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「蜘蛛の巣」をずーっと考えた。

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金曜日・土曜日お疲れ様でした。 僕も相当疲れたようで土曜日帰ってから夕食を途中でやめて寝ました。 ほんと珍しい。なかなか今まで無いパターンでした。 昨日は 土曜日の蜘蛛の巣を考える時間が多かったです。 ・なかなかクリアできる気配が無いなかで時間が過ぎていって難易度を下げたあのファシリテーションは正しかったのか? ・そもそも僕がこれはチョット難しいかな?と感じたのが皆に伝わったからそういう空気になったのかもしれんな。← まぁ本業ではそういうシーンはよくある。 ・到達が難しいお題が出た時には一人ひとり どんな振る舞いがチームにとってプラスに働くのか? ・一人ひとり どんな発言や声掛けがチームを勇気づけるのか? ・難しいお題にも果敢に挑戦できるチームと なんとなく諦めのムードが出るチームは何が違うんだろうか? ・高い目標をクリアしていく会社と 無難な成長で甘んじる会社の違いはどこに出るのか? ・お代をクリアして終えたあとも達成感に痺れる設計にはなかなか出来なかった。 高いお題が出ても自分達を信じて一丸となって果敢にお題に挑めるチームを作りたいなと。どうやったら作れるんだろうか?と思います。 冒頭の夕食も食べれないで寝てしまう体力の問題。 ・自分が代表でやってるタイミング。あと何年出来るかわかりません。10年やると73歳。流石に「体力・気力が溢れる」という年齢ではないことを考えると。 そろそろ早いこと出来れば本業で痺れるそんなシーンを皆と一緒に体験できたら面白い。

当時は豊田のカイゼン方式を真似て

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 当社の課題 この24 25年 勘と経験でやってきたのをフレームワーク思考で解決していこうという話をしました。 現状の課題には カイゼンの踊り場、仕組みづくり思考などの話もしました。 また 再度12年周期で言うと eコマースを始めてからの12年は ミスやトラブルが起きると 勘と経験+噛りかけの知識で 当時 豊田のカイゼン方式を真似て「なぜ」を5回繰り返して真の原因を潰す ような事をやってました。 TOYOTAのサイトより もちろんこのやり方は一定の効果があったように今でも感じてます。 通販の受注対応にしろ出荷対応にしろゼロからスタートしたわけですから次々と問題が起きてくるわけです。誰かが どこかで経験してきたことではなく やったこと無いことをやろうとしてるわけです。皆さんが今想像する以上に問題が噴出してくる。それに対して真の原因を追求してカイゼンをしていくわけです。効果も面白いように日々現れてきます。当時はそのやり方は僕自身ホントに良かったと思ってます。非常に有効な手段でした。 ただ、人間のミスを分析すると 「なぜ」を繰り返す過程で、個人のミスや判断力に焦点が当たりやすくなります。これにより、結果的に責任追及のような雰囲気を生み出し、チームの心理的安全性が低下します。 頑張ってやればやるほど社内がギスギスしてくる。 仕組みやプロセス 構造に焦点をあてて 「なぜ」を繰り返していく手法なのですが 運用してる自分たちの技量が伴わなく 稚拙なので 安易に個人の責任追及に流れてしまう。本来は個人攻撃をしたくてやってるわけではないですが、それぞれが個人攻撃をしてると感じてしまう。 要は 当時はド素人がトヨタのカイゼンを真似てやってた状態。 カイゼンの真髄まで理解していない状態で上辺だけを真似てやってたようなもんです。 もちろんとても有効でした。 12年周期が一周して カイゼンや仕組みづくりも 技量を学んだうえで プロとして仕組みや プロセスに焦点を当てて 構造を見直していく そんな組織にしていきます。

理想の休日の過ごし方

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2分間スピーチが「理想の休日の過ごし方」というお題だったのでその話をします。 ちなみに昨日の日曜日は全く何もしないで 一日中家に居てゴロゴロしておりました。麦の体調が少し心配だったのと 冬 寒いのが苦手なので誰も居ないとこうなりがちです。お陰で体調万全です。 改めて考えてみると 昨日のように何もしないではなく できれば充実した一日を過ごしたいなと思ってる部分が大きく でも、計画を立てるのがあまり得意じゃないところもあります。 どちらかというと家族が喜んでくれる過ごし方が良いな。  家族が喜んでくれる過ごし方ということで 今年 吉野桜を見に行った日がありました。あまり家内から「◯◯に出掛けたい」とか要望を言われる事はまず無いですが、吉野桜は見てみたい と言ってたのでそれじゃーっ行けるうちに行こうってことで 見頃の平日を狙って行ってきたのです。お天気も友見子にとってはよく日差しがない曇りで平日で人出もそれほどでもなく車で山頂のほうまでグルっと回ってこれたので良かったです。  以前 朝会で何度か話したと思いますが 父が亡くなってからの休日は毎週 母親と二人で周辺をドライブしてました。日曜日になると車で出掛けるのを待ち構えてる人で おそらく父親が元気な頃はずーっとそうだったんだと思います。 認知症が酷くなるまで欠かさず4、5年間 毎週出掛けてました。特に目的も無くドライブしたい人で、父と一緒に車に乗るのがとても好きだったんだと思います。行ったこと無い所に行くと喜んでました。 家族が喜んでくれる という意味では 理想の休日の過ごし方だったんだろうか??まぁでも母親との良い思い出にはなったなと思ってます。

イノベーションの停滞

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 イノベーションの停滞 の話をします。 戦略発表でも話しましたが 当社の今があるのは25年前に先駆けてイーコマースに参入したことです。 会社に販売管理のパソコンを入れて 個人でも趣味でノートパソコンを買って パソコン通信の経験もして 物販をしてみたり その後 青年会議所の活動の中でインターネットに出会い 友人にサイトの作り方を教えてもらって 情報の収集は 雑誌から得て 当時は田舎にいるとなかなか掴みにくかった情報をなんとか得ようとしながら面白半分やってました。 偶々ですが 楽天市場に出店することになりました。 アクティブに動いた訳ではないですが、家業の傍 新たな事を何かやろうとしていたから 偶々そういった流れが来たんだと思います。 当時まだ30代。頭も柔軟で色んな事を吸収しやすかったんですね。 当時から30年近く経過して SNSも最新のテクノロジーにも 自分自身で付いていける実感がほぼなくなってきました。 いち早く参入したお陰で今があるのに新たなことへの熱意が年齢とともに落ちてくるのは 会社として今後 致命傷になるだろうなという想いがあります。 生成AIの世界の進歩は 今まで経験してきたテクノロジーの進歩とは又違う次元のような感覚です。 これは組織で取り組んでいく必要があるんじゃないかな というのが直感です。 自分自身でもそれほどテクノロジーに対して遅れてる会社では無いと思ってますが このタイミングは注力が必要。ゲームチェンジが起きると言われているのに のほほんとやるわけにはいかない ということで当社の課題 一番目に『イノベーションの停滞』となったわけです。

勘や経験ではなくフレームワーク思考で

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 先週は来期戦略の中の「イノベーションの停滞」の話をしました。今日は「プロ化の停滞」の話をします。 eコマースは元々あったビジネスじゃなくそれこそ この20年くらいで生まれたビジネスですので当社に限らずどこの会社も手探りで正しいやり方がどんなものなのか試行錯誤しながらやってきた会社が殆どです。当社も試行錯誤しながらやってきて いまやってる全ての業務が試行錯誤の中から生まれてきたと言っても良いと思ってます。 この図は横軸を「オリジナル度合」縦軸を「プロ化度合」としています。 最適な言葉が見つからなかったので「プロ化」と言ってますが 仕事の進め方が 当社独自、この業界独自、扱い商品に最適化された 当社オリジナルのやり方でやってる部分が大きいと思ってます。 要は今まで 経験や勘・思いつきでやってきた というのが大きいと思ってます。 ビジネスのフレームワークに沿ったやり方を重視するより現場重視、経験重視の仕事の進め方でした。 プロ化の停滞というのは もう少し フレームワーク思考でやっていこうという事かなと思います。 フレームワークとは、意思決定や分析、解決したい問題を特定の型に落とし込み、手順に沿って整理していくための、共通して利用できる思考の枠組み だそうです。 数値共有も含め 経験や勘や思いつきでやってたことをフレームワーク思考で進めれるようにしたいと思います

同じ事を何度も伝えることの重要性

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最近改めて感じたことの話をします。 年に4回やってる3者面談を直近実施しました。 毎回だいたい同じ質問を皆さんにしてますが、今回は先日発表した来季の戦略についてどう感じましたか?という質問をさせていただいたわけですが。。。 皆さんどなたも なんとなくは覚えてるけど じゃぁ課題を3つ伝えましたがそれを覚えているかというと誰もハッキリとは覚えていませんでした。 僕自身も皆さんから聞いた話などをすべて覚えているわけではないのと同様に 余程 インパクトに残る内容があったならともかく やはり そんなに覚えてるわけではないです。 経営者は同じ事を何度も何度も伝えないといけない とよく聞きます。 同じ事を何度も伝えることの効果 何度も伝えないと 伝わらない 駄目な理由が改めて解った気がします。

組織経営への移行について

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何度も違った側面でお話してますが「家族経営から組織経営への移行」についてお話します。 まず家族経営はどんなものかですが。。 ・全てが暗黙の了解 ・ルールもあまり必要ない ・良くも悪くも公私混同 ・家族で役割を色々兼務 ・まさにアットホーム 実際 家庭での生活の延長なので居心地は悪くないです。組織経営ほど明確に意思決定しなくていいので経営している側からすると楽です。表現が適当ではないですが日々自分達の好きなように出来る それが家族経営だったと思います。。 振り返ると 卸売が中心で父親が社長をやっていた時 2005年くらいまでは家族経営の延長だったと思います。 2009年頃の会食写真(竹下さんはじめ俳優の方々と) 2006年の5月に社長を変わったのですが、今から考えると そのタイミングから徐々に組織経営に移行していったと思ってます。それも「今後は家族経営から組織経営へ移行していこう!移行するべきだ!」と考えてやったのではなく 実際はそうする以外に良い方法が無かったからです。 ・まずeコマース参入のお陰で売上がどんどん拡大していった。 ・売上が拡大しても兄弟や親族が居て一緒にやってたらなかなか移行も進まなかったと思います。 ・ネット販売のことは僕も含め誰も解らなかった。別のビジネスなら家族が中心での経営はもっと継続していたはずです。 移行時 真っ先に必要になったのが 下記の2点ですが、それも自分自身ではそうしていくしかなく受け身で取り組んだ案件でした。 1. ビジョンとミッションの明確化 2. 経営の透明性とガバナンスの強化 父親は僕が帰るまでは商売を兄弟でやってました。 世の中を見ても商売を兄弟でやってるところもまぁあります。同業者でもありますね。 一時期 とても羨ましかったです。暗黙の了解で全てが進む。 片腕が家族の一人。 逆に組織経営に移行しにくい面を考えるとどっちもどっちかもしれません。 完全に移行できてるかどうかというと オーナー会社なのでまだまだな部分もあると思いますが、家族経営での限界が3億とか言われてますので 今は多少なりとも移行できて良かったと思います。

当社の企業文化について生成AIは

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11月3日 昨日は文化の日で 今日はその振替休日となります。 ということで、会社の文化について話しようかなと思います。 土井の出張報告が興味深く昨日楽しみながら読んでました。 当社の規模での取り組みについて最適なサービスなど無く なかなか難しいなという感想だったと思います。 改めて取り組み甲斐があるな 注力するなら このタイミングだろうな と感じました。 これがもし、土井の出張報告で 当社の規模にぴったりで低コストの最適なサービスがありました!という内容だったら手遅れだと思ってガッカリしていたところです。スピードを上げて注力していこうと思います。 1点 そこは違うよ という点があったのでフォローしておきます。 「現在のAIの発展段階を、PCの発展段階のどのあたりに相当するか考えてみて」と質問をしてますが、PCの発達段階ではなくインターネットの発達段階やeコマースの発達段階と比較したほうが良かったと思います。案の定、90年代後半という答えが出てきました。 さて、本題の企業文化について。当社のコーポレートサイトを生成AIで分析してもらうと 1.革新性と楽しさ 2.チームワーク重視 3.社会貢献と持続可能性 と分析されました。 さすが生成AI もちろん これは引き継いでいってもらいたい文化です。 ・しっかり続ける。継続する。 これも特に当社の文化だと思ってます。 「継続」については チームビルディングを学んできてもう十数年 仕組み化して継続してます。 何を継続して 何を止めていくか の判断は難しいですが。

ロボット草刈り機が凄い

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宮ノ前ベースに引っ越して夏を3度経験しましたが この敷地の雑草を見苦しくなく年中保つのは不可能だなという結論に至りました。 ここ数年 夏場も7月8月には日中は屋外では作業できないほど暑く 日没後や早朝に作業するにしても無理があります。 様々検討しましたが、結局導入したのがロボット草刈り機。 このマシンは ハスクバーナのAUTOMOWER™ 450Xという機種。最大5000㎡の敷地に対応しています。 ルンバのようなロボット草刈り機で自分で充電しながら24時間草刈りをします。こちらの動画がそのタイムラプス。 ご覧のように24時間 充電時間中以外は敷地内を稼働。音も全く静かで近隣の住宅にも迷惑がかかりません。来年の夏が楽しみです。

当事者で参加するほうが面白い

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先週 文化祭を無事終えました。 メンバーの半数くらい通常業務で参加できなかった方が居るので申し訳なかったですが、こういった方向もあるなと思いました。 勤務時間やご家庭の事情で参加が難しい方が一定居る中でどういう方向性が良いのか試行錯誤しながら今後も検討しようと思います。 SORAりんくうにて いわゆるEC文化祭 僕自身の関わり方も当初と比べると良い感じで手が離れていってる印象です。 今後も試行錯誤していくなかでチャレンジしてもらいたいのが以前から一部には伝えてるようにプロジェクトの初期からステークホルダーを巻き込んでいく事。 楽天市場 発表 今はホストが我々 他の参加者はゲストという立ち位置で参加いただいています。 極力多くの方に当事者意識を持って参加いただきたいのと 何かしらお役目があって参加してもらいたい と思ってます。 それは自分の色んな経験から来てて それは恐らく皆さんも一緒だと思います。 例えば10月には各地でお祭りが開催されてますが恐らく誰でもそうだと思います。何もお役目が無くて参加するのと何か役目があって参加するのとでは取り組み方が違うと思います。 楽天と飲料メーカーのトークセッション eコマース研究会を運営していたときもそう。楽天のカンファレンスに参加したときも同様です。登壇したり何かしらお役目があった時のほうが明らかに当事者意識が出ます。 解りやすいのが ブラインドスクエア。 大勢でやった時に何も自分に役割が回ってこないと参加していても自己肯定感が低くなります。 何事もその他大勢側で特にお役目もなく参加するのと 何らかのお役目があって参加するのでは全く意識が違います。 考えてみてください。何かの集まりに声を掛けられて別に自分が参加しても参加しなくても一緒だったら皆さんも考えませんか?「参加どうするかな??」ってなりますよね? 運営側が多いという メリット デメリットはあるのは十分解ってますが 今後も多くの参加者が当事者意識の出る主催者側で面白いと思ってもらえる運営を模索していきたいと思ってます。

アーリーアダプター層のジレンマ

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イノベーター理論のアーリーアダプターにはどういったジレンマが起きるか? 世の中に普及してないタイミングで物事をスタートするというのはどういうことだったか?どんな問題が噴出してたのか?どんな課題が起きたのか? 生成AIに聞いてみると 解りやすい内容は4点ありました。 4点それぞれに1999年頃 eコマースを始めたタイミングと照らし合わせてどうだったかの補足をします。 2000年頃の店舗ページ ・一般的には初期はコストが高くなる  当時はダイヤルアップのネット接続で選択肢も無く高かった。ダイヤルアップ時代は定額とかでは無く通話料もかかってた。 ・製品やサービスが不完全な部分が多く テクノロジーも発展途上  当然ながら当時はインターネットへの接続も今ほど簡単では無かったし業務で使えるスピードでは無かったです。楽天市場もモール自体が不完全。決済まわりもそう。物流もB2Cが今ほど多くなくマイノリティーでした。 ・サポートやエコシステムの不足  ネット通販に最適な販売管理ソフトがまだ世の中に生まれてなかった。決済まわりもいろんなサービスが無かった。 外部委託のようなサービスも無かった。 そもそもトラブルが起きてもネット上に解決策が少なかったりする。自分たちで解決するしかない。 ・ステークホルダーとの温度差  周囲の人々がまだ興味を持ってなかったり理解してなかったりするために共有や協力が得られなかったりする。 今週実施する文化祭もこの4つ目問題点を解決できないかとやり始めました。 今、生成AIを社内で使い倒していこう。業務システムに組み込んでいこう という話をしています。 eコマースを始めた頃と同様 やり遂げようとするとアーリーアダプターのジレンマが起きますよね。

良いスタートは半分終わったのも同然

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先日から生成AIの話を始めて 実際 使ってる話を聞くことが少しづつ僕の耳にも届いてきてます。 今日は「スタートは重要だ」という話をします。 皆さんにお伝えしてる僕でさえ この後数年で どんなゲームチェンジが起きるのか なかなか想像が難しいです。 じゃ、過去はどうだったかというと 1990年代後半に 25年後 こんな展開は想像できなかったです。 (2000年頃 大阪での楽天市場の集まり) eコマースが世の中をどう変えたか?ごく一部分ですが紹介します。 1.今は店舗では商品を見るだけで実際の購入はネットで済ませるようにするような人も多くなってます。重い物はほぼネットでという方も居ます。 2.田舎に居ても都会と同じタイミングで同じ商品が買えます。昔は大阪にブームがくるのも遅れてそこから和歌山にブームが届くのも遅れてた。東京から新幹線に乗って大阪 それから 電車で和歌山まで来ると着てる洋服もブームの遅れ同様 時代遅れな感じがしました。東京で買えるものと田舎で買えるものはリアル店舗しかなかった時代は全く違ってたわけです。 3.昔は手に入らないものは手に入らなかった。今はホントに手に入れたいものはお金さえ出せば全て手に入れれます。そもそもどこに売ってるかさえ田舎にいるとわからなかった。どこに行けば買えるのかも解らなかった時代でした。 25年経過してみると想像してなかったような事が起きました。 どんな変化が起きるかわからないけども注力していく。というのが重要かなと思います。 生成AIに聞くと世界にはスタートの重要性を語るコトワザが色々あるようです。 英語: "Well begun is half done." (良いスタートは半分終わったも同然) ドイツ語: "Frisch gewagt ist halb gewonnen." (思い切って始めれば半分勝ったようなもの) フランス語: "Ce qui est bien commencé est à moitié fait." (良いスタートは半分終わったようなもの) イタリア語: "Chi ben comincia è a metà dell'opera." (良いスタートを切る人は仕事の半分を終わらせたことになる) スペイン語: "...

新たなテクノロジーを否定していると・・・

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先週の土曜日、事務所で SOFT BANK WORLD2024の映像を流してました。 (SoftBank world 2024 ページより) 孫さんの講演がほぼ生成A Iの内容だったので少しだけでも興味が出る人が居ると良いなぁと思って流してたんですが、今 公開されている基調講演に宮川社長のものもありました。昨日 日曜日に1時間程度だったのですが、聞いていて非常にわかりやすい内容で、先日から皆さんに伝えていることが 確信に変わった そんな内容でした。 すでに観たよ。 っていう方居ますか? 観た方が良いよ って言われても 行動に移すのは難しいので恐らくこの後 昼休みに観ようとか 帰ってから観よう 帰りの車で聞こう っていう方はほぼ居ないと思いますので一つ その基調講演で最初に話されてた内容を伝えます。 この前のニューヨーク5番街の話に似てるのですが、産業革命が起きたイギリスで 既得権益を保護するために赤旗法というのが1865年に交通規制法として施工されました。自動車の利点を著しく損なってるために30年後 1896年に廃止されるのですが、この間 結果的にはイギリスにおける自動車産業の発達が妨げられ他国に大きく遅れを取ることになったそうです。 公道を蒸気自動車が運行するときは55m前方に赤旗を持って歩く人が歩く速度を守って自動車の接近を知らせるという そういった法律です。 産業革命がイギリスで起きたにも関わらず その後 自動車産業だけにとどまらず 産業で派遣を取ることが無い国になってしまったようです。 企業だけではなく国家も新たなテクノロジーを否定していると 取り返しがつかなくなる という事例です。

サンフランシスコで自動運転タクシーweymo に乗りました!

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 先日の米国研修時 希望者で自動運転タクシーに乗れることになり 珍しくジャンケンで勝って乗ることになりました! フィッシャーマンズワーフ周辺のPIRE39からHilton San Francisco Union Square HOTELまで2.0マイル乗車しましたが、未来感満載! アメリカ全土でも完全自動運転のタクシーを商用利用してるのはサンフランシスコだけだそうで、300台稼働しているようです。日本人観光客だけではなく米国人も物珍しく写真を撮影したり注目してる姿が目立ちました。 まず、後席に3人座ったのですが、シートベルトを全員装着しないとアナウンスがあって運転スタートしません。全員装着した時点でスタートです。 車内には前席のモニターの他に後席向けにプラス1台モニターが設置されてます。そのモニターに表示されてるのは日本でいうナビの画面上に周囲の状況が認識されてる様子が表示されてました。 周辺にいる人や車や動物 バイク・自転車など全て認識して画面に表示させています。お横断歩道を渡る人や歩道を行き交う人、歩道でタクシーを待ってる人、交差点で信号待ちしてる人 など全てを正確に認識しています。その様子が乗車しててもわかるので そのあたりが安心感を増強させてるように感じました。 なんなら少し離れた公園で芝生に寝そべってる人も正確に認識していますし、後方から追い抜いてくるバイクなども正確に認識しています。 BGMも気分が穏やかになれるような音楽をチョイスしててそれも乗車中の安心感に繋がってたのかもしれません。サンフランシスコは人が運転しても怖いような急な坂が多い地形で決して自動運転に向いてる都市とは思えません。10分程度の乗車時間でしたがとても安心して快適に乗車できました。 今回の研修中 タクシーを3種類利用しました。 1.イエロー・キャブ 2.Uber 3.Weymo 偶々かもしれませんが、イエロー・キャブのドライバーよりUberのドライバーの方が楽しそうに仕事をしているように感じましたし、Weymoの運転が一番安心できました。 おそらくUberがタクシー業界を駆逐したように Weymoのような完全自動運転のタクシーがまたUberを駆逐していくのだろうと明確に感じました。

社長になってどんなことをやったのか?その3

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 前回、またお話をしますと言った続きの話です。社長になったタイミングで倉庫と事務所を離れ離れにしました。 宮ノ前ベースが出来て初めて 同じ空間で全員が働けるようになったという話は以前したと思います。 別々の場所でやるにはまだハードルが高かった段階でなぜ倉庫と事務所を離したのか ですが、まだ当時は同じ場所でやらないと困ることが多々ありました。例えば 送り状の発行もそうですし 在庫管理なども完全に出来てなかった状態だったと思います。 (2006年5月頃まで使ってた印南浜西の倉庫内事務所) (2006年5月ころから利用開始の本社事務所への引越し作業) 2拠点でやるにはまだ少し早い段階で分けたのは 僕の中では2点ありました。 1点目は物量が多くなり入出荷が大変になると どうしても全員がそちらに手を取られてしまうことが多くなってきました。もちろん僕自身も仕事のウエイトが物流に取られることが多くなり 本来やらなければいけない業務が手薄になってしまいますし、経営者としての仕事も出来なくなってしまいます。拠点を分けることで 分業した本来それぞれの業務に全員が専念できるという思いがありました。 2点目は 当時のメンバー構成だとどうしても現場の細かい点まで僕自身が全て指示するようになってました。もちろんそれが最善だったわけです。でもこのまま続けていてはイケないなぁとも思ってました。すべての領域を僕が指示してては駄目で せめて倉庫作業も日常業務は責任持ってやってもらえるようにした方が良い。それには一旦 物理的に分けるのが一番効果が高いだろうと考えました。 倉庫と事務所機能を分けたことで 直ぐに解決しないといけないことが明確になって データでやり取りすることもより重要になりましたし、本当の意味で まず倉庫業務が自分達でどうにかしようとする文化も生まれたんじゃないかと思います。 目が行き届かない事で 会社にとってもマイナス面も沢山あったと思いますが、通らないといけない過程だったと思います。 盗難事件があったことでしっかりセキュリティーを高めれる事務所が必要だった事もありますが、当時は分離してしまうことで強引に解決していかないといけないことが噴出する そんな期待が大きかったと思います。

気づきを行動に変えるのは難しい

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先週、「当社は生成AIを使っていく」と朝会で皆さんに伝えて 社内で直ぐに行動に移した方は 1名でした。 気づきを行動に変えるのは一般的には難しいものです。 例えば セミナーに参加して行動に移すのは一般的に10%〜30%くらいだと言われているそうです。しかもフォローアップしても30%くらい。何もフォローがないと10%以下になるらしいです。 こっちに行かないと収入は増えないよ って言われてても人は なかなか人間はそちらに行けない動物なんだなと思います。 セミナーも座学だと特に行動に結びつきにくいようです。チームビルディングが重宝されたのはアクティブな学び方で体験するので終えたあとも実行率が向上するということです。 勉強してしっかり行動に移すと最低でも全体の上位3割には入れる という計算になります。 今回の視察研修。 活かすも殺すも 実際の行動に移せるかどうかです 生成AIを実装してフル活用できるようになるかどうかだと思います。

米国海外研修から帰って 今後取り組む3点

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土曜日 海外研修から帰って来ました。まぁまぁハードでした。 旅行中4時半集合なんていうのもありましたが、流石に4時半は大学の合宿以来だったかなと思います。 (米国視察旅行 Google Mountain Viewにて) この朝会の3分間くらいで真っ先に何をみなさんにお話をしようかな?ということで考えてますが 詳細な報告は直近のチームオフサイトか横丁にてお話します。 早々にやらないといけないことと 時間を掛けてやっていかなければいけないことがありますが 重要な3つ。 ・お客様を見てる マイクロソフト、zoom、zoho 世界の BIG TECHや グローバルなプラットホームとして活躍してる巨大企業が 常にお客様に向きあってるというのは新鮮でした。経営の判断も全て お客様基点で考えてます。 ・働きやすさ  従業員の働く環境を 空間、待遇、環境、働き方 ・3つ目は「AI」今回 研修テーマがAIだったのもありますが、この後の20年はやはりAI 25年前、うちの会社はインターネットを使いこなす事に舵を切ってどうにか消滅することなくやってこれました。同じ時代をインターネットを活用しないで従来と変わりないビジネスをしていた会社はほぼ無くなってしまった。家族で経営していた小売店・卸売業はほぼ消えてしまいました。 当時はネット使って商売をするなんていうのはどうなん?って言われてました。 さて、これからの20年 間違いなく生成AIを使った会社が活躍します。逆に使えない会社は消えていくしか無い。 当社は全員がAIを使うようにします。そうしないと消えるしか無いでしょう。

社長になってから何をやり始めたか?その2

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先週に続いて社長になってから何をやり始めたか?の話をします。 これは皆さん入社する以前のことは知らないので経緯や背景を理解してもらおうと言うことです。 思い出したら ラジオ体操。これも2006年くらいからだったと思います。 それ以前は 事務所自体が狭くそんな事もできませんでした。掃除を朝やるのも本社に移ってから 朝礼ぽい事もそうだと思います。 今の形態に近い朝の一連のルーチンをやり始めたのも社長になってからだったと思います。 一定の環境を確保しないと組織として必要なパフォーマンスや仕組みは作りにくいということもあるなぁと今は言えます。 何度か話をしたと思いますが出荷検品 こちらも2006年以降でした。当時、目視検品でやってたわけですが 出荷間違いが出荷数とともに一定の割合で増えてきて 間違いが出るたびに色んな改善をするんですが 何を実施しても一定の割合で間違いが起こる。そんな背景から導入しました。 導入前は現場から色々反対の意見も多かったですが、 実際に導入したら現場からも喜ばれたのを覚えてます。 当時の利益から言うと大きな投資だったわけです。300万くらいしたんじゃないかと思いますが (2007年当時の倉庫内作業) 現場で渦中にいるとなかなか正確な判断は難しい。 在庫管理をやり始めました。在庫管理を始める以前は 当然ながら在庫管理は出来てなかった。理論上の在庫数も 実在庫数も 持ってなかった。 倉庫にあれば出せるし 無いと出荷できなかった。毎朝 当日の注文をピッキングしたあとに 倉庫で実在庫を見ながら片山さんが注文してくれたわけです。毎朝 倉庫を一周しながらすべての注文をするわけです。 それを 事務所と倉庫が離れてしまったことからデータ上で在庫数が見れないと注文できない状況になってきます。当時の仕組みは壊れることが多くて大変でしたが データ上での在庫管理が出来て 東日本大震災の時に 他社が機能しなかった時にうちの会社は曲がりなりにも機能して業務が回る事になりました。 現場に居ながらしか出来なかった業務がまだまだ多かった段階で現場と事務所を分けた話はまた次回にします。

週休2日について

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今日はお休みの話をします。 子供の頃1960年代や70年代の中江商店は家の玄関がそもそもお店だったこともあったのか小売は ほぼ毎日休みなく営業してた記憶です。その後 少し大きくなる頃には日曜日は普段閉めてた時と 忙しいお盆なんかは営業してたそんな記憶です。 週休二日が世の中に浸透してきたタイミングが1987年の法改正です。 その3年前に社会人になったタイミングで すでに僕の入った会社は正社員は週休二日でした。法改正の前年には準社員やパート勤務の方も週休二日制に移行してたタイミングだったと思います。当時 時給のパート勤務の方々に店長が「全員 週休二日に移行していただく」という話をしていた記憶があります。収入が減ることもあるので説明も簡単じゃなかったと思います。見てて大変そうでした。 金融機関は1989年から、お役所も1992年には完全週休2日となったようです。 学校は それから遅れること10年の2002年から完全週5日制となったようです。 ナカヱはどうだったかというと 世の中の流れがあったので一時期 土曜日は基本午前営業で実務が終わったら終業しましょう。という段階を経て その後 ネット販売のボリュームが増えてきたタイミングで土曜日も営業にして交代で休みましょう。という風になったと思います。 僕が社長になったタイミングでは2006年にはお休みが完全2日になってた記憶です。 その後は大きく変わることも少なく 日曜祝日を休んでいたり その時々の業務内容に合わせて祝日を営業にしたり公休を調整したりです。今後も色々時代に合わせて変わっていくと思います。 自分自身は経営者としてどうかというと営業日で体調が悪くない場合はほぼ出勤してます。世の中の経営者はだいたいそうだと思ってます。毎日出勤することが業績に影響するとは思ってませんし、どちらかというと居ないタイミングがあったほうが会社にとっても良い場合もあるのも一定あるなと思ってます。 62歳になって残念ながら衰えを自覚するシーンも多くなってきました。 長年 営業日は毎日出勤が基本でしたが 変えていこうかなと思ってまして。。 今後は週2日しっかりお休みしようかなと思ってます。

社長になってどんなことをやったのか?その1

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社長になってその時々でどんな事をやったか。そんな話を時系列にします。 2006年に社長交代したんですが、それまでは どういったことを考えてたかというと ネット販売の業績を上げていくことにほぼ注力してたと思います。 今考えると経営者の一人ではあったはずなのに部分最適な思考で まだまだ全体を見れてなかった気がします。父親が僕と話をするのを避けていた印象が強いのもあって 当時は「父(社長)のやってることは任せとけばいいか!」というマインドが強かったのも影響してると思います。 2006年に事務所を移転しまして 社長交代したんですが 引っ越し祝い的なことはしましたが なんら区切りのような事もせずスタートしました。儀式的なものをやるのは苦手でしたし その重要さも一切考えていなかったと思います。今思うと一定 儀式的な事はやる必要もやる意味もあったと思います。 記憶がハッキリしてないのですが、労務士の先生に入っていただいて給料計算や就業規則を整備していきました。どうしてこの辺りを早いうちに取り掛かったのかは 専門的な知識が必要で従業員から質問されたときに答えられないことや解らないことがあると困るからです。 労務関係についても会社の代表として責任は社長になりますが専門的なことは何も勉強してなくて知らないから僕がやるのは無理とすぐ判断できました。 逆に父親は我流でどうにかやってたと思います。 慎重さの強みからか 父親のようなやり方は僕には無理でした。 その後、スタッフ全員でのミーティングをやりはじめました。これも社長になる前にやっても良かったのに そんな空間も無かったからか社長になってからやり始めたことです。 月に1回程度 全員集まって実施したと思います。 (2006年当時の本社オフィス) 2006年から事務所と倉庫が別々になった事で 余計に全員で話し合う その必要性が出てきたタイミングだったかもしれません。 ・各持ち場で何が起きてるかの共有 ・自分の見えてることは皆にも知ってもらったほうが良い スタッフ皆にgoogleアカウントを発行してメールアドレスを作ったのもそんなタイミングだったと思います。 もちろん ネット販売の業績を上げていくことについての全てを自分で背負いながら 経営者のやらないと行けない仕事を並行してやってたイメージです。 当時、どんなところから経営者としての情報を得て...

子育ての頃どんなことを意識していたのか?の話

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前々回 出店25年で25年前の話をしました。 先日ちょうど30年前の写真を見つけたので 今日は30年前の話をしようと思います。 30年前に何があったかというと 世界リゾート博がありました。 和歌山マリーナシティーで 1994年に開催された。 (1994年7月23日世界リゾート博に会社でメンバーと共に) 僕がまだ32歳の頃です。 30年前の何の話をしようかと思ったのですが、子どもと一緒に写ってるので 子育ての頃 どんなだったか?そんな話をしようかと思います。 今ほどネットとかSNSで子育てに関する情報を得れるわけではないので、考え方や判断の軸は 『自分自身がどう育てられたか。。』と言うのが大きく影響してたかなと思います。 正確に言うと『自分自身がどう育てられてたと感じていたか』です。 僕より一つ上に第一子の姉がいて出生して直ぐに亡くなった事で 両親や家族も余計大事に育てられたように思ってます。それが影響されてるように思います。 ・過保護にはならないようにしよう。 小売の商売をしてたのでそれはよく見てた。休みがなかったので仕事以外で家族で出掛けた記憶も数回なんですが、少ないのでより印象的に残ってます。 数少ない旅行でもきちんと楽しく行けるようにしよう。 ・ほかにも自分自身の経験で良かったなと思ったことは子供にもしてやろうと思ってましたし、経験できなかったことで残念だったなと思ったことは子供にも極力経験させた方がいいなと思ってました。 ・自転車に乗れるようになったのが僕はクラスの中で遅かったので、子供にはちょっと早いかなという頃に練習しました。 ・僕は水泳が得意じゃなかったので子供には水泳は習わせるようにしよう。であったり ・掛け算のおもちゃを取引先にプレゼントしてもらったおかげで算数が好きになりました。 そんなことから人よりも何事も少しスタートが早い方が何をやっても楽しいと思ったので 子供には気になることは少し早くさせようと思ってそうしました。 ただ、子供って色んな人が関わっていくし親の影響力もあるかもしれませんが 周りの方や環境からの影響も大きいので 想像してたほど親の影響って少なかったんだろうなと今は思ってます。しかも、子供といっても全く別人格なのも子育てをしていて理解できました。 今は小さい頃から子ども自身がネットから色んな情報をインプット出来る時代なので 更に複...

期待値を超えたサービス Apple

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先週 楽天出店25年だったので 25年前の話をしました。 7月 月単位でみると 1年で最大の繁忙期を終えました。週単位で見ると今週や 9月初週も高い数値を出しますが、月単位では先月が過去と比較しても金額面では最高となりました。 早速振り返りしていただいてるCSチームの内容も見ました。大きな実績をつくるのはやっぱり大変だったのが判ります。非常にご苦労されてたし 他のチームもそうだと思います。 その中でクレームの案件、対応も多かったようです。酷いクレームには 理不尽なクレームも多いわけですが、一般的に言うとお客様が期待されていた期待値より低いと評価が低く、期待値より高いと感動してもらったりリピーターになってもらえたりします。言ってしまえば、すべてのお仕事が相手の期待値より高いか低いかとなります。 それこそ25年前は注文した商品が届いただけで感動してもらえました。ネットで注文したらその商品が届いた!といって感動してくれたわけです。ネット通販の期待値がとても低かった時代です。 先週 僕自身が経験した期待値より低かったケースと高かったケースがありましたので紹介します。だいたい普段は期待値どおりで大きく超えることも大きく下回ることも無いのですが先週はありました。 期待値より低かったのは 吉野家 御坊店。定期的に牛丼が食べたくなるので2・3ヶ月に一度は吉野家を利用してます。 その日の対応はドライブスルーだったのですが バイトの女の子だったと思います。車を注文の定位置に停めても何も反応もない。しばらく待っても一切反応がない状態で 試しに注文してみると聞こえてるわけです。 とにかく最後までマニュアル通りにやらない娘で・・家庭かその日のバイトでイライラすることがあったんでしょ。不機嫌を巻き散らかしてました。「いらっしゃいませ」 「ありがとうございました」は結局最後まで 言わなかったです。久しぶりにとても嫌な気持ちになりました。 次は期待値より高かった話。 こちらはAppleのサービスです。 僕は2009年にiPhone3GSを購入してからAppleの信者で Macbook、iPad、Apple Watch、AirTags とApple製品を色々愛用してるのですが、製品自体に感動することは多いですが サービスにはそもそもの期待値も高いのもあってそれほど感動した記憶もありません。 最近 使...

楽天出店25年

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7月30日出店ですので 明日で楽天に出店して25年 当時は開店した日が出店日となってましたので それ以前から商品登録やら開店準備を進めていて 事前に 7月30日(金)大安の日を開店日にしたということです。 1999年はどんな時代だったかと言うと僕自身は37歳。 上記写真のメッセージに書いてくれてるように ・Docomoのiモードがスタートし ・ソニーの初代aiboが発売した年です。 初日のご注文件数が2件 当店の担当ECCの片岡さんと 家内の友人の2件だったわけです。 記憶はハッキリしませんが想定よりは少なかったですがその後もコンスタントに売上は増えていったと思います。 2年目に年商4000万くらいになってましたので 1年後には1ヶ月約300万位の売上だったようです。 当時一つのお取引先で300万買ってくれるところはそう無かったので、このあたりから注力していったのはそういうことだったと思います。 また 2000年だったか覚えてませんが、父親から言われて 僕自身 インターネットにより注力する体制を取り始めたのもそういう経緯だったと思います。 1999年6月28日の記事ですが  「インターネット白書'99」によると、'99年2月末時点での日本のインターネット人口は1,508万4,600人。また、「インターネットを利用している人が一人はいる世帯」は20.27%となり、国内の5世帯に1世帯にインターネットが浸透したとしている。 ケータイの通話料がまだまだ高い時代で 冒頭のiモードが出たときは画期的でした。ケータイを初めて持ったときはKDDIのだったと思うのですが、たしか僕もこのタイミングでDocomoに乗り換えたと思います。 ちなみにiPhoneが出たときにはSoftBankに乗り換えました。 iモード用のいろんなサービスが世の中に色々登場してた時代で一つ記憶に残ってる話があってパソコンのメールをフィルタリングして定型の必要な部分だけiモード用のメールに転送するサービスを見つけて 楽天の注文をケータイに飛ばす設定をしてました。 メールをすべて転送するとパケット量が多くなりケータイ代が高くなるので 注文メールのみ しかも定型の必要な部分(注文品と数量・金額)のみを転送してました。 当時 青年会議所のイベントに日高川の筏下りというイベントがありまして2000年だ...

「性弱説」という考え方

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 直近 ・厳しく出来ない時代になって誰も気づいてても注意しない そんな時代になりました。 ・セルフマネジメント出来ないとだめよね、でも 何よりも自分の管理が一番大変で自己管理は難易度が高い。ヒトは何度も催促されないと出来ないし 締め切りを設定されないと仕上げれない 2024年も後半に入りました。今期の取り組みでまだまだやり残してる一つに「ポンコツでもやり切れる仕組み造り」があります。 これは自分自身の体験から来てるという話は以前しました。 世の中にも既にこんな考え方があるんじゃないか?ということで色々調べてたらありました。 「性弱説」という考え方です。勉強不足で知らなかったのですが 性善説・性悪説っていうのはご存知な方は多いと思います。 性善説は人は生まれつき善の性質を持ってるという前提で物事を進めていく考え方。 性悪説は人は生まれつきにして悪という性質を持ってるという前提で物事を進めていく考え方です。 「性弱説」は 人は善であるが元来弱いものである 弱いから時に 怠けてしまったり 間違えたり 不義理をしたり 人を傷つけたりする。 性弱説で仕組みを考えよう という考え方。既に世の中にありました。

自己制御的要素

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今朝 玄関出たら蝉が鳴き始めまてました。この季節 大好きです! 先週、「指導する側が厳しく出来ない時代になった。酷だけれども自分で厳しくするしか無い。気づいても誰も何も言わない時代になった。」という話でした。 会社の業績は個人の能力の合計とチームワークの良さで決まると思っていて その掛け算かなと想像してます。。。で、チームワークの良さに関して言うと当社は色々取り組んでます。今日のシャッフルランチにしてもそうです。 では、個人の能力って言うけど 「能力」って何?って検索したら 平成15年に内閣府が発表した「人間力戦略研究会報告書」によれば、人間力を構成するのは「知的能力要素」「対人関係力要素」「自己制御的要素」の3つと言われているそうです。 知的能力要素・・普段の実務によって高められる 対人関係力要素・・コミュニケーションの仕組みでサポート 自己制御的要素・・セルフコントロール セルフマネジメント この辺りは社内でも取り組み出来てない部分かなと思ってます。 今年の2月の朝会で話した内容で・・ 学童保育に行くと宿題はやってくる 何よりも自分の管理が一番大変で自己管理は難易度が高い。ヒトは催促されないと出来ないし 締め切りを設定されないと仕上げれない。そんな話もしました。 冒頭の先週の話 酷だけれども自分で厳しくするしか無いけど 自己管理が何よりも難しい。なんか色々つながってます。

気が付いても誰も何も言ってくれないし助言してくれない時代

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最近 長年僕の中でモヤモヤしてたことが 一つ腹落ちした事があるので今日はその話をします。 実は このモヤモヤは もう数年続いてました。 何かというと  リーダー陣とやり取りしている中で彼らが 上司の立場として部下に注意できてない なかなか指導できてない という問題です。同様に同僚同士でもなかなか気がついたことを言えないということです。 心理的安全性の高い職場を目指す と言いながら 何も言えないという問題です。 もちろん作業手順の明らかな間違いとかは指摘したり注意出来るんですが、ちょっと言いにくいことは 言わない。 それほど多いわけではないですが 「それ注意したら良いのに」とか「あのまま他の会社に行ったときに恥ずかしいよ」みたいなケースもやはりあります。それでも誰も注意できない。 インターネットの出現で「権威でコントロールできなくなってきた」という話を以前しました。答えがスマホの中にある事で 世の中がフラットになってきました。 先生と生徒・先生と親・会社では上司と部下・家庭でも親と子・スポーツの世界だと監督と選手・医者と患者・映画監督とスタッフや演者・プロと素人 昔は知識に大きな差があったので上下関係が出来て厳しく言えていたのが 知識に価値が無くなって来たので 良くも悪くも平等にフラットになってきました。 で、このフラットになったことでこの数年で何が起きてるか。。。 少し前に「社長になると誰も助言してくれなくなる」という話をしましたが 世の中がフラットになったことで 現実は 若くても誰も何も助言しない そんな世の中になってるようです。 職場では上司が部下に対しても何も言わない。家庭でもそうです。親が子供に対して厳しいことを何も言わなくなってきた。 ただ、僕達の時代はどうだったかと言うと 厳しい先輩が居て職場で中途半端なことをやってたり 態度が悪いと誰かしらに注意されてきた。指導されてきた。 家庭や学校や 人生どこかのタイミングで厳しい環境があったからセルフマネジメント出来なくてもどうにかなった時代です。厳しくされることで一定のラインまで世の中が引き上げてくれた時代です。 今は時代がホワイトになりすぎて 職場や学校でも厳しい環境が無くなってしまった。ちょっと厳しいとブラックと呼ばれかねない。 昔は妙な態度や間違った行動をすると誰かしら注意をしてくれました。ある最低ライン...

経営が好きな経営者はほぼ居ない

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今日から7月 例年通りですと一年で一番 売上があがる月となります。 よく普段から言ってますが 僕は寒いのが苦手でどちらかというと暑いほうが好きなのですが、一番業績が上がる月なので昔から7月は大好きな季節です。梅雨明け 蝉が鳴き始めるタイミングは何とも言えないです。 「好き」といえば 経営が好きな経営者はほぼ居ない と良く言われてますが確かにそのとおりだなぁと先日改めて思いました。 土曜日午後 現場の実務MTGをやりました。各現場からの課題や問題 情報共有の場ということで試しに数回実施して そもそも必要かどうか 頻度はどの程度か?参加者は誰が適任か?きめていく予定なのですが、僕自身は 久しぶりに楽しいMTGでした。 現場で何が起きてるのか?どう感じてるのか?の内容で 「具体」か「抽象」かでいうと具体的な案件が多いMTGでした。 普段やってる事業戦略室のミーティングになると 概ね抽象度が上がって どういう会社にしていくか?いい会社とは?貢献度の高い社員とは?自律したメンバーを育成していくには?のような正解が解りづらい案件が増えてきます。もちろん そればかりじゃないにしろそういった案件が増えてくきます。 私に限らず どの経営者でも多くの経営者は 仕事を始めた頃は現場をやってて それが得意で業績を上げてきて 業績が良いおかげで だんだん人が増えてきて 得意だった現場を人に任せなくちゃいけなくなってきて 得意でも無いマネジメントや経営の仕事をやってるわけです。。 土曜日は父親の七回忌でした。もう6年になります。父親が商売を頑張ってなかったら僕自身も経営者にはなってなかったと思います。 経営が好きな経営者はほぼ居ないと言いますし 実際 僕自身もそうですが、経営者をやることで非常にいい経験をさせてもらってます。父のおかげでもありますし 皆さんが働いてくれているお陰でもあります。 土曜日は 久しぶりに現場の案件のミーティング とても楽しかったです。

自力では解決できない問題を箱に入れておける力

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朝会のお題が 「直近の1週間の気になるニュースについて思うこと」なので 大谷選手のニュースです。 大谷翔平選手・・23号 今日時点で打率と打点でトップになってます。 随分前のニュースですが 大谷翔平選手の通訳 水原一平さんの 違法賭博事件 がありました。 この時の為末さんの長文が面白かったので一部抜粋して紹介します。 長文ファンの皆様おはようございます。 昨日友人と大谷選手の話になったので、彼が心理的に大変な状況でなぜあれほど活躍できているのかをスポーツの世界の理論で説明してみます。とは言っても、それ世界レベルで実行しているのは、想像もできないほど難しいはずですが。 メンタルが強いと良く言いますが、具体的には「自力では解決できない問題を箱に入れておける力」だと考えられます。そのためには分割と、一旦置いておく、ことが必要になります。まずよく知られているストア派の哲学から引用します。 「コントロールできないことではなく、コントロールできることに注意を向けよ」 世の中にはコントロールできないこととできることが存在するとストア派は考えます。他人、過去、天気はコントロールできないし、自分が病になることや、寿命もコントロールはできない。 コントロールできないことについていくら考えても、結果はコントロール不可能なので、意味がありません。 この朝会でも何度か話をした コントロールできることに集中して コントロールできないことに執着しない という話や イマココ の話(良かった過去や悪かった過去に引きづられない 未来の事を心配したり 不安に思ったりするより今に全力で臨みましょう。)という話をしましたが、大体 普通の人は コントロール出来ないことに執着したり 失敗した過去や 未来の不安の事を考えてしまって 日々悩むことも多かったり 全力で力を発揮したり出来なかったりします。 メンタルが強いとは「自力では解決できない問題を箱に入れておける力」 ホントに上手い言い回しです。 僕自身も 箱に入れておけなく余計なことを考えて眠りが浅かったりする日もあったりします。

年に2回の懇親会を終えて

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土曜日はお疲れ様でした! 久しぶりに 外で飲むのは旅行以来だったのかなと。。 今は年に2回 全員対象に公式で懇親会をやる事になってるので こういうのも仕組み化出来ると毎回考えるコストが減ってとても良い コミュニケーションの仕組みは改めて良い仕組みだなと思います。年に2回で足りない状況になってきたら頻度を変えるなり別の仕組みを追加するなりのチューニングをしていけば良い。仕組み化出来てるのはとても良いことだなぁと思います。 先週は会食が珍しく3回も入って 疎遠になってたヒトと一気にまた親しくなれました。 一緒に食事をすることの破壊力は改めて凄いなと感じます。 3回のうちの1回が高校の後輩と顧問の3人 今年 久しぶりに男子がインターハイに出場出来る事になって 当時の懐かしい話で盛り上がったりしたわけなんですが、全国大会に出れたチームと出れなかったチームの違い 上手く言語化出来てるわけではないですが・・・ ・部員同士 とても仲が良かった ・色んな意見が出てノリよくやってた お仕事も同様 そんなチームが勝ち残っていけるように思います。 一丸となって繁忙期を乗り越えて行きたいと思います。よろしくお願いします。

100人いれば100通りのリーダーシップ

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 先週 6月のスーパーセールがスタートして1週間の出荷量が先週はかなり多い週でした。「自分の仕事はしっかりやりきりチーム関係なくフォローします。」他チーム応援の部分はしっかりできたように思います。 今日は僕自身のリーダーシップのスタイルについてです。 PM理論でいうと4つに分かれたりしますが、そのスタイルは10に分類したり6に分類したり切り口によって様々に語られています。またその時時によってスタイルを使い分けるような部分も多い。 一人ひとり全く違う 100人リーダーが居れば100通りのリーダーシップがあるように、皆さん一人一人もリーダーシップのスタイルが違うと思ってます。 周りの方から見てどう見えてるかは良くわからないし、なかなかフィードバックを貰えるわけでもないのでなんとも言えないのですが、数か月前に 大学の百周年式典があった話をしたと思うのですが その時に 大学時代の自分について 40年ぶりにフィードバックを貰ったのがありました。 2年下の後輩から「中江さんあの当時は鬼の形相でしたよ」とシミジミ言われた。4年生の夏合宿やリーグ戦前の話だったと思います。「鬼の形相」って なかなか使わない表現です。 小泉首相の頃 貴乃花が武蔵丸に勝って鬼の形相と言われてたのが記憶に残ってますが いわゆる闘志を剥き出しにしてたんだと思います。 精神的にも追い込まれて体調にも影響が出てたので チクセントミハイのフロー図でいうと 間違いなく常に不安ゾーンで 能力以上のチャレンジをやらせてもらってたんだと思います。 置かれていた立場とその時の状況と戦力をみて実際大変な状況でした。 今でも覚えてるのですが 4年になった時に信頼できる方に相談に行ったんです。「キャプテンに任命されてどういったリーダーシップを取ればいいですか?」と質問したら「それは中江 独裁しか無いだろ」って言われたのが今でも鮮明に記憶に残ってます。 そんなリーダシップを取りませんでしたが。。 先週、久しぶりに倉庫の応援に僕の行きました。率先してリーダーシップをとることで 皆が協力しやすくなるだろうと そんなふうにも考えて 倉庫応援行ったんですが、直近の腰痛がさらに酷くなってしまいました。無理しなければよかったな・・と今は感じてます。

山菜膳の会に参加させていただきました

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 土曜日から長野県の栂池高原に来てました。東邦大学 名誉教授の薬学博士 二階堂先生の山菜膳の会に参加させていただきました。 初日の夕食前に山菜についての基本的な説明をいただきました。 山谷に自生し食用にする植物の総称で一部 海浜に自生する食用植物も含むようです。 平地の土手や畦道に自生し食用とされるものを野草として区別されている。 で、この食用とされる「野草」の中で 食味、栄養、育てやすさ などを長い年月かけて品種改良されたものが「野菜」 食味や栽培法がうまくいかず「野菜」にならなかったものが「山菜」 栄養価は「野菜」よりも高いが 灰汁があることで 動物には食べられないですが 料理にも手間がかかる。 そんな話を伺いました。 長い年月かけてサプライチェーンに乗った「野菜」ではなく 色んな理由で乗らなかった「山菜」です。 経済性や味 栄養素など 野草の中で この数十年で出来た境界の上位が「野菜」だとしたら その境界の下位が「山菜」で 数十年より以前はもしかしたら 境界なく食べてたものかもしれません。 我々のビジネスはどうか 飲料で大量生産されて大量消費しているもの 大量消費してもらうためにサプライチェーンの一部分としてお客様にその価値を提供しています。 飲料業界としてこの数十年で出来たサプライチェーンに乗った 多くの人たちが飲む「市販の飲料」というのを扱ってます。それ以前は 野草でいう 野菜や山菜の区別なく 大量消費のために創られたモノではなく 地域にある独自のモノを飲んでいたのかもしれません。

今年も日本赤十字への寄付

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 皆が日々頑張ってくれてることで 今年も 先日 日本赤十字の和歌山県支部に会社からも10万円の寄付をさせていただきました。以前も朝会で これは父の遺志を引き継いでます。という話をしました。 以前、日々何気なく見てる景色は潜在意識に刷り込まれていく という話をしました。 子供の頃の話ですが 商売に関することが溢れてる家の中に1台しかないテレビを置いてる部屋に 叔父達の相撲と柔道の賞状が掛かってました。どう感じながら見てたかっていうと 凄いなぁ〜と思って見てたと思うんです。これがその後の弓をやってる時に多少なりとも影響してると思ってる。 皆さん方も子育て最中の方は 子供さんが日々見てる何気ないものが 必ずその子の潜在意識に刷り込まれてると思います。 さて 今 この会社で皆さんが普段何を見てるか 通用口に掛けてある 昨年頂いた赤十字への寄付の感謝状 日々の作業進捗のモニターだったり 階段途中のステークホルダーの方々の写真であったり 2階に貼ってる年表であったり 潜在意識に良い影響を与えるモノに囲まれた そんな職場環境にしていきたいと思ってます。

渦中にいると見えなくなる

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 先週は業務量が増えるタイミングも仕組みを見直す絶好のタイミングです。という話でした。 また、全体ミーティングの時に少しお話した「現場は正しい投資判断が難しい」という話もしました。 これは現場にどっぷり入っていると 渦中でやってると 見えないんじゃないかという話です。 ハンディー端末導入時の話をしましたが、詳しく説明すると当時は入荷も出荷も目視検品でした。今朝 久しぶりに目視検品しましたが とても大変でした。 出荷だけでもバーコード検品して出荷できるように 目視だけではどれほど改善して注意しても一定の割合で誤出荷してました。 当時、300万くらいかけて初期のシステムを導入したと思うんですが その費用をかけて今までやらなくてよかった作業が一つ増える。それでなくても出荷は大変なのにそんな端末持たされるんか。。バーコードを鳴かす作業が一つ増える と導入前は現場にとても不評でした。 実際は導入後 目視検品のストレスが無くなって 検品が楽になった。 導入して大成功だったわけです。  ローラー導入時も 倉庫が狭いこともあって現場は必要ないという意見だったと思います。 これは非常にわかります。 僕自身 1台目のバッテリーフォークリフトを導入する頃 決断できなかった。狭い場所で 当時は ほぼ赤字で入荷の荷受けも手降ろしで全て入庫してた 相談したら柚瀬さんが中古のリーチフォークリフトをくれたんです。 実際は導入するととても便利なんです。 倉庫拡張するときも父親が勝手に決めてきて 僕は反対しました。おそらく1年後にはその倉庫でも狭くなってきた。 誰しも 渦中にいると見えなくなる 正しい判断が難しい。 一歩外に出ると見えるんですが 深く関わってると見えなくなる。 逆に現場にどっぷりじゃないと正しい判断が出来るか?というとそれも簡単じゃない。 僕自身も数百万の投資をして失敗したケースもいくつかあります。

ボリュームが増えたときも仕組みを見直す絶好のタイミングです

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 間違いは仕組みを見直す絶好の機会です。という話をしました。 仕組みを見直す絶好の機会って 他にもあると思ってまして業務量が増えたタイミングです。 暇な時の方が業務改善が出来そうですが、もちろん 出来るのですが なかなか進まないことの方が多いです。 仕事は忙しいやつに頼め!暇な人に仕事を頼むと遅い。忙しい人に仕事を頼むと早い。と一部似たようなところもあると思います。 キャパを超えた時は絶好のタイミングだと思ってます。 もうお分かりだと思いますが、従来のやり方でやってると全然間に合わなくなったり 普段はそれほど気にならないことでも ボリュームが増えたことで ボトルネックが出て来たり 浮き彫りになってきたり 少ないと時間は気にならない程度だったのが 増えたことで 目立ってきたり見過ごしてきたことが見過ごせないなと思えるようになる。 1日3回しかやってないときは気にならなくても10回やるとなると どうにかならんか?と 気づきになる。 これからの季節 ボリュームが増えるタイミング は仕組みを見直すチャンスです。

明日で創業92年 時代の変化

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 5月に入りました。当社の本格的なシーズンに入ってきました。 明日5月7日は創業記念日で92年になるようです。 今日は時代の変化の話をしておきます。 昭和7年は1932年。ちなみに創業日の1週間後に「5.15事件」が起きてます。 92年前は以前も話しましたがこの地域では印南駅が開業(1930年)した2年後。 ちなみにちょうど100年前の1924年に和歌山駅が開業してその5年後 1929年御坊駅が開業しました。 船で荷物や人が移動してた時代から鉄道・機関車で人が移動するようになって貨車で荷物が運ばれる時代に大きく変わった時代です。僕が子供の頃は電車に行商のオバサンが大きな荷物を背負ってという光景はありました。 その後 1939年から1945年までは戦争が続いていた。 戦後モノが無かった時代を経て復興へと向かっていきます。戦後から大きく時代が変わってきたタイミングが車社会になった事です。 モータリゼーション1964年の東京オリンピックの直後からモータリゼーションが進んでいった。全国に舗装された道路が整備されて 大衆車が一般家庭に普及していきました。 田舎はまだまだインフラ整備が遅れていたので70年代後半まで掛かったと思います。 当時は車があっても一家に一台の時代なので 日常のお買い物は自転車で行ける まだ地元の商店街が中心の時代だったと思います。 1980年代はどうだったか? まだ高速道路が整ってない時代で車は普及してきているので 地域の主要都市にGMSクラスの大きめのスーパーが賑わった時代です。自動車に女性も乗るようになってきて買い物も車を使うようになったことで商店街が一気に壊滅していきました。 1990年代はどうだったか? この地域では1996年に高速道路が御坊ICまで延伸。 2007年に阪和自動車道が田辺まで全線開通しました。 2000年の大規模小売店舗立地法制定でショッピングセンターが増えてユニクロのような専門店の台頭でGMSクラスのスーパーが打撃を受け始めた。 同時に2000年くらいから我々のネット販売が認知され始めます。 市場が生まれる事も大きいのですが、自動車同様 普及ポイントも重要で それまではパソコンでのインターネット接続が一般的だったのが 2010年頃のスマートホンの普及で一人一台の常時接続の時代になりました。  その後もSNSの普及  コロ...

人は間違える生き物

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 前回は間違いがおきたタイミングは絶好の機会なので徹底的に仕組みを見直すことに注力したいしそのようにしてきました。僕の温度感と皆さんの温度感の違いはずーっと不思議だなと感じてることですという内容でした。 基本 間違いは 当人個人の問題ではなく 組織の仕組みの問題である。 毎回そんな説明しませんので 間違いが起きたとき 間違えた本人が責められているような感覚になってるかもしれませんが 本心ではそうではないと思っていて。 個人の責任と感じるので間違いを大ぴらに顕在化しにくい面もあるかもしれません。皆さんにどう映ってるか 感じてるかわかりませんが ほとんど組織の仕組みで解決できる問題だとおもってます。 実際には その時に何が起きてたか?どういう状況だったか?作業をどう行なったか?というのは対応している人に状況を聞かないと詳細が掴めないので 間違いを起こした人が炙り出されてしまったりということはありますが、それも全て ダメだった仕組みを良い仕組みにしたいから というところにあります。 ヒトはビックリするような勘違いする事もあるし 時にルールを無視する事もある とても重要なことでも忘れたり抜け落ちたりする 同じ作業は慣れてしまうと無意識でやってることが多い 仕事しながらでも別のことを考えてることも多い 集中してできるのはせいぜい15分程度である 間違いを無くせる という思想ではなく 性善説と性悪説があるように  「人は間違える生き物」という前提に立って それならどういった仕組みにするのが最適か 間違えた時に早い段階でリカバリーするにはどういった仕組みにすればいいか考えないといけないと思ってます。

間違いやミスに関して

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 全体ミーティングで一部 木村からも話をしてましたが「間違いやミスに関して」 先週もありました。  商品登録時の間違い、出荷商品や数量の間違い、受注処理の間違いやミス。もちろん事務処理や現場作業をあまりやってない僕自身も一定あります。 昔から間違いが起きた出来事に関してしっかり取り組む事は僕の中ではとても重要視しています。 何でそこまで間違いが起きた時の取り組み方を重要視しているかのお話をします。 ・ひとつは商取引だから間違いは壊滅しないといけないと思ってる。  まず お客様にもご迷惑がかかるし コストもかかる。信用もなくします。  デメリットしかない。プロなんだから率が低ければ良いという問題ではないわけです。 ・もう一つはそういった間違いを壊滅するための仕組みの見直しをする絶好の機会だから 絶好のチャンスだからです。  人は 基本 失敗しないと学べないと思ってて そういう意味でも間違いやミスが起きたタイミングは絶好のチャンス。このタイミングを逃したら見直しは出来ないだろうと思ってるからです。 そもそもうまく行ってるときに作業工程や仕組みを見直したり出来ますか?まず出来ないです。  本来ならミスや間違いが起きそう ヒヤリハットのタイミングで見直したりしないといけないわけですが、それが顕在化しないと取り組めないと思ってます。 しかも皆さんが頑張ってるお陰で間違いがとても少なくなってきている。見直しをするチャンスも言ってみれば極端に減ってきてます。 数少ない絶好のチャンスだからです。 その見直しやカイゼンも安易に答えを出すのはダメだろうなと思ってる。 で、僕から観ると安易に答えを出してるように感じることが多いと感じてます。 我々は特別優秀な秀でてるメンバーでやってるわけではない のでしっかり考えてカイゼン案を出さないと根本的な改善にはならない。 その証拠に25年も同じことをしてるのにまだゼロに到達できない。 その取り組み方について言えば 僕自身どう感じてるかというと 僕の温度感とスタッフの皆さんの温度感は明らかに違うなぁと思ってて これはどうしたもんだろう??と感じてる。 この温度感の違いで オープン経営に取り組んだのはいつもお話してますが、これだけではまだまだ温度感が同じにならないんだろうなと感じてます。 ・日常業務に追われて まぁ良いか!で済ましてしまう そ...

体調不良からの自己開示

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 先週体調を崩してお休みさせてもらいました。 結局 疲れからの肩風邪だったのかなぁ。。前日 大阪インテックスを往復して広い会場を歩き回って。。 数年前に目眩 去年はコロナ感染からの熱中症 今回の肩風邪 定期的に体調不良を起こす感じになってきました。 60歳過ぎるとこうなってくるのかなぁ。。という思いもありますが 10歳近く先輩の片山さんがほぼ仕事に穴を開けないことを考えるとまだまだ年齢のせいに出来ないなと思ってます。 体調管理も仕事の能力の一つです。 今日は自己開示も含めて元々どうだったかのお話をしようかなと思います。 一気に幼稚園の頃の話になりますが、腹巻きを始めたのはこの頃だと思います。頻繁にお腹を壊していたようで、白金懐炉を腹巻きに居れてました。 小学校に入り 給食を食べ始めて丈夫になったという話を母から大人になって聞きました。昭和30年40年代で大家族だったので栄養も足りてなかったのかもしれません。 大学時代は一人暮らしなのでとても不安だったんですが 体調を壊すことは無かったです部活は一日も休みませんでした。 働きだして 結婚してからは今とそれ程変わらないと思いますが、年寄りも一緒に住んでたので子供から感染することがないように家内がとても注意してくれていたようです。 今週 一気に暑くなるように言われてます。 急に気温が高くなるとカラダがついていけない事が多いと言われてるので 春の熱中症ふくめ 皆さんも体調不良とならないように注意してください。

会社見学会2024の振り返り

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ようやく待ちわびた大好きな季節になってきました。桜が咲いて、トウカエデもイチョウも新芽が出てきて クローバーが一面になってきて。。寒いのが苦手なのと これから忙しくなってくるこの季節、ホントに大好きです。 先週は会社見学会お疲れ様でした。 初めての試みでしたが 開催して良かったです。ホッとしたのか 滅多に無いんですけど数年に一度くらい 珍しく自宅で夕食のときにビールを飲みまして 家で飲んだらダルくなって大変でした。 せっかく来ていただいたので「会社のことも良く解ってなんか楽しかった」という風に感じて帰っていただきたかったので 皆さんもそうだと思いますが 気疲れも多かったです。 振り返りとしては 少しスケジュールを意識しすぎて駆け足になりすぎたところや 規模感ばかりの説明が多すぎたかもしれないなぁと思ってます。 もっと我々が大切にしてるところや 非常に苦労してる部分や 日頃注力しているところの内容もあった方が上辺だけの結果を伝えるより良かったかな〜と思ってます。 次回やるときには今回の2回を踏まえチューニングしていけたらと思いますし 定期的にやっていくと良いような気がします。 さて、社内では ジョハリの窓の開放の窓を広げていこう ということでやってますが、改めて地域の方々へも「開放の窓」を広げていく取り組みは必要ですね。ということですね。 日頃もやっていただいてますが ・コーポレートサイトでの情報発信 ・今日来て頂くような 地域の新聞社への情報発信 ・SNSの運用 一つ一つは僅かな効果かもしれませんが、継続が重要です。

新卒入社式からの40年目。40年前の自分に何を伝えるか?

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 4月1日の朝会ということですので、 40年前の4月1日に社会人になって 37年前の4月1日に中江商店に入ったので その当時どういったことを考えてたかなぁ。。と昨日から考えてるんですが、どちらも新たな一日目でしたけど 割と自信に満ち溢れていたような記憶があります。それは若さの特権なのか、大学時代の良かった過去がそうさせたのか判りません。 当時の詳細はあまり記憶には残ってないですが何を考えていたのかなぁと考えると。。 ・学生の時は勉強できるのが優秀だった。 ・弓をやってたときは戦績の良い選手が優秀だった。 ・働き始めたタイミングではどんな人が優秀なのか?社会人になってこれはとても複雑だなぁと思ってた。 最初の3年はサラリーマンだったので会社から評価が高い人も居れば 部下から慕われてる人もいる 早くに昇進する人・ゆっくり昇進する人 組織のトップが現場に来ることもあった 新入社員で早々に抜擢される人も居た。現場の職人として長年スペシャリストのような方も居たり、中途入社組の方も居たりでした。 任された場所で社内でどう活躍するか? 3年後帰ってきたらほぼ家族経営のようなものだったので 仕入先や取引先とどう関係を築くか?色んな人と関わる中でどう振る舞うか?いろんなグループの中でどう振る舞うか? 結局40年経って 当時の問い「どんな人が優秀なのか」色々自分の中では理解が進んだところもありますが 未だによく判りません。チームのことを勉強し始めて更にわからなくなってきてる印象で まだまだ模索中です。 40年前、大阪での入社式だったと思いますが その当時の自分に何を伝えるかなぁと考えたら 一つは「あっという間だぞ」ですかね。もう一つ伝えるとしたら「夢中になれることがそのうち出てくるからそれまで とにかく目の前のことを頑張れ!」かな。 

アワード受賞は中の人とのコミュニケーションとして絶好の機会でした

 先週、時間厳守のルールを追加します。みたいなお話をしました。業務マニュアルや作業マニュアルではなく 一般常識的なマニュアルが増えてくるのはあまり良い傾向ではないと思ってて民度が高いとそもそもそんなルールが必要無いわけです。そういったルールが増えないようにどうしたら全員が気持ちよく働けるか ということをそれぞれがもっと考えて行動する そんな会社のほうが良いなと思います。 auのアワードに先週参加してきました。授賞式に行くというのは僕自身初めてでした。コロナ禍で受賞しましたけどリアルの授賞式が無かったので・・。 選ばれた店舗だけが参加しているという特別感と ホスト側であるaupayマーケットの方々が我々ゲストをもてなしてくれる という分かり易い構図で受賞店舗を楽しませて頂きました。 想像はしてましたが、「中の人とのコミュニケーションは重要」というのを改めて感じた一日でした。 そんな 中の人とのコミュニケーションを深める機会としては アワードの受賞はとても重要だな。 商売として賞レースに必要以上に注力するのは違いますが、ミッション達成に向けてこういったアワード受賞は手っ取り早いな というのを実感しました。 楽天市場でも 言ってみれば中途半端な受賞しか無いですが 一度でもSOYの受賞していたら成長が加速していたんだろうな と改めて想像できました。

今 何が起きてるかの共有

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2点お話します。 3月は基本給の見直しのタイミングで色々な側面からどうしていくか検討中です。 基本給を上げるということは人件費が高くなって固定費が膨らみますので競争力が低下することも考えないといけません。一方 基本給を高くする事は 優秀な人材を確保するという意味では 競争力の源泉にもなるので重要です。 基本給を上げて固定費が上がらない仕組みにしていくことは より重要な事になるのが この点からもよく解ります。効率を追求していく事です。 相反する点をバランスとりながら昇給していくのは毎年難しい判断です。 うちの会社は給与テーブルや給与体系がまだ整備できてません。これはまだこの規模の会社については 社長が全員把握できる規模は社長が決めていったほうが良い という考え方もあって決まってないのです。 そこで この数年 毎回やってるのが 室メンバーにも全員の貢献度や責任度合いを客観的に判断してもらってます。 実際やってみると それの平均値と 僕の判断が それほど違いがない結果になってます。 勤務年数と貢献度や責任の度合い 判断の基準はそれぞれありますが 概ね相対的な評価は皆がよく見てるということです。 2点目です 先週 ある出来事がありまして また細かなルールを決めることになりました。どんなルールかというと。。 ・全員が気持ちよく仕事を出来るために時間厳守は徹底しよう。  3分前には行動する  事前に遅れることがわかっている場合は遅れる旨伝える  もし遅れた場合はきちんと謝る まぁこちら社会人として当たり前の事ですが ルールとして追加することにします。 入社いただいたときにだいたい会社説明で色んなお話をさせていただいているシートです。 チーム内でだいたいこれが共有出来ていれば妙な問題は起こらないです。先週起きたことも今現在何が起きてるかの共有が無かったことで起きた問題です。

ステークホルダーとして中の人とコミュニケーションを深める

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先週は二十数年前は当時の10倍の売上がイメージできなかった話をしました。楽天市場というモールのお陰で彼らが集客をしてくれ公平な売り場を提供してくれているお陰で成り立っているという話をしました。 先日久しぶりに楽天のECCとリアルで打合せをして 僕は懇親会だけ参加しました。 直近コロナもあって そういう場は無かったのですが、人が介在している以上 中の人 ステークホルダーの中の人とのコミュニケーションは必要だなと改めて感じました。 我々の会社でいうと全てのお取引が会社と会社のお取引してるわけで 当社と佐川急便やヤマト運輸 当社と三井食品や三菱食品 当社と楽天やYahoo! aupayマーケット 会社と会社「組織 と 組織」になってます。 時代が流れていく中でそのあたりがより濃くなってきてるように思います。 昔 小売といえば 全て人が介在してました。 子供の頃、中江商店もお客さんが来ると食事中でも箸をおいて「はーい」ってお店に出ていくわけです。世間話をしながら 人が人から買ってた。 それが 僕自身は社会に出たらスーパーという セルフサービスの小売に就職したわけですが、実際は中の人は居るわけです。 今は 小売は もうほとんどがセルフサービスで そっちが主流です。 小売だと我々と同じネット販売のAmazonなんかは中の人を全く感じないようになってます。 いろんなサービスで中の人が段々感じられないような仕組みになっていってます。 他にも色々あります。 Googleもそう 我々が普段利用している メールワイズ ECnote zoho WEBのサービスはほとんどそっちになっていってます。 サービスやツールとして使いこなす のと ステークホルダーとして中の人とコミュニケーションを深める 両方が重要だと思ってます。 同じことが逆の立場での言えます 我々も中の人としてお客様とのコミュニケーションは極一部になってます。チャットか電話 それもコールセンターで一次対応をして貰ったあとだけです。 ビジネスはこの両方で捉えていかないといけないなと改めて感じました。