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6月, 2020の投稿を表示しています

商売は規模の壁

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「規模の壁」商売は規模の壁との戦い と言われてるようです。 倉庫チームは今 チームメンバー10人超えの「規模の壁」ぶつかってるという話をこの前しました。 今から十数年前 会社自体が その壁にぶち当たっていたと思います。 2010年頃 倉庫を美浜町に引っ越した頃 僕が父から引き継いで社長になった頃です。 色んな事をスタッフの皆に伝えようとしましたが、全く伝わりきらないことが多く感じるようになったタイミングです。当時 会社全体でも常勤でようやく10人を超える規模になっていた頃だと思います。 その中で 様々 試行錯誤していろんなことをやっていったと思いますが 「公開経営」に舵を切ったのが 自分の中では大きな決断だったと思います。 それ以前は そもそも 今ほど公開できる数値も無く 年に一度 税理士の先生から 決算報告を貰っても僕と父親だけで「今年も利益が出なかった」とか「こんだけやっても赤字なんだね」とか二言三言 話をして終わりでした。今から考えると信じられないと思います。 例えば  ・商品を間違ってお客様に送付してしまうとどうなるのか? ・倉庫で商品を破損してしまうとどうなるのか? ・リピーターのお客様が ある出来事でそれ以降買っていただけなくなるとどうなるのか? いくら言葉を尽くして説明してもスタッフの皆には伝わりきらない 当時はそんな状態だったと思います。 これは会社の台所事情や毎月の実績など 僕自身が見えてるところ 会社の状態を なるべく全部見えるようにしないと 伝えたいことの本質が伝わりきらないなと感じたことがキッカケだったと思います。 そういう意味では おかげさまで 今は お取引先を含めたステークホルダーの方々にも年に一度 共有する機会まで増えて 当時では考えられないことです。

僕の苦手な話 3つ

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一昨日のオフサイトミーティング お疲れ様でした。 全て終えた後の記念写真 中江家のルーツも ゲーム 自己紹介 職場全員が集まるその楽しさ 皆が集まること 人が集まれない期間を数ヶ月経験して 仲間が集まることは楽しい事だと改めて感じました。 以前のように普通に集まれる生活に戻ったとき 一箇所の職場で仕事ができるようになったとき またそれが当たり前になってしまうと思います。 一昨日の楽しさ 忘れないようにしたいと思います。 今日は僕の苦手な話をします。 昔からいるメンバーには何度か伝えてますので聞いたことは何度もあると思います。 1つ目の苦手 『自我』の強みのおかげで その他大勢に入るのが苦手です。通行人Aの役をやってくださいって言われると辛くなります。その他大勢だと 僕じゃなくても良いですね。通行人Aの役だと僕がやらなくても良いよね。ってなります。 2つ目の苦手 『着想』の強みのおかげで 「去年通りにやりましょう」「いつもどおりで」「例年通りということで」 なんて流れになるともぅ苦手です。 だいたい世の中にある組織や団体 地域の集まり 古くからある会など は概ねそうじゃないかと思います。そういう状況になるとチクセントミハイのフロー図でいう退屈ゾーンに入ってツマラナイなぁとなります。。 自分がリーダーとしてやるとなると それが伝統ある体育会であっても 例年どおりには出来ませんでした。 実際、大学4年の時もそうでした。過去にやったこと無いことを色々させてもらいましたし 監督に交渉して断られたことも多々ありました。部員全員で箱根温泉に一泊旅行に行ったのも初めてだったと思いますし 合宿場所を例年通りの場所から変更させてください って言った時はそれは出来ん!と断られました。 真冬に道場合宿したいです って言ったら そんな事やったら風邪引くからダメだ!って怒られました。 3つ目の苦手 人間関係構築の強みが無いので すでにコミュニティーの出来上がっているグループに入っていく 大勢の立食パーティーに一人で参加する のは超苦手です。 商売で言うと飛び込み営業はその典型。でも卸の時は頑張ってやってました。食っていくためにやってました。

毎年恒例のうちわが今年も出来上がりました

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もう何年続けてるんだろ? たしか2002年くらいには楽天のオリジナルうちわを仕入れて配っていたのでこの行事も20年近くになるかもしれない。 今はもう年がら年中飲み物を飲んでいただける習慣にはなってますが、それでもやはり暑くなる夏には需要が増えます。そんな夏に思い出してもらえれば・・ということで毎年配布している「うちわ」 今年も出来上がりました! 今年は 表はご覧の通り 浪花百景の柴島晒堤の浮世絵をバックに 水売りくんのイラストと店舗名 裏は「瑞雲」という 縁起が良いことの兆しに現れる雲をデザインしました。 今年 当社 法人設立30周年の年なのですが 浪花百景の柴島晒堤は  当社のルーツ 江戸時代に中江家が営んでいた商売に思いを馳せる意味で選んでみました。 お取引先の方とも直接お会いできるタイミングが今年はなかなか無いのですが、次回お会いしたときにはお配りしたいと思います。

6月の第一土日といえば・・・

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6月の第一土日が終わりました。 毎年 この時期になると思い出すことがあります。 今年の高校生達はコロナの影響で無くなってしまいましたが、インターハイの県予選。 当時も6月の第一土日。たしか2日3日とかだったと思います。 自分が今の高校3年生の立場だったらと思うと そのやり場のない苦悩をどう処理できるのか この年令になっても想像できません。 当時 日高は総体県予選の壮行会を体育館で全学生にやってもらったのを覚えてます。 僕自身は2年生の秋ごろから遅咲きでしたが芽を出し始めて 2年生の3学期のころには目標が「男女揃ってのインターハイ出場」というのを口に出して言ってました。 終えてみると 目標を口に出して言う のはとても大事だったと思います。 でもメンバー全員がそういう気持ちで当日までの数ヶ月 挑めてたかというとそうではありませんでした。 5人団体で 3年生が3名しか居なく その内の1名は 大きなスランプに陥ってましたので実質2名。3名は下級生から出さなくてはなりませんでした。 当日までもチーム運営に関わる部員内のゴタゴタが様々あって当日を向かえることになったわけです。どう感じてるか?どう臨むか?のすり合わせで長期にストーミング期が続いていた。今でもそんな印象が残ってます。 まだ17歳だった僕の中ではそれまでの人生では最も重要な 正に運命の2日間。 その2日間ある総体予選の初日は個人戦。その日は熊ちゃんも一緒でした。僕より一つ前の立ちだったと思います。 初日のことはそれほど思い出せないですが一人四ッ矢3回の12射。全部中てたのが僕と新宮高校の菊池君の二人で 優勝を決める競射で僕が優勝できました。 非常に嬉しかったわけですが、目標は男女揃ってのインターハイ出場だったので翌日に向けてチームを鼓舞していたのを思い出します。 翌日の団体戦での記憶は 団体予選のあと トーナメントに入ってから試合を重ねるうちにチームがより強い結束力を持ってきた。本当にイケるんじゃないか、目標に近づくにつけて全員のベクトルが見事に一致していった。勝手な行動を取るメンバーは誰ひとり居ない。チームが一つになってる。そんな記憶があります。今でもスポーツを見ててトーナメントで勝ち上がっていくにつれてチームがどんどん強くなるのはその時の経験でとても理解できます。 で、団体戦も優勝でき目標は叶うわけなんですが 僕

会社のありたい姿

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これは3月初旬にコンサルしていただいた田中薫先生からの提案に起因しています。 田中薫先生からのフィードバックについては 当社の置かれている状況や うちの会社の特徴 特に長所(中にいると解りづらい尖ってる所)を非常によくまとめていただけてた内容でした。 その中での「会社のありたい姿」についてや「当社の歴史」について。 僕自身は毎週 朝会など機会を貰ってるので 少しづつですが、自分自身の考え方や昔の話をアウトプットさせていただいてます。ただ まだ「会社のありたい姿」については不十分だと感じました。 一方、現場を回してくれている チームはどうか?というと 日々の作業や業務は試行錯誤をしながら問題の無いレベルまで来てはいますが チームをどう運営したいのか?とかチームのありたい姿は?と言われるとなかなか そこまで話し合われたり アウトプット出来たりまでは辿り着けてないと思います。 上の図は真ん中に 理念 があり 価値観 行動指針 となってますが このような表現だとチーム運営のありたい姿は それを含めていて 日々出てくる案件はその ありたい姿の 一部分となります。 日々共有されたりしてるのはその 一つ一つの案件が多く なかなか全体像を共有することが難しく なかなか言語化も出来ていない部分が多いと思います。 それはリーダーだけのお仕事ではなくメンバーとも共に言語化していく必要があります。 チームだけではなくもちろん会社全体としても同様 「会社のありたい姿」をもっともっと言語化していかないといけません。