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判断の基準

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先週、「損得より先に善悪を考えよう」という話がありました。 社内のルールやマニュアルを守る事も大事ですが それ以前に人として正しいと思うことを その場その場で優先しよう。という判断の基準の話です。 「善悪」の他にも判断の基準がありますよね。 「安全」であったり「健康」であったり その場その場で優先を考えて行動する事が必要です。 他にも「面白いかどうか」という判断の基準もありますね。おもしろ飲料カンパニーを目指す当社にとっては「面白いかどうか」は重要で これについてはどっかでもっと詳しく話したほうが良いと思ってます。 最初の話に戻ると 色々な場面で一昔前よりも より「善悪」の判断のウエイトが高くなってきてる印象もあります。SDGSなんかもそうかなと思います。テレビ番組なんかもそんな流れですね。SNSが普及したりインターネットが進化してくるとより「善悪」の判断が重要になってくる印象です。 「善悪」だけで判断して「損得」を考えないとどうなるか?本来は事業が成り立たなくなるんですが、そうとも言えない時代になりつつあるなぁと感じてます。 「損得」といえば 祖母からよく聞いた「損して得とれ」という言事を思い出しました。子供の頃 直接言われた訳では無いですが 大人の話の中で聞いたのか 祖母が叔父や叔母に言ってたのを聞いたのか 祖母からよく聞いたのを覚えてます。 調べてみると二つ意味があって ・長期的に物事を捉えること ・目先の損失を度外視して将来の利益を確保せよ という意味合いだそうです。 「損得勘定」は重要ですがバランスを間違えないようにしないといけない 大きな判断の基準となることが多いです。

二十数年前にネット販売で頑張ってたお店は・・・

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 ステークホルダーの方々にはよく話をしてる内容ですが、朝会ではまだ話してなかったと思うので 今日は二十数年前にネット販売が世の中に浸透してきていた頃の話です。 ネット販売がスタートした頃 成功店舗と呼ばれていた店舗 まぁまぁ頑張っていた店はどんな店だったか??当時よく言われてたのは 本業がダメな会社でこれを成功させないと数年後には飯が食っていけなくなるような事業者が多かったように思います。退路を経つというその退路も無いような事業者。そんな会社の後継者が中心でやってる会社です。 当社も もちろんこちら側です。 逆に本業が業績良くてまだ余裕のある会社は上手くいかなかったケースが多かったです。 どうしてかを想像すると ・やり方にもよりますがリアルで一定の業績を出せる仕組みがある会社にとってネット販売はやはり当時は面倒だった。 ・本業の良い方に社内のリソースを取られたり優先される。人員や在庫などです。 あと他にも上手くいかなかったケースがありました。 ・大手の会社でパソコンが得意という理由だけでネット販売の立ち上げを任されるケースです。 これは 商売のセンスよりもITリテラシーだけが高いという理由で人選されてるケースです。 しかも権限をあまり持たせてもらえてなく 承認の階層が多いと ネット販売の場合 そのばその場で判断する案件が多くてスピード感をだして店舗運営をすることが出来なかった。 商売は資本力がある会社の方が大体何をやっても有利なんですが、モールは同じ土俵に上がらざるを得ない。従業員数千人居る会社でも一人運営している方でも良くも悪くも同じ土俵で戦わざるを得ない。 この逆で意外と良いパターンとして言われてたのが 経営者の娘が店長として運営しているパターン。 どういうことかというと 娘なんで外にプラプラ出て働いてられるより社内に居て仕事をしてくれたほうが親父も嬉しいのと 娘なので決済権を全て持ってる というのがポイントでした。 息子はどうなんだ?というと 当時は働き盛りの男性後継者がパソコンに一日中向かって仕事してると「何してるんだ??」という見方をされるのも まだまだあった時代でもありました。 ということで色々書きましたが、結局 当時 頑張ってた(結果を出していた)お店は退路の無い店舗だったように思います。

eコマース研究会の立ち上げ時の話

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 先週 3月1日に和歌山市でセミナーを受けてきました。楽天に出店している上野アメ横 小島屋さんのセミナーでした。 コロナ禍で3年間くらい ほとんど全てオンラインでやってましたので懇親会を含めて久しぶりに盛り上がった会となりました。 このセミナーは県が主催で和歌山県eコマース研究会が協力して開催です。 今日は この会の話をします。社外の事なので当時も社内では一部の方しか知らないと思いますので自己開示も含めてお話しします。 この会が正式に立ち上がったのが9年前の 2014年です。僕自身はその前年からチームビルディングを学びに行き始め社内にもその考え方を導入しようと躍起になりながら 社外では 県内でも同業者が集まって学び合えるようなコミュニティーが出来れば良いのにな〜という思いから 県内でそういった会を有志で立ち上げる流れになりました。 年齢も50代に入ったばかりの頃でまだまだ体力もあるし 両親もまだ体調も良く 家族も居なかったので1人でやりたいことが自分の思うタイミングでなんでも出来た頃です。今から思うとそういったタイミングっていうのは ほんの数年だったなと思います。 定期的に勉強会などを開催する任意団体を作ろうとなると 大体問題になるのは 事務局が必要だったり 会費の管理が必要だったり 講師代はともかく セミナーの会場費が必要だったりと 継続していくとなると その会の承継のことであったり 色々面倒なことが出てきます。しかも何年もその会の中心でやっていく事も出来ないわけですし そもそも会にとってもそれって良く無い事なので この会を立ち上げるにしてもネックは事務局と会費をどうするか?が僕の中でも問題でした。 もちろん自分達のやりたいことをやっていくために会費を集めてやる方法もありますし、その方が良い面も多いのは十分承知しているというのは前提です。 当時 和歌山県庁にも何度か交渉に行ったりもしてました。 ちょうど国も よろず支援拠点という中小企業をサポートする組織が全国に出来たのが2014年で タイミングもよく紹介いただいて そこが事務局をやってくれる流れになりました。 そんな流れで 和歌山県 と よろず支援拠点 と 我々の会方向が一致して 立ち上がったわけです。なかなか会員が順調に増えたりというのは当初の目標通りでは無いですが 当初の目的であった 会員事業所の業績向上と 

ブラインドスクエアの体験を踏まえ

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(写真は1年前) 土曜日は久しぶりのブラインドスクエアでした。時間が無かったので中途半端になりましたが、苦手な人が多くてもうちの会社はアクティビティーのメインはこれで行こうと思ってます。 新しい方が入ったタイミング 定期的に必要なタイミングで 必ず実施していきます。 それは仕事に色々置き換えやすいと思ってるからです。 今回 初めて見る側に回った方も居ると思いますが、見る側でも気付きは多いです。実際にやったり 見たりを 繰り返すことで気づきが深まるように思います。 今回の僕自身の振り返りとして少しお話します。 ・ゴールの共有には時間がかかる。日々のお仕事もそこをすっ飛ばして作業や業務はやってもらえるけど最初に共有をしておかないと遠回りになってるんだろうなと思う。 昔、がくちょに言われたことを思い出しました。 ・ほんとに人によって理解度は様々だった。正確に伝わってるかどうかの確認が重要。 ・メンバー全員にゴールのイメージが理解できてる状態は大変ですが ・詳細なプロセスの共有も まず最初にどうするか?の とっかかりがメインだったし仕事でもそういうシーンは多いと思う。 また それはやってみないと問題が見えてこない部分も多い。 ・1人でやったほうが良いことを最初から分業すると大変になることもあるし ・簡単だからと最初1人でやると 1人じゃできなくなる段階で大変になる。 どっちにしても複数人でゴールを目指すと チームで物事をやっていくと どっかの段階で大変なんだな。という事も改めて感じた。 指示系統が現場を体験しないと指示が的確ではなくなるし 指示系統が現場に入るとそれはそれで混沌となっていたように感じた。 他にも全員が喋れてないのは勿体無いなと感じた。 改めて「ブラインドスクエアの体験を踏まえ私達は仕事をする時にこういう風にします」 ・明確なゴールと詳細なプロセスを共有します。 ・強みを生かし 弱みをカバーし、社内の雰囲気づくりを行います。 ・自分の考えを解りやすく伝え、全員が発信できるようにします。 ・人によって理解度は様々です、正確に伝わっているか確認します。 ・自分の仕事はしっかりやりきり、チーム関係なくフォローします。

ChatGPTの登場にワクワクしてます

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 最近流行りのChatGPTの登場が久しぶりにワクワク感があります。AIを身近に手軽に本格体験できる初めてのツール。新たなテクノロジーが生活を変えていくということ 今までもGoogle検索が出た時 Gmailが出た時 iPhoneは少し遅れて Googleマップ登場など その時々でワクワクしたり不思議だったり ちなみに Google 検索が世の中に出てきた時はそれ以前のYahoo!のようにポータルサイトではないのが不思議だったり どうして検索のGoogleがフリーメールの領域に進出したのかも不思議に思いました。 例えば Googleマップは2005年に登場したわけですが 世の中を大きく変えたテクノロジーだったと思います。登場まえはどうだったかというと ・従来は地図情報を入手するには 書籍 地図帳を見なければならなかったです。 ・道案内が簡単になりました。 ・プライバシーの意識が変わった。従来は住所がわかっても一般の人は番地など正確に調べることはほぼ不可能でした。今はストリートビューがあるので家のデザインまでわかってしまいます。 ・地図の精度も向上しました。リアルタイムの渋滞情報もわかる ・ローカルビジネスのプレゼンスを強化することで地域経済の発展も担ってきた。 ・施設情報も提供 「ChatGPT」 もっともっと進化していくと思いますが  登場以前と以降ではまた世の中が色々変わっていくと思うとワクワクします。 ちなみに先ほどのGoogleマップ登場以前のネタはChat GPTから教わった内容です。

インドビジネスミッションで感じたこと

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インドビジネスミッションの話をします。 なぜ行ったかの話は前回しました。 行程全般の報告はメールでしますがほぼ行程表の通りでした。 今回は文化や習慣の違いで感じたことをいくつか話します。 中国は4000年の歴史といいますが、インドはインダス文明といって5000年も歴史があります。 今回行った場所はインダス川流域ではないですが西側のムンバイという都市。 ・とにかくゴミが凄い。到着して2日間くらいはゴミのことばかり考えていました。ゴミの中で暮らしてるような状況。日本人が行くと誰もがまずそう感じるらしいです。だからといって街中が生ゴミで臭かったわけでは無い。同様に公害も酷く日本で言う昭和30年代の高度成長期のような感じでした。収集の仕組みが無いんだろうか?とか インドの方が海外旅行に行った時に逆に綺麗で何も感じないのだろうか?とか ネットが普及して世界の状況も解るようになったのにゴミだらけが変だと思わないのだろうか?とか 逆に 日本は何があってこんな綺麗な街になったのかも気になるようになりました。 ・インドは世界で4番目に自動車の多い国だそうです。中国・アメリカ・日本・インド スズキやトヨタのように日本の車も非常に多かったですし 都心から離れると小さな三輪タクシーも多い。 ・道路交通法や交通ルールが少ないのかルールを守らない クラクションを鳴らす信号は赤でも止まらない。何でもあり。横断歩道ではない道路の横断は待ってたらいつまで経っても渡れない。独特なタイミングでインド人は横断していきます。それに付いていかないと渡れない。 ・食事は インド料理というくらいで 世界にはフランス料理・イタリア料理・中国料理・日本料理など有名な料理がありますが かなり慎重になりましたが 口に合う しかもスパイスって体に良いんだろうなと数日いて感じました。体調がすこぶる良かったです。 他にも・お客様に対しての歓迎は日本のそれより丁寧であったり・仏教の国だからかお年寄りへの敬意は日本より高そうな印象もありました。

モチベーションの源泉 コンプレックス編

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インドビジネスミッション 無事行ってきました。今日はその報告の話をしようと思ってたのですが、刺激が多すぎてまだ頭の中を整理してお話できるほど纏まってません。 まず、なんで今回行こうと思ったのか?の話だけします。 この4・5年 父や母 コロナの事もあってなかなか外に出るのが難しかった事で今まで無いくらい仕事も引き篭もってる事が多く 気持ちも内向きで 更に建築の投資案件もありました。 元々引っ張られないと出ていかないタイプなのでいい機会だと思ったのと、なかなかこういう機会でもないとインドは自分では選ばない ということで母もショートステイを始めたり丁度いいきっかけなので まだまだ動けるうちにと思って参加しました。 今はYou Tubeなどでの疑似体験も出来ますが、機会があれば皆さんも若いうちに色んな海外は実際に行って観といたほうが良いなと改めて思った。  前々回 モチベーションの源泉となってる言葉の話をしました。「嚢中之錐」 「中江も化けるかもしれませんよ」 「東京にもお店を・・」 他にもモチベーションのバネになってる事があります。 それって自分のコンプレックスなのですが。 よくコンプレックスをバネにとも言いますが 子供の頃の話です。クラスや幼馴染に何をしなくても周りに人が集まってくる子って皆さんが子供の頃も周りに居たと思います。 面白かったり スポーツが出来たり 何かが得意だったり。。カッコ良かったり。。常に中心になってる そんな友達が皆さんの周りにも居たと思います。 僕はそういう周りに人が集まってくるタイプではなく(当時はそんな事思ってなかったと思いますが)そんな友達がどこか羨ましかった。 いつの頃からか解らないけど 結果を出すと集まってきてくれる 今考えると 高校の頃 結果を出すと 皆が集まってきてくれた 注目されたという経験が根底にあったのかもしれません。 その頃からだと思うのですが「僕は結果を出さないと皆と同じ土俵には上がれない」と思うようになったんだと思います。 大勢の中に居ても結果を出さないと 結果を出していないと とても居心地が悪い。結果を出してようやく周りの皆と同じ土俵に並べる。結果を出すことが唯一 その場に居れる というような。何かそんなふうになってきたような気がします。 そんなコンプレックスがモチベーションのバネに 明らかになってる気がします。 もち

朝会の話、自分自身 気を付けてるところ

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ゼミで朝会の始まった経緯を話しているのですが、詳しい話はまたゼミで話します。 この朝会、週イチですが 毎週 なかなか朝会開始の直前まで話す内容がまとまりません。 2016年10月くらいからスタートしまして 1年54週ですので約50回くらいとして 6年以上経過してるので300回以上お話を続けています。そんなに日々色んな出来事が起こるわけでもなくプライベートな話ばかりしてもしょうが無いので 毎週 ネタが無い中、絞り出すようにアウトプットしています。 で、この話の内容ですが 自分自身で少し気を付けてることがありまして ①同じ話を何度もしないようにする ②聞いただけの話や本を読んだ話だけするのはやめよう ③極力 体験や気付きに基づいた話にまとめよう 上記①については 子供の頃の体験からきてます。祖父が戦争の話ばかりしてたことの印象が強く 僕の中で「歳を取ると同じ話ばかりする」というイメージが強くて 極力同じ話はしないようにしたい という変な拘りから来てます。 朝会だけではなくいつもどこかで「同じ話をしてないか」は気になってるかもしれません。 ②や③は御理解いただけると思います。 ということで、朝会はこんなことを注意しながら内容を決めてるわけですが、一方で「経営者は同じことを何度も何度も伝えなければならない」という話もよく聞きます。 なので今年から今月の給与明細にその月の朝会で話した内容をまとめてプリントアウトして同封することにしました。 父が長年継続していたナカヱ通信の復活です。 恐らく全員 朝会の内容は すぐに忘れてると思うので もう一度読んでもらってもいいですし ご家族の方に渡して読んでもらってもいいですし すぐに捨ててもらうのもOK。 本日お渡ししてるので確認してください。

モチベーションの源泉 言葉編

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『モチベーションの源泉となってる言葉』誰しもそういった言葉があると思います。 自分のコンプレックスに関わることであったり 想定してなかった周りの発言であったり 家族との会話の中や 何気ない一言が ずーっと自分の中で人生の重要なキーワードになってることってあると思います。 僕の中でもきっと他にも色々あると思うんですが、すぐ思い出す言葉を3つあげるとすると。 1つ目は 前職を退職する時 25歳の3月 35年前の出来事です。 実家に帰ることになって会社に退職願をだして引き継ぎやら送別会やら退職の準備をしてる頃言われた言葉です。。 当時配属の店舗 竹塚東店という店舗だったのですが その時の店長に珍しくランチに誘われてその時 喫茶店で聞いた言葉なのですが「中江さん 退職するということで一つ言葉を贈ります 『嚢中之錐』という言葉です。」って言われました。 恐らく中国のことわざで その時は「大人になるということは こういう事言えるようになるってことなんだな」と感じたのを覚えてます。 袋の中に入ってる錐はいずれ袋を破って出る ということで 改めて検索してみると 「才能ある人は、殊更それを主張しなくても自ずと目立ってくるものであるというたとえ」だそうです。 その時 店長は僕に対して 本心はどういう意味でその言葉を贈ってくれたか解らないですが 心のどこかでこの言葉が今でも気になってます。 2つ目 これも初めて話すと思うのですが 結婚式の時に 当時はバブルの頃 披露宴は取引のあった かどやさん で行ったのですが 当時の取引先メーカーも数名ご招待して行いました。 その披露宴の どの場面だったか覚えてないのですが、家内が唐突に 「頑張って東京に中江商店出しますので!」って言いまして それ聞いた時「え??」って思ったのを覚えてます。言った本人はもう忘れてるようですが これはまだ叶えてあげれてません。 3つ目 これは以前もお話したことある ネットショップを立ち上げた頃 23年くらい前 当時の狭い事務所内で片山さんに ある会話の流れで言われた言葉で「中江も化けるかもしれませんよ!」これも言われたシーンを覚えてます。 こちらももう少し頑張らないと「化けましたね」と言ってくれないと思いますので、頑張ろうと思ってます。

人の応援をするということ

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 宮ノ前ゼミで最近話した 「人は自分のためだけにはそれ程頑張れない」という内容にも繋がりますが。。 15年位前の出来事です。子育ての頃です、読書もそれほど得意ではなく 今から考えると自分が子供の頃の経験と照らし合わせて それでも時代にあったようにしようと思って子育てしましたが、間違ったことも色々したなぁと思ってます。 義理の父が「爺さんを経験するのは初めてだから」みたいな話をしてましたが 誰もが経験するように まさに子育ても初めてで、もちろん社長も十六年くらいやってますが、まぁ初めてのことばかりやってますので解らないことだらけです。 で、当時子供に言ったことで妙に今でも覚えてる事がありましてその話です。 高校に入って確か ブラスバンドをやりだした時 入部した時はまぁ別に良いねと思ってたんですが なんか問題を起こした時だと思うんですが まぁ何きっかけか忘れましたが 「人の応援なんかしてて何が楽しいんだ!」「自分がやらないでどうする」みたいな話をしました。 この「人の応援なんかしてて何が楽しいんだ!」はその言葉を放ってから 妙に自分の中に残ってしまってまして。。 どういうことかというと 部活には 人の応援ばかりしているだけではないでしょうけど 応援団や チアリーディング部 なんかがあってそれはそれで歴史も伝統もあり学びも気づきも多いだろうと思ってます。 当時の楽天のミッションは「日本全国の中小企業をエンパワーメントする」 「応援する」というモノでした。 応援してる会社が上場して今や日本を代表する企業になり 我々応援されてる会社は 未だに零細企業のまま。。 人を応援することは尊い事で 凄い力を発揮できるんだな ということと 「人の応援なんかしてて何が楽しいんだ!」と言い放ったことの妙な矛盾。今でも気になってます。

こういった組織にはしたくないなぁ という話

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こういった組織にはしたくないな という話です。 ・声の大きい人の意見が通る 組織 地域の会合、業界の会合、子育ての頃は子供の関わる会、OB会、いろんな場所でそんなシーンに出会いました。  一般的には声の大きい方って もちろん経験を積んでる方や 年齢の高い方 力のある方 など まぁ概ね間違えた意見を言ってるわけではないのですが、たまに残念なシーンがあって 声が大きいだけで周りも賛成せざるを得ない。。そんな場面も多々ありました。 僕自身も明らかに、お役目的にも もう年齢的にも 会社では 声の大きい人の部類に入ってますので ほんとに気をつけないといけないなぁと思ってます。 ・ミーティングなど話し合いでは 喋る時間を極力 均等にしよう ・違う意見は耳を立てて聞こう ・苦手なところは得意な人に任そう ・素直な心は忘れちゃダメだ ・まず聞く側からスタートしよう。 など色々日々気を付けてますが、残念なことに年齢を重ねると 注意してくれる人 意見を言ってくれる人がまず居なくなります。 だいたい こうはなりたくないと思ってても年取ると必ずそうなってしまうので、そうなったらこの組織に居ない方が良い存在になるんだろうなと思ってます。

2023年 今年の抱負

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 2023年 会社の今期の取り組みは前回のオフサイトでお話しいました。要は 見える化しにくい所をしっかり見える化して、最後の0.5%をやり切る。 僕自身は皆さんに その紙一重を超えていただくための環境を整えたり必要なものを準備したりすることが今年のテーマだと思ってます。 従業員の方々が思う存分やりたい事をやってもらえるようにする。 そのためには (このお正月休みも想定通り母親の様子は進行してますので)会社自体も誰かの都合に引っ張れれないような組織にしていかないと そのためには何が必要かも考えたいと思います。 2023年ということで  12年周期で考えると1999年に楽天に出店してから この夏で12年周期で2周目 24年目となる年です。 10年で考えると2013年のeコマース革命から10年の年。当社が2003年Yahoo!に出店してから20年の年となります。  また10年前、2013年に「チームビルディング」を本格的に導入しました。なんだかんだで10年位注力して来たことになります。今年もコミュニケーションの仕組みをブラッシュアップしていくのと社外とのコミュニケーションの仕組みも見直していく必要を感じてます。 個人的には「61歳になりましたので この年齢のうちに 今のうちに やっといた方がいいようなことを実行」に移したい。 この2・3年 コロナ禍で動くことを後回しにしてきました。 元々動くのが強みの人でもないので更に動かなくなりました。今年は自分自身が まず しっかり動くという取り組みをしたいと思います。

2022年振り返り 後編

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前回は前編ということで年初に自分自身が伝えた事についての振り返りをしました。 今回は2022年この一年の出来事を振り返ります。  ・年初から会計士の吉田先生に入っていただきました。 例年 資金繰りや管理会計の精度 財務会計の精度で気になりつつ過していた案件です。今年は大きな投資の直後ということで精度が曖昧なままですと従来どおりでも不安な点が多かったため プロの方に毎月チェックしていただきながら進めていくことがこれたのと 不明な点 不安な点をその都度解決してこれたのは例年と大きく違ってました。 ・1年間 宮ノ前ベースでお仕事をしたこと。 全員が見える状態でお仕事が出来たことは社長になって初めてでしたので例年とは大きく違ってました。 通勤のルートもそうですが、秋から周辺をウォーキングしてるのですがロケーションも大好きになりました。古屋八幡神社にも毎月1日参拝は皆さんにも付き合っていただきましたし もっとこの土地に馴染みたいと思ってます。 夏は敷地の草刈りも大変でしたし 落葉の季節は掃除が大変です。新芽が出るころから落葉して雪が降る頃まで経験して季節の一巡も味わいました。季節の移り変わりがとても感じられるロケーションだなと改めて感じた一年でした。植栽はなかなか大きくなりませんが大きくなってくると今以上に季節の感じれる場所になってくると思います。  家族会・創業90年で叔父たちを呼んだことも記憶に残る出来事でしたし、横丁も良い感じで定着してきてる気がします。お取引先との商談も以前よりはるかにスムーズになりました。 イベントも開催しましたが 特に家族会は この投資が無かったら出来てないことです。 文化祭・業績報告会も自社で出来るようになりました。今後 その効果もしっかり出てくると思います。 ・母の認知症が進んで介護に多くの部分を費やすことになりました。時間もそうですが思考の部分も比較的多く取られた印象です 直近この二週間ぐらいで更に一気に進行しました。 元々 マルチタスクが得意ではないのでビジネスに集中できる時間が少なかったり 母を一人にできない事や 留守に出来ない事 側に居たほうが良い事等で 制約が多いことで出来なかったことが多かったと思います。 でも「それは丁度いい」という事で マイナス面だけではなくこの機会をプラスに繋げれればいいと考えてます。 ・年間の半分程度 友見子

2022年振り返り(前編)

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少し早いですが今年2022年の振り返りをします。 年明け 最初の朝会で皆さんに何を伝えていたかなぁ??と調べてみると2点お伝えしてました。 1.コミュニケーションの量の拡大 2.従来のやり方を否定していこう なんで2022年 年明けのタイミングでこの2点を伝えたか?は  全員が同じ空間で働き始めてチーム作りはイチからなので まずはチームの発達段階の「コミュニケーションの量の壁を超えるための拡大」と  働く環境が変わったのに何も考えないと従来どおりのやり方を疑問も感じないで続けてしまう事が起こりやすいので この2点をお伝えしました。 1点目のコミュニケーションですが、新たな取り組みもスタートしましたが思う存分出来なかったです。出来なかった理由を考えるのはあまり良くないですが。。 ・まだまだコロナ禍であったこと ・僕自身が充分ではなかった 介護やそれにまつわるところで 退社時間が早すぎたりリモートワークだったり 日々介護に引っ張られました。拠点が増えたことと母の認知が進んだことが大きく影響しました。 今日以降も引き続きコミュニケーション量の拡大は一定程度必要ですので改善点として ・コロナや介護を理由にしないように別の方法も考えていこうと思います。 ・会社組織なので僕の状況や誰かの状況、個人の状況に左右されないで出来る体制も必要です。 2点目 従来のやり方を否定していこう 環境が変化したのに従来のやり方が定着しすぎていて去年の新年にお伝えしたんだと思います。 ・新たな取り組みは色々できたかと思いますし、少しずつ従来どおりにしてて変な所は改善できていった。1年経過してそれ程気にならなくなった所をみると少し出来てきてたのかなと思います。 ・こちらもこれでOKではなく 日々状況は変わってきてますので従来のやり方は定期的に「アレ?これで良いんだっけ?」と問いが必要だと思います。これからも定期的に「従来のやり方は否定していこう」でいきたいなと思ってます。

土曜日 チームビルディング アクティビティー「蜘蛛の巣(スパイダーズ・ウェッブ)」をやりました

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先週の土曜日、満を持してというか「蜘蛛の巣(スパイダーズ・ウェッブ)」をやりました! 難易度の設定に自信なかったり うまく出来るか考えるとなかなか実施できなかったのですが一度やってみないと解らないことも多いのでエイヤーでやってみました。結果、問題もありましたが、このタイミングでやって良かったと思えたアクティビティーでした。 ・チームの発達段階で説明すると  フォーミング 最初みんなが好き勝手にやったりネットに近づいたり一人ひとり練習で穴を通ったり詳細なルールを確認したりルールを超える案を出したり  ストーミング では最後に残る人は誰がいいとかこの穴を残した方がいい 二段目は・・とか 体格でこの穴は誰が良いと言い合ってたシーンです  ノーミング は 一回並んでみますか。。。と誰かが言い始めたタイミングかなと。  トランスフォーミングまでは恐らく行ってませんが 時間的にもラストだぞみたいな声掛けやネットの周りにフォローをする人が多くなってきたタイミングや最後数人が残ったタイミングだったかなと。 ・髪を縛ったり、上着を脱いだりベルトを外したり  ・・なりふり構ってる段階ではクリアできない事が多かった ・多田さんがご自身で役割を変えましたけど、皆がこの役割が最適だと思ってる以外の役割もあったです。 ・フォローしてる方をフォローする人の存在も後半とても重要でした。バックアップのバックアップ的な役割 ・途中ばててきたタイミングでメンバーの入れ替わりも大事だった ・委ねるタイミングは中途半端に委ねると皆んなが大変でした。周りを信頼して身をまかすことの重要性も感じました。 もう一度 ゆっくり自分の中で振り返りをやってみても面白いと思います。