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飲料をネットで販売し始めたタイミングの話(缶コーヒーダイレクト)

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平成で起きた会社の出来事で今のこのビジネスに継った思い出。 第三段の話です 第一弾・・パソコンが当社に導入されたときの話 第二弾・・飲料が会社のドメインに動いたタイミング 第三段は 飲料をネットで販売し始めたタイミングの話をします。 パソコン通信で物販をして可能性を感じ その後 インターネットに出会うわけですが、最初にインターネットを理解し始めたタイミング。 これはJC(青年会議所)という団体で近畿地区の委員に出向したときのことです。その時のメンバーには近畿圏内の割とすごい方がいっぱいいらっしゃってた。あの団体にしては毛色の違うパソコンオタクな方が集まってました。。 出会った方々にはいい意味でとても刺激を受けました。委員長はじめ尊敬できる先輩が多かったです。  その中でも特にインターネットに凄い尖ってる方がいらしゃってて、奈良県大和郡山に島崎さんという建材屋さんがいて当時 月30万くらいかけて専用回線を引いてインターネットをプライベートでやってた方がいました。  この委員会の活動をパソコン通信とインターネット 両方ですすめる そんな活動でしたが 僕は当時のインターネットのハードルの高さからこれからもパソコン通信が残るだろうと思ってました。 そんな予測とは裏腹に 直ぐに全てがインターネットに取って代わりました。 1998年に誕生したgoogleがまだ世の中に無い頃、いったいインターネット界隈のニュースはどこで仕入れたと思いますか? 僕は雑誌なんです。 雑誌はワクワクしながらよく内容も解らないのに読み漁ってました。 飲料を販売し始めたタイミングですが  高校一年生のときに同級生に 後にNAXNETを立ち上げた中山哲男君が居ました。中学を出たばかりで非常に影響を受けた一人。とても多趣味 収集とコミュ持ちの 面白い友人でした。 インターネットの契約は出来たんですが、ホームページの作り方が解らない。すでにその頃は ネットショップには 黎明期96年組が居て 代表的な店舗では 心斎橋の傘屋どっとこむさんが雑誌や書籍で取り上げられてました。 98年2月にようやく中山君にFTPのやり方を教わって IBMのホームページビルダーを使って飲料の販売サイト 缶コーヒーダイレクトを立ち上げました。 実際、缶コーヒーは全然売れ

飲料が会社のドメインに動いたタイミング(平成で起きた会社の出来事 第二弾)

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平成で起きた会社の出来事 第二弾 前回は当社に初めてパソコンが導入されたときの話でした。 「飲料ECのリーディングカンパニーを目指す」 となってますが、飲料製品が扱いの核となったタイミングの話です。 当社の強みを活かせた出来事。より強みとなった出来事。 ・地元のコンビニとの取引のスタート 小学生・中学の頃もそうだったのかもしれませんが 僕が帰ってきた頃、業務の大半がアイスクリームの卸 このウエイトが非常に高かった。 どのタイミングから飲料のウエイトが高くなり始めたか。。 当時、スーパードライで飛ぶ鳥を落とす勢いのアサヒビールの飲料事業部と取引をようやくスタートしたという話は 良く叔父から聞きました。 「兄やん 良かったなぁ!」と兄弟で喜んだようです。 その後、御坊市にあった嶋西鉱泉を引き継いだタイミングでも飲料のウエイトが高くなってきました。(1,990年夏) 僕が嶋西鉱泉の経営者の長男と 高校の同級生だったこともご縁につながったと思います。 そのタイミングで大塚製薬と取引が太くなり、その次のタイミングはサントリーやサッポロとの自動販売機での取引スタートだったと思います。 その次に飲料がより事業のコアになったタイミングがありました。 何年だったか思い出せませんが、ジョイマートというローカルのコンビニとお取引が始まったタイミングです。 前回もお話したように 僕は RICOHの森岡くんと違って飛び込み営業がとても苦手です。コンビニが開店するみたいだと言う情報もあって 頑張って営業に行きました。 担当の方と話をしていて ウオークインの冷蔵ケースの飲料の棚を全部任せてください。在庫負担にならないように半ケースで納品しますと交渉しました。 飲料の棚のレイアウトは当社が提案します。スーパーの頃に見ていた棚割り表を思い出して作った思い出があります。コーラ以外の製品はすべて当社が納品する。非常に嬉しい出来事でした。 もう1点 これは昨日思い出したのですが。。。 1999年の4月から開催の 南紀熊野体験博覧会 の会場に自動販売機を設置させてもらいました。これは事前から父親が一人で進めていた案件ですが、公の大きなイベントに参入できたのも当時としては大きな出来事でした。

会社に1台目のパソコンが導入されたタイミングの話

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まもなく平成が終わりますでの 平成に起きた商売での出来事の話をします。 30年以上あったわけですからいろんな事がありました。 会社設立 パソコン通信で物販をしてみた インターネットのサイト 缶コーヒーダイレクトを立ち上げた 楽天市場に出店した。 今回は いろんな出来事があった中で 当社に1台目のパソコンが導入されたときのことを話します。 1991年 か92年だったと思いますが 初代パソコンを導入しました。Windows3.1 だったので29歳か30歳の時 その2年後くらいにカラー液晶のサブノート ThinkPad230cs を個人で購入してそれが今の物販に続いていくきっかけになりました。 当社に1代目のパソコン。そのパソコンで 商人というソフトを使って販売管理をしはじめました。 その当時は会社で使えるようなパソコンは100万以上かかるのが普通だった世の中 そんな印象です。ところが市販のパソコンに市販のパッケージソフトを入れて小さな会社でも業務に使えるのが市場にようやく出てきたという走りのタイミングだったと思います。 RICOHの森岡くんが飛び込み営業で売りに来ました。 特に業務で必要さを痛感していたタイミングでも無かったですが、話を聞いてみようか という程度で色々話を聞いた覚えがあります。 当時うちも自動販売機の設置や小売店舗の新規開拓を日々やらないといけないわけで。。みなさんもご存知のように強みに社交性もコミュニケーションも無い 僕は飛び込み営業がとても苦手なわけです。 彼はとても楽しそうにやってたのが印象的で羨ましいなぁと思ってました。そんな話を当時 彼ともしまして「僕は飛び込みの営業大好きですよ。」って言われてたのがとても印象的でした。 この4月にその森岡くんもRICOHを早期退職するようです。

古座川の一枚岩。この周辺でキャンプやりたいな。

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最近、日曜日になると母と昼食に出かけるのが定番になってます。 日曜日 午前中はダラダラしてたいんですがそうもいかなくなりました。おそらく父が健康な頃からの習慣なんだと思います。日曜日 田辺方面・御坊方面に行って昼飯を食べて帰ってくる。 母も週イチなのでとても楽しみにしてるようで 元気なうちはしばらく続きそうです。 昨日の日曜日も出かけてきました。昨日は桜が見たかったらしく結局 無計画で出発して 七川ダムの湖畔の桜を見てきました。串本と古座川の上流で僕は初めて行きました。 すさみから山の中を走るのが非常に遠かったです。 で、帰りは串本方面に出て帰ってきたのですが 古座川の一枚岩 というのも初めてみました。高さ150m 幅800m ということで 一枚の岩盤としては佐渡島の大野亀(高さ約167m)や屋久島の千尋の滝(高さ約200m、幅約400m)などとともに日本最大級とされているそうです。 一枚岩。 別の意味でもよく使われたりします。組織の結束力が強い そんな状態。政治や政党の話でも使われたりします。よく言う それこそ 一つの生命体の状態を言う。「一枚岩の結束を誇る」などとも使われます。 こんな身近に 当社が目指す シンボル的なモノがあったと とても嬉しい気持ちになりました。 一度 皆んなで この周辺で 一枚岩を目指すキャンプでもやりたいです。

時代的にも 紙一重を超えるのが とても重要な話。

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先週は行動指針の中の「継続は強い意志を持って」という行動指針の話をエイプリルフールに絡めて話しました。 エイプリルフール企画は「飲料ですべての人にうるおいのある生活と笑顔をお届けする」という事業ビジョンに沿った 笑顔をお届けする企画でもあると思ってます。 成功曲線でいうところの 努力の成果はずいぶん遅れてやってくるに通じると思います。 紙一重を超える 紙一重を超えないと勝ち残っていけない。 これは前にも話したと思いますが、再度書きます。 三木谷曲線で言うところの 人は99.5%くらいまでみんな同じように努力してるので、 大きな差がつくのは、「残りの0.5%を努力できるかどうか」そこで結果が大きく差が出てしまう。成功の法則92か条に書いてるのも確かここまでのニュアンスだったかと思います。 コレにプラスして最近読んだ対談のコラムに 面白い内容が掲載されてたんですが インターネットが出現してパクるのが簡単な世の中になってきました。 要は誰もが一通りの成果を出せる世の中になったということです。 おおかたのやり方 や 一般的な答え は 全てネットに掲載されています。 例えば 直近 倉庫メンバーで倉庫の床を塗装してもらいました。インターネットのお陰で素人でもNETを見ればあそこまで出来る時代になったと言うことです。 また一昨年だったか 皆でベンチを造ったのもそうです。ネットを調べれば今までは無理だったベンチの設計図が簡単に手に入る時代になりました。 以前は素人では難しかったことが インターネットのお陰で 素人でもある程度できる時代になりました。 これから 更にAIも普及されてきます。 この「紙一重」もっともっと重要な時代になってくるはずです。