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和歌山県・印南町との立地協定締結 と 宮ノ前ベース(オフィス兼物流センター)建設

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4月27日は立地協定のプレスリリース日ということで こちらにも改めて書いてみることにします。 父のおかげで経営者になっても実質 無借金経営を続けて来まして 良くも悪くも そんなに大儲け出来る商売ではないですが、34年この商売を続けてきました。 還暦が近くなったこのタイミングで まさかこんな大きな投資を(借金を)することになるとは数年前(父が居た頃)には思っても見なかった事なのです。 ネット販売を始めて数年経過した2002年12月に当時借りていた倉庫の隣のJAさんの倉庫も借りることになり拡張することになりました。倉庫の広さでいうと当時の2倍以上になるわけですが、そこを借りるときのエピソードも少し書いておきます。 2002年なので・・楽天市場に出店して3年が経過、お陰様で注文も増えてきて 梱包や出荷を倉庫内では もう出来なく倉庫の外でやってる状態でした。雨の日は出荷準備できた商品にブルーシートを被せて無理くり対応していた様子を見ていた父が隣の倉庫をJAさんにお願いして僕には相談無しで賃貸契約を決めてきたのでした。 当時は期中の業績がどう とか 今月は利益がどれくらい出ているとか まだ見える化されているわけでもなく もちろん利益も出てる状態でもなく ネット販売もこの先どうなるか解らない中  家賃はそれほど高いわけではなかったですが倉庫拡張を勝手に決めてきた父に「大丈夫なのか?」と言い寄った記憶があります。 父はその時に「採算合わなかったら自分が家賃を出す」と言ってたようです。 結局 隣の倉庫を借りて2倍以上の広さになっても その後も売上がどんどん増えて また数年でキャパが足りなくなってしまいました。 僕は今でもそんなところは多分にありますが、当時はホントに投資に対してとても慎重になってました。社会人になって父と商売をするようになり15年ほど経験していましたが、お給料もそれほど取れない時代を過ごし 小さな商売の難しさや厳しさしか体験したことが無かった事も大きかったと思います。売上は右肩上がりであっても商売の楽しさや醍醐味を感じたことなど一度も無かったかもしれません。 15年以上前の出来事です。 今 お借りしている倉庫は2012年4月から稼働しています。この倉庫に引っ越してきた時には売上が倍位になっても大丈夫!と思ってた記憶がありますが、やはりその直感が正しかったのか 昨年 

極力使わないようにしたい言葉(その1)「普通」

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 最近、極力使わないでおこうという言葉が2つありまして 今日はその2つの内の一つの話です。 僕自身 昔からよく使っていた言葉で口癖のように言ってた言葉です。 「フツー」という言葉。英語でいうと Normal 先週木曜日に「ふつうアップデート」というNHK教育の番組がありました。 普段は2チャンネルはほぼ見ないんですが、障害者の方 しかも脳性麻痺の方がメインで出演されてたので それこそ「この番組は普通じゃないぞ」ということで とても気になって見たのですが ファッションの話題でデパートのマネキンは 普通 立ってるマネキンばかりで車椅子がデフォルトの障害者の方たちは座ったときのコーディネートが見たいのにほとんど立ってるマネキンばかり、試着室も車椅子ではほぼ入れない。そんな障害者の目線の健常者じゃ考えてなかった普通の視点が多かったです。 『普通なんて無い みんな違うのが普通。』というのがメッセージだったように思いました。 「普通」 ホントによく使ってました 「普通はこうですよね」とか「普通こうだろ」とか「普通はやらないよね」「普通はこう言うよね」とか。。自分の考えを押し付けたい時に都合のよい言葉なのか 自分のことが普通だと思ってるからなのか とにかくどんな場面でも便利に使ってた言葉の一つです。 行動、感情、思考、プロセス、結果、好き嫌いの嗜好、見た目 全ての物事が普通という枠に囚われていた。普通の枠に入れようとしていた。 おそらく子供の頃はそんな教育だったんだと思います。 人も歯車のように社会に組み込まれていて それは全て同じ形じゃないと社会が機能しない 普通に矯正することが最も社会に貢献しやすい 普通にすることが生産性が高くなる そんな時代だったと思います。 今はそんな世の中では無く成ってきましたので、昔のような使い方や考え方はダメだな というそんな時代になってきてます。 以下は たまたま観た You Tubeの Tedxのスピーチ とても素敵だったので共有します。 不完全さを讃えよう そして誰も自分が正常だなんて言えないことをわかってほしい 私達はみな違ったものを持っている 皆 奇抜でユニークです。 それこそが私達を素晴らしく人間らしくしている。

熊ちゃん最終出勤日

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2006年に本社が今の場所に移転して父の跡を引き継ぎ僕が社長になりました。 その1年後、2007年の秋に入社してくれてます。13年と半年。 当時は熊ちゃんもくわえタバコをしながら倉庫作業をしてたのを思い出します。 2007年頃はというと会社の成長段階でいうと間もなく10億の壁が目の前にあって今までのやり方では全てうまくいかなくなってくる そんなタイミングでした。  翌年 印南の倉庫を出ていかなくてはならなくなるタイミングです。よく言われる 分業をしていかないとならなくなって その分業の弊害がイッパイ噴出してくるタイミングでした。色んな意味でピンチな状況の中で 今ほど社内も整備ができていない 投資もできてない そんな状況で入社していただいた。 社長になって1年ちょい、経営者としてもまだまだ未熟な部分だらけの状況で大変な部分が多い中 頑張っていただいた。 役割でいうと倉庫リーダーの青木の影で 文字通り 分別ある大人として 正しいこと 正しくないことをしっかり言える ある意味 倉庫が 経営者の目の届かない所で運営していかないとイケない中 当社を支えてくれました。 おそらく、そんな面では 居なくなると熊ちゃんが果たしてくれた役割がジワジワとこの会社に響いてくると思ってます。 又 そんな面とは裏腹に 責任感の強さからチャーミングな面も多く 思い出もイッパイあります。楽しいイベントや肝心な時には出れない 居ない という変なジンクスも何度も披露してくれました。 当時と比べても 多少 うちの会社も会社らしくもなってきて 来年 待望の働く環境が 良くなるタイミングで卒業は 熊ちゃんらしいのかもしれないと思ってます。 同世代 しかも高校から共に戦った仲間として 最後 定年まで一緒に居たかったですが、体調のこともあり卒業となりました。 毎回思うのですが、必要なタイミングで必要な方が現れてくれてた。熊ちゃんもまさにそんな存在でした。 今後はこの会社がまだまだよちよち歩きの大変な時に頑張ってくれた卒業生として付き合って頂きたいと思ってます。