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当事者で参加するほうが面白い

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先週 文化祭を無事終えました。 メンバーの半数くらい通常業務で参加できなかった方が居るので申し訳なかったですが、こういった方向もあるなと思いました。 勤務時間やご家庭の事情で参加が難しい方が一定居る中でどういう方向性が良いのか試行錯誤しながら今後も検討しようと思います。 SORAりんくうにて いわゆるEC文化祭 僕自身の関わり方も当初と比べると良い感じで手が離れていってる印象です。 今後も試行錯誤していくなかでチャレンジしてもらいたいのが以前から一部には伝えてるようにプロジェクトの初期からステークホルダーを巻き込んでいく事。 楽天市場 発表 今はホストが我々 他の参加者はゲストという立ち位置で参加いただいています。 極力多くの方に当事者意識を持って参加いただきたいのと 何かしらお役目があって参加してもらいたい と思ってます。 それは自分の色んな経験から来てて それは恐らく皆さんも一緒だと思います。 例えば10月には各地でお祭りが開催されてますが恐らく誰でもそうだと思います。何もお役目が無くて参加するのと何か役目があって参加するのとでは取り組み方が違うと思います。 楽天と飲料メーカーのトークセッション eコマース研究会を運営していたときもそう。楽天のカンファレンスに参加したときも同様です。登壇したり何かしらお役目があった時のほうが明らかに当事者意識が出ます。 解りやすいのが ブラインドスクエア。 大勢でやった時に何も自分に役割が回ってこないと参加していても自己肯定感が低くなります。 何事もその他大勢側で特にお役目もなく参加するのと 何らかのお役目があって参加するのでは全く意識が違います。 考えてみてください。何かの集まりに声を掛けられて別に自分が参加しても参加しなくても一緒だったら皆さんも考えませんか?「参加どうするかな??」ってなりますよね? 運営側が多いという メリット デメリットはあるのは十分解ってますが 今後も多くの参加者が当事者意識の出る主催者側で面白いと思ってもらえる運営を模索していきたいと思ってます。

アーリーアダプター層のジレンマ

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イノベーター理論のアーリーアダプターにはどういったジレンマが起きるか? 世の中に普及してないタイミングで物事をスタートするというのはどういうことだったか?どんな問題が噴出してたのか?どんな課題が起きたのか? 生成AIに聞いてみると 解りやすい内容は4点ありました。 4点それぞれに1999年頃 eコマースを始めたタイミングと照らし合わせてどうだったかの補足をします。 2000年頃の店舗ページ ・一般的には初期はコストが高くなる  当時はダイヤルアップのネット接続で選択肢も無く高かった。ダイヤルアップ時代は定額とかでは無く通話料もかかってた。 ・製品やサービスが不完全な部分が多く テクノロジーも発展途上  当然ながら当時はインターネットへの接続も今ほど簡単では無かったし業務で使えるスピードでは無かったです。楽天市場もモール自体が不完全。決済まわりもそう。物流もB2Cが今ほど多くなくマイノリティーでした。 ・サポートやエコシステムの不足  ネット通販に最適な販売管理ソフトがまだ世の中に生まれてなかった。決済まわりもいろんなサービスが無かった。 外部委託のようなサービスも無かった。 そもそもトラブルが起きてもネット上に解決策が少なかったりする。自分たちで解決するしかない。 ・ステークホルダーとの温度差  周囲の人々がまだ興味を持ってなかったり理解してなかったりするために共有や協力が得られなかったりする。 今週実施する文化祭もこの4つ目問題点を解決できないかとやり始めました。 今、生成AIを社内で使い倒していこう。業務システムに組み込んでいこう という話をしています。 eコマースを始めた頃と同様 やり遂げようとするとアーリーアダプターのジレンマが起きますよね。

良いスタートは半分終わったのも同然

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先日から生成AIの話を始めて 実際 使ってる話を聞くことが少しづつ僕の耳にも届いてきてます。 今日は「スタートは重要だ」という話をします。 皆さんにお伝えしてる僕でさえ この後数年で どんなゲームチェンジが起きるのか なかなか想像が難しいです。 じゃ、過去はどうだったかというと 1990年代後半に 25年後 こんな展開は想像できなかったです。 (2000年頃 大阪での楽天市場の集まり) eコマースが世の中をどう変えたか?ごく一部分ですが紹介します。 1.今は店舗では商品を見るだけで実際の購入はネットで済ませるようにするような人も多くなってます。重い物はほぼネットでという方も居ます。 2.田舎に居ても都会と同じタイミングで同じ商品が買えます。昔は大阪にブームがくるのも遅れてそこから和歌山にブームが届くのも遅れてた。東京から新幹線に乗って大阪 それから 電車で和歌山まで来ると着てる洋服もブームの遅れ同様 時代遅れな感じがしました。東京で買えるものと田舎で買えるものはリアル店舗しかなかった時代は全く違ってたわけです。 3.昔は手に入らないものは手に入らなかった。今はホントに手に入れたいものはお金さえ出せば全て手に入れれます。そもそもどこに売ってるかさえ田舎にいるとわからなかった。どこに行けば買えるのかも解らなかった時代でした。 25年経過してみると想像してなかったような事が起きました。 どんな変化が起きるかわからないけども注力していく。というのが重要かなと思います。 生成AIに聞くと世界にはスタートの重要性を語るコトワザが色々あるようです。 英語: "Well begun is half done." (良いスタートは半分終わったも同然) ドイツ語: "Frisch gewagt ist halb gewonnen." (思い切って始めれば半分勝ったようなもの) フランス語: "Ce qui est bien commencé est à moitié fait." (良いスタートは半分終わったようなもの) イタリア語: "Chi ben comincia è a metà dell'opera." (良いスタートを切る人は仕事の半分を終わらせたことになる) スペイン語: "

新たなテクノロジーを否定していると・・・

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先週の土曜日、事務所で SOFT BANK WORLD2024の映像を流してました。 (SoftBank world 2024 ページより) 孫さんの講演がほぼ生成A Iの内容だったので少しだけでも興味が出る人が居ると良いなぁと思って流してたんですが、今 公開されている基調講演に宮川社長のものもありました。昨日 日曜日に1時間程度だったのですが、聞いていて非常にわかりやすい内容で、先日から皆さんに伝えていることが 確信に変わった そんな内容でした。 すでに観たよ。 っていう方居ますか? 観た方が良いよ って言われても 行動に移すのは難しいので恐らくこの後 昼休みに観ようとか 帰ってから観よう 帰りの車で聞こう っていう方はほぼ居ないと思いますので一つ その基調講演で最初に話されてた内容を伝えます。 この前のニューヨーク5番街の話に似てるのですが、産業革命が起きたイギリスで 既得権益を保護するために赤旗法というのが1865年に交通規制法として施工されました。自動車の利点を著しく損なってるために30年後 1896年に廃止されるのですが、この間 結果的にはイギリスにおける自動車産業の発達が妨げられ他国に大きく遅れを取ることになったそうです。 公道を蒸気自動車が運行するときは55m前方に赤旗を持って歩く人が歩く速度を守って自動車の接近を知らせるという そういった法律です。 産業革命がイギリスで起きたにも関わらず その後 自動車産業だけにとどまらず 産業で派遣を取ることが無い国になってしまったようです。 企業だけではなく国家も新たなテクノロジーを否定していると 取り返しがつかなくなる という事例です。

サンフランシスコで自動運転タクシーweymo に乗りました!

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 先日の米国研修時 希望者で自動運転タクシーに乗れることになり 珍しくジャンケンで勝って乗ることになりました! フィッシャーマンズワーフ周辺のPIRE39からHilton San Francisco Union Square HOTELまで2.0マイル乗車しましたが、未来感満載! アメリカ全土でも完全自動運転のタクシーを商用利用してるのはサンフランシスコだけだそうで、300台稼働しているようです。日本人観光客だけではなく米国人も物珍しく写真を撮影したり注目してる姿が目立ちました。 まず、後席に3人座ったのですが、シートベルトを全員装着しないとアナウンスがあって運転スタートしません。全員装着した時点でスタートです。 車内には前席のモニターの他に後席向けにプラス1台モニターが設置されてます。そのモニターに表示されてるのは日本でいうナビの画面上に周囲の状況が認識されてる様子が表示されてました。 周辺にいる人や車や動物 バイク・自転車など全て認識して画面に表示させています。お横断歩道を渡る人や歩道を行き交う人、歩道でタクシーを待ってる人、交差点で信号待ちしてる人 など全てを正確に認識しています。その様子が乗車しててもわかるので そのあたりが安心感を増強させてるように感じました。 なんなら少し離れた公園で芝生に寝そべってる人も正確に認識していますし、後方から追い抜いてくるバイクなども正確に認識しています。 BGMも気分が穏やかになれるような音楽をチョイスしててそれも乗車中の安心感に繋がってたのかもしれません。サンフランシスコは人が運転しても怖いような急な坂が多い地形で決して自動運転に向いてる都市とは思えません。10分程度の乗車時間でしたがとても安心して快適に乗車できました。 今回の研修中 タクシーを3種類利用しました。 1.イエロー・キャブ 2.Uber 3.Weymo 偶々かもしれませんが、イエロー・キャブのドライバーよりUberのドライバーの方が楽しそうに仕事をしているように感じましたし、Weymoの運転が一番安心できました。 おそらくUberがタクシー業界を駆逐したように Weymoのような完全自動運転のタクシーがまたUberを駆逐していくのだろうと明確に感じました。

社長になってどんなことをやったのか?その3

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 前回、またお話をしますと言った続きの話です。社長になったタイミングで倉庫と事務所を離れ離れにしました。 宮ノ前ベースが出来て初めて 同じ空間で全員が働けるようになったという話は以前したと思います。 別々の場所でやるにはまだハードルが高かった段階でなぜ倉庫と事務所を離したのか ですが、まだ当時は同じ場所でやらないと困ることが多々ありました。例えば 送り状の発行もそうですし 在庫管理なども完全に出来てなかった状態だったと思います。 (2006年5月頃まで使ってた印南浜西の倉庫内事務所) (2006年5月ころから利用開始の本社事務所への引越し作業) 2拠点でやるにはまだ少し早い段階で分けたのは 僕の中では2点ありました。 1点目は物量が多くなり入出荷が大変になると どうしても全員がそちらに手を取られてしまうことが多くなってきました。もちろん僕自身も仕事のウエイトが物流に取られることが多くなり 本来やらなければいけない業務が手薄になってしまいますし、経営者としての仕事も出来なくなってしまいます。拠点を分けることで 分業した本来それぞれの業務に全員が専念できるという思いがありました。 2点目は 当時のメンバー構成だとどうしても現場の細かい点まで僕自身が全て指示するようになってました。もちろんそれが最善だったわけです。でもこのまま続けていてはイケないなぁとも思ってました。すべての領域を僕が指示してては駄目で せめて倉庫作業も日常業務は責任持ってやってもらえるようにした方が良い。それには一旦 物理的に分けるのが一番効果が高いだろうと考えました。 倉庫と事務所機能を分けたことで 直ぐに解決しないといけないことが明確になって データでやり取りすることもより重要になりましたし、本当の意味で まず倉庫業務が自分達でどうにかしようとする文化も生まれたんじゃないかと思います。 目が行き届かない事で 会社にとってもマイナス面も沢山あったと思いますが、通らないといけない過程だったと思います。 盗難事件があったことでしっかりセキュリティーを高めれる事務所が必要だった事もありますが、当時は分離してしまうことで強引に解決していかないといけないことが噴出する そんな期待が大きかったと思います。

気づきを行動に変えるのは難しい

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先週、「当社は生成AIを使っていく」と朝会で皆さんに伝えて 社内で直ぐに行動に移した方は 1名でした。 気づきを行動に変えるのは一般的には難しいものです。 例えば セミナーに参加して行動に移すのは一般的に10%〜30%くらいだと言われているそうです。しかもフォローアップしても30%くらい。何もフォローがないと10%以下になるらしいです。 こっちに行かないと収入は増えないよ って言われてても人は なかなか人間はそちらに行けない動物なんだなと思います。 セミナーも座学だと特に行動に結びつきにくいようです。チームビルディングが重宝されたのはアクティブな学び方で体験するので終えたあとも実行率が向上するということです。 勉強してしっかり行動に移すと最低でも全体の上位3割には入れる という計算になります。 今回の視察研修。 活かすも殺すも 実際の行動に移せるかどうかです 生成AIを実装してフル活用できるようになるかどうかだと思います。

米国海外研修から帰って 今後取り組む3点

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土曜日 海外研修から帰って来ました。まぁまぁハードでした。 旅行中4時半集合なんていうのもありましたが、流石に4時半は大学の合宿以来だったかなと思います。 (米国視察旅行 Google Mountain Viewにて) この朝会の3分間くらいで真っ先に何をみなさんにお話をしようかな?ということで考えてますが 詳細な報告は直近のチームオフサイトか横丁にてお話します。 早々にやらないといけないことと 時間を掛けてやっていかなければいけないことがありますが 重要な3つ。 ・お客様を見てる マイクロソフト、zoom、zoho 世界の BIG TECHや グローバルなプラットホームとして活躍してる巨大企業が 常にお客様に向きあってるというのは新鮮でした。経営の判断も全て お客様基点で考えてます。 ・働きやすさ  従業員の働く環境を 空間、待遇、環境、働き方 ・3つ目は「AI」今回 研修テーマがAIだったのもありますが、この後の20年はやはりAI 25年前、うちの会社はインターネットを使いこなす事に舵を切ってどうにか消滅することなくやってこれました。同じ時代をインターネットを活用しないで従来と変わりないビジネスをしていた会社はほぼ無くなってしまった。家族で経営していた小売店・卸売業はほぼ消えてしまいました。 当時はネット使って商売をするなんていうのはどうなん?って言われてました。 さて、これからの20年 間違いなく生成AIを使った会社が活躍します。逆に使えない会社は消えていくしか無い。 当社は全員がAIを使うようにします。そうしないと消えるしか無いでしょう。

社長になってから何をやり始めたか?その2

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先週に続いて社長になってから何をやり始めたか?の話をします。 これは皆さん入社する以前のことは知らないので経緯や背景を理解してもらおうと言うことです。 思い出したら ラジオ体操。これも2006年くらいからだったと思います。 それ以前は 事務所自体が狭くそんな事もできませんでした。掃除を朝やるのも本社に移ってから 朝礼ぽい事もそうだと思います。 今の形態に近い朝の一連のルーチンをやり始めたのも社長になってからだったと思います。 一定の環境を確保しないと組織として必要なパフォーマンスや仕組みは作りにくいということもあるなぁと今は言えます。 何度か話をしたと思いますが出荷検品 こちらも2006年以降でした。当時、目視検品でやってたわけですが 出荷間違いが出荷数とともに一定の割合で増えてきて 間違いが出るたびに色んな改善をするんですが 何を実施しても一定の割合で間違いが起こる。そんな背景から導入しました。 導入前は現場から色々反対の意見も多かったですが、 実際に導入したら現場からも喜ばれたのを覚えてます。 当時の利益から言うと大きな投資だったわけです。300万くらいしたんじゃないかと思いますが (2007年当時の倉庫内作業) 現場で渦中にいるとなかなか正確な判断は難しい。 在庫管理をやり始めました。在庫管理を始める以前は 当然ながら在庫管理は出来てなかった。理論上の在庫数も 実在庫数も 持ってなかった。 倉庫にあれば出せるし 無いと出荷できなかった。毎朝 当日の注文をピッキングしたあとに 倉庫で実在庫を見ながら片山さんが注文してくれたわけです。毎朝 倉庫を一周しながらすべての注文をするわけです。 それを 事務所と倉庫が離れてしまったことからデータ上で在庫数が見れないと注文できない状況になってきます。当時の仕組みは壊れることが多くて大変でしたが データ上での在庫管理が出来て 東日本大震災の時に 他社が機能しなかった時にうちの会社は曲がりなりにも機能して業務が回る事になりました。 現場に居ながらしか出来なかった業務がまだまだ多かった段階で現場と事務所を分けた話はまた次回にします。

週休2日について

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今日はお休みの話をします。 子供の頃1960年代や70年代の中江商店は家の玄関がそもそもお店だったこともあったのか小売は ほぼ毎日休みなく営業してた記憶です。その後 少し大きくなる頃には日曜日は普段閉めてた時と 忙しいお盆なんかは営業してたそんな記憶です。 週休二日が世の中に浸透してきたタイミングが1987年の法改正です。 その3年前に社会人になったタイミングで すでに僕の入った会社は正社員は週休二日でした。法改正の前年には準社員やパート勤務の方も週休二日制に移行してたタイミングだったと思います。当時 時給のパート勤務の方々に店長が「全員 週休二日に移行していただく」という話をしていた記憶があります。収入が減ることもあるので説明も簡単じゃなかったと思います。見てて大変そうでした。 金融機関は1989年から、お役所も1992年には完全週休2日となったようです。 学校は それから遅れること10年の2002年から完全週5日制となったようです。 ナカヱはどうだったかというと 世の中の流れがあったので一時期 土曜日は基本午前営業で実務が終わったら終業しましょう。という段階を経て その後 ネット販売のボリュームが増えてきたタイミングで土曜日も営業にして交代で休みましょう。という風になったと思います。 僕が社長になったタイミングでは2006年にはお休みが完全2日になってた記憶です。 その後は大きく変わることも少なく 日曜祝日を休んでいたり その時々の業務内容に合わせて祝日を営業にしたり公休を調整したりです。今後も色々時代に合わせて変わっていくと思います。 自分自身は経営者としてどうかというと営業日で体調が悪くない場合はほぼ出勤してます。世の中の経営者はだいたいそうだと思ってます。毎日出勤することが業績に影響するとは思ってませんし、どちらかというと居ないタイミングがあったほうが会社にとっても良い場合もあるのも一定あるなと思ってます。 62歳になって残念ながら衰えを自覚するシーンも多くなってきました。 長年 営業日は毎日出勤が基本でしたが 変えていこうかなと思ってまして。。 今後は週2日しっかりお休みしようかなと思ってます。

社長になってどんなことをやったのか?その1

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社長になってその時々でどんな事をやったか。そんな話を時系列にします。 2006年に社長交代したんですが、それまでは どういったことを考えてたかというと ネット販売の業績を上げていくことにほぼ注力してたと思います。 今考えると経営者の一人ではあったはずなのに部分最適な思考で まだまだ全体を見れてなかった気がします。父親が僕と話をするのを避けていた印象が強いのもあって 当時は「父(社長)のやってることは任せとけばいいか!」というマインドが強かったのも影響してると思います。 2006年に事務所を移転しまして 社長交代したんですが 引っ越し祝い的なことはしましたが なんら区切りのような事もせずスタートしました。儀式的なものをやるのは苦手でしたし その重要さも一切考えていなかったと思います。今思うと一定 儀式的な事はやる必要もやる意味もあったと思います。 記憶がハッキリしてないのですが、労務士の先生に入っていただいて給料計算や就業規則を整備していきました。どうしてこの辺りを早いうちに取り掛かったのかは 専門的な知識が必要で従業員から質問されたときに答えられないことや解らないことがあると困るからです。 労務関係についても会社の代表として責任は社長になりますが専門的なことは何も勉強してなくて知らないから僕がやるのは無理とすぐ判断できました。 逆に父親は我流でどうにかやってたと思います。 慎重さの強みからか 父親のようなやり方は僕には無理でした。 その後、スタッフ全員でのミーティングをやりはじめました。これも社長になる前にやっても良かったのに そんな空間も無かったからか社長になってからやり始めたことです。 月に1回程度 全員集まって実施したと思います。 (2006年当時の本社オフィス) 2006年から事務所と倉庫が別々になった事で 余計に全員で話し合う その必要性が出てきたタイミングだったかもしれません。 ・各持ち場で何が起きてるかの共有 ・自分の見えてることは皆にも知ってもらったほうが良い スタッフ皆にgoogleアカウントを発行してメールアドレスを作ったのもそんなタイミングだったと思います。 もちろん ネット販売の業績を上げていくことについての全てを自分で背負いながら 経営者のやらないと行けない仕事を並行してやってたイメージです。 当時、どんなところから経営者としての情報を得て

子育ての頃どんなことを意識していたのか?の話

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前々回 出店25年で25年前の話をしました。 先日ちょうど30年前の写真を見つけたので 今日は30年前の話をしようと思います。 30年前に何があったかというと 世界リゾート博がありました。 和歌山マリーナシティーで 1994年に開催された。 (1994年7月23日世界リゾート博に会社でメンバーと共に) 僕がまだ32歳の頃です。 30年前の何の話をしようかと思ったのですが、子どもと一緒に写ってるので 子育ての頃 どんなだったか?そんな話をしようかと思います。 今ほどネットとかSNSで子育てに関する情報を得れるわけではないので、考え方や判断の軸は 『自分自身がどう育てられたか。。』と言うのが大きく影響してたかなと思います。 正確に言うと『自分自身がどう育てられてたと感じていたか』です。 僕より一つ上に第一子の姉がいて出生して直ぐに亡くなった事で 両親や家族も余計大事に育てられたように思ってます。それが影響されてるように思います。 ・過保護にはならないようにしよう。 小売の商売をしてたのでそれはよく見てた。休みがなかったので仕事以外で家族で出掛けた記憶も数回なんですが、少ないのでより印象的に残ってます。 数少ない旅行でもきちんと楽しく行けるようにしよう。 ・ほかにも自分自身の経験で良かったなと思ったことは子供にもしてやろうと思ってましたし、経験できなかったことで残念だったなと思ったことは子供にも極力経験させた方がいいなと思ってました。 ・自転車に乗れるようになったのが僕はクラスの中で遅かったので、子供にはちょっと早いかなという頃に練習しました。 ・僕は水泳が得意じゃなかったので子供には水泳は習わせるようにしよう。であったり ・掛け算のおもちゃを取引先にプレゼントしてもらったおかげで算数が好きになりました。 そんなことから人よりも何事も少しスタートが早い方が何をやっても楽しいと思ったので 子供には気になることは少し早くさせようと思ってそうしました。 ただ、子供って色んな人が関わっていくし親の影響力もあるかもしれませんが 周りの方や環境からの影響も大きいので 想像してたほど親の影響って少なかったんだろうなと今は思ってます。しかも、子供といっても全く別人格なのも子育てをしていて理解できました。 今は小さい頃から子ども自身がネットから色んな情報をインプット出来る時代なので 更に複

期待値を超えたサービス Apple

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先週 楽天出店25年だったので 25年前の話をしました。 7月 月単位でみると 1年で最大の繁忙期を終えました。週単位で見ると今週や 9月初週も高い数値を出しますが、月単位では先月が過去と比較しても金額面では最高となりました。 早速振り返りしていただいてるCSチームの内容も見ました。大きな実績をつくるのはやっぱり大変だったのが判ります。非常にご苦労されてたし 他のチームもそうだと思います。 その中でクレームの案件、対応も多かったようです。酷いクレームには 理不尽なクレームも多いわけですが、一般的に言うとお客様が期待されていた期待値より低いと評価が低く、期待値より高いと感動してもらったりリピーターになってもらえたりします。言ってしまえば、すべてのお仕事が相手の期待値より高いか低いかとなります。 それこそ25年前は注文した商品が届いただけで感動してもらえました。ネットで注文したらその商品が届いた!といって感動してくれたわけです。ネット通販の期待値がとても低かった時代です。 先週 僕自身が経験した期待値より低かったケースと高かったケースがありましたので紹介します。だいたい普段は期待値どおりで大きく超えることも大きく下回ることも無いのですが先週はありました。 期待値より低かったのは 吉野家 御坊店。定期的に牛丼が食べたくなるので2・3ヶ月に一度は吉野家を利用してます。 その日の対応はドライブスルーだったのですが バイトの女の子だったと思います。車を注文の定位置に停めても何も反応もない。しばらく待っても一切反応がない状態で 試しに注文してみると聞こえてるわけです。 とにかく最後までマニュアル通りにやらない娘で・・家庭かその日のバイトでイライラすることがあったんでしょ。不機嫌を巻き散らかしてました。「いらっしゃいませ」 「ありがとうございました」は結局最後まで 言わなかったです。久しぶりにとても嫌な気持ちになりました。 次は期待値より高かった話。 こちらはAppleのサービスです。 僕は2009年にiPhone3GSを購入してからAppleの信者で Macbook、iPad、Apple Watch、AirTags とApple製品を色々愛用してるのですが、製品自体に感動することは多いですが サービスにはそもそもの期待値も高いのもあってそれほど感動した記憶もありません。 最近 使

楽天出店25年

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7月30日出店ですので 明日で楽天に出店して25年 当時は開店した日が出店日となってましたので それ以前から商品登録やら開店準備を進めていて 事前に 7月30日(金)大安の日を開店日にしたということです。 1999年はどんな時代だったかと言うと僕自身は37歳。 上記写真のメッセージに書いてくれてるように ・Docomoのiモードがスタートし ・ソニーの初代aiboが発売した年です。 初日のご注文件数が2件 当店の担当ECCの片岡さんと 家内の友人の2件だったわけです。 記憶はハッキリしませんが想定よりは少なかったですがその後もコンスタントに売上は増えていったと思います。 2年目に年商4000万くらいになってましたので 1年後には1ヶ月約300万位の売上だったようです。 当時一つのお取引先で300万買ってくれるところはそう無かったので、このあたりから注力していったのはそういうことだったと思います。 また 2000年だったか覚えてませんが、父親から言われて 僕自身 インターネットにより注力する体制を取り始めたのもそういう経緯だったと思います。 1999年6月28日の記事ですが  「インターネット白書'99」によると、'99年2月末時点での日本のインターネット人口は1,508万4,600人。また、「インターネットを利用している人が一人はいる世帯」は20.27%となり、国内の5世帯に1世帯にインターネットが浸透したとしている。 ケータイの通話料がまだまだ高い時代で 冒頭のiモードが出たときは画期的でした。ケータイを初めて持ったときはKDDIのだったと思うのですが、たしか僕もこのタイミングでDocomoに乗り換えたと思います。 ちなみにiPhoneが出たときにはSoftBankに乗り換えました。 iモード用のいろんなサービスが世の中に色々登場してた時代で一つ記憶に残ってる話があってパソコンのメールをフィルタリングして定型の必要な部分だけiモード用のメールに転送するサービスを見つけて 楽天の注文をケータイに飛ばす設定をしてました。 メールをすべて転送するとパケット量が多くなりケータイ代が高くなるので 注文メールのみ しかも定型の必要な部分(注文品と数量・金額)のみを転送してました。 当時 青年会議所のイベントに日高川の筏下りというイベントがありまして2000年だ

「性弱説」という考え方

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 直近 ・厳しく出来ない時代になって誰も気づいてても注意しない そんな時代になりました。 ・セルフマネジメント出来ないとだめよね、でも 何よりも自分の管理が一番大変で自己管理は難易度が高い。ヒトは何度も催促されないと出来ないし 締め切りを設定されないと仕上げれない 2024年も後半に入りました。今期の取り組みでまだまだやり残してる一つに「ポンコツでもやり切れる仕組み造り」があります。 これは自分自身の体験から来てるという話は以前しました。 世の中にも既にこんな考え方があるんじゃないか?ということで色々調べてたらありました。 「性弱説」という考え方です。勉強不足で知らなかったのですが 性善説・性悪説っていうのはご存知な方は多いと思います。 性善説は人は生まれつき善の性質を持ってるという前提で物事を進めていく考え方。 性悪説は人は生まれつきにして悪という性質を持ってるという前提で物事を進めていく考え方です。 「性弱説」は 人は善であるが元来弱いものである 弱いから時に 怠けてしまったり 間違えたり 不義理をしたり 人を傷つけたりする。 性弱説で仕組みを考えよう という考え方。既に世の中にありました。