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長野県富士見市 カゴメ 野菜生活ファーム 視察

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6月23日・24日と長野県富士見市のカゴメ野菜生活ファーム視察にお招きいただきました。 新大阪合流で新大阪からはカゴメさんがアテンドくださいました。 車中 指定席をご配慮いただいて1席ずつ離れてましたので色々楽でした。 名古屋からの特急しなのは車窓から観える景色が海岸沿いを走る和歌山とは全く違い山間を抜けて川を上流に登っていく光景がヤバかったです。 初日 ホテルに到着してからの懇親会 カゴメさんに限らず 最近 コーポレートサイトやブログを当社の担当の上長にあたる方々にも事前に色々なページを読んで予習してきくださってるパターンが多くなってきてます。そういう意味では関係する方々への情報発信は順調に出来てるように感じた。 ここでも書きますが、取引先のお偉い方々がこの数年で一気に同期や年下になってしまいました。なんと表現したら良いか・・今までは年上の方々へという気遣いを幾分してたのか、一昔前よりそういった部分が無くなり気楽に話できるようになった気がします。どっちにしろ「年をとったな」という話なのですが。 美味しいお料理をたんまり頂き 久しぶりのお酒の席でしたが カゴメさんの様々な気遣いが素晴らしく学べることは多かったです。とても楽しく過ごせました。担当者同士が良い関係を築けてるのもよくわかりました。カゴメさんの話で取引先によって色々ご苦労もあるのがとても理解できた。 新大阪からの同行で懇親会まで一日目からとてもお疲れだったと思います。 翌日 取組会議 まず、改めて関係者揃っての定期的な取組会議は重要だなと感じました。 トマトジュースの本番はこれからなのでしっかり結果を出せると良いと思います。 工場見学 従来の工場見学とは違い VR ARを駆使してのリアル工場見学はまさに今できるベストな工場見学だと体感しました。 使い方にも寄りますが これは応用すると 社内でも色々使い道ありそうな気がしました。 IL FAGGIO(イル・ファッジオ)でのランチ 絶品でした!ピザは遠方からでも食べに行く価値あり!平日でも地元のリピーターが多いのが理解できます。普段の生活でリピートしたくなる施設を地域に提供することの価値は大きいと思いました。 社内で別事業へ手を挙げる方達はイキイキ働けてるんだろうなと感じた。 野菜収穫体験 こちらも久々の野菜収穫。整備されて準備してくれてるからですが、そんな自然

久しぶりの猛暑の予感

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 今週 関東甲信越中心に猛暑です。梅雨前線が北上し観測史上最も早い梅雨明けだそうです。今後 物量も増えますし 体が暑さにそれほどなれてないタイミングで梅雨明けのような暑さが到来します。 睡眠時間をとって お酒は控えめに 適切な水分補給 規則正しい食事など 準備をしっかりしてお仕事に臨んでください。 結婚した直後に 人によって快適な温度って違うなぁと思いました。 当社も30人近くいるので 痩せた方も 太った方もいますし 筋肉量の多い方 少ない方 バイトの方を含めると10代〜60代 と年齢層も違う もちろんやって貰ってる業務内容も違いますので運動量も違います。 世の中の流れは 多様性を受け入れていくということなので ますます人によっての違いを受け入れていくことが職場では必要になるということだと思います。 定期的な水分摂取なども全員一律にのみコントロールするのは難しく 休憩を取るタイミング、疲れるタイミングもやはり違います。 全員で一斉に休憩をとることも継続してしていきますが、一人ひとり 今 自分自身がどう感じてるかは ポジティブに伝えていくことが重要です。 なにはともあれ、暑い夏になってくれるのは嬉しい事です!モノの動きが1割増しになります。

気付きの多い 学びの多い会社

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還暦を迎えて 自分の中で何が変わってきたか 最近良く思うのは 「次の世代に何を残せるんだろう?」という視点で考えることが多くなってきました。恐らく その考えは 同世代のお勤めをされてる方々が引退をするタイミングだからだと思います。 この会社にしてもそうですし 個人的なこと プライベートでも そういう視点で考えることが多くなってきました。 例えば どういった会社を残したいか?という問いには 誤解をされても困りますが、現時点では「気付きの多い 学びの多い そんな会社を残したい」と今は感じてます。もちろん利益が無いと存続できないのが会社ですので適切な利益や、従業員やステークホルダー・地域への還元は当たり前という前提です。 「気付きの多い 学びの多い そんな会社を残したい」それは何処から来てるかと言うと やはり大学での経験からの部分が大きいです。 僕は高校・大学と弓をやってましたが、その7年間で色んな学びや気付きがありました。高校と大学 どちらでの学びが多かったかと聞かれると 圧倒的に大学の4年間です。もちろん 高校から大学へと年齢や経験を重ねる事での気付きや学びの多さはあると思いますが 圧倒的な違いは それだけでは無いだろうなと感じてます。 高校の3年間と 大学の4年間では 目指している目標が全く違ってました。高校のときはのんびり1年生の頃は遊び半分で2年生の秋くらいから本気モードになりましたが、それでも目標はインターハイ出場くらいでした。 一方 大学の4年間は常に日本一を目指す 入部したときからそんな環境に置かれた4年間でした。高い目標を常に目指していたことが全てだと思いますが、その高い目標を目指すことで精神的にも肉体的にもギリギリの負荷がかかった状態で4年間を過ごしました。チクセントミハイのフロー図で言うところのフローから不安ゾーンを常に出たり入ったりしている緊張感の高い状態の毎日でした。 そんな状態に置かれた4年間だったからこそ気づきや学びが多かったんだと思ってます。 会社もそれに例えると誰もがフローな状態、もしくは 経験を積めば不安ゾーンを出たり入ったりしている状態でお仕事ができるという環境が 気づきや学びが多い事業所となるのではないかと考えます。

仕事は順調か?志事は順調か?私事は順調か?

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 社員面談で皆に聞かせてもらう内容なので自分自身も同じ質問に答えてみることにします。 1.仕事は順調ですか? 日々直近の業績を受け止めながら事業ミッション・ビジョンに向けて人・モノ・金をどうしていくか?今年はステークホルダーとのプロジェクトもスタートします。とても楽しみです。 もちろんそれだけではなく 人生初の大きな投資をして 設計・建築・完成・お披露目・稼働・運用 と 現在も 日々経験したことの無い領域の出来事が多く学びが多い。全員が同じ空間で働き始めた事で新たな課題が出たり その効果を出せるような風土づくりを考えたり 経営者としてスタッフ皆が充分力を発揮できる為に何が出来るだろう とか 気付きの多い職場になるために何が出来るか そんな事を考える事が多くなった。 理念に立ち戻る そんな場面も多くなった気がするし しっかり浸透していくために僕が何をどうするのが良いかも考えるシーンが多くなった。 2.志事は順調ですか? 順調に年齢を重ねているが前に向かってるか後退してるか数年経過しないと解らない。 チャレンジの難易度が少しずつ上がってるのでフロー図でいうところの横軸は右の高い方に向かってる気がします。 まだまだだと思いますが、年齢のせいか次の世代にどう残せるかという軸で考えるウエイトが高くなってきたような気がします。 この仕事も社会の課題を解決するわけですが、年齢を重ねたり周りが高齢者が多い状況になってきて気付く社会の大きな課題を解決したいという想いも色いろ出てきます。例えば死ぬまで社会に貢献できる仕組みがあると良いなと思ったり。。でも実際はブレなく中途半端にならないように今はこの仕事 本業に専念しなければ。と思う。そんな日々です。 3.私事は順調ですか? とうとう還暦という想像できなかった領域の年齢になりました。母の介護が今は大きな問題ですが、壊れていく母に向き合う事 これは想像していた以上に心が乱れるので日々修行な気分です。数年後には良い思い出に出来るようにしたいという想いと順送りなのでしっかり努めたいし、母親からの最後の教育だと受け止めてますが苦悩葛藤の毎日。 家内が定期的にこちらに居るのと 子供とも必要なタイミングで連絡とったり 彼は彼で家族を養って生活してる 孫も二人順調に成長してるようなので幸せです。ただ、何もかも上手くいく事は無いので逆に怖いというか不安

勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし。

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6月上旬は高校総体の県予選がありまして 昨日 グループLINEで母校の日高高校 弓道部が男子個人戦のみ優勝で 男女の団体はどちらもダメだったという連絡がありました。県内で勝てるチームにまで仕上がってなかったということだろうと想像できます。 負けるべくして負けたんだろうと思います。 亡くなられた野村監督がよく言われてた言葉に「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし。」という言葉があります。 元々は松浦静山(せいざん)という 長崎県 平戸藩の藩主の言葉だそうです。 勝ったときはどうして勝ったのか不思議な場合もあるが 負けるときは負けるべくして負けている。 勝負は時の運とはいうものの、ひとつだけはっきり言えることがある。 偶然に勝つことはあっても、偶然に負けることはない。 失敗の裏には、必ず落ち度があるはずなのだ。 ビジネスも 同様のことが言えるのかなぁと思ってます。 不思議と好調だよね という事はありますが 不思議と不調だということはない。不調なときは何らかの原因があって不調なのだということ。

法人設立32年

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今日は5月30日 当社は1990年5月30日に法人設立しまして 今日で32年。 1990年、僕は28歳です。田舎に帰ってきて丸三年。結婚して丸一年経過して 友見子はちょうど子供を身籠ったタイミングでした。 前もお話しましたが 法人化は全て当時の社長の父がやってまして 僕も家族に聞いてもあまり記憶がないです。 「社名をどうするか?」は父から相談を受けたのを今でも覚えてます。 いくつか候補があって最終 二人で決めたように覚えてます。 僕自身は法人化する必要性も感じて無く へぇ会社にするんか?という感じでしたが 父親はもっと早く法人化しとけば良かったような話もしてましたので前々から考えてて そのタイミングにしたのかなと思います。 法人化してなかったら よくあるパターンですが、家族経営から脱皮出来てなかったかもしれません。 先日 本社で見つかった書類の中に ナカヱ会 今の文化祭 の芳名帳(ほうめいちょう)を見つけました。 第一回の開催が法人化したその年の11月21日水曜日に開催してました。 今は閉業してますが、白浜の十河(そごう)というホテルで開催し 父親の知り合いのお嬢さんが若女将をされていてとても丁重にお迎えいただいたのを今でも覚えてます。問屋さん4社と メーカー5社くらい来てっもらって開催してました。 その後 6回くらい開催して中断し 再開したのが 2008年でした。 その時の両親の様子を 昨日、初めて妹に聞いたのですが ナカヱ会が再開した時は ホテル ベイ古賀の井で開催したらしく そのときは 両親も参加して 父親が母に着ていく服を新調したり 当日はこういう風に来てくれる方にご挨拶しろよと打ち合わせしていた様子でした。とても再開を喜んでくれていたようです。

他との比較にばかり意識がいくと

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また学生時代の話になりますが 大学 1年・2年・3年の時 なかなかレギュラーが取れない事が多かったです。 特に選手の人数が少ない試合では 部内で競争に勝ち残らないとレギュラーになれません。5人団体戦・6人団体戦では控えには入れるけどギリギリ選手になれない位置が下級生の頃は特に多かったと思います。(8人団体になると どういうわけか ほぼレギュラー選手に選ばれてましたけど。) 4年生になると どういうわけかそれがなくなりました。意識が部内の競争より 別の部分に移ったからなのか より自分に向き合えたからなのか・・そんなところだと思います。 指導者として学生を見ていた時も そういう選手が いつも居ました。5人団体の試合だと7番目、8人の試合になると10番目くらいで毎回 試合に出れない。レギュラーの位置をとれない。 おそらく 部内の競争(他人との比較)にばかり意識がいってしまって 本来の事が疎かになってしまってる状態です。 逆に いつもレギュラーに成れる人 常に一軍の人はそもそも意識が部内競争にはいかない。他人との比較等しないで 如何に本番で結果を出すかに集中出来るのですが レギュラーポジションギリギリだと 先ずはレギュラーの位置を取りにいかないといけない。 普段の練習がレギュラーの位置を取りに行くことが目的になってしまい その過程で調子を崩したり 本番で力を発揮できなかったりするケースも多かったです。 『人と競争してる人は 自分の弓を追求してる人には勝てない』 これはスポーツだけじゃなく仕事でも言えることだと思います。 我々の商売にも同様なことが言えます。 他店舗と競争してる店舗は 自分達の商売を追求してる店舗には勝てない 他社との競争にばかり意識を取られている会社は お客様にしっかり向き合ってる会社に勝てない。

ネットで価値観が変わったタイミングの話。

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先週は ITリテラシーの話をしました。 高いに越したことはないし 苦手で済まされない。それはうちの会社だけのことじゃなくてこれから生活していく上で避けて通れないという話でした。 今日はネットで価値観の変わったタイミングの話。 30代前半だったか 世の中にメールがようやく出てきた頃だったと思います。 それまでは社会人の個人が文章を書いてそれを多くの人が見る 見ていただける という機会が普通の人は無い時代でした。不思議だと思いますがまるで無い時代です。個人がテキスト・文章で発信できる機会はほぼ無い そんな時代でした。 やろうと思うと新聞に投稿するか雑誌に投稿する 手紙を書いても多くの人が見てくれるわけではないですし。 想像がつかないと思いますが そんな時代でした。 極端な言い方をすると とにかく文章をうまく書ける才能が何も生かされない時代だったと思います。 ごく一部の 本を出版する人 新聞記者 そんなプロ以外は文章を上手く書けたとしても活かせる場が無かった。 小学生なら作文をクラスで発表できましたが、社会人にはまずそんな機会がありません。 一般の人は日記を書くくらいです。 それとは逆に 人前で喋る 団体の中で喋る 挨拶をするという 人前で喋るという場面は今と同様ですが、今以上に価値はあった時代です。 僕も人前で上手に喋れる人はいいなぁと思ってました。おそらく誰しもが感じてた時代です。 喋れるというのは1つの大きな才能で しかも目立つ才能だったわけです。 僕自身はとてもコンプレックスがありました。 それが インターネットやメールの文化が生まれて 文章を上手に書ける人が 才能を活かせる世の中になってきました。 その時 「あ!これからは喋る以上に テキストで表現できる人が価値を持つ時代に変わってくる」 と感じました。価値観が変わってきてるぞ。ガラッと変わるぞ。そんな感覚がしてました。 今はブログ・Twitter・SNSなど 個人が情報発信できるのは当たり前ですが、昔は個人が情報発信なんて出来なかった時代。 その後、You Tubeなどの動画のサービスが出てきて また上手に喋れる という価値が高くなってきた。

デジタルデバイド ITリテラシーの高さは全員重要だよね〜という話。

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先日、ITリテラシーの重要性のお話をして なんでそれが高くないとダメなのか をどう説明しようかと考えてまして 次回の全体ミーティングでも少しお話をしようと思ってますが、これは当たり前の事で改めて言うまでもなく重要な点だと思います。 デジタルデバイド(情報格差) この言葉は2000年頃から言われてる言葉だそうです。情報格差 情弱という言葉もあるくらいで 強者と弱者が存在するということです。 インターネットやパソコン スマホ・情報機器 を使いこなせてる人と使いこなせていない人では 社会的にも経済的にも格差が出てしまう。ということです。 得意な人と苦手な人 改めて言われなくても誰もが既に感じてることだと思います。 国家・地域・個人・集団によっても格差が生まれてしまう。という問題。 「使いこなすこと」も大事で 「正しく使うこと」 も大事です。 また 正しい情報に辿り着ける人 と 正しい情報たどり着けない人が居ることも事実です。 上記で貧富の差が出てしまう。使える人は一般的に豊かになり 使えない人は貧乏になる。これは統計上で出てるようです。 乱暴に言ってしまうと 使えないと貧乏側に回ってしまう ということです。 安易な例えですが 使わなくなった洋服をメルカリに出して僅かでもお金に出来る人と 捨てるしかない人 どうせなら 使える側に回ろう。 会社のスタッフ全員が使える側に回るほうが 会社も絶対良いに決まってる。 もちろん得意不得意はあっても 少しでも使いこなせるほうが 上位に近づけるということになります。

創業90年記念日 90年に想いを馳せる

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昭和7年(1932年)5月7日 当社の前身 中江商店の創業日です。 今日はその90年目の日になります。昨年の暮に竣工式で内外に向けお祝いをさせていただいたばかりなので 90周年記念日ですが、今回は社内で簡単にお祝いと催しをさせていただきました。 何をしようか色々考えてみたのですが、創業当時の事を今いるスタッフに聞いてもらうのも良いかもしれないなと思い、叔父である古部さんと 清さんにお願いすると快く引き受けて下さいました。 父が居なくなり 母が認知症になって もう昔の話が聞けないようになると 不思議ともっと元気なうちに聞いておけばよかった!となるものです。「親孝行したい時には親は無し」とはよく言ったものですね。まさにそれと同じ感覚です。 1932年の時代背景はどうだったんだろうと調べてみると僕なりには2点大きなポイントがあるように思いました。勝手な想像なので実際とは大きな違いがあると思います。 1点目は 国鉄 印南駅開業が1930年。創業の2年前です。 これは遡ること170年前 1760年に英国・アイルランドでの産業革命が起こり 蒸気機関車が発明され 日本ではその百年後に 1872年 品川横浜間の 鉄道開業。その60年後 1930年ようやくこの地域にも鉄道が敷かれ 印南駅開業となりました。当時はこの地域はまだ船での輸送が中心で 一時的に紀勢本線の終点になった印南駅から印南港まではとても賑わったようでした。新地と言われた その中心地に家を建て小売業を始めたということです。 2点目は戦争。 第一次世界大戦(1914年〜1918年)時には本土が戦地圏外で輸出が急増して大戦景気で湧く日本だったが 戦争が終わると 戦後恐慌となり(1920年3月に起こった戦後恐慌は、第一次世界大戦からの過剰生産が原因である。 日本経済は、戦後なおも好景気が続いていたが、ここにいたってヨーロッパ列強が生産市場に完全復帰し、日本の輸出が一転不振となって余剰生産物が大量に発生、株価が半分から3分の1に大暴落した。)合わせて 世界恐慌(1920年代のアメリカ経済の好況の中で進んだ株式投資ブームの加熱などの状況。 1929年、その反動として起こった株価暴落が世界恐慌の引き金)が起き 1931年 満州事変(南満州鉄道爆破事件をきっかけに日本の関東軍と中国が激突した事件)や 1933年の国連脱退(満州事変に際

家族会 お疲れさまでした!

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家族会お疲れさまでした。 社内イベントを今までも色々やってきましたが 僕の中では前日までの準備段階の僕の想定と当日の出来上がり具合があまりにも違う不思議な仕上がりでした。当日はとても良かったと思います。 まさかあんなに沢山来てくださるとは思ってなかったので、準備段階で自分の中でも規模感がどんどん変わっていきました。 実際来てくださったご家族の方々がどう感じて帰ってくれたのか ご家族に来てもらったメンバーがどう感じたのか 今回 残念ながら家族が来れなかったメンバーが当日どう感じたのか いつも一緒に働いているメンバーのご家族と会ってどう感じたか?家族と接してるメンバーを見てどう感じたのか?とても興味あります。 皆んな大切なヒトに支えてもらって 支えながら お仕事に打ち込めてるんだな ということを感じました。 振り返り楽しみにしてます。 何もかも上手くいくというのも難しいですが お仕事とプライベート 片方だけ上手くやる なんてことは出来そうで出来ないので両方しっかりやってください。 昔お話しました 関係ないなんてことは無く 世の中は全てが関係しまくっている。全てが繋がってる。そういうことなので。。。。

なぜその選択・決定をしたか も共有しないと

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 先週末、封かん機が動き始めました。中古で購入だったので色々準備が大変だったと思います。使ったこと無いものを中古で購入するということはこういうことだ という事が良く解りました。 今日の話は先日話した 背景やバックグラントを知る事は大事という話に似てます。 その時の話は新人さんが入るタイミングで当人のバックグランドを知ることは大事という話でした。 封かん機設置でコンプレッサーからエアーを送るために配管するわけですが こう設置したほうが良いんじゃないか という話はしてましたが その根拠 その理由までは伝えてませんでした。 結果 業者とも相談して 現状の作業環境に最適な場所へ配置してもらって それはそれで良かったのですが 僕の考え方とは違ってました。 肝心な伝えてなかった根拠・理由は「設備は必要以上に現状に最適化しないほうが良い」という考え方です。 “設備”とは建物と繋がって動かせないもの。 簡単に素人が動かせないものは現状の作業に最適化しないほうが良いという事です。 宮ノ前ベースを建設する時も必要以上に現状の業務に最適化しないようにしました。 これはネットショップの現場は日々やり方が変わっていくからです。 我々のお仕事は日々柔軟に変化できる そんな設備が最適だからです。今、ネットショップと言いましたが、今の時代は我々の業界だけじゃなくて3年前と同じやり方をやってるような部分はどうかと思います。 ということで 今日伝えたかったことは 日々の選択や決定事項を共有するのはもちろん重要ですが その選択や決定に至った理由・背景(なぜその選択をしたか)も伝えていかないと 一つの生命体のようなチームには届かない。 決まったことだけ伝える そんなシーンが日々多いですが、それじゃなかなか浸透しない。そんなことを改めて強く感じました。

インプットだけでは力にならない。

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 今日の話は表現を変えて今までも何度もお話している内容です。 「教わっただけでは何一つ力にならない」 「教えない教え」 新人さんが数名入っていただいた事で今回は研修を色んな方が受け持つ形でやってくださってるようです。 今日もスケジュールを見るとぎっしり研修が入っててご苦労さまです。 色んなことをまずは覚えていただくわけですが 数日で大量にインプットする流れです。 たくさんの事を覚えてもらったり理解してもらったりという流れですが 実際は 研修をする側(アウトプット)と 受講する側(インプット)では圧倒的にアウトプット側の方の方が勉強になってるという話です。アウトプットする側が力になってる。 言い方を変えると ヒトは入力で力になってるわけではなくて出力しないと本当の力にはならない。  「世の中の社会人は9割がインプット中心の学びになってる」と言われています。 うちの会社は極力 一人ひとりにアウトプットの機会を作っていこうということでやってます。朝会もそうです。 今回の研修もそんな意味合いもあって計画してくれてるんだと思ってます。

5回目(5年目)の業績報告会を開催しました

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 直近2年間はオンラインでの開催だった業績報告会ですが、今年は感染対策もしっかりしつつリアル開催をしました。3年ぶりです。 事前に頂いている情報では リアル参加33名 オンライン約50名の合わせて83名でした。 オンラインイベントは何回か実施してますが 今回のようにハイブリッドでの開催は初めてです。 5回目の業績報告会と書きましたが、実際は春に開催するのが5回目でして 2009年頃から秋にナカヱ担当者会という名称で開催しておりまして、かれこれ10年以上 毎年業績をステークホルダーの方々にお伝えしているということになります。 ということで 春 桜が咲く頃の「業績報告会」、夏商戦を終えて「秋の文化祭」この2回は「社内外問わずチームワークを最も重要視する」という当社の価値観を最も体現している重要なイベントであると思ってます。 コロナ禍で我々の業界にもオンラインが標準になってきたことも含めもう少し踏み込んだ試みもこの春からスタートしたいと思ってます。 さて 2021年。 当社はというと 去年は大きな節目の年となりました。 この宮ノ前ベースの建設という大きな投資をいたしました。 建設に先立って 和歌山県、印南町と立地協定を締結頂き お越しいただいている 金融機関の2行にご融資を頂いて建築に至りました。 12月4日に行った竣工式 落成式には 業績報告会に 来ていただいている方々にも沢山お祝いに駆けつけていただきました。その節は有難うございました。 お陰様で1月から本格運用がスタートしまもなく三ヶ月になります。 この投資の効果ですが 直ぐに現れるところは見え始めていますし こういった催しを開催できたりするような 直ぐには現れない 見えない効果も 含め 期待しているところです。 2021年は当社 増収減益となりました。 また 2022年 今年は当社創業から90年にあたります。5月には創業祭を予定しております。この新たな拠点で心機一転 創業100年に向けての転換の年となるよう精一杯頑張りたいと思います。 秋の文化祭には 是非またお越し頂いて 終了後 懇親会を開催できるのを楽しみにしてます。

明日 業績報告会を実施します。

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 明日、業績報告会を開催します。準備して頂いてる土井・井上には慣れない中 宜しくおねがいします。 この2年はオンラインで開催していますが、それ以前 数年 リアルで開催していました。和歌浦のレストランでやったこともありますし 和歌山市のビックアイでやったこともあります。自社での開催が出来ないのでレストランや会議室を借りて 我々もそこに行って現地で開催してました。 ゆくゆくは自社でこういった催しも開催したい というのも僕の中にはあり建設時にはそのような事も考えて設計しました。 元を辿れば 1990年に第一回目のナカヱ会というのが最初です。1990年なので法人化して結婚した年です。父が色んな思いで開催したんだと思います。メーカー2・3社 問屋3社くらい来て頂いてたと思います。当時は取引先との懇親が主目的でした。 (写真は5回目開催で1994年11月22日) この会は5回くらいで ある事情があって僕が取りやめました。父はとても残念そうにしてましたが そのことについて僕にとやかく言わなかったです。 その後 長年そういったことを実施せずに 2008年頃 15年ぶりくらいに復活したのが「ナカヱ担当者会」いまでいう文化祭です。どういった経緯があって復活したのか覚えてませんが、2006年に社長になり僕自身もその必要性を感じて再開したんだと思います。 2010年の担当者会に父が叔父二人を連れて参加した時はとても嬉しそうにしていたのを今でも覚えてます。 2010年の担当者会の時に初めて楽天市場から担当者を招いてプレゼンをしてもらいました。このあたりから目的も少し変化してきて当社のことを理解していただくこと プラス ECのチャネルを理解いただくことも始まりました。 「社内外問わずチームワークを最も重要視します。」という価値観のもと(当時はまだ理念も価値観も出来ていませんでしたが)社外の方にも業績を発表していこうという事になったと思います。