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会社設立当時の品揃え

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 5月は創業記念日と会社設立の月なので、昨年は叔父達に今年は家内に昔話をしてもらったということです。 昔話しかしないクソジジイには成りたくないと思ってるのに、そんな5月なので今日もまた昔話をします。  当時は田舎の小売業の品揃えの延長で商売をやってまして 色んな商品を扱ってました。限られたお客様に色んなものを買っていただくことで商売が成り立ってどうにか売上を増やしていくという商売です。菓子・乾物・アイスクリーム・食品・ギフト・洗剤・線香ローソク・業務用食品の一部・飲料といろいろ扱ってました。  最初 どういう品揃えなんだろう?と思いましたが、お客様が必要としてて仕入れれるものは全て仕入れてたんだとすぐに理解できました。戦後 父が商売を始め約30年で徐々に上記の品揃えになっていったんだと思います。 当時は その方法がベストでしたが 言ってみれば 何一つ得意な商材が無い印象で 僕が帰ってきてから まぁ時代の流れで飲料に より注力していく形になったわけですけども それも戦略があってそうしたのではなく「活路がそこにしか無かった」 というのが正しいのかなと思ってます。でも、今になって考えると有価飲料の市場規模は(こちらは生産量ですがこのグラフでは)20年伸び続けていますので市場の大きくなるカテゴリーで当時軸足を飲料にシフトしていったのは概ね間違いではないのかなと思ってます。 全国清涼飲料工業会 戦後の清涼飲料史  もう一つeコマースへの参入ですが こちらのチャネルもご存知のように右肩上がりで来てます。 商材としての市場も伸びてきた。物販系ECチャネルの市場も伸びてきた。その市場でやってきたのでどうにかこうにか当社も成長できたのかなと思ってます。 伸びる市場に自分たちの身を置いてやってきました。もちろん その分 競争がとても激しい状況です。 ランチェスター戦略では無いですが 伸びる市場に身をおいて 得意な分野でより磨きをかけ尖っていかなければ厳しいと思ってます。

親炙してる先輩

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 以前話をした「親炙と私淑」で言うと「親炙」に当たる話です。 親炙:直接接しながら感化を受けていく学び方 私淑:会ったことがない人物を師と定め、その言動から学ぶ方法 金毘羅さん 奥社周辺より GWの終盤に休みを貰って香川に行ってきました。まぁまぁ遠いのですが、何をしに行ったのかというと大学の先輩に会いに行ってきました。77歳で 僕よりも16歳上の大先輩です。学生時代は一切関わったことが無い先輩なんですが 2005年位に初めてお会いしたと思います。その後 定期的に会いに行ってます。 昔 スタッフと高松のアウトレットシューズさん経由から岡山のアマノフーズに行ったときも夜 僕はその先輩と会って飲みました。 今回は9年ぶりだったわけですが。。 色んな件を毎回相談に行ってるわけなんです。 今回 香川に行ったその後も頻繁にやり取りしてまして 夜 先輩から電話があると家内から「恋人から電話よ」っていって茶化されます。 非常に思慮深い方で 軸がブレない なおかつ柔軟な思考をされる方です。 話をしてるととても勉強になる。 世代が違っても同じ話題でああでもないこうでもないと言い合えるのは良いもんです。 その先輩から色々教わってますが全くまだまだ身につきません。 僕自身はどちらかというと根回しもなく正論をブチかましがちになるんですが だいたい上手くいきません。その辺が非常に苦手なんだと思います。 まだまだ勉強しないといけないと毎回感じてます。

モチベーションの源泉「喜んで貰える人」編

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 1週間前 5月8日に母親が施設に入所しました。入所希望を入れていても一般的には時間がかかるというふうに聞いていたので僕たちが想定していたより随分早かった印象で、家族とも色々相談した結果 入所させて頂くことになりました。 会社にも母親を連れてきてたり、僕自身も介護のために様々 勝手させて貰って 色々皆さんにも配慮頂いていたりご迷惑お掛けすることも多かったと思います。 認知症が進んでなかなかコミュニケーションも取りにくく 症状も日に日に進んできていて 無理を言うことも多くなって 最近では施設にも行ってくれなかったので 実際色々大変にはなってきてましたので そのへんの配慮もあったのか ほんとに想定していたより早く入所となりました。  入所のタイミングでは本人にしっかり伝えれ無かったこともあって連れて行った時に車から降りるのを非常に嫌がられたし その後も帰宅願望が高く毎日 帰りたい帰りたいと言ってるようなので 判断が正しかったのかどうか考えます。 本人にとってどうすることが幸せなんだろう?とか 今現在の世間の常識ではこの判断が正しくない訳では無いですが 常識って時代によって大きく変わってしまうこともあるので いろいろ考えることが多いです。 そうは言っても この一週間 介護がなくなっただけで それまでより自由に生活して 会社に居る時間も増えました。 以前 モチベーションの源泉というお話をしました。 コンプレックスや 身近な人に言われた言葉のお話をしましたが そういう意味では 「年令を重ねるに従って喜んでもらえる人が段々居なくなってきました。」 昔は良いことがあると喜んで貰える人が多かった。両親や祖父母 叔父や叔母 年齢を重ねる事で一人ひとり 喜んでもらえる人が居なくなるのは モチベーションやパワーの源がなくなってきています。

厳しいんですよね!?という質問

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昨日🎉創業記念日でした。5月7日。 今日から92年目になりますが、しっかりやっていこうと思います。 先日、You Tubeで自衛隊のヘリコプター事故の原因を勝手に解説している動画を観ました。何らかの理由で低空を飛ばなければならなくて高度計もいくつか搭載されているが誤差があるし速度は時速200km程度は出ている。低空を高速で飛ぶのは色々リスクが高いんだろうなと思いました。 今後 ドライブレコーダーが解析されて原因は解明されていくと思います。亡くなった方々のご冥福をお祈りします。 今日はうちの会社の商売の状況を例えた話をします。 昔からよく友人・知人に聞かれることがあるんです。 「中江さんところ価格競争ってとても厳しいんですよね?」 説明もややこしいし、実際その通りなので「そうなんですよ。厳しいんです!ホントに大変なんですよ」って言います。 誰もが感じてて 言い回しも難しいので余り露骨に言われない でも 聞いてみたい事なんだろうと思います。他の業界の利益率とか解らない人でも 誰もが市販の飲料をネットで売ってると価格競争で大変そうだなぁ。。と思ってるわけです。 「街の本屋さんってAmazonで大変ですよね。」とか「酒販免許が開放されてコンビニでお酒も売ってますからお酒屋さんって大変だよなぁ。」と同様 「中江さん よく頑張ってますね!」というニュアンスで聞こえるケースが多いです。 もしかしたら、「長年 よく続いてるなぁ」と思ってるかもしれません。 実はこういった質問は20年前から言われてます。 ちょうどこの前、e研のセミナーに行った時も長年の知人に 懇親会で聞かれました。どういう質問だったか忘れましたが、 その時に言ったのが「海面ギリギリをジェット機でぶっ飛ばしてるイメージです」って伝えたんですね。聞いた方にも厳しさが伝わったのか納得してくれてる感じでした。それはキツイですね。。と  まぁこれは自分自身のモチベーションを保つためにカッコつけてそういう表現をしたのかもしれませんけど、多少なりとも昔から自分の中ではそんなイメージを持ってまして、初めて人に伝えました。 イメージしやすいと思うのですが、ちょっとでも手元が狂うと海面に突っ込んでパアになってしまう感覚です。 そのジェット機✈の飛行にスタッフ全員 皆さん全員が関わっているイメージです。 操縦している人も居れば 計器をチ

「運」について

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 「運」について 僕の考えてることをまとめておきます。 幸運の女神、運も実力の内、勝負は時の運、運を天に任せる 運にまつわる言葉は色々あります。 物事の結果には実力と実力じゃない部分が重なって結果になってると思っててその比率が物事によって変わってる 世の中はそう成り立ってると思ってます。 自分でコントロールできるところと出来ないところが必ずあって、その操作できない部分・コントロールできない部分が 全てではないですが「運」「運気」もあるんじゃないかと思ってます。 会社の業績なんかもそう感じてます。もちろん短期の業績なんかは コントロールできる実力の部分ですが、20年30年の長期に捉えると自分達の力やコントロール出来る部分だけでは なかなか説明がつかないこともあって それは出会いや何かを起こすタイミングも含めて 「運」に左右されるのも大きいと思ってます。 先程 コントロール出来ない「運」 という説明をしましたけど 確かにそういったことはコントロール出来ないのですが 100%出来ないのかというと そうでもなく 引き寄せることは出来るんじゃないかと思ってます。「運を引き寄せる」ってよく言いますけど。 それはどういうことかと言うと ・一つは(この話も昔良くしましたが) ラグビーボールは楕円形で不規則な転がり方をするけども「努力したものの方に転がる」「勝ちたいと思う気持ちの強い方に転がる」と言われていると聞いてます。 ・もう一つは「願うこと」だったり「感謝すること」 そんな時代だったのか、他所の家は解りませんが 子供の頃からお年寄りが「祈る」「願う」「拝む」というシーンはよく観ていました。祖父や祖母は朝晩 とても丁寧に御念仏を唱えていましたし 月イチくらいでご近所の方が集まってきてお念仏を唱える「●●講」も自宅でやってました。お四国や高野山 西国さんにも良くお参りしてたのを覚えてます。 ・他にも色々あるんじゃないかと思います。明るくポジティブに振る舞う、  ゴミ拾い、挨拶、掃除、読書、大切に使う ・・・で今日は一日です。コントロールできない部分を引き寄せる為だけではないですが 八幡宮に参拝します 宜しくおねがいします。

仕組みやルール・マニュアルはその時の状況に合わせてアップデートしよう

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 何回か前の朝会で「判断の基準」の話をしました。ルールやマニュアルを守ることも大事ですが それ以前に人として正しいと思うことを優先したほうが良いという話でした。 今日も似たような話ですが、先日から倉庫にハエがたくさん出てくる季節になってます。フォークリフトや台車で踏んで潰すと更に掃除しにくくなるので大変です。実際に掃除をやってみると割とたくさん倉庫内にありました。 聞いてみると倉庫の掃除の仕組みが以前の名田の頃からの仕組みを採用していてエリア毎に順番にやるので なかなかそのエリアの順番が回ってこないという事でした。 そもそも掃除の目的は 衛生面の向上・環境美化・安全性向上なので これはどんな事が起きているかと考えると ・まず現状の仕組みでは掃除の目的を達成できていないということ ・ルールやマニュアル通りに日々やってるだけでは目的は達成しないということもある ・日々 気になっていて気がついていても自らなかなかマニュアル以外の行動は出来ないということ そんな事が現場で起きているんだろうなと考えます。 2つ言えるとしたら ・ルールやマニュアルはその時の状況に合わせてアップデートしていかないとだめだ。 ・ルールやマニュアルは絶対ではない。そのばその場で対応しないと目的は達成できない。 これ(倉庫の掃除)って見えやすい案件だから例にあがりましたけど こういった事って至るところで起きてると思います。 状況が変化しているのに仕組みが従来のまま。 ルールや仕組みが目的と合っていない。 ルールやマニュアルに縛られているだけで考えない組織。 お互い気をつけましょう。

御坊青年会議所での30代の頃の話

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このネットの商売にも繋がるキッカケになった30代の頃の話をします。 青年会議所という団体がありまして、当時 僕も所属してました。ご存知ないと思いますが、全国というか世界的な組織で この御坊日高郡にも御坊青年会議所というのが 今から55年前からあるわけなんです。年に数回地方紙に活動が掲載される程度なので存在を知らない方が多いと思います。 県内にも各地域に現在7つあります。僕らの頃は串本地区にもあったので少し減ったかもしれません。 この組織は40歳になると卒業で僕も10年近く所属してたと思います。入会は結婚した翌年1990年 28歳の時です。きっかけは当時 石橋石油の社長さんにご紹介いただきました。 社会貢献の団体ですが、その活動を通じて色んな事を学んだり学生時代とは違う友人ができたり。 当時は色んな面で大変でしたが 今になって思うと入会させていただいて良かったなと思います。 活動は基本 月に委員会や例会 理事会 があってなんだかんだで週一程度仕事終わりに参加出席するような活動頻度でした。 同世代の経営者同士が集まってる中 社会に出ると色んな方が居るなぁと思いました。元気のいい方 や 羽振りの良い人 お金の使い方の綺麗な人 や 弁の立つ人 付き合いのとても良い方 人を巻き込んでいくのが上手な方 面倒見の良い方 色んなリーダーシップの形も勉強になりました。 頻繁に会合がありましたので そんな同世代の社会人の色んな違いを感じる僕にとっては数少ない機会だったと思います。 組織の中の色んな役割や組織づくり 議事や会議の進行、イベントやプロジェクトの進め方 なども学んだように思います。 学校に行っていた時の勉強ができる優秀な人 やスポーツで優秀な人 とはまた違う 社会に出て組織の中でリーダーシップを発揮して仲間の中で信頼を得て中心になっていく人が居るわけです。 社会に出てからの優秀さとはどういう事なんだろう?と自分の中で考える機会が多かったように思います。  そんな色んな学びもありましたが 飲んだり食べたりも頻繁にあって 当時の僕の安いお給料で小遣いも少ない中 使えるお金はほとんどそちらに消えてました。随分家内にも迷惑かけたと思います。そんな感じなので どちらかというと会員の中でも貧乏で付き合いの悪い部類だったと思います。 詳しい話はすっ飛ばしますが、そんな通常でも活動が多い中 

業務に熱中してた頃の話

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次のお題が「熱中してた話」ということなので僕は「熱中してた頃の話」をします。 その時々で色々熱中してた頃があるんですが、お仕事で言えば 現場のお仕事をやってる頃が何と言っても熱中していたかなと思い出します。。 社長業も熱中しないとイケないんでしょうけど現場の事を最前線で色々やってたときが面白かったという意味で当時の話をします。 出店してから2004年くらいまでが MAXだったかもしれません。30代後半から40代。調べてみると楽天がプロ野球に参入したのが2004年です。 ・一つは自分で全部出来る 分業をしないでも全て指示できる頃だったとおもいます。 ・認知されていない市場で商売をやってる というワクワク感もありました。 ・先陣が居なかった。 楽天の集まりが年に数度その頃もあったと思うんですが 行くときはワクワクして参加していた記憶があります。 業務をどう効率化するか?というのもスタートしたばかりで今と比べると当時は幼稚な仕組みでした。なので効率化のポイントも膨大にある。 仕組みにしろ先陣が居ないので何もかも自分達で作らないといけない。 しかも一つ手を打てば大きな効果もある メールも今ほど埋もれてしまう時代では無かったので メールでアクションを起こしてもお客様からの反応もとてもある。 一つ当たるとそれまでの商売では考えられないくらい売れた。 そんな熱中してた頃がありまして その次にくるのが2005年くらいからグラフを見ても解るように売上が跳ねてます。3億の壁を超えて問題が噴出してくる時代に入ります。

祖父 竹雄のこと

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昨日 祖父の17回忌の法要をしました。 僕から見た祖父の話をします。 明治40年生まれなので計算してみると 僕が物心ついた子供の頃 ちょうど今の僕くらいに年齢だったようです。 区長かなんかやっていた時だと思いますが、印南町の役場の町長室に子守がてら僕を良く連れて行ったらしく そこでオシッコを漏らした話を良くしてくれてました。 高校の時 弓の大会で優勝して賞状を貰ってくると誰よりも喜んでくれいたのも祖父でした。 孫だったので距離はとりつつ とても可愛がってくれてました。 信仰心の厚い人で 人のお世話をしたりしてる印象が強く 商売を熱心にやってたイメージは僕は 無く 当時 お豆腐を朝早く母親と作っててそれが終わると商売には関わってなく商店街や商工会の役をしてたのか そんな印象でした。 以前も話しましたが 戦争に行った話をよくしていて 歳をとると大昔の話ばかりすると思ってましたが今から考えると20数年前の話なので 当時は戦争もそんな大昔の話じゃなかったんだなと思います。僕がネット販売を始めた頃の話をするのと同じです。。 父から聞いてる話でもあまり商売に情熱を傾けた感じではなかったかなと。。 それには時代背景もあったのかなと想像してます。。 昭和7年に結婚して 世界恐慌 満州事変 国際連盟からの脱退・日中戦争から 第二次世界大戦へと進んでいって 終戦を迎え 終戦の翌年 昭和21年12月に昭和南海地震による津波災害を受けました。 その5年後 昭和26年には すでに父は18歳となり働きだしています。 その後 昭和28年に紀州大水害に見舞われ、昭和37年に又 集中豪雨での水害に見舞われてます。水害の度に商売も大きな損害を受けたようでした。 僕から見たそんな祖父でしたが つい数年前に叔父たちから祖父と父の確執を聞いて 僕から見えていた祖父や父は 叔父たちから見ていたそれとは随分違ってたんだろうなと改めて感じました。 先日 新人研修で ひとつの出来事も人によって捉え方は様々ですよ という話をしましたが 出来事だけではなく 一人の人 それが家族でも人によって捉え方は様々ですね。 僕から見てる皆さん一人一人と 同僚として見てるそれぞれ 先輩と見てるそれぞれは色んな見え方がしてるんだろうなと思います。

パーキンソンの法則

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先週 インテルの創業者の一人 ムーアの法則のゴードン・ムーアさんが亡くなったというニュースがありました。 ムーアの法則は説明が上手く出来ませんが 半導体集積回路の集積率は18ヶ月で2倍になる。ということだそうです。モバイル端末の速度が20年で1000倍になるのもこの法則と関係してるようです。 法則 は着想の強みのお陰か大好きです。 『パレートの法則』8:2の法則 2割で全体の8割を生み出している 『ハインリッヒの法則』1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在する 調べてみたら 他にも色々ありました。 『1%の法則』これはインターネットのコミュニティーには100人に一人しか投稿しないけど見てるだけの人は99人も居るという法則です。 今期 当社の最も重要視している 紙一重を超える仕組みを作ろう には 克服しないとイケない法則があるなぁ。。と思ってまして 『パーキンソンの法則』仕事は、完成までに利用可能な時間を使い果たすように拡大していく。完成のために与えられた時間をすべて満たすまで膨張する。支出の額は、収入の額に達するまで膨張する。 夏休みの宿題がギリギリまでかかる 仕事が締め切りのギリギリまで完了しない。という日々直面している『パーキンソンの法則』 克服して紙一重を超えていこう!

判断の基準

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先週、「損得より先に善悪を考えよう」という話がありました。 社内のルールやマニュアルを守る事も大事ですが それ以前に人として正しいと思うことを その場その場で優先しよう。という判断の基準の話です。 「善悪」の他にも判断の基準がありますよね。 「安全」であったり「健康」であったり その場その場で優先を考えて行動する事が必要です。 他にも「面白いかどうか」という判断の基準もありますね。おもしろ飲料カンパニーを目指す当社にとっては「面白いかどうか」は重要で これについてはどっかでもっと詳しく話したほうが良いと思ってます。 最初の話に戻ると 色々な場面で一昔前よりも より「善悪」の判断のウエイトが高くなってきてる印象もあります。SDGSなんかもそうかなと思います。テレビ番組なんかもそんな流れですね。SNSが普及したりインターネットが進化してくるとより「善悪」の判断が重要になってくる印象です。 「善悪」だけで判断して「損得」を考えないとどうなるか?本来は事業が成り立たなくなるんですが、そうとも言えない時代になりつつあるなぁと感じてます。 「損得」といえば 祖母からよく聞いた「損して得とれ」という言事を思い出しました。子供の頃 直接言われた訳では無いですが 大人の話の中で聞いたのか 祖母が叔父や叔母に言ってたのを聞いたのか 祖母からよく聞いたのを覚えてます。 調べてみると二つ意味があって ・長期的に物事を捉えること ・目先の損失を度外視して将来の利益を確保せよ という意味合いだそうです。 「損得勘定」は重要ですがバランスを間違えないようにしないといけない 大きな判断の基準となることが多いです。

二十数年前にネット販売で頑張ってたお店は・・・

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 ステークホルダーの方々にはよく話をしてる内容ですが、朝会ではまだ話してなかったと思うので 今日は二十数年前にネット販売が世の中に浸透してきていた頃の話です。 ネット販売がスタートした頃 成功店舗と呼ばれていた店舗 まぁまぁ頑張っていた店はどんな店だったか??当時よく言われてたのは 本業がダメな会社でこれを成功させないと数年後には飯が食っていけなくなるような事業者が多かったように思います。退路を経つというその退路も無いような事業者。そんな会社の後継者が中心でやってる会社です。 当社も もちろんこちら側です。 逆に本業が業績良くてまだ余裕のある会社は上手くいかなかったケースが多かったです。 どうしてかを想像すると ・やり方にもよりますがリアルで一定の業績を出せる仕組みがある会社にとってネット販売はやはり当時は面倒だった。 ・本業の良い方に社内のリソースを取られたり優先される。人員や在庫などです。 あと他にも上手くいかなかったケースがありました。 ・大手の会社でパソコンが得意という理由だけでネット販売の立ち上げを任されるケースです。 これは 商売のセンスよりもITリテラシーだけが高いという理由で人選されてるケースです。 しかも権限をあまり持たせてもらえてなく 承認の階層が多いと ネット販売の場合 そのばその場で判断する案件が多くてスピード感をだして店舗運営をすることが出来なかった。 商売は資本力がある会社の方が大体何をやっても有利なんですが、モールは同じ土俵に上がらざるを得ない。従業員数千人居る会社でも一人運営している方でも良くも悪くも同じ土俵で戦わざるを得ない。 この逆で意外と良いパターンとして言われてたのが 経営者の娘が店長として運営しているパターン。 どういうことかというと 娘なんで外にプラプラ出て働いてられるより社内に居て仕事をしてくれたほうが親父も嬉しいのと 娘なので決済権を全て持ってる というのがポイントでした。 息子はどうなんだ?というと 当時は働き盛りの男性後継者がパソコンに一日中向かって仕事してると「何してるんだ??」という見方をされるのも まだまだあった時代でもありました。 ということで色々書きましたが、結局 当時 頑張ってた(結果を出していた)お店は退路の無い店舗だったように思います。

eコマース研究会の立ち上げ時の話

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 先週 3月1日に和歌山市でセミナーを受けてきました。楽天に出店している上野アメ横 小島屋さんのセミナーでした。 コロナ禍で3年間くらい ほとんど全てオンラインでやってましたので懇親会を含めて久しぶりに盛り上がった会となりました。 このセミナーは県が主催で和歌山県eコマース研究会が協力して開催です。 今日は この会の話をします。社外の事なので当時も社内では一部の方しか知らないと思いますので自己開示も含めてお話しします。 この会が正式に立ち上がったのが9年前の 2014年です。僕自身はその前年からチームビルディングを学びに行き始め社内にもその考え方を導入しようと躍起になりながら 社外では 県内でも同業者が集まって学び合えるようなコミュニティーが出来れば良いのにな〜という思いから 県内でそういった会を有志で立ち上げる流れになりました。 年齢も50代に入ったばかりの頃でまだまだ体力もあるし 両親もまだ体調も良く 家族も居なかったので1人でやりたいことが自分の思うタイミングでなんでも出来た頃です。今から思うとそういったタイミングっていうのは ほんの数年だったなと思います。 定期的に勉強会などを開催する任意団体を作ろうとなると 大体問題になるのは 事務局が必要だったり 会費の管理が必要だったり 講師代はともかく セミナーの会場費が必要だったりと 継続していくとなると その会の承継のことであったり 色々面倒なことが出てきます。しかも何年もその会の中心でやっていく事も出来ないわけですし そもそも会にとってもそれって良く無い事なので この会を立ち上げるにしてもネックは事務局と会費をどうするか?が僕の中でも問題でした。 もちろん自分達のやりたいことをやっていくために会費を集めてやる方法もありますし、その方が良い面も多いのは十分承知しているというのは前提です。 当時 和歌山県庁にも何度か交渉に行ったりもしてました。 ちょうど国も よろず支援拠点という中小企業をサポートする組織が全国に出来たのが2014年で タイミングもよく紹介いただいて そこが事務局をやってくれる流れになりました。 そんな流れで 和歌山県 と よろず支援拠点 と 我々の会方向が一致して 立ち上がったわけです。なかなか会員が順調に増えたりというのは当初の目標通りでは無いですが 当初の目的であった 会員事業所の業績向上と 

ブラインドスクエアの体験を踏まえ

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(写真は1年前) 土曜日は久しぶりのブラインドスクエアでした。時間が無かったので中途半端になりましたが、苦手な人が多くてもうちの会社はアクティビティーのメインはこれで行こうと思ってます。 新しい方が入ったタイミング 定期的に必要なタイミングで 必ず実施していきます。 それは仕事に色々置き換えやすいと思ってるからです。 今回 初めて見る側に回った方も居ると思いますが、見る側でも気付きは多いです。実際にやったり 見たりを 繰り返すことで気づきが深まるように思います。 今回の僕自身の振り返りとして少しお話します。 ・ゴールの共有には時間がかかる。日々のお仕事もそこをすっ飛ばして作業や業務はやってもらえるけど最初に共有をしておかないと遠回りになってるんだろうなと思う。 昔、がくちょに言われたことを思い出しました。 ・ほんとに人によって理解度は様々だった。正確に伝わってるかどうかの確認が重要。 ・メンバー全員にゴールのイメージが理解できてる状態は大変ですが ・詳細なプロセスの共有も まず最初にどうするか?の とっかかりがメインだったし仕事でもそういうシーンは多いと思う。 また それはやってみないと問題が見えてこない部分も多い。 ・1人でやったほうが良いことを最初から分業すると大変になることもあるし ・簡単だからと最初1人でやると 1人じゃできなくなる段階で大変になる。 どっちにしても複数人でゴールを目指すと チームで物事をやっていくと どっかの段階で大変なんだな。という事も改めて感じた。 指示系統が現場を体験しないと指示が的確ではなくなるし 指示系統が現場に入るとそれはそれで混沌となっていたように感じた。 他にも全員が喋れてないのは勿体無いなと感じた。 改めて「ブラインドスクエアの体験を踏まえ私達は仕事をする時にこういう風にします」 ・明確なゴールと詳細なプロセスを共有します。 ・強みを生かし 弱みをカバーし、社内の雰囲気づくりを行います。 ・自分の考えを解りやすく伝え、全員が発信できるようにします。 ・人によって理解度は様々です、正確に伝わっているか確認します。 ・自分の仕事はしっかりやりきり、チーム関係なくフォローします。

ChatGPTの登場にワクワクしてます

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 最近流行りのChatGPTの登場が久しぶりにワクワク感があります。AIを身近に手軽に本格体験できる初めてのツール。新たなテクノロジーが生活を変えていくということ 今までもGoogle検索が出た時 Gmailが出た時 iPhoneは少し遅れて Googleマップ登場など その時々でワクワクしたり不思議だったり ちなみに Google 検索が世の中に出てきた時はそれ以前のYahoo!のようにポータルサイトではないのが不思議だったり どうして検索のGoogleがフリーメールの領域に進出したのかも不思議に思いました。 例えば Googleマップは2005年に登場したわけですが 世の中を大きく変えたテクノロジーだったと思います。登場まえはどうだったかというと ・従来は地図情報を入手するには 書籍 地図帳を見なければならなかったです。 ・道案内が簡単になりました。 ・プライバシーの意識が変わった。従来は住所がわかっても一般の人は番地など正確に調べることはほぼ不可能でした。今はストリートビューがあるので家のデザインまでわかってしまいます。 ・地図の精度も向上しました。リアルタイムの渋滞情報もわかる ・ローカルビジネスのプレゼンスを強化することで地域経済の発展も担ってきた。 ・施設情報も提供 「ChatGPT」 もっともっと進化していくと思いますが  登場以前と以降ではまた世の中が色々変わっていくと思うとワクワクします。 ちなみに先ほどのGoogleマップ登場以前のネタはChat GPTから教わった内容です。