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富士登山 高山病で大変でした!!

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一部の方には 少しお話しましたが 富士登山の報告をします。 先週、8月5日(火)朝5時に自宅を出発しました。一緒に行ったメンバーは僕を含めて6名 一番高齢の方が72歳。70歳。僕63歳。60歳。51歳、23歳のメンバーです。 60歳以上のメンバーは僕以外 マラソンの経験がとても豊富な方 ウルトラマラソン経験者も2名。こんなメンバーで登山しました。 準備はネットやAIを駆使して様々なものを準備したり心構えをしたりしました。 当日 朝5時に家を出発しましたが、道路の渋滞で富士宮口の五合目に到着したのが2時半頃。本来、山小屋に予約を入れてなかったら2時以降の入山は禁止らしいです。また高山病予防のために5合目でカラダを慣らす目的で1時間程度準備をするのが最適なのですがその時間も取れないまま登山をスタートしました。 スタート直後は特に感じなかったのですが、6合目くらいから喋らなくなって 登山の時はだいたい喋りたくなくなります。話しかけられるのもどちらかと言うと勘弁してもらいたいですが気を使って皆さん喋ってくれるのですが、それが辛い。7合目くらいからは息切れが激しくなってきて 8合目に到着する頃には明らかにカラダに異常をきたしてきます。 リーダーシップにも色々タイプがあります。僕のように慎重で色んなケースを想定に入れて 色んなことが起きても想定内で安全な予定を組みたいタイプと その場でなんとかしていくタイプ。ある程度想定はしていたのですが、今回ばかりは 事前に把握していた以上でした。 富士登山は僕の中では海外の方の旅行のコースに入ってるくらいメジャーなレジャーの一部だったのですが、実際に行ってみると過酷の一言に尽きる ある意味 何百年も続いて信仰されているのがよく分かる そんな山でした。 どう伝えたらリアルに伝わるか解りませんが8合目周辺になると空気が薄いので体内の酸素が足りないのが判る。息をしっかり吐いて酸素を体内に入れないと 脳に酸素が届かない。長距離マラソンを走ってる最中のような呼吸。一歩足を踏み出すのに数回大きな呼吸をして踏み出す。15歩進んだら休憩。そんな状況で9合5尺の山小屋を目指しました。 本来夕方5時には山小屋に到着しないといけないのですが 7時を過ぎると夕食を出してもらえなくなり 実際に到着したのが夜9時半頃。7時間以上かかりました。 実際行って解ったのですが...

世代の違いによる価値観の違い

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  先週、久しぶりに子供や孫達が帰省してじっくりお休みを頂きました。小学4年生の男の子と年中組の女の子。磯遊びや星空ツアーに行ってとても楽しかったようで良かったなと思ってます。 家族が3世代揃って 自分が子供の頃親に育てられていた当時と 自分たちが子育てしていた頃との違いや 世代ごとの違いを感じました。大きな違いは子供たちの意見をとても大事にしてる尊重しているのはまぁビックリします。食事にしても行く場所にしてもやることにしても。。 この世代間の違いが気になって 彼らを見送ってから例のごとく生成AIと壁打ちしてました。 生きた時代、社会環境、家族観、仕事観、金銭感覚、教育、娯楽、消費スタイル、憧れ像、住まいの価値、余暇 試しにこの会社の前身 中江商店を創業した祖父の代から五世代やってみたのですが随分それぞれの世代で違ってました。 こちらがそうです。 項目 明治40年生まれ(1907)あなたの祖父 昭和8年(1933)あなたの父 昭和37年(1962)あなた 平成3年(1991)息子さん 平成27年(2015)お孫さん 📅 生きた時代の中心 明治〜大正〜昭和前期農村社会/戦争前の日本 戦中〜戦後復興期/工業化開始 高度経済成長〜バブル景気 バブル崩壊後〜情報化・不安定期 AI・SNS・多様性と格差の時代 🌾 社会環境 農業中心/大家族/寺子屋文化 都市化の始まり/戦時動員と家制度 工業化・サラリーマン時代/核家族化 個人主義・情報過多/就職氷河期 デジタルネイティブ/選択肢過多 🏠 家族観 家制度の中心/家長に絶対服従 父の権威強く、母は内助 良き家庭・良き父母像を理想に 対等・フラットな親子関係 血縁より“つながり”を重視する家族観 💼 仕事観 家業 or 奉公/「働く=生きる」 忠誠・忍耐・終身雇用型労働 出世・安定志向/正社員信仰 やりがい・自由/転職・副業OK 好き×社会性×AI時代の働き方 💰 金銭感覚 自給自足/現金は贅沢 倹約第一/物は直すもの 持ち家・保険・車で資産形成 サブスク・投資・経験消費 デジタル通貨・共有経済が前提に 📚 教育観 寺子屋/読み書きそろばんで充分 義務教育開始/学歴より実用 学歴社会の全盛期/塾・受験...

歳を取ったなと思うシーン

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 朝会のお題の話をします。「歳を取ったなと思うシーン」これは沢山あります。 ・早寝しないと翌日に影響する ・睡眠時間が短い ・起きる時間が早くなった。 ・なんでもない時もカラダがあちこち痛い ・高いお肉を食べれなくなった ・ラジオ体操が年々キツくなってきた ・関わる人が年下ばかりで 偉い人も年下になってきた。 ・運転が特に下手くそになってきた ・しかもヒヤリすることが多い ・普段から 体勢でバランスを崩すとリカバリーできなく転ぶ ・見えてるようで見えてない事が多い ・根気がなくなってきた ・テレビでアイドルや若い女性の見分けがつかなくなってきた。 ・取引先の名前が覚えれない。 ・何か良い事が起きても喜んでくれる人が少なくなってきた ・涙もろい。 ・眉毛だけが伸びる。 誰もが感じるそんな事はたくさんありますが、他にも最近自分でもへぇと思ってることがあって 木々や草花で季節の変化を多少感じるようになった事です。 暑い寒い以外は僕の中に季節感はほぼ無かった。感受性とか感性とは全く無縁。ほぼ梅の花と桜の花くらいでした。他の人がそんな話をしてても何も興味無かった。それが、ここにきてほんの少しですが、新芽が出てきた。紅葉が始まった。山にこんな花が咲き始めた。実をつけてる。 そんな事を感じる事はまず無かった。100%無かった。逆に昔から家内からはそんな話をよく聞いてました。聞くたびに関心が一切ないから聞き流すばかりでした。 その頃に比べると最近は多少受け答えも出来るようになりました。逆に若い頃 全く興味を持てなかったのは何だったんだろう?少し心に余裕も出来たのか成長出来たのか。。

この時代に生まれて良かったな というお話

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この時代に生まれて良かったな というお話です。 みんなそう思ってるんじゃない?という考え方もあると思います。 僕の場合は 自宅のテレビが白黒テレビからカラーテレビになって 自動車が普及 高速道路が出来て 高度経済成長の時代 なんの恩恵もなかったですがバブル時代も経験 インターネットの出現。スマホの普及 ぎりぎり現役中に生成AIにも間に合った。量子コンピューターとかも楽しみ。 世の中がどう変化していくか?変わっていくか?が楽しい。会社で作った年表もその延長です。 直近 コテンラジオも面白かったです。技術の歴史。聞いた方いらっしゃいますか?合計すると10時間くらいのコンテンツでした。 技術が進歩したことでどんなふうに世の中が変わっていったか?全く知らなかったことで記憶に強く残ってる話を2つ紹介すると ・不老不死の薬を探してて火薬を発明してそれが中央集権国家につながった。 ・化学肥料が生まれたおかげで農作物が大量に生産できるようになって世界の人口が激増した。 技術の進歩の話なので 後半にはインターネット、半導体、生成AI の回もありましたが インターネットによる変化はまだまだコレかららしいです。 どんな世の中になっていくのか?どう変化していくのか?見届けたいと思ってます。 もう1点 この時代に生まれて良かったなという事があります。 先週 ミッション・インポッシブル最新作を先行上映の初日に観てきました。 トム・クルーズは僕の1つ下ですが 彼と同世代に生まれて良かったな。と改めて感じました。

ビジネスが上手くいかないと全て何もかもうまくいかないと考えてたフシがある

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モチベーションの源泉の話をしましたが、今日も自己開示します。 他の人はどういう考え方をするのか 僕のような考え方をする人が多いのか少ないのか判りませんが 僕の考え方の話をします。 「ビジネスが成功しないことには何もかもうまくいかない」と考えてました。 これは非常に偏った考え方なのか一般的なのかよく判りません。 男性女性によって大きく変わるのか? 「男性脳」なだけなのか? 「なにもかもうまくいかない」と思ってました。 ・経済的な面 ・人間関係 ・家族関係 ・子育て ・親子関係 ・地域社会との関わり ・コミュニティーでの存在 ・承認欲求 全てがビジネスが上手くいかないと駄目だ。と思っていたフシがあります。 言い換えると ビジネスが上手くいくと全てが上手くいく と思ってたかもしれません。明らかに偏ってます。 これは中江商店で働き始めてからずーっとそう思って、最近 そんな偏った考え方は変かも?って思うようになってきました。 なんでこんな考え方になったのか? インドビジネスミッション後にお話した内容 全ての問題を解決するにはビジネスで結果を出すしか無いと思ってました。 いい意味でいうと1点に課題を集中できていた。 願望は1つに絞らないと叶えられないとも言います。 数十年 この考え方だったように思います。

キリンさんとの取り組み会議

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先日のキリンビバレッジとの取り組み会議の話をします。 一年間の取り組みをお互い握る 毎年何社か実施してますが そのうちの1社です。 以前は 大阪のグランフロント 近畿営業本部で実施していたMTGを 去年から東京の本社で広域の部署も交え実施するようになりました。 キリン 本社受付フロアにて 元々 大阪で実施していたときも本社の広域の方も来てくれてましたが。。 キリンさんと取り組み会議を定期的に開催するようになったのがカレンダーを見ると2014年からのようで、もう10年以上になります。 それ以前は担当営業の方と商談がメインで 歴代 小野さん 生塩さん 山口さん 神田さん 河野さん 長尾さん 山田さん と担当の方々がいらっしゃいました。 会社の方向や担当営業の考え方でメーカーとは 関係が良いときと うまく行かない そうでも無いタイミングは今後も出てくると思います。人に依存しない形にはしていかないといけないなと思ってます。 キリンビバレッジさんは 今ある主要メーカーでは 比較的取引が濃くなるタイミングは遅いメーカーです。 当初 地元のコンビニと取引するためにキリンの品揃えもどうしても必要で キリンビールの特約の南部の酒屋さんから仕入れておりました。 1990年代 当時 この地域に限って言えば 担いでる問屋さんも少なかった印象です。酒屋さんから仕入れても卸商売が出来ました。。 その期間が長く ネット販売を始めてから それじゃなかなか勝負できなくなってきて2000年代に入って三菱食品の帳合になったように記憶してます。 その後、工場見学や紅茶教室などのお客様イベントを一緒に開催したりさせて頂くようになりました。取引スタート当初はなかなか考えにくかったです。 年間の予定を握るのは 彼らの考え方も理解できるし 当社の受取方であったり 戦略も理解していただける そんな機会だと思いますし それこそステークホルダー・エンゲージメントを高めるのにも お互いとても良い機会だと思います。

経営者も「ヒューマンエラーからシステムエラーへ」

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先週 ヒューマンエラーからシステムエラーへという話をしました。人はエラーを起こすから性弱説に基づいて仕組みを考えようという考え方です。 年末 身内の不幸で長崎県の五島列島に行ってきました。 五島列島からの帰り 博多駅 一年で一番駅が混雑してるタイミングだと思います。行きは九州まで飛行機だったのですが、乗り継ぎのこともあり 帰りは新幹線で帰ろうと新幹線予約をスマートEXで初めて予約しました。やったことある方いますか? 長年気になりつつ一度もやったことなくて、それは特急くろしお乗り換え割引とかややこしいんでやってなかったのです。  切符を受け取るのか 自動販売機で行列に並び 自分の順番がようやく来ました やってると途中で 操作がわからなくなり 隣に並んでた若い女性に これどうやるんでしょうか?って聞いたり それでも出来なく モタモタしてて係員を呼んでしまって 大混雑してるので係員も来なくて 後ろに大勢並んでる中 「何やってんだよ!くそジジイ」状態に成り果ててました。 結局 係員に新大阪まで仮の入場券で来ました。 自分でも年齢の割にデジタルリテラシーが高いと思ってた筈の なのに 一年で一番混雑してる博多駅でなかなかみっともないシーンでした。 先日、多田さんと少し話した内容ですが 車を運転してると 若い時には無かった ヒヤッとする経験がこの数年たまにあります。見てるつもりでも見えてない事があってドキッとします。 先週の室会議でも え?俺そんな判断したの?という事がありました。 今月で63歳になりまして今は違いますが 一昔前だと定年を過ぎている年齢。 大体の集まりに行くとほぼ年長者です。年長になると若い頃にはサクッと聞けた それ教えてよ っていうのが言いにくくなりますし 色んな情報を持ってる若い連中の輪に入るのが難しくなります。  年齢を重ねることで 成熟したり深まったり磨かれていくこともありますが、大抵 衰えてくることの方が多くなってきます。 これからは そういったシーンが増えてくるように思います。 経営者が一定衰えてくる 誰しもそうですが この会社も それに向き合っていく事になります。 冒頭の「ヒューマンエラーではなくシステムエラー」 経営者も衰えていく。判断も誤る事がある。情報音痴にもなってくる。それをカバーできる仕組みにシステムにもしていかないとという事だと思います。

「蜘蛛の巣」をずーっと考えた。

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金曜日・土曜日お疲れ様でした。 僕も相当疲れたようで土曜日帰ってから夕食を途中でやめて寝ました。 ほんと珍しい。なかなか今まで無いパターンでした。 昨日は 土曜日の蜘蛛の巣を考える時間が多かったです。 ・なかなかクリアできる気配が無いなかで時間が過ぎていって難易度を下げたあのファシリテーションは正しかったのか? ・そもそも僕がこれはチョット難しいかな?と感じたのが皆に伝わったからそういう空気になったのかもしれんな。← まぁ本業ではそういうシーンはよくある。 ・到達が難しいお題が出た時には一人ひとり どんな振る舞いがチームにとってプラスに働くのか? ・一人ひとり どんな発言や声掛けがチームを勇気づけるのか? ・難しいお題にも果敢に挑戦できるチームと なんとなく諦めのムードが出るチームは何が違うんだろうか? ・高い目標をクリアしていく会社と 無難な成長で甘んじる会社の違いはどこに出るのか? ・お代をクリアして終えたあとも達成感に痺れる設計にはなかなか出来なかった。 高いお題が出ても自分達を信じて一丸となって果敢にお題に挑めるチームを作りたいなと。どうやったら作れるんだろうか?と思います。 冒頭の夕食も食べれないで寝てしまう体力の問題。 ・自分が代表でやってるタイミング。あと何年出来るかわかりません。10年やると73歳。流石に「体力・気力が溢れる」という年齢ではないことを考えると。 そろそろ早いこと出来れば本業で痺れるそんなシーンを皆と一緒に体験できたら面白い。

理想の休日の過ごし方

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2分間スピーチが「理想の休日の過ごし方」というお題だったのでその話をします。 ちなみに昨日の日曜日は全く何もしないで 一日中家に居てゴロゴロしておりました。麦の体調が少し心配だったのと 冬 寒いのが苦手なので誰も居ないとこうなりがちです。お陰で体調万全です。 改めて考えてみると 昨日のように何もしないではなく できれば充実した一日を過ごしたいなと思ってる部分が大きく でも、計画を立てるのがあまり得意じゃないところもあります。 どちらかというと家族が喜んでくれる過ごし方が良いな。  家族が喜んでくれる過ごし方ということで 今年 吉野桜を見に行った日がありました。あまり家内から「◯◯に出掛けたい」とか要望を言われる事はまず無いですが、吉野桜は見てみたい と言ってたのでそれじゃーっ行けるうちに行こうってことで 見頃の平日を狙って行ってきたのです。お天気も友見子にとってはよく日差しがない曇りで平日で人出もそれほどでもなく車で山頂のほうまでグルっと回ってこれたので良かったです。  以前 朝会で何度か話したと思いますが 父が亡くなってからの休日は毎週 母親と二人で周辺をドライブしてました。日曜日になると車で出掛けるのを待ち構えてる人で おそらく父親が元気な頃はずーっとそうだったんだと思います。 認知症が酷くなるまで欠かさず4、5年間 毎週出掛けてました。特に目的も無くドライブしたい人で、父と一緒に車に乗るのがとても好きだったんだと思います。行ったこと無い所に行くと喜んでました。 家族が喜んでくれる という意味では 理想の休日の過ごし方だったんだろうか??まぁでも母親との良い思い出にはなったなと思ってます。

イノベーションの停滞

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 イノベーションの停滞 の話をします。 戦略発表でも話しましたが 当社の今があるのは25年前に先駆けてイーコマースに参入したことです。 会社に販売管理のパソコンを入れて 個人でも趣味でノートパソコンを買って パソコン通信の経験もして 物販をしてみたり その後 青年会議所の活動の中でインターネットに出会い 友人にサイトの作り方を教えてもらって 情報の収集は 雑誌から得て 当時は田舎にいるとなかなか掴みにくかった情報をなんとか得ようとしながら面白半分やってました。 偶々ですが 楽天市場に出店することになりました。 アクティブに動いた訳ではないですが、家業の傍 新たな事を何かやろうとしていたから 偶々そういった流れが来たんだと思います。 当時まだ30代。頭も柔軟で色んな事を吸収しやすかったんですね。 当時から30年近く経過して SNSも最新のテクノロジーにも 自分自身で付いていける実感がほぼなくなってきました。 いち早く参入したお陰で今があるのに新たなことへの熱意が年齢とともに落ちてくるのは 会社として今後 致命傷になるだろうなという想いがあります。 生成AIの世界の進歩は 今まで経験してきたテクノロジーの進歩とは又違う次元のような感覚です。 これは組織で取り組んでいく必要があるんじゃないかな というのが直感です。 自分自身でもそれほどテクノロジーに対して遅れてる会社では無いと思ってますが このタイミングは注力が必要。ゲームチェンジが起きると言われているのに のほほんとやるわけにはいかない ということで当社の課題 一番目に『イノベーションの停滞』となったわけです。

勘や経験ではなくフレームワーク思考で

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 先週は来期戦略の中の「イノベーションの停滞」の話をしました。今日は「プロ化の停滞」の話をします。 eコマースは元々あったビジネスじゃなくそれこそ この20年くらいで生まれたビジネスですので当社に限らずどこの会社も手探りで正しいやり方がどんなものなのか試行錯誤しながらやってきた会社が殆どです。当社も試行錯誤しながらやってきて いまやってる全ての業務が試行錯誤の中から生まれてきたと言っても良いと思ってます。 この図は横軸を「オリジナル度合」縦軸を「プロ化度合」としています。 最適な言葉が見つからなかったので「プロ化」と言ってますが 仕事の進め方が 当社独自、この業界独自、扱い商品に最適化された 当社オリジナルのやり方でやってる部分が大きいと思ってます。 要は今まで 経験や勘・思いつきでやってきた というのが大きいと思ってます。 ビジネスのフレームワークに沿ったやり方を重視するより現場重視、経験重視の仕事の進め方でした。 プロ化の停滞というのは もう少し フレームワーク思考でやっていこうという事かなと思います。 フレームワークとは、意思決定や分析、解決したい問題を特定の型に落とし込み、手順に沿って整理していくための、共通して利用できる思考の枠組み だそうです。 数値共有も含め 経験や勘や思いつきでやってたことをフレームワーク思考で進めれるようにしたいと思います

組織経営への移行について

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何度も違った側面でお話してますが「家族経営から組織経営への移行」についてお話します。 まず家族経営はどんなものかですが。。 ・全てが暗黙の了解 ・ルールもあまり必要ない ・良くも悪くも公私混同 ・家族で役割を色々兼務 ・まさにアットホーム 実際 家庭での生活の延長なので居心地は悪くないです。組織経営ほど明確に意思決定しなくていいので経営している側からすると楽です。表現が適当ではないですが日々自分達の好きなように出来る それが家族経営だったと思います。。 振り返ると 卸売が中心で父親が社長をやっていた時 2005年くらいまでは家族経営の延長だったと思います。 2009年頃の会食写真(竹下さんはじめ俳優の方々と) 2006年の5月に社長を変わったのですが、今から考えると そのタイミングから徐々に組織経営に移行していったと思ってます。それも「今後は家族経営から組織経営へ移行していこう!移行するべきだ!」と考えてやったのではなく 実際はそうする以外に良い方法が無かったからです。 ・まずeコマース参入のお陰で売上がどんどん拡大していった。 ・売上が拡大しても兄弟や親族が居て一緒にやってたらなかなか移行も進まなかったと思います。 ・ネット販売のことは僕も含め誰も解らなかった。別のビジネスなら家族が中心での経営はもっと継続していたはずです。 移行時 真っ先に必要になったのが 下記の2点ですが、それも自分自身ではそうしていくしかなく受け身で取り組んだ案件でした。 1. ビジョンとミッションの明確化 2. 経営の透明性とガバナンスの強化 父親は僕が帰るまでは商売を兄弟でやってました。 世の中を見ても商売を兄弟でやってるところもまぁあります。同業者でもありますね。 一時期 とても羨ましかったです。暗黙の了解で全てが進む。 片腕が家族の一人。 逆に組織経営に移行しにくい面を考えるとどっちもどっちかもしれません。 完全に移行できてるかどうかというと オーナー会社なのでまだまだな部分もあると思いますが、家族経営での限界が3億とか言われてますので 今は多少なりとも移行できて良かったと思います。

サンフランシスコで自動運転タクシーweymo に乗りました!

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 先日の米国研修時 希望者で自動運転タクシーに乗れることになり 珍しくジャンケンで勝って乗ることになりました! フィッシャーマンズワーフ周辺のPIRE39からHilton San Francisco Union Square HOTELまで2.0マイル乗車しましたが、未来感満載! アメリカ全土でも完全自動運転のタクシーを商用利用してるのはサンフランシスコだけだそうで、300台稼働しているようです。日本人観光客だけではなく米国人も物珍しく写真を撮影したり注目してる姿が目立ちました。 まず、後席に3人座ったのですが、シートベルトを全員装着しないとアナウンスがあって運転スタートしません。全員装着した時点でスタートです。 車内には前席のモニターの他に後席向けにプラス1台モニターが設置されてます。そのモニターに表示されてるのは日本でいうナビの画面上に周囲の状況が認識されてる様子が表示されてました。 周辺にいる人や車や動物 バイク・自転車など全て認識して画面に表示させています。お横断歩道を渡る人や歩道を行き交う人、歩道でタクシーを待ってる人、交差点で信号待ちしてる人 など全てを正確に認識しています。その様子が乗車しててもわかるので そのあたりが安心感を増強させてるように感じました。 なんなら少し離れた公園で芝生に寝そべってる人も正確に認識していますし、後方から追い抜いてくるバイクなども正確に認識しています。 BGMも気分が穏やかになれるような音楽をチョイスしててそれも乗車中の安心感に繋がってたのかもしれません。サンフランシスコは人が運転しても怖いような急な坂が多い地形で決して自動運転に向いてる都市とは思えません。10分程度の乗車時間でしたがとても安心して快適に乗車できました。 今回の研修中 タクシーを3種類利用しました。 1.イエロー・キャブ 2.Uber 3.Weymo 偶々かもしれませんが、イエロー・キャブのドライバーよりUberのドライバーの方が楽しそうに仕事をしているように感じましたし、Weymoの運転が一番安心できました。 おそらくUberがタクシー業界を駆逐したように Weymoのような完全自動運転のタクシーがまたUberを駆逐していくのだろうと明確に感じました。

社長になってどんなことをやったのか?その3

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 前回、またお話をしますと言った続きの話です。社長になったタイミングで倉庫と事務所を離れ離れにしました。 宮ノ前ベースが出来て初めて 同じ空間で全員が働けるようになったという話は以前したと思います。 別々の場所でやるにはまだハードルが高かった段階でなぜ倉庫と事務所を離したのか ですが、まだ当時は同じ場所でやらないと困ることが多々ありました。例えば 送り状の発行もそうですし 在庫管理なども完全に出来てなかった状態だったと思います。 (2006年5月頃まで使ってた印南浜西の倉庫内事務所) (2006年5月ころから利用開始の本社事務所への引越し作業) 2拠点でやるにはまだ少し早い段階で分けたのは 僕の中では2点ありました。 1点目は物量が多くなり入出荷が大変になると どうしても全員がそちらに手を取られてしまうことが多くなってきました。もちろん僕自身も仕事のウエイトが物流に取られることが多くなり 本来やらなければいけない業務が手薄になってしまいますし、経営者としての仕事も出来なくなってしまいます。拠点を分けることで 分業した本来それぞれの業務に全員が専念できるという思いがありました。 2点目は 当時のメンバー構成だとどうしても現場の細かい点まで僕自身が全て指示するようになってました。もちろんそれが最善だったわけです。でもこのまま続けていてはイケないなぁとも思ってました。すべての領域を僕が指示してては駄目で せめて倉庫作業も日常業務は責任持ってやってもらえるようにした方が良い。それには一旦 物理的に分けるのが一番効果が高いだろうと考えました。 倉庫と事務所機能を分けたことで 直ぐに解決しないといけないことが明確になって データでやり取りすることもより重要になりましたし、本当の意味で まず倉庫業務が自分達でどうにかしようとする文化も生まれたんじゃないかと思います。 目が行き届かない事で 会社にとってもマイナス面も沢山あったと思いますが、通らないといけない過程だったと思います。 盗難事件があったことでしっかりセキュリティーを高めれる事務所が必要だった事もありますが、当時は分離してしまうことで強引に解決していかないといけないことが噴出する そんな期待が大きかったと思います。

米国海外研修から帰って 今後取り組む3点

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土曜日 海外研修から帰って来ました。まぁまぁハードでした。 旅行中4時半集合なんていうのもありましたが、流石に4時半は大学の合宿以来だったかなと思います。 (米国視察旅行 Google Mountain Viewにて) この朝会の3分間くらいで真っ先に何をみなさんにお話をしようかな?ということで考えてますが 詳細な報告は直近のチームオフサイトか横丁にてお話します。 早々にやらないといけないことと 時間を掛けてやっていかなければいけないことがありますが 重要な3つ。 ・お客様を見てる マイクロソフト、zoom、zoho 世界の BIG TECHや グローバルなプラットホームとして活躍してる巨大企業が 常にお客様に向きあってるというのは新鮮でした。経営の判断も全て お客様基点で考えてます。 ・働きやすさ  従業員の働く環境を 空間、待遇、環境、働き方 ・3つ目は「AI」今回 研修テーマがAIだったのもありますが、この後の20年はやはりAI 25年前、うちの会社はインターネットを使いこなす事に舵を切ってどうにか消滅することなくやってこれました。同じ時代をインターネットを活用しないで従来と変わりないビジネスをしていた会社はほぼ無くなってしまった。家族で経営していた小売店・卸売業はほぼ消えてしまいました。 当時はネット使って商売をするなんていうのはどうなん?って言われてました。 さて、これからの20年 間違いなく生成AIを使った会社が活躍します。逆に使えない会社は消えていくしか無い。 当社は全員がAIを使うようにします。そうしないと消えるしか無いでしょう。

社長になってから何をやり始めたか?その2

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先週に続いて社長になってから何をやり始めたか?の話をします。 これは皆さん入社する以前のことは知らないので経緯や背景を理解してもらおうと言うことです。 思い出したら ラジオ体操。これも2006年くらいからだったと思います。 それ以前は 事務所自体が狭くそんな事もできませんでした。掃除を朝やるのも本社に移ってから 朝礼ぽい事もそうだと思います。 今の形態に近い朝の一連のルーチンをやり始めたのも社長になってからだったと思います。 一定の環境を確保しないと組織として必要なパフォーマンスや仕組みは作りにくいということもあるなぁと今は言えます。 何度か話をしたと思いますが出荷検品 こちらも2006年以降でした。当時、目視検品でやってたわけですが 出荷間違いが出荷数とともに一定の割合で増えてきて 間違いが出るたびに色んな改善をするんですが 何を実施しても一定の割合で間違いが起こる。そんな背景から導入しました。 導入前は現場から色々反対の意見も多かったですが、 実際に導入したら現場からも喜ばれたのを覚えてます。 当時の利益から言うと大きな投資だったわけです。300万くらいしたんじゃないかと思いますが (2007年当時の倉庫内作業) 現場で渦中にいるとなかなか正確な判断は難しい。 在庫管理をやり始めました。在庫管理を始める以前は 当然ながら在庫管理は出来てなかった。理論上の在庫数も 実在庫数も 持ってなかった。 倉庫にあれば出せるし 無いと出荷できなかった。毎朝 当日の注文をピッキングしたあとに 倉庫で実在庫を見ながら片山さんが注文してくれたわけです。毎朝 倉庫を一周しながらすべての注文をするわけです。 それを 事務所と倉庫が離れてしまったことからデータ上で在庫数が見れないと注文できない状況になってきます。当時の仕組みは壊れることが多くて大変でしたが データ上での在庫管理が出来て 東日本大震災の時に 他社が機能しなかった時にうちの会社は曲がりなりにも機能して業務が回る事になりました。 現場に居ながらしか出来なかった業務がまだまだ多かった段階で現場と事務所を分けた話はまた次回にします。

週休2日について

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今日はお休みの話をします。 子供の頃1960年代や70年代の中江商店は家の玄関がそもそもお店だったこともあったのか小売は ほぼ毎日休みなく営業してた記憶です。その後 少し大きくなる頃には日曜日は普段閉めてた時と 忙しいお盆なんかは営業してたそんな記憶です。 週休二日が世の中に浸透してきたタイミングが1987年の法改正です。 その3年前に社会人になったタイミングで すでに僕の入った会社は正社員は週休二日でした。法改正の前年には準社員やパート勤務の方も週休二日制に移行してたタイミングだったと思います。当時 時給のパート勤務の方々に店長が「全員 週休二日に移行していただく」という話をしていた記憶があります。収入が減ることもあるので説明も簡単じゃなかったと思います。見てて大変そうでした。 金融機関は1989年から、お役所も1992年には完全週休2日となったようです。 学校は それから遅れること10年の2002年から完全週5日制となったようです。 ナカヱはどうだったかというと 世の中の流れがあったので一時期 土曜日は基本午前営業で実務が終わったら終業しましょう。という段階を経て その後 ネット販売のボリュームが増えてきたタイミングで土曜日も営業にして交代で休みましょう。という風になったと思います。 僕が社長になったタイミングでは2006年にはお休みが完全2日になってた記憶です。 その後は大きく変わることも少なく 日曜祝日を休んでいたり その時々の業務内容に合わせて祝日を営業にしたり公休を調整したりです。今後も色々時代に合わせて変わっていくと思います。 自分自身は経営者としてどうかというと営業日で体調が悪くない場合はほぼ出勤してます。世の中の経営者はだいたいそうだと思ってます。毎日出勤することが業績に影響するとは思ってませんし、どちらかというと居ないタイミングがあったほうが会社にとっても良い場合もあるのも一定あるなと思ってます。 62歳になって残念ながら衰えを自覚するシーンも多くなってきました。 長年 営業日は毎日出勤が基本でしたが 変えていこうかなと思ってまして。。 今後は週2日しっかりお休みしようかなと思ってます。

社長になってどんなことをやったのか?その1

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社長になってその時々でどんな事をやったか。そんな話を時系列にします。 2006年に社長交代したんですが、それまでは どういったことを考えてたかというと ネット販売の業績を上げていくことにほぼ注力してたと思います。 今考えると経営者の一人ではあったはずなのに部分最適な思考で まだまだ全体を見れてなかった気がします。父親が僕と話をするのを避けていた印象が強いのもあって 当時は「父(社長)のやってることは任せとけばいいか!」というマインドが強かったのも影響してると思います。 2006年に事務所を移転しまして 社長交代したんですが 引っ越し祝い的なことはしましたが なんら区切りのような事もせずスタートしました。儀式的なものをやるのは苦手でしたし その重要さも一切考えていなかったと思います。今思うと一定 儀式的な事はやる必要もやる意味もあったと思います。 記憶がハッキリしてないのですが、労務士の先生に入っていただいて給料計算や就業規則を整備していきました。どうしてこの辺りを早いうちに取り掛かったのかは 専門的な知識が必要で従業員から質問されたときに答えられないことや解らないことがあると困るからです。 労務関係についても会社の代表として責任は社長になりますが専門的なことは何も勉強してなくて知らないから僕がやるのは無理とすぐ判断できました。 逆に父親は我流でどうにかやってたと思います。 慎重さの強みからか 父親のようなやり方は僕には無理でした。 その後、スタッフ全員でのミーティングをやりはじめました。これも社長になる前にやっても良かったのに そんな空間も無かったからか社長になってからやり始めたことです。 月に1回程度 全員集まって実施したと思います。 (2006年当時の本社オフィス) 2006年から事務所と倉庫が別々になった事で 余計に全員で話し合う その必要性が出てきたタイミングだったかもしれません。 ・各持ち場で何が起きてるかの共有 ・自分の見えてることは皆にも知ってもらったほうが良い スタッフ皆にgoogleアカウントを発行してメールアドレスを作ったのもそんなタイミングだったと思います。 もちろん ネット販売の業績を上げていくことについての全てを自分で背負いながら 経営者のやらないと行けない仕事を並行してやってたイメージです。 当時、どんなところから経営者としての情報を得て...

子育ての頃どんなことを意識していたのか?の話

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前々回 出店25年で25年前の話をしました。 先日ちょうど30年前の写真を見つけたので 今日は30年前の話をしようと思います。 30年前に何があったかというと 世界リゾート博がありました。 和歌山マリーナシティーで 1994年に開催された。 (1994年7月23日世界リゾート博に会社でメンバーと共に) 僕がまだ32歳の頃です。 30年前の何の話をしようかと思ったのですが、子どもと一緒に写ってるので 子育ての頃 どんなだったか?そんな話をしようかと思います。 今ほどネットとかSNSで子育てに関する情報を得れるわけではないので、考え方や判断の軸は 『自分自身がどう育てられたか。。』と言うのが大きく影響してたかなと思います。 正確に言うと『自分自身がどう育てられてたと感じていたか』です。 僕より一つ上に第一子の姉がいて出生して直ぐに亡くなった事で 両親や家族も余計大事に育てられたように思ってます。それが影響されてるように思います。 ・過保護にはならないようにしよう。 小売の商売をしてたのでそれはよく見てた。休みがなかったので仕事以外で家族で出掛けた記憶も数回なんですが、少ないのでより印象的に残ってます。 数少ない旅行でもきちんと楽しく行けるようにしよう。 ・ほかにも自分自身の経験で良かったなと思ったことは子供にもしてやろうと思ってましたし、経験できなかったことで残念だったなと思ったことは子供にも極力経験させた方がいいなと思ってました。 ・自転車に乗れるようになったのが僕はクラスの中で遅かったので、子供にはちょっと早いかなという頃に練習しました。 ・僕は水泳が得意じゃなかったので子供には水泳は習わせるようにしよう。であったり ・掛け算のおもちゃを取引先にプレゼントしてもらったおかげで算数が好きになりました。 そんなことから人よりも何事も少しスタートが早い方が何をやっても楽しいと思ったので 子供には気になることは少し早くさせようと思ってそうしました。 ただ、子供って色んな人が関わっていくし親の影響力もあるかもしれませんが 周りの方や環境からの影響も大きいので 想像してたほど親の影響って少なかったんだろうなと今は思ってます。しかも、子供といっても全く別人格なのも子育てをしていて理解できました。 今は小さい頃から子ども自身がネットから色んな情報をインプット出来る時代なので 更に複...

期待値を超えたサービス Apple

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先週 楽天出店25年だったので 25年前の話をしました。 7月 月単位でみると 1年で最大の繁忙期を終えました。週単位で見ると今週や 9月初週も高い数値を出しますが、月単位では先月が過去と比較しても金額面では最高となりました。 早速振り返りしていただいてるCSチームの内容も見ました。大きな実績をつくるのはやっぱり大変だったのが判ります。非常にご苦労されてたし 他のチームもそうだと思います。 その中でクレームの案件、対応も多かったようです。酷いクレームには 理不尽なクレームも多いわけですが、一般的に言うとお客様が期待されていた期待値より低いと評価が低く、期待値より高いと感動してもらったりリピーターになってもらえたりします。言ってしまえば、すべてのお仕事が相手の期待値より高いか低いかとなります。 それこそ25年前は注文した商品が届いただけで感動してもらえました。ネットで注文したらその商品が届いた!といって感動してくれたわけです。ネット通販の期待値がとても低かった時代です。 先週 僕自身が経験した期待値より低かったケースと高かったケースがありましたので紹介します。だいたい普段は期待値どおりで大きく超えることも大きく下回ることも無いのですが先週はありました。 期待値より低かったのは 吉野家 御坊店。定期的に牛丼が食べたくなるので2・3ヶ月に一度は吉野家を利用してます。 その日の対応はドライブスルーだったのですが バイトの女の子だったと思います。車を注文の定位置に停めても何も反応もない。しばらく待っても一切反応がない状態で 試しに注文してみると聞こえてるわけです。 とにかく最後までマニュアル通りにやらない娘で・・家庭かその日のバイトでイライラすることがあったんでしょ。不機嫌を巻き散らかしてました。「いらっしゃいませ」 「ありがとうございました」は結局最後まで 言わなかったです。久しぶりにとても嫌な気持ちになりました。 次は期待値より高かった話。 こちらはAppleのサービスです。 僕は2009年にiPhone3GSを購入してからAppleの信者で Macbook、iPad、Apple Watch、AirTags とApple製品を色々愛用してるのですが、製品自体に感動することは多いですが サービスにはそもそもの期待値も高いのもあってそれほど感動した記憶もありません。 最近 使...