い事業所となるのではないかと考えます。

勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし。

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6月上旬は高校総体の県予選がありまして 昨日 グループLINEで母校の日高高校 弓道部が男子個人戦のみ優勝で 男女の団体はどちらもダメだったという連絡がありました。県内で勝てるチームにまで仕上がってなかったということだろうと想像できます。 負けるべくして負けたんだろうと思います。 亡くなられた野村監督がよく言われてた言葉に「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし。」という言葉があります。 元々は松浦静山(せいざん)という 長崎県 平戸藩の藩主の言葉だそうです。 勝ったときはどうして勝ったのか不思議な場合もあるが 負けるときは負けるべくして負けている。 勝負は時の運とはいうものの、ひとつだけはっきり言えることがある。 偶然に勝つことはあっても、偶然に負けることはない。 失敗の裏には、必ず落ち度があるはずなのだ。 ビジネスも 同様のことが言えるのかなぁと思ってます。 不思議と好調だよね という事はありますが 不思議と不調だということはない。不調なときは何らかの原因があって不調なのだということ。

他との比較にばかり意識がいくと

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また学生時代の話になりますが 大学 1年・2年・3年の時 なかなかレギュラーが取れない事が多かったです。 特に選手の人数が少ない試合では 部内で競争に勝ち残らないとレギュラーになれません。5人団体戦・6人団体戦では控えには入れるけどギリギリ選手になれない位置が下級生の頃は特に多かったと思います。(8人団体になると どういうわけか ほぼレギュラー選手に選ばれてましたけど。) 4年生になると どういうわけかそれがなくなりました。意識が部内の競争より 別の部分に移ったからなのか より自分に向き合えたからなのか・・そんなところだと思います。 指導者として学生を見ていた時も そういう選手が いつも居ました。5人団体の試合だと7番目、8人の試合になると10番目くらいで毎回 試合に出れない。レギュラーの位置をとれない。 おそらく 部内の競争(他人との比較)にばかり意識がいってしまって 本来の事が疎かになってしまってる状態です。 逆に いつもレギュラーに成れる人 常に一軍の人はそもそも意識が部内競争にはいかない。他人との比較等しないで 如何に本番で結果を出すかに集中出来るのですが レギュラーポジションギリギリだと 先ずはレギュラーの位置を取りにいかないといけない。 普段の練習がレギュラーの位置を取りに行くことが目的になってしまい その過程で調子を崩したり 本番で力を発揮できなかったりするケースも多かったです。 『人と競争してる人は 自分の弓を追求してる人には勝てない』 これはスポーツだけじゃなく仕事でも言えることだと思います。 我々の商売にも同様なことが言えます。 他店舗と競争してる店舗は 自分達の商売を追求してる店舗には勝てない 他社との競争にばかり意識を取られている会社は お客様にしっかり向き合ってる会社に勝てない。

インプットだけでは力にならない。

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 今日の話は表現を変えて今までも何度もお話している内容です。 「教わっただけでは何一つ力にならない」 「教えない教え」 新人さんが数名入っていただいた事で今回は研修を色んな方が受け持つ形でやってくださってるようです。 今日もスケジュールを見るとぎっしり研修が入っててご苦労さまです。 色んなことをまずは覚えていただくわけですが 数日で大量にインプットする流れです。 たくさんの事を覚えてもらったり理解してもらったりという流れですが 実際は 研修をする側(アウトプット)と 受講する側(インプット)では圧倒的にアウトプット側の方の方が勉強になってるという話です。アウトプットする側が力になってる。 言い方を変えると ヒトは入力で力になってるわけではなくて出力しないと本当の力にはならない。  「世の中の社会人は9割がインプット中心の学びになってる」と言われています。 うちの会社は極力 一人ひとりにアウトプットの機会を作っていこうということでやってます。朝会もそうです。 今回の研修もそんな意味合いもあって計画してくれてるんだと思ってます。

伝統の正体

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先週、大学入学時に恩師から言われた言葉「ご縁」の話をしました。道ですれ違うだけも前世からのご縁という事です。 職場の皆さんとは 同じ場所で 同じ目標に向かって毎日 何年も一緒に お仕事をさせてもらってます。 そういう意味ではとても深い深いご縁があったんだろうな という事だと思ってます。 今日の話は縁があって入部した その当時 最初に自分が感じたことの話をします。 この話は大学を卒業して 学生を指導していた10年間によく学生に伝えていた話です。 僕自身 18歳で大学の部に入って 色々衝撃を受けたわけなんんですが、一番 カルチャーショックだったのが 当時 大学4年生というと 学生服を着てても かなりのオジサンに見えまして そのいい大人が 四六時中 弓の事ばかり考えてる。 ホントに情熱を傾けてる。関わってる大人の方々(指導陣やOB)も 皆 当然なんですが 当たり前なんですが 日本一を目指してて いい大人がです。これは とてもビックリしました。 日本一を目指すとはこういう事なんだな。 これが伝統の正体なんだなと思ったわけです。 実際は学年が上にあがっていく度に僕自身もこの伝統に押しつぶされそうな感覚になっていきました。 明日、うちの会社も新たなメンバーを迎えます。大なり小なり 従来から居る我々から刺激を受けると思います。 カルチャーショックを受けるほど いい刺激があると良いなと思ってます。

袖触れ合うも他生の縁

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 3月初旬になると大学の部に入部した日のことを思い出します。 1980年3月11日 「集合日」と言います。 和歌山を出発する時に丸坊主にしてアパートに布団袋とコタツを日通で送ってもらって一人暮らしが始まりました。 今はもっと早いようで 昨日 新入生からメールがイッパイ届いてました。男女合わせて10名。テンプレート通りに監督コーチ陣に送信するように言われて送信してるんだと思います。 「お前らは縁があって法政大学弓道部に入る事になった。・・」 42年前、その集合日の初日に恩師から言われた言葉です。 この言葉は当時18歳の新入生の僕には印象的で同期の連中は今でも恐らく皆覚えてるフレーズです。 当時は字面でしか意味を理解できませんでしたが 僕自身この年令になって 恩師が初日のタイミングでなんでそんな事を伝えたか少し解ってきたような気がしてます。 先日 多田さんから来月入社のメンバーの紹介がありました。 ご縁は 切っていくものじゃなくて 繋いでいくものだと思います。 昔から「袖振れ合うも他生の縁」という言葉があります。 “袖触れ合うも” は 道ですれ違う という意味 “他生の縁” とは 前世からのご縁  という意味だそうです。 道ですれ違うだけでも前世からのご縁という考え方ですが、その考え方でいうと 同じ職場でお仕事を一緒にやるというのは 深い深いご縁だと言えます。 皆がお互い良いご縁になるようにしたいモノです。

人は自分のためだけ にはそれ程頑張れない

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「人は自分のためだけ にはそれ程頑張れない。」2005年に目の前で体験したそんな話です。 12日に届いた小田さんの「成長のヒント」   誰だって  自分のためだけには  そんなに頑張れない。  限界もすぐにやってくる。  大事な人を守りたい  という思いが  勇気と強さを引き出す。  誰かの役に立ちたい。  という思いが  知恵と秘められた能力を引き出す。 実際にそんな場面が目の前で起きた そんな話をします。数分で伝えるのは非常に難しいですが、端折ってお話します。 2005年くらいから2015年くらいまで約10年間くらい 色んな事情が重なって しかもこの商売eコマースも少し軌道に乗ってきたのもあり(この商売はノートパソコンさえあれば会社に居なくても対応可能) 大学の部に深く関わってました。 大学弓道の全日本選手権 インカレ は タイトルの中でもなかなか獲れないタイトル。 代表選手が5名で団体戦。実力があってもトーナメント戦なので一瞬の取りこぼしが優勝に繋がらなくなる。そんな捕りにくいタイトルですが2005年から4年間で3度獲得してます。 その最初の年 2005年は 神戸で開催されたわけですが、この時に 元監督であった義理の父が和歌山に引っ越して来て 和歌山に居るから久しぶりに公式戦を観戦に行った。関西にいるOBも久しぶりに神戸に集まったという それ以前には無かったしその後も無い そんな大会でした。 学生にしてみれば、それまでは公式戦の観戦どころか 数年 道場にも行ったりしていなかったのが 久しぶりに公式戦の観戦をしに会場を訪れ、役員席に車椅子で座り 鼻には酸素のチューブをして観戦しに来てるわけです。 (写真は2006年全関東選手権) 噂話には聞いていた 元監督のお爺さんが車椅子で現れてしかも 大勢応援に来ている見たこと無いOB達も嬉しそうに その元監督を慕っている様子を目の当たりにしたわけです。 毎試合 毎試合 自分の為、自分達のためだけに優勝を目指していたのが このシーンでは 「目の前にいる車椅子に乗ったお爺さんに 勝利をプレゼントしたい。」そんな気持ちに変わらずにはいられない。会場にいる役員たちにしても大先輩の久々の観戦で 大袈裟ではないですが会場全体が 杉田さんが来たから法政が勝つんじゃないか そんな空気に包まれた そんな風に僕には見えましたし その場に居合わ

「前後際断」今を生きる

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 オリンピックが終わりました。 金銀銅合わせて58個の過去最多のメダルを獲得したようです。 いろんな競技をテレビで観戦しました。 トーナメントの試合を観るといつも思うのが トーナメントは一発勝負ってよく言われますが 「今ここ」の重要さです。種目よっては一日に一試合のモノもありますが、一日でトーナメントが決勝まで行ってしまう種目も多いです。 そんな試合は なかなか「今ここ」に集中し切るのは難しいだろうなということを思い出します。 直前の試合を引きずったり次の試合の事を考えてしまったり。それほど難しくないと思いがちですが、なかなか目の前の試合に集中仕切ることがホントに難しい。そういう意味でもオリンピック選手は鍛え抜かれてるなと思います。 禅の言葉で「前後際断」という言葉があるそうです。僕が初めてこの言葉を聞いたのは 下柳投手がテレビに出てた時だったと思います。調べてみると野球の選手がよくグラブに書いたり帽子に書いたりしてるようです。 「前後際断」 「前後際断」とは、過去にとらわれず、未来を憂うことなく今を生きよという禅の教え。 やり直せない過去を引きずるのも、起こるか起こらないかわからない先のことを憂うのもすべて心を惑わせる雑念。 今を生きることに専念せよという考え方です。 お仕事でも同様ですが 目の前のことに全力で向かう 簡単にできそうでなかなか難しい事です。

一番刺さったトップアスリートの言葉「失敗のプログラム」

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オリンピック競技が始まって日本は柔道やスケートボードで金メダルを獲得し始めました。年々涙もろくなって来てアスリートが何を言ってても泣けてきてしまいます。 今はやらなくなりましたけど 一時期、トップアスリートやプロフェッショナルな方の名言をネットも含めてあちこちで拾ってました。自分自身の僅かな経験でなかなかうまく言語化できない部分が言語化されてるとゾワ〜となるのが大好きで収集してました。 今日はその中でも 僕自身 最も刺さった名言を紹介します。2015年頃に見つけた言葉です。今検索してもなかなか出てこないのでどこで探したのか覚えてません。 恐らくイチロー選手の言葉だとおもいます。 『失敗のプログラム』 意識の中にある「成功しようとしている自分」と潜在意識の中の「もう一人の自分」とは必ずしも同調しているわけでは無い。 言い訳、逃げ道を考え始めたとき、潜在意識の自分が失敗のプログラムを作成する。 言い訳を考え始めた事がトリガーとなって意識していない領域で勝手に失敗のプログラムが動き出すということだと思います。 で、この言葉 なんで刺さったかというと以前 去年の9月にお話した「退路を断つという僕の中での解釈」をとても上手く視点を変えて言語化されてたからです。学生時代に僕が経験した数々の失敗程度ではこの言葉には辿り着けなかったです。

「和を以て貴しと為す」

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これは我が家の玄関に掛けてある書です。今朝出掛けに写真撮ってきました。  元々は家内の実家にあったものです。義理の両親が引越してきたタイミングで我が家にきたのです。 僕がこの書を初めてみたのは高校3年生の冬頃 セレクションで大学に進学することになって父と一緒に監督の家に訪問したとき。狭い帳場に通してくれたその脇に掛かってたものです。義母が几帳面な方でこの額の前に華を生けたりしてる印象が今でも残ってます。 初めてみたときは特に興味もない。なんて書いてるか解らないなぁ。。という印象。 その後も年に何度か監督の家に行くわけですが、数年間解らないままで、ある時 これなんて書いてるか解るか?って教えてもらったわけですが「和を以(もっ)て貴(たっと)しと為(な)す」と書いてるそうです。 聖徳太子の十七条の憲法 の第一条に出てくる言葉 何事をやるにも、みんなが仲良くやり、いさかいを起こさないのが良いということ チームワークは大事だ。ということだと思います。まさに当社の価値観です。 義父は弓と書は超一流の先生に習ってまして(ちなみに弓は浦上栄先生) 書は豊道春海先生に習ってたそうです。 その先生が昭和39年の東京五輪の時に参加各国の選手団に配った色紙で その先生から頂いたようです。 戦後 ようやく復興してきた敗戦国日本での五輪開催の時の色紙です。 56年ぶりにまた東京五輪が開催されます。

「同じ釜の飯を食う」ということ

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 「同じ釜の飯を食う」 大学4年間のいちばん重要な四年生の時の秋のリーグ戦の初戦。 初戦はとても緊張する試合で それまでの定期戦で先発メンバーを決めてベストで望んだ試合でしたが大負けをしてしまいました。 今から考えると 理由はいくつかあったと思いますが、リーグ戦自体は団体戦ですが 個人の表彰もあり 一人ひとりが個人の成績に固執してしまってチームとして一つにまとまっていなかったのが大きかったんだと思います。 OB達もこんな為体ではダメだと感じたのか 試合後に道場に集まって学生にハッパをかける、そんな事がこの試合の後ありました。当時はよくありましたが 僕が在籍していた四年間では一番印象深かった試合後でした。そこで何があったかは割愛しますが 何よりOBもコミットせざるを得なかった そんな散々な試合結果でした。 学生全員が坊主になってその後のリーグ戦の試合に望みましたし。時代としてもそういったことが当たり前にあった良い時代です。 で、その試合後から毎日のように道場に来てくれるようになったのが当時の助監督です。 たしか助監督の案で練習終了後に 部でご飯と味噌汁を炊き おかずは部員持ち 練習終了後にレギュラーだけじゃなく部員全員が腹一杯に夕食を食べて 食べ終えたら 決められた時間に自宅に帰る。規則正しい生活をおくる。 体育会の学生でしたが 弓道部は部員全員が下宿生活だったので 春と夏の合宿以外は いわゆる同じ釜の飯を食べることはなかったのですが、大きなピンチのあと そういった生活で一ヶ月「同じ釜の飯を食って」リーグ戦を戦うことになりました。 その後 色々なミラクルが起きて3勝1敗でしたが 勝敗がもつれ込んで優勝しました。 当時も「同じ釜の飯を食う」という言葉はありましたのでそういう事を目指したんだとおもいましたが、自分が学生で当事者だった当時はあのタイミングでそういった判断や対処は出来なかったです。提案してくださった助監督のお陰でその後のミラクルも起きたんだと思います。 その後、自分が助監督のときにも 学生時代に経験したそういった試みは何度もやりました。 同じ空間で同じものを食べる事で一体感が生まれる。 これって もともと人類のDNAに組み込まれていることなんでしょうね。 コロナ禍で今はなかなかそういった事が出来ない状況ですが、また以前のように月イチで皆でご飯を作って食べたり 

ビジネスはスプレッドシートにしたら勝ち

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 朝会のスタートが2016年の秋からだったので丸4年になりました。週イチのアウトプットですが毎週 もうネタは尽きたな と思いながら続けています。 毎週ギリギリまで何を話すか考えてるのですが 今日の内容は いつかタイミングの良いときに話そうと思ってた大学の部の話です。 一部の方には話したこともある内容です。 母校の部は僕が入部したころから既に強い部で 卒業してもうすぐ 40年になりますが継続して頑張ってくれています。その当時監督をしていたのが恩師ですが その恩師が40年間 監督をしていて 貢献したこと 様々あると思うのですが その後も 部に影響を与え続けることになった 僕からみて一番影響力があった案件だなと感じてるのが今日の内容です。 こちらの表がそうで、説明すると年間のタイトル表に優勝した大学名を入れる 非常にシンプルなスプレッドシートです。 非常にシンプルが故に学生は自分が在学中に もっと言えば 自分が4年で指揮を執る年にいくつ優勝できるかが 否応なく刷り込まれます。 また優勝校しか名前を入れれないので準優勝の2位は予選落ちと同じ扱いになります。 この表は僕が入部したときにはすでに道場に貼ってましたし常に監督は持ち歩いてました。どこの大学に行っても当時こんな表は作ってなかったです。 当時は面白いお爺さんだな と思ってましたが この表があるだけで学生達は入部した途端に 否応なく優勝を目指すという 十字架を背負うことになります。 先日、楽天の三木谷さんの朗読会がありました。毎回 プロの経営者だな という話が出てくるわけですが「ビジネスはスプレッドシートにしたら勝ち」という話がありました。 先程の部のタイトル表もそう言うことだったんだな と改めて感じました。

「退路を断つ」僕の中でのイメージ

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 土曜日に発表したワークシートで「退路を絶ってガムシャラにやるしかない」と雑に書いたのを紹介したのですが。。。 「退路を断つ」って良く聞く言葉です。 武勇伝を語りたいわけじゃないですが。。 大学を卒業する時に弓道部で文集を作りました。 文集自体はレベルで言うと中学生くらいのフザけた文集です。まぁ何を書いても良いわけで 似顔絵を書いて済ます人もいれば、意味のわからない空想の話を書いて終える人もいたり 後輩も先輩を弄り倒してる文を書いたりと様々なんですが、どういうわけか 僕は 退路を断つ そんな話を書いてました。 なんでそのタイミングでそんな文を書いたか覚えてませんが 2つ考えられるとすると 一つは 個人競技としての競技中に何度も感じた事だった。 もう一つは チームがタイトルを目指す上で とても重要だった。 ということだったと思います。  「人はとても弱い生き物だ」というとカッコいいのですが「僕自身がとても弱い」という事が解ってました。 とても弱いから 逃げ道を塞がないと 自分では意識しないうちに(←ここが重要)逃げ道に流れてしまう。そうならないように まず逃げ道になりそうな所を頑張って蓋をする。僕の逃げ道は一箇所どころじゃないです。  だいたい 誰しも逃げ道は残しておきたいモノです。そこにあるのが解っていても見ないふりをしてそのまま残しておきたかったりする。その全てに蓋をしていく。 そういった地味な作業をする事が何より重要だった。 逃げ道が無くなったら弱い自分でもどうにかなった。そんな印象です。 「退路を断つ」その言葉から想像するイメージは 崖の突端で 自分が渡ってきた橋を壊す そんな感じを誰しも想像してると思うのですが 僕の中では そんな壮絶な兵士のようなイメージではなく ビニールプールの穴の空きそうな所を全て補修してしまう。そちらの方が近いです。 水は低いところに必ず流れます。人も逃げ道があると必ず 本人の意識の外で本人の意志とは逆に逃げ道に逃げていく生き物です。要は 水が漏れそうな逃げ道を塞げれば 誰でも どうにかなる。というのが僕の考えるイメージです。