社長になってどんなことをやったのか?その3

 前回、またお話をしますと言った続きの話です。社長になったタイミングで倉庫と事務所を離れ離れにしました。 宮ノ前ベースが出来て初めて 同じ空間で全員が働けるようになったという話は以前したと思います。

別々の場所でやるにはまだハードルが高かった段階でなぜ倉庫と事務所を離したのか ですが、まだ当時は同じ場所でやらないと困ることが多々ありました。例えば 送り状の発行もそうですし 在庫管理なども完全に出来てなかった状態だったと思います。

(2006年5月頃まで使ってた印南浜西の倉庫内事務所)


(2006年5月ころから利用開始の本社事務所への引越し作業)


2拠点でやるにはまだ少し早い段階で分けたのは 僕の中では2点ありました。

1点目は物量が多くなり入出荷が大変になると どうしても全員がそちらに手を取られてしまうことが多くなってきました。もちろん僕自身も仕事のウエイトが物流に取られることが多くなり 本来やらなければいけない業務が手薄になってしまいますし、経営者としての仕事も出来なくなってしまいます。拠点を分けることで 分業した本来それぞれの業務に全員が専念できるという思いがありました。

2点目は 当時のメンバー構成だとどうしても現場の細かい点まで僕自身が全て指示するようになってました。もちろんそれが最善だったわけです。でもこのまま続けていてはイケないなぁとも思ってました。すべての領域を僕が指示してては駄目で せめて倉庫作業も日常業務は責任持ってやってもらえるようにした方が良い。それには一旦 物理的に分けるのが一番効果が高いだろうと考えました。

倉庫と事務所機能を分けたことで 直ぐに解決しないといけないことが明確になって データでやり取りすることもより重要になりましたし、本当の意味で まず倉庫業務が自分達でどうにかしようとする文化も生まれたんじゃないかと思います。

目が行き届かない事で 会社にとってもマイナス面も沢山あったと思いますが、通らないといけない過程だったと思います。

盗難事件があったことでしっかりセキュリティーを高めれる事務所が必要だった事もありますが、当時は分離してしまうことで強引に解決していかないといけないことが噴出する そんな期待が大きかったと思います。


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