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ストレングスファインダー 4番目の強み「アレンジ」について

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今日は自分のストレングスファインダーについての強み4番目「アレンジ」について話をします。 解説を見てみると この強みはマルチタスク大好きで柔軟性が高い らしいです。昔は あまり複数のことを同時進行するのは得意ではなく どちらかというと一つのことに集中したい方だと思ってましたし 柔軟性というより どちらかというと頑固なのかなと思ってましたが 年齢なのか立場なのか 役割なのか そういう強みが上位に出てきてるということでしょうか。 また解説にはプロジェクトのマネージャー的な事が向いていると書いてます。実際に僕が向いてるかどうか解りませんが プロジェクトの進捗は他の強みの「慎重さ」とも合間ってか とても気になります。 今週開催の文化祭もプロジェクト立ち上がり時は進捗が遅く感じて とても気になってました。大体 僕が「アレどうなってる?」って言う時は気をつけてください。 プロジェクトを進めるときは これくらいの進捗で良いと思うより 少し早めの進捗の方がありがたいですし、「お!やるな!」ってなると思います。 逆に少し遅れてたら僕の中ではアウトです。 一般的に 「アレンジ」は あまり悪さをする強みではないらしいですが、ルーティンワークが飽きやすかったり 柔軟すぎて優先順位がコロコロ変わったりするそうで この辺りが強みの裏返しだそうです。 僕のトリセツとしてこの強みで取りあげるとすれば「プロジェクトの進捗には気をつけろ!」でしょうか。

ストレングス・ファインダー 強みの下位4つは「規律性」・「適応性」・「社交性」・「調和性」

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2019年に実施した僕のストレングスファインダー 上位5つだけじゃなく 全て 34の順番がわかるのをやってみました。 その34の強みの 最後4つ 何だと思います? 「規律性」・「適応性」・「社交性」・「調和性」でした。 この中で「適応性」と「調和性」 この2つは どちらも人間関係構築力の強みです。上位を見てもこのように下位を見ても 人間関係構築力の強みが低いのがよく分かる結果となりました。 まず 「適応性」 これは低いのが理解できます。偏見かもしれませんが「適応性」は女性に多い もしくは女性の行動に多いように感じてます。その時々を生きる。その時々の判断が後々どう繋がるかではなくて その時々で最善の判断をする という強みです。 僕が普段心がけたいと思ってる『イマココを生きる』 のとは少し僕はニュアンスか違うようにも思ってます。その時 その場で最善の判断をしていく そう考える人が居るんだなぁという感覚です。僕から見ると後先を考えていないようにも思えます。 またその場その場で柔軟に対応できるというのも適応性の強みだと思いますが、僕はその場で柔軟に対応出来ない。 どんな場面でも対応できてる適応性の方を見ると凄いなと思います。 「調和性」について ハーモニー 意見の一致を求めるのは違うようにいつも感じてる。それよりそれぞれが違う意見を持ち寄り違う意見の中から最適解を見つけ出していく方が前に進めるように思う。着想持ちとは明らかに違う。 この2つの強み 下位に出てきたから余計に感じるのかもしれませんが 持ってない強みだと思います。 「規律性」については 着想の強みの裏返しだと思うのですが、キチンと出来ません。デスク周りは最低です。最近よけいに酷くなってるように思います。誰かが置く場所を決めてくれたらそれは守れるかもしれませんが、自分で整理するのはどうも苦手です。でも、共用部分が整理できてなかったりすると気になるタイプではあります。 最後に「社交性」。これは辛いくらい無いです。良い歳こいて 未だに共通の話題がない方とご一緒になると何を話せば言いのか判らなくなります。もちろん立食のパーティーは超苦手です。

ルーティン(ルーティーン)

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「ルーティン」 スポーツでよく使われる言葉でもあります。イチロー選手やラグビーの五郎丸選手が有名で、このお二人ほど特徴的ではないもののスポーツ選手なら大抵 独自のルーティンを持ってます。大相撲でも立ち会いの前 特徴的なルーティンのお相撲さんも多いです。 僕がやってた弓も同様に「体配」と言って弓を引く時の型 所作があります。堅苦しいので僕は好きではなかったですが、今思えば これにも色々理由があることがわかるし効果があったことも想像できます。 スポーツ選手ではなくても 毎朝起きてからの繰り返し行ってること 家を出る前にやってること 寝る前にかならず行う一連の行動 誰しもやってるはずです。 僕自身もこの数年 毎日の神仏に祈ることも ルーティンとなってます。 一般的にその効果には ・心やカラダのスイッチが入る ・元の自分に戻れる ・今ココに集中できる 何で今日ルーティンのお話をしたのか。。ボクの中で何かが閃いているわけではないですが、意識してやることが大事かなぁと年齢を重ねたからか最近は特に感じてます。 おそらくその効果はまだまだ解明されてないだけで奥深いんでは無いかと思ってます。

自分の強み「着想」について

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先週 僕の強みの中の大きな部分を締めている「慎重さ」についての話をしましたので 今日は もう一つの大きな部分を締めている「着想」についてです。 これも僕の行動や考え方、癖 に大きく影響を与えてる強みの一つです。 6年間隔を開けて2回やった その両方に「慎重さ」「着想」があるだけあって調べれば調べるほどこの2つの強み その強みの裏返しが大きく影響してることがわかります。まぁ言ってみれば「慎重さ」「着想」が服を着て歩いてるようなもんです。 「着想」の強みは 全く異なる点と点が繋がることに喜びを感じます。アイデアの生まれる瞬間はとてもワクワクするそうです。たしかにその通りでそういう瞬間はとてもワクワクしてます。そんなことばかり考えてる事が多いです。 「人と違ってること」「ユニークであること」も大好きです。 このあたりは会社の経営でも現れていると思います。 「周りの人が持ってる枠を壊すこと」も大好き。 「戦略性」を持ってる方は論理的にロジックで考えると思いますが、「着想」は違う視点でアイデアが生まれるような感じです。 対局は「規律性」だそうです。社内でも確かに着想持ってると規律性は低いだろうな と思う人が多いですね。 またルーティンワークも苦手です。毎回 同じことをやってると辛くなってきます。 今、お役所に提出する資料を作ったりしてるんですが、全く向いてないです。お役所勤めの人は毎日こんなことばかりやってて偉いな・・凄いな・・って思います。 よく言ってますが、世の中によくある団体に入って そんな団体って一般的に例年通りの事業を例年通りにやることが多いわけですが、そんなことばかりやってると辛くなってきます。面白くないのでそんな団体には極力入らないようにしています。←まぁこれは自我も影響してるかも知れません。。。

自分の強み「慎重さ」について

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自分自身の強みの話は比較的やってるかなと思って 以前の朝会の話した内容を見たら 2019年に6年ぶりにストレングスファインダーを実施したときに新たに出てきた3つの強みの話をしていました。もう3年前です。 そのときにどういう話をしたかというと[6年前とは違い現場を離れ プレーヤーではなく立場が違ってきたことで必要な強みが出てきた]・・そんなお話をしました。 2回とも出てきた「慎重さ」と「着想」については特に僕を形成している強みなわけですが 今日は「慎重さ」の話をします。 【慎重さ】 書籍に書いてる中でもよく当てはまるのがこのあたりです。 『自分のことをあまり対外に向かって発信しない傾向がある。』 社内では「自己開示をしていこう」と言ってる割に自分の話をするのは苦手です。最近はチームビルディングの勉強をしたお陰で頑張って伝えるようにしてますが、でもまだ この朝会が唯一と言っていいくらいでしょうか。 『なかなか打ち解けないという理由であなたを遠巻きにする人が居るかもしれないが、当の本人はあまり気にしないことが多い。【慎重さ】を強みに持つ人にとって人生は「人気コンテスト」ではないからである。』 これも正にそのとおりで、特に地域に対してはこういった側面が多いと思います。昔から家族で笑い話をするのですが、ほぼ人生の大部分をこの街 印南で過ごしてる僕より 家内のほうが知ってる人が多く「友見ちゃんの旦那さんってどの人??」って言われることが多かったようです。もちろん家族にも自分の話はそれ程しなかったです。 『過度に人を褒めたりしません。』 これもイケてない部分ですが 子育てのタイミングでも子供を褒めたりもしなかったと思います。 もちろん「慎重さ」という言葉で想像できるこのあたりも当てはまってます。 用心深い 油断しない 最新の注意を払って進む 世の中を「予測出来ない場所」と考え、危険を感じ取るとともにそれを表面化し、一つ一つ解決していこうとする。 この辺は商売にも影響されていると思います。粗利が低く そもそも慎重でないと失敗する確率が高い商売だと思いますので。。。 周囲からは「真面目な人」と映りやすい。また、実際にそうであることが多い。 この辺も両親の影響や祖父祖母の影響も大きいと思います。 『慎重さ」のそもそもの英語「Deliberative」には 決断するために注意深く検討する

出荷作業の変遷を見て感じたこと

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今週末 全体ミーティングで昔の出荷方法を実際にやってみよう ということになってます。 目的は この二十数年 日々やり方や仕組みを変えてきました。人が自転車に乗ることでコンドルを蹴散らしたように 道具を使うことで効率化を進めてきた 進化してきました。 ミーティング時になるだけ解りやすく説明出来るように準備していきます。 で、この23年で出荷作業がどう変わっていったかその変遷をちょっと纏めてるんですが。。 その纏めている内容を見て僕自身がどう感じたか?を先に共有すると ・従来の倉庫の面積や古さ、形状など物理的に不可能な案件も多かった。 ・利益率の低さゆえ投資が慎重になってた ・数十万円規模の投資でも費用のかかるモノや設備変更を伴うカイゼンは現場からなかなか出にくかった。 ・その時々はとことん考え抜いてやってたと思いますし、その時に出来る最も効率的なやり方をやってると思ってましたが、こうやって見てみると変遷のスピードは全く誇れるものじゃない。 うさぎとカメでいうと確実にカメ。 着実にやってきた という言い方も出来るかもしれませんが もっとスピード感をもってカイゼンできていたらもっと違った未来(現在)だったかもしれません。

スティーブ・ジョブズをあそこまで駆り立てた出来事

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 スティーブ・ジョブズの若い頃の動画で 貴方は何故そこまで駆り立てられるのですか?という質問に対して答えてる動画だったと思います。 10:10過ぎからの内容です。 以下はこの動画で翻訳してる内容です。 子供の頃 雑誌である記事を読んだんだ。 様々な動物の移動効率を計測したもので熊やチンパンジー 鳥や魚などが載っていた。 1キロあたりの消費カロリーをヒトも含めて比較していて1位を獲得したのはコンドルだった。万物の霊長のはずのヒトは下から3分の1あたり。 だが誰がひらめいたのか自転車に乗ったヒトも測られた。コンドルなんて蹴散らしてたよ。 この記事に私は強い衝撃を受けた。人間は道具を作ることによって生まれ持った能力を劇的に増幅できるんだ。 「パソコンは脳の自転車」と広告を出したことすらある。 これまでの歴史を通し人類が発明したものの中でコンピューターが一番か それに近い重要性を持つ。 私はそう確信している。 我々が生み出した史上最高の道具だよ。 2つ重要なことを言ってます。 ・人間は他の動物と違って道具を使って能力を劇的に増幅できる ・人間の発明した道具の中でパソコンは史上最高の道具だ。 今日は単にパソコンを使おうというITリテラシーの話だけではなく如何に道具を使うか?というで話でした。

ネット販売以前の商売との大きな違い

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先日 7月30日は楽天に出店して23年目でした。それ以前の当社の商売とそれ以降の当社の商売はこの出店をきっかけに大きく変わっていった訳なんですが。。今日は何がどう変わったかの話をしたいと思います。 それ以前の商売は それこそランチェスター戦略の真逆をいくお手本のような商売でした。当初小売をやってて卸売を始めたという経緯もあってか品揃えを増やして売上を増やしていくそんな商売だったと思います。 写真は昭和57年 創業50周年時 時代背景もあったのかも知れませんがそういう商売でした。主要なメンバーは父と母と叔父の3人なのに 線香蝋燭、菓子、加工食品、ギフト、乾物、アイスクリーム、飲料、自動販売機の扱いメーカーもUCC、大塚、サントリー、アサヒ、サッポロ、カネボウ。。。年間に取り扱うSKUはもしかしたらこの当時のほうが多かったかも知れません。 人口の少ない小さな商圏でどう売り上げを上げるかと考えてそうなったのか 要は買ってくれる人に買ってくれるものを販売していた そんな商売でした。 23年前に店舗名を「いわゆるソフトドリンクのお店」として出店した そのタイミングからどうせやるなら一番得意な商品で勝負しよう。ということで特化していった用に思います。徐々に色々扱ってた商品を削っていきました。(でも実際は 僕がこの会社に入ったタイミングぐらいから品揃えや商品の回転、賞味期限への対応、売り切ることの難しさ 取引先の構成など色んな面で飲料以外を取り扱っていくのは当社の規模では難しい状況でした。なので戦略的にそうしたのではなくそうせざるを得なかったと言う方が近いです。) 恐らくネット販売がこれほど伸びなかったら特化していくのも難しかったと思います。 アイスクリーム卸を廃業するタイミングが2002年でした(決断が遅かったと思います)が、この時も父を説得するのが大変でした。父がスタートした商売だったので僕とは違って思い入れが僕には理解できないくらい大きかったと思います。 ということで 23年前の出店日以前の商売と それ以降の商売の大きな違いです。 まず1点目 ・お客様からの反応がある 良くも悪くもお客様から反応がある 反応がある事がこんなに刺激になるとは思いませんでした。 2点目 ・市場が膨らんでいってて 同業者がとても元気ある。 それまではビジネスのどんな集まりに出ても良い話は皆無でした

2006年当時の出荷方法は

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先週、2006年から5年くらい在籍していた塩崎が来てくれました。体調を崩して2012年に当社を離れてもう10年くらいになるわけですが、ようやく体調も戻ってきたということでまずホッとしました。 僕自身も彼に会うのは3年・4年ぶりくらいだったと思います。 色々話している中で木村と当時の出荷方法の話をしてました。ちょっと懐かしく聞いてたんですが 何度か今いるメンバーも聞いたことはあると思いますが、当時の出荷方法を伝えます。 当時は注文情報を1件1件 一枚の用紙に印刷をして その1件ずつを倉庫内で声の通る片山さんが注文内容を読み上げて 他の者全員が商品の個別ピックに回ります。それぞれが個別ピックしてきたものを出荷場まで持ってくる。持って来たエリア番号をその注文情報に書いておく。 送り状が印刷できたら まず 注文情報と納品書と送り状を組み合わせて エリア番号を書いている注文情報を見ながら 既に梱包している商品に 送り状と納品書を貼るという流れでした。 今使ってる 6輪台車は当時は一台も無かった。今はあまり使ってない4輪台車数台でやってました。 十数年前はまだそんな方法がベストなやり方だったわけです。一番間違いが少なく 当時出来る 最も効率的なやり方でした。 そこから少しずつ少しずつカイゼンして今に至ってます。 ちなみにローラーに付いて言えば 10年まえどころか 6年前くらいまで 1台も 使ってなかったです。今では考えられないと思います。最近入ったメンバーはローラー無しでどういうふうにやってたんだろう??と不思議なはずだと思います。でも当時の物量と人員と仕組みではその方法がベストだと思ってやってたわけです。 つい先日も延長のローラーを導入しました。また少し便利に効率的になるはずです。 5年後10年後には 2022年当時は まだ あんなやり方だったよなぁ と笑い話に出来る様に日々引き続き改善していきたいものです。

長野県富士見市 カゴメ 野菜生活ファーム 視察

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6月23日・24日と長野県富士見市のカゴメ野菜生活ファーム視察にお招きいただきました。 新大阪合流で新大阪からはカゴメさんがアテンドくださいました。 車中 指定席をご配慮いただいて1席ずつ離れてましたので色々楽でした。 名古屋からの特急しなのは車窓から観える景色が海岸沿いを走る和歌山とは全く違い山間を抜けて川を上流に登っていく光景がヤバかったです。 初日 ホテルに到着してからの懇親会 カゴメさんに限らず 最近 コーポレートサイトやブログを当社の担当の上長にあたる方々にも事前に色々なページを読んで予習してきくださってるパターンが多くなってきてます。そういう意味では関係する方々への情報発信は順調に出来てるように感じた。 ここでも書きますが、取引先のお偉い方々がこの数年で一気に同期や年下になってしまいました。なんと表現したら良いか・・今までは年上の方々へという気遣いを幾分してたのか、一昔前よりそういった部分が無くなり気楽に話できるようになった気がします。どっちにしろ「年をとったな」という話なのですが。 美味しいお料理をたんまり頂き 久しぶりのお酒の席でしたが カゴメさんの様々な気遣いが素晴らしく学べることは多かったです。とても楽しく過ごせました。担当者同士が良い関係を築けてるのもよくわかりました。カゴメさんの話で取引先によって色々ご苦労もあるのがとても理解できた。 新大阪からの同行で懇親会まで一日目からとてもお疲れだったと思います。 翌日 取組会議 まず、改めて関係者揃っての定期的な取組会議は重要だなと感じました。 トマトジュースの本番はこれからなのでしっかり結果を出せると良いと思います。 工場見学 従来の工場見学とは違い VR ARを駆使してのリアル工場見学はまさに今できるベストな工場見学だと体感しました。 使い方にも寄りますが これは応用すると 社内でも色々使い道ありそうな気がしました。 IL FAGGIO(イル・ファッジオ)でのランチ 絶品でした!ピザは遠方からでも食べに行く価値あり!平日でも地元のリピーターが多いのが理解できます。普段の生活でリピートしたくなる施設を地域に提供することの価値は大きいと思いました。 社内で別事業へ手を挙げる方達はイキイキ働けてるんだろうなと感じた。 野菜収穫体験 こちらも久々の野菜収穫。整備されて準備してくれてるからですが、そんな自然

久しぶりの猛暑の予感

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 今週 関東甲信越中心に猛暑です。梅雨前線が北上し観測史上最も早い梅雨明けだそうです。今後 物量も増えますし 体が暑さにそれほどなれてないタイミングで梅雨明けのような暑さが到来します。 睡眠時間をとって お酒は控えめに 適切な水分補給 規則正しい食事など 準備をしっかりしてお仕事に臨んでください。 結婚した直後に 人によって快適な温度って違うなぁと思いました。 当社も30人近くいるので 痩せた方も 太った方もいますし 筋肉量の多い方 少ない方 バイトの方を含めると10代〜60代 と年齢層も違う もちろんやって貰ってる業務内容も違いますので運動量も違います。 世の中の流れは 多様性を受け入れていくということなので ますます人によっての違いを受け入れていくことが職場では必要になるということだと思います。 定期的な水分摂取なども全員一律にのみコントロールするのは難しく 休憩を取るタイミング、疲れるタイミングもやはり違います。 全員で一斉に休憩をとることも継続してしていきますが、一人ひとり 今 自分自身がどう感じてるかは ポジティブに伝えていくことが重要です。 なにはともあれ、暑い夏になってくれるのは嬉しい事です!モノの動きが1割増しになります。

気付きの多い 学びの多い会社

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還暦を迎えて 自分の中で何が変わってきたか 最近良く思うのは 「次の世代に何を残せるんだろう?」という視点で考えることが多くなってきました。恐らく その考えは 同世代のお勤めをされてる方々が引退をするタイミングだからだと思います。 この会社にしてもそうですし 個人的なこと プライベートでも そういう視点で考えることが多くなってきました。 例えば どういった会社を残したいか?という問いには 誤解をされても困りますが、現時点では「気付きの多い 学びの多い そんな会社を残したい」と今は感じてます。もちろん利益が無いと存続できないのが会社ですので適切な利益や、従業員やステークホルダー・地域への還元は当たり前という前提です。 「気付きの多い 学びの多い そんな会社を残したい」それは何処から来てるかと言うと やはり大学での経験からの部分が大きいです。 僕は高校・大学と弓をやってましたが、その7年間で色んな学びや気付きがありました。高校と大学 どちらでの学びが多かったかと聞かれると 圧倒的に大学の4年間です。もちろん 高校から大学へと年齢や経験を重ねる事での気付きや学びの多さはあると思いますが 圧倒的な違いは それだけでは無いだろうなと感じてます。 高校の3年間と 大学の4年間では 目指している目標が全く違ってました。高校のときはのんびり1年生の頃は遊び半分で2年生の秋くらいから本気モードになりましたが、それでも目標はインターハイ出場くらいでした。 一方 大学の4年間は常に日本一を目指す 入部したときからそんな環境に置かれた4年間でした。高い目標を常に目指していたことが全てだと思いますが、その高い目標を目指すことで精神的にも肉体的にもギリギリの負荷がかかった状態で4年間を過ごしました。チクセントミハイのフロー図で言うところのフローから不安ゾーンを常に出たり入ったりしている緊張感の高い状態の毎日でした。 そんな状態に置かれた4年間だったからこそ気づきや学びが多かったんだと思ってます。 会社もそれに例えると誰もがフローな状態、もしくは 経験を積めば不安ゾーンを出たり入ったりしている状態でお仕事ができるという環境が 気づきや学びが多い事業所となるのではないかと考えます。

仕事は順調か?志事は順調か?私事は順調か?

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 社員面談で皆に聞かせてもらう内容なので自分自身も同じ質問に答えてみることにします。 1.仕事は順調ですか? 日々直近の業績を受け止めながら事業ミッション・ビジョンに向けて人・モノ・金をどうしていくか?今年はステークホルダーとのプロジェクトもスタートします。とても楽しみです。 もちろんそれだけではなく 人生初の大きな投資をして 設計・建築・完成・お披露目・稼働・運用 と 現在も 日々経験したことの無い領域の出来事が多く学びが多い。全員が同じ空間で働き始めた事で新たな課題が出たり その効果を出せるような風土づくりを考えたり 経営者としてスタッフ皆が充分力を発揮できる為に何が出来るだろう とか 気付きの多い職場になるために何が出来るか そんな事を考える事が多くなった。 理念に立ち戻る そんな場面も多くなった気がするし しっかり浸透していくために僕が何をどうするのが良いかも考えるシーンが多くなった。 2.志事は順調ですか? 順調に年齢を重ねているが前に向かってるか後退してるか数年経過しないと解らない。 チャレンジの難易度が少しずつ上がってるのでフロー図でいうところの横軸は右の高い方に向かってる気がします。 まだまだだと思いますが、年齢のせいか次の世代にどう残せるかという軸で考えるウエイトが高くなってきたような気がします。 この仕事も社会の課題を解決するわけですが、年齢を重ねたり周りが高齢者が多い状況になってきて気付く社会の大きな課題を解決したいという想いも色いろ出てきます。例えば死ぬまで社会に貢献できる仕組みがあると良いなと思ったり。。でも実際はブレなく中途半端にならないように今はこの仕事 本業に専念しなければ。と思う。そんな日々です。 3.私事は順調ですか? とうとう還暦という想像できなかった領域の年齢になりました。母の介護が今は大きな問題ですが、壊れていく母に向き合う事 これは想像していた以上に心が乱れるので日々修行な気分です。数年後には良い思い出に出来るようにしたいという想いと順送りなのでしっかり努めたいし、母親からの最後の教育だと受け止めてますが苦悩葛藤の毎日。 家内が定期的にこちらに居るのと 子供とも必要なタイミングで連絡とったり 彼は彼で家族を養って生活してる 孫も二人順調に成長してるようなので幸せです。ただ、何もかも上手くいく事は無いので逆に怖いというか不安

勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし。

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6月上旬は高校総体の県予選がありまして 昨日 グループLINEで母校の日高高校 弓道部が男子個人戦のみ優勝で 男女の団体はどちらもダメだったという連絡がありました。県内で勝てるチームにまで仕上がってなかったということだろうと想像できます。 負けるべくして負けたんだろうと思います。 亡くなられた野村監督がよく言われてた言葉に「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし。」という言葉があります。 元々は松浦静山(せいざん)という 長崎県 平戸藩の藩主の言葉だそうです。 勝ったときはどうして勝ったのか不思議な場合もあるが 負けるときは負けるべくして負けている。 勝負は時の運とはいうものの、ひとつだけはっきり言えることがある。 偶然に勝つことはあっても、偶然に負けることはない。 失敗の裏には、必ず落ち度があるはずなのだ。 ビジネスも 同様のことが言えるのかなぁと思ってます。 不思議と好調だよね という事はありますが 不思議と不調だということはない。不調なときは何らかの原因があって不調なのだということ。

法人設立32年

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今日は5月30日 当社は1990年5月30日に法人設立しまして 今日で32年。 1990年、僕は28歳です。田舎に帰ってきて丸三年。結婚して丸一年経過して 友見子はちょうど子供を身籠ったタイミングでした。 前もお話しましたが 法人化は全て当時の社長の父がやってまして 僕も家族に聞いてもあまり記憶がないです。 「社名をどうするか?」は父から相談を受けたのを今でも覚えてます。 いくつか候補があって最終 二人で決めたように覚えてます。 僕自身は法人化する必要性も感じて無く へぇ会社にするんか?という感じでしたが 父親はもっと早く法人化しとけば良かったような話もしてましたので前々から考えてて そのタイミングにしたのかなと思います。 法人化してなかったら よくあるパターンですが、家族経営から脱皮出来てなかったかもしれません。 先日 本社で見つかった書類の中に ナカヱ会 今の文化祭 の芳名帳(ほうめいちょう)を見つけました。 第一回の開催が法人化したその年の11月21日水曜日に開催してました。 今は閉業してますが、白浜の十河(そごう)というホテルで開催し 父親の知り合いのお嬢さんが若女将をされていてとても丁重にお迎えいただいたのを今でも覚えてます。問屋さん4社と メーカー5社くらい来てっもらって開催してました。 その後 6回くらい開催して中断し 再開したのが 2008年でした。 その時の両親の様子を 昨日、初めて妹に聞いたのですが ナカヱ会が再開した時は ホテル ベイ古賀の井で開催したらしく そのときは 両親も参加して 父親が母に着ていく服を新調したり 当日はこういう風に来てくれる方にご挨拶しろよと打ち合わせしていた様子でした。とても再開を喜んでくれていたようです。