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米国海外研修から帰って 今後取り組む3点

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土曜日 海外研修から帰って来ました。まぁまぁハードでした。 旅行中4時半集合なんていうのもありましたが、流石に4時半は大学の合宿以来だったかなと思います。 (米国視察旅行 Google Mountain Viewにて) この朝会の3分間くらいで真っ先に何をみなさんにお話をしようかな?ということで考えてますが 詳細な報告は直近のチームオフサイトか横丁にてお話します。 早々にやらないといけないことと 時間を掛けてやっていかなければいけないことがありますが 重要な3つ。 ・お客様を見てる マイクロソフト、zoom、zoho 世界の BIG TECHや グローバルなプラットホームとして活躍してる巨大企業が 常にお客様に向きあってるというのは新鮮でした。経営の判断も全て お客様基点で考えてます。 ・働きやすさ  従業員の働く環境を 空間、待遇、環境、働き方 ・3つ目は「AI」今回 研修テーマがAIだったのもありますが、この後の20年はやはりAI 25年前、うちの会社はインターネットを使いこなす事に舵を切ってどうにか消滅することなくやってこれました。同じ時代をインターネットを活用しないで従来と変わりないビジネスをしていた会社はほぼ無くなってしまった。家族で経営していた小売店・卸売業はほぼ消えてしまいました。 当時はネット使って商売をするなんていうのはどうなん?って言われてました。 さて、これからの20年 間違いなく生成AIを使った会社が活躍します。逆に使えない会社は消えていくしか無い。 当社は全員がAIを使うようにします。そうしないと消えるしか無いでしょう。

社長になってから何をやり始めたか?その2

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先週に続いて社長になってから何をやり始めたか?の話をします。 これは皆さん入社する以前のことは知らないので経緯や背景を理解してもらおうと言うことです。 思い出したら ラジオ体操。これも2006年くらいからだったと思います。 それ以前は 事務所自体が狭くそんな事もできませんでした。掃除を朝やるのも本社に移ってから 朝礼ぽい事もそうだと思います。 今の形態に近い朝の一連のルーチンをやり始めたのも社長になってからだったと思います。 一定の環境を確保しないと組織として必要なパフォーマンスや仕組みは作りにくいということもあるなぁと今は言えます。 何度か話をしたと思いますが出荷検品 こちらも2006年以降でした。当時、目視検品でやってたわけですが 出荷間違いが出荷数とともに一定の割合で増えてきて 間違いが出るたびに色んな改善をするんですが 何を実施しても一定の割合で間違いが起こる。そんな背景から導入しました。 導入前は現場から色々反対の意見も多かったですが、 実際に導入したら現場からも喜ばれたのを覚えてます。 当時の利益から言うと大きな投資だったわけです。300万くらいしたんじゃないかと思いますが (2007年当時の倉庫内作業) 現場で渦中にいるとなかなか正確な判断は難しい。 在庫管理をやり始めました。在庫管理を始める以前は 当然ながら在庫管理は出来てなかった。理論上の在庫数も 実在庫数も 持ってなかった。 倉庫にあれば出せるし 無いと出荷できなかった。毎朝 当日の注文をピッキングしたあとに 倉庫で実在庫を見ながら片山さんが注文してくれたわけです。毎朝 倉庫を一周しながらすべての注文をするわけです。 それを 事務所と倉庫が離れてしまったことからデータ上で在庫数が見れないと注文できない状況になってきます。当時の仕組みは壊れることが多くて大変でしたが データ上での在庫管理が出来て 東日本大震災の時に 他社が機能しなかった時にうちの会社は曲がりなりにも機能して業務が回る事になりました。 現場に居ながらしか出来なかった業務がまだまだ多かった段階で現場と事務所を分けた話はまた次回にします。

週休2日について

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今日はお休みの話をします。 子供の頃1960年代や70年代の中江商店は家の玄関がそもそもお店だったこともあったのか小売は ほぼ毎日休みなく営業してた記憶です。その後 少し大きくなる頃には日曜日は普段閉めてた時と 忙しいお盆なんかは営業してたそんな記憶です。 週休二日が世の中に浸透してきたタイミングが1987年の法改正です。 その3年前に社会人になったタイミングで すでに僕の入った会社は正社員は週休二日でした。法改正の前年には準社員やパート勤務の方も週休二日制に移行してたタイミングだったと思います。当時 時給のパート勤務の方々に店長が「全員 週休二日に移行していただく」という話をしていた記憶があります。収入が減ることもあるので説明も簡単じゃなかったと思います。見てて大変そうでした。 金融機関は1989年から、お役所も1992年には完全週休2日となったようです。 学校は それから遅れること10年の2002年から完全週5日制となったようです。 ナカヱはどうだったかというと 世の中の流れがあったので一時期 土曜日は基本午前営業で実務が終わったら終業しましょう。という段階を経て その後 ネット販売のボリュームが増えてきたタイミングで土曜日も営業にして交代で休みましょう。という風になったと思います。 僕が社長になったタイミングでは2006年にはお休みが完全2日になってた記憶です。 その後は大きく変わることも少なく 日曜祝日を休んでいたり その時々の業務内容に合わせて祝日を営業にしたり公休を調整したりです。今後も色々時代に合わせて変わっていくと思います。 自分自身は経営者としてどうかというと営業日で体調が悪くない場合はほぼ出勤してます。世の中の経営者はだいたいそうだと思ってます。毎日出勤することが業績に影響するとは思ってませんし、どちらかというと居ないタイミングがあったほうが会社にとっても良い場合もあるのも一定あるなと思ってます。 62歳になって残念ながら衰えを自覚するシーンも多くなってきました。 長年 営業日は毎日出勤が基本でしたが 変えていこうかなと思ってまして。。 今後は週2日しっかりお休みしようかなと思ってます。

社長になってどんなことをやったのか?その1

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社長になってその時々でどんな事をやったか。そんな話を時系列にします。 2006年に社長交代したんですが、それまでは どういったことを考えてたかというと ネット販売の業績を上げていくことにほぼ注力してたと思います。 今考えると経営者の一人ではあったはずなのに部分最適な思考で まだまだ全体を見れてなかった気がします。父親が僕と話をするのを避けていた印象が強いのもあって 当時は「父(社長)のやってることは任せとけばいいか!」というマインドが強かったのも影響してると思います。 2006年に事務所を移転しまして 社長交代したんですが 引っ越し祝い的なことはしましたが なんら区切りのような事もせずスタートしました。儀式的なものをやるのは苦手でしたし その重要さも一切考えていなかったと思います。今思うと一定 儀式的な事はやる必要もやる意味もあったと思います。 記憶がハッキリしてないのですが、労務士の先生に入っていただいて給料計算や就業規則を整備していきました。どうしてこの辺りを早いうちに取り掛かったのかは 専門的な知識が必要で従業員から質問されたときに答えられないことや解らないことがあると困るからです。 労務関係についても会社の代表として責任は社長になりますが専門的なことは何も勉強してなくて知らないから僕がやるのは無理とすぐ判断できました。 逆に父親は我流でどうにかやってたと思います。 慎重さの強みからか 父親のようなやり方は僕には無理でした。 その後、スタッフ全員でのミーティングをやりはじめました。これも社長になる前にやっても良かったのに そんな空間も無かったからか社長になってからやり始めたことです。 月に1回程度 全員集まって実施したと思います。 (2006年当時の本社オフィス) 2006年から事務所と倉庫が別々になった事で 余計に全員で話し合う その必要性が出てきたタイミングだったかもしれません。 ・各持ち場で何が起きてるかの共有 ・自分の見えてることは皆にも知ってもらったほうが良い スタッフ皆にgoogleアカウントを発行してメールアドレスを作ったのもそんなタイミングだったと思います。 もちろん ネット販売の業績を上げていくことについての全てを自分で背負いながら 経営者のやらないと行けない仕事を並行してやってたイメージです。 当時、どんなところから経営者としての情報を得て

子育ての頃どんなことを意識していたのか?の話

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前々回 出店25年で25年前の話をしました。 先日ちょうど30年前の写真を見つけたので 今日は30年前の話をしようと思います。 30年前に何があったかというと 世界リゾート博がありました。 和歌山マリーナシティーで 1994年に開催された。 (1994年7月23日世界リゾート博に会社でメンバーと共に) 僕がまだ32歳の頃です。 30年前の何の話をしようかと思ったのですが、子どもと一緒に写ってるので 子育ての頃 どんなだったか?そんな話をしようかと思います。 今ほどネットとかSNSで子育てに関する情報を得れるわけではないので、考え方や判断の軸は 『自分自身がどう育てられたか。。』と言うのが大きく影響してたかなと思います。 正確に言うと『自分自身がどう育てられてたと感じていたか』です。 僕より一つ上に第一子の姉がいて出生して直ぐに亡くなった事で 両親や家族も余計大事に育てられたように思ってます。それが影響されてるように思います。 ・過保護にはならないようにしよう。 小売の商売をしてたのでそれはよく見てた。休みがなかったので仕事以外で家族で出掛けた記憶も数回なんですが、少ないのでより印象的に残ってます。 数少ない旅行でもきちんと楽しく行けるようにしよう。 ・ほかにも自分自身の経験で良かったなと思ったことは子供にもしてやろうと思ってましたし、経験できなかったことで残念だったなと思ったことは子供にも極力経験させた方がいいなと思ってました。 ・自転車に乗れるようになったのが僕はクラスの中で遅かったので、子供にはちょっと早いかなという頃に練習しました。 ・僕は水泳が得意じゃなかったので子供には水泳は習わせるようにしよう。であったり ・掛け算のおもちゃを取引先にプレゼントしてもらったおかげで算数が好きになりました。 そんなことから人よりも何事も少しスタートが早い方が何をやっても楽しいと思ったので 子供には気になることは少し早くさせようと思ってそうしました。 ただ、子供って色んな人が関わっていくし親の影響力もあるかもしれませんが 周りの方や環境からの影響も大きいので 想像してたほど親の影響って少なかったんだろうなと今は思ってます。しかも、子供といっても全く別人格なのも子育てをしていて理解できました。 今は小さい頃から子ども自身がネットから色んな情報をインプット出来る時代なので 更に複

期待値を超えたサービス Apple

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先週 楽天出店25年だったので 25年前の話をしました。 7月 月単位でみると 1年で最大の繁忙期を終えました。週単位で見ると今週や 9月初週も高い数値を出しますが、月単位では先月が過去と比較しても金額面では最高となりました。 早速振り返りしていただいてるCSチームの内容も見ました。大きな実績をつくるのはやっぱり大変だったのが判ります。非常にご苦労されてたし 他のチームもそうだと思います。 その中でクレームの案件、対応も多かったようです。酷いクレームには 理不尽なクレームも多いわけですが、一般的に言うとお客様が期待されていた期待値より低いと評価が低く、期待値より高いと感動してもらったりリピーターになってもらえたりします。言ってしまえば、すべてのお仕事が相手の期待値より高いか低いかとなります。 それこそ25年前は注文した商品が届いただけで感動してもらえました。ネットで注文したらその商品が届いた!といって感動してくれたわけです。ネット通販の期待値がとても低かった時代です。 先週 僕自身が経験した期待値より低かったケースと高かったケースがありましたので紹介します。だいたい普段は期待値どおりで大きく超えることも大きく下回ることも無いのですが先週はありました。 期待値より低かったのは 吉野家 御坊店。定期的に牛丼が食べたくなるので2・3ヶ月に一度は吉野家を利用してます。 その日の対応はドライブスルーだったのですが バイトの女の子だったと思います。車を注文の定位置に停めても何も反応もない。しばらく待っても一切反応がない状態で 試しに注文してみると聞こえてるわけです。 とにかく最後までマニュアル通りにやらない娘で・・家庭かその日のバイトでイライラすることがあったんでしょ。不機嫌を巻き散らかしてました。「いらっしゃいませ」 「ありがとうございました」は結局最後まで 言わなかったです。久しぶりにとても嫌な気持ちになりました。 次は期待値より高かった話。 こちらはAppleのサービスです。 僕は2009年にiPhone3GSを購入してからAppleの信者で Macbook、iPad、Apple Watch、AirTags とApple製品を色々愛用してるのですが、製品自体に感動することは多いですが サービスにはそもそもの期待値も高いのもあってそれほど感動した記憶もありません。 最近 使

楽天出店25年

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7月30日出店ですので 明日で楽天に出店して25年 当時は開店した日が出店日となってましたので それ以前から商品登録やら開店準備を進めていて 事前に 7月30日(金)大安の日を開店日にしたということです。 1999年はどんな時代だったかと言うと僕自身は37歳。 上記写真のメッセージに書いてくれてるように ・Docomoのiモードがスタートし ・ソニーの初代aiboが発売した年です。 初日のご注文件数が2件 当店の担当ECCの片岡さんと 家内の友人の2件だったわけです。 記憶はハッキリしませんが想定よりは少なかったですがその後もコンスタントに売上は増えていったと思います。 2年目に年商4000万くらいになってましたので 1年後には1ヶ月約300万位の売上だったようです。 当時一つのお取引先で300万買ってくれるところはそう無かったので、このあたりから注力していったのはそういうことだったと思います。 また 2000年だったか覚えてませんが、父親から言われて 僕自身 インターネットにより注力する体制を取り始めたのもそういう経緯だったと思います。 1999年6月28日の記事ですが  「インターネット白書'99」によると、'99年2月末時点での日本のインターネット人口は1,508万4,600人。また、「インターネットを利用している人が一人はいる世帯」は20.27%となり、国内の5世帯に1世帯にインターネットが浸透したとしている。 ケータイの通話料がまだまだ高い時代で 冒頭のiモードが出たときは画期的でした。ケータイを初めて持ったときはKDDIのだったと思うのですが、たしか僕もこのタイミングでDocomoに乗り換えたと思います。 ちなみにiPhoneが出たときにはSoftBankに乗り換えました。 iモード用のいろんなサービスが世の中に色々登場してた時代で一つ記憶に残ってる話があってパソコンのメールをフィルタリングして定型の必要な部分だけiモード用のメールに転送するサービスを見つけて 楽天の注文をケータイに飛ばす設定をしてました。 メールをすべて転送するとパケット量が多くなりケータイ代が高くなるので 注文メールのみ しかも定型の必要な部分(注文品と数量・金額)のみを転送してました。 当時 青年会議所のイベントに日高川の筏下りというイベントがありまして2000年だ

「性弱説」という考え方

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 直近 ・厳しく出来ない時代になって誰も気づいてても注意しない そんな時代になりました。 ・セルフマネジメント出来ないとだめよね、でも 何よりも自分の管理が一番大変で自己管理は難易度が高い。ヒトは何度も催促されないと出来ないし 締め切りを設定されないと仕上げれない 2024年も後半に入りました。今期の取り組みでまだまだやり残してる一つに「ポンコツでもやり切れる仕組み造り」があります。 これは自分自身の体験から来てるという話は以前しました。 世の中にも既にこんな考え方があるんじゃないか?ということで色々調べてたらありました。 「性弱説」という考え方です。勉強不足で知らなかったのですが 性善説・性悪説っていうのはご存知な方は多いと思います。 性善説は人は生まれつき善の性質を持ってるという前提で物事を進めていく考え方。 性悪説は人は生まれつきにして悪という性質を持ってるという前提で物事を進めていく考え方です。 「性弱説」は 人は善であるが元来弱いものである 弱いから時に 怠けてしまったり 間違えたり 不義理をしたり 人を傷つけたりする。 性弱説で仕組みを考えよう という考え方。既に世の中にありました。

自己制御的要素

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今朝 玄関出たら蝉が鳴き始めまてました。この季節 大好きです! 先週、「指導する側が厳しく出来ない時代になった。酷だけれども自分で厳しくするしか無い。気づいても誰も何も言わない時代になった。」という話でした。 会社の業績は個人の能力の合計とチームワークの良さで決まると思っていて その掛け算かなと想像してます。。。で、チームワークの良さに関して言うと当社は色々取り組んでます。今日のシャッフルランチにしてもそうです。 では、個人の能力って言うけど 「能力」って何?って検索したら 平成15年に内閣府が発表した「人間力戦略研究会報告書」によれば、人間力を構成するのは「知的能力要素」「対人関係力要素」「自己制御的要素」の3つと言われているそうです。 知的能力要素・・普段の実務によって高められる 対人関係力要素・・コミュニケーションの仕組みでサポート 自己制御的要素・・セルフコントロール セルフマネジメント この辺りは社内でも取り組み出来てない部分かなと思ってます。 今年の2月の朝会で話した内容で・・ 学童保育に行くと宿題はやってくる 何よりも自分の管理が一番大変で自己管理は難易度が高い。ヒトは催促されないと出来ないし 締め切りを設定されないと仕上げれない。そんな話もしました。 冒頭の先週の話 酷だけれども自分で厳しくするしか無いけど 自己管理が何よりも難しい。なんか色々つながってます。

気が付いても誰も何も言ってくれないし助言してくれない時代

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最近 長年僕の中でモヤモヤしてたことが 一つ腹落ちした事があるので今日はその話をします。 実は このモヤモヤは もう数年続いてました。 何かというと  リーダー陣とやり取りしている中で彼らが 上司の立場として部下に注意できてない なかなか指導できてない という問題です。同様に同僚同士でもなかなか気がついたことを言えないということです。 心理的安全性の高い職場を目指す と言いながら 何も言えないという問題です。 もちろん作業手順の明らかな間違いとかは指摘したり注意出来るんですが、ちょっと言いにくいことは 言わない。 それほど多いわけではないですが 「それ注意したら良いのに」とか「あのまま他の会社に行ったときに恥ずかしいよ」みたいなケースもやはりあります。それでも誰も注意できない。 インターネットの出現で「権威でコントロールできなくなってきた」という話を以前しました。答えがスマホの中にある事で 世の中がフラットになってきました。 先生と生徒・先生と親・会社では上司と部下・家庭でも親と子・スポーツの世界だと監督と選手・医者と患者・映画監督とスタッフや演者・プロと素人 昔は知識に大きな差があったので上下関係が出来て厳しく言えていたのが 知識に価値が無くなって来たので 良くも悪くも平等にフラットになってきました。 で、このフラットになったことでこの数年で何が起きてるか。。。 少し前に「社長になると誰も助言してくれなくなる」という話をしましたが 世の中がフラットになったことで 現実は 若くても誰も何も助言しない そんな世の中になってるようです。 職場では上司が部下に対しても何も言わない。家庭でもそうです。親が子供に対して厳しいことを何も言わなくなってきた。 ただ、僕達の時代はどうだったかと言うと 厳しい先輩が居て職場で中途半端なことをやってたり 態度が悪いと誰かしらに注意されてきた。指導されてきた。 家庭や学校や 人生どこかのタイミングで厳しい環境があったからセルフマネジメント出来なくてもどうにかなった時代です。厳しくされることで一定のラインまで世の中が引き上げてくれた時代です。 今は時代がホワイトになりすぎて 職場や学校でも厳しい環境が無くなってしまった。ちょっと厳しいとブラックと呼ばれかねない。 昔は妙な態度や間違った行動をすると誰かしら注意をしてくれました。ある最低ライン

経営が好きな経営者はほぼ居ない

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今日から7月 例年通りですと一年で一番 売上があがる月となります。 よく普段から言ってますが 僕は寒いのが苦手でどちらかというと暑いほうが好きなのですが、一番業績が上がる月なので昔から7月は大好きな季節です。梅雨明け 蝉が鳴き始めるタイミングは何とも言えないです。 「好き」といえば 経営が好きな経営者はほぼ居ない と良く言われてますが確かにそのとおりだなぁと先日改めて思いました。 土曜日午後 現場の実務MTGをやりました。各現場からの課題や問題 情報共有の場ということで試しに数回実施して そもそも必要かどうか 頻度はどの程度か?参加者は誰が適任か?きめていく予定なのですが、僕自身は 久しぶりに楽しいMTGでした。 現場で何が起きてるのか?どう感じてるのか?の内容で 「具体」か「抽象」かでいうと具体的な案件が多いMTGでした。 普段やってる事業戦略室のミーティングになると 概ね抽象度が上がって どういう会社にしていくか?いい会社とは?貢献度の高い社員とは?自律したメンバーを育成していくには?のような正解が解りづらい案件が増えてきます。もちろん そればかりじゃないにしろそういった案件が増えてくきます。 私に限らず どの経営者でも多くの経営者は 仕事を始めた頃は現場をやってて それが得意で業績を上げてきて 業績が良いおかげで だんだん人が増えてきて 得意だった現場を人に任せなくちゃいけなくなってきて 得意でも無いマネジメントや経営の仕事をやってるわけです。。 土曜日は父親の七回忌でした。もう6年になります。父親が商売を頑張ってなかったら僕自身も経営者にはなってなかったと思います。 経営が好きな経営者はほぼ居ないと言いますし 実際 僕自身もそうですが、経営者をやることで非常にいい経験をさせてもらってます。父のおかげでもありますし 皆さんが働いてくれているお陰でもあります。 土曜日は 久しぶりに現場の案件のミーティング とても楽しかったです。

自力では解決できない問題を箱に入れておける力

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朝会のお題が 「直近の1週間の気になるニュースについて思うこと」なので 大谷選手のニュースです。 大谷翔平選手・・23号 今日時点で打率と打点でトップになってます。 随分前のニュースですが 大谷翔平選手の通訳 水原一平さんの 違法賭博事件 がありました。 この時の為末さんの長文が面白かったので一部抜粋して紹介します。 長文ファンの皆様おはようございます。 昨日友人と大谷選手の話になったので、彼が心理的に大変な状況でなぜあれほど活躍できているのかをスポーツの世界の理論で説明してみます。とは言っても、それ世界レベルで実行しているのは、想像もできないほど難しいはずですが。 メンタルが強いと良く言いますが、具体的には「自力では解決できない問題を箱に入れておける力」だと考えられます。そのためには分割と、一旦置いておく、ことが必要になります。まずよく知られているストア派の哲学から引用します。 「コントロールできないことではなく、コントロールできることに注意を向けよ」 世の中にはコントロールできないこととできることが存在するとストア派は考えます。他人、過去、天気はコントロールできないし、自分が病になることや、寿命もコントロールはできない。 コントロールできないことについていくら考えても、結果はコントロール不可能なので、意味がありません。 この朝会でも何度か話をした コントロールできることに集中して コントロールできないことに執着しない という話や イマココ の話(良かった過去や悪かった過去に引きづられない 未来の事を心配したり 不安に思ったりするより今に全力で臨みましょう。)という話をしましたが、大体 普通の人は コントロール出来ないことに執着したり 失敗した過去や 未来の不安の事を考えてしまって 日々悩むことも多かったり 全力で力を発揮したり出来なかったりします。 メンタルが強いとは「自力では解決できない問題を箱に入れておける力」 ホントに上手い言い回しです。 僕自身も 箱に入れておけなく余計なことを考えて眠りが浅かったりする日もあったりします。

年に2回の懇親会を終えて

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土曜日はお疲れ様でした! 久しぶりに 外で飲むのは旅行以来だったのかなと。。 今は年に2回 全員対象に公式で懇親会をやる事になってるので こういうのも仕組み化出来ると毎回考えるコストが減ってとても良い コミュニケーションの仕組みは改めて良い仕組みだなと思います。年に2回で足りない状況になってきたら頻度を変えるなり別の仕組みを追加するなりのチューニングをしていけば良い。仕組み化出来てるのはとても良いことだなぁと思います。 先週は会食が珍しく3回も入って 疎遠になってたヒトと一気にまた親しくなれました。 一緒に食事をすることの破壊力は改めて凄いなと感じます。 3回のうちの1回が高校の後輩と顧問の3人 今年 久しぶりに男子がインターハイに出場出来る事になって 当時の懐かしい話で盛り上がったりしたわけなんですが、全国大会に出れたチームと出れなかったチームの違い 上手く言語化出来てるわけではないですが・・・ ・部員同士 とても仲が良かった ・色んな意見が出てノリよくやってた お仕事も同様 そんなチームが勝ち残っていけるように思います。 一丸となって繁忙期を乗り越えて行きたいと思います。よろしくお願いします。

100人いれば100通りのリーダーシップ

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 先週 6月のスーパーセールがスタートして1週間の出荷量が先週はかなり多い週でした。「自分の仕事はしっかりやりきりチーム関係なくフォローします。」他チーム応援の部分はしっかりできたように思います。 今日は僕自身のリーダーシップのスタイルについてです。 PM理論でいうと4つに分かれたりしますが、そのスタイルは10に分類したり6に分類したり切り口によって様々に語られています。またその時時によってスタイルを使い分けるような部分も多い。 一人ひとり全く違う 100人リーダーが居れば100通りのリーダーシップがあるように、皆さん一人一人もリーダーシップのスタイルが違うと思ってます。 周りの方から見てどう見えてるかは良くわからないし、なかなかフィードバックを貰えるわけでもないのでなんとも言えないのですが、数か月前に 大学の百周年式典があった話をしたと思うのですが その時に 大学時代の自分について 40年ぶりにフィードバックを貰ったのがありました。 2年下の後輩から「中江さんあの当時は鬼の形相でしたよ」とシミジミ言われた。4年生の夏合宿やリーグ戦前の話だったと思います。「鬼の形相」って なかなか使わない表現です。 小泉首相の頃 貴乃花が武蔵丸に勝って鬼の形相と言われてたのが記憶に残ってますが いわゆる闘志を剥き出しにしてたんだと思います。 精神的にも追い込まれて体調にも影響が出てたので チクセントミハイのフロー図でいうと 間違いなく常に不安ゾーンで 能力以上のチャレンジをやらせてもらってたんだと思います。 置かれていた立場とその時の状況と戦力をみて実際大変な状況でした。 今でも覚えてるのですが 4年になった時に信頼できる方に相談に行ったんです。「キャプテンに任命されてどういったリーダーシップを取ればいいですか?」と質問したら「それは中江 独裁しか無いだろ」って言われたのが今でも鮮明に記憶に残ってます。 そんなリーダシップを取りませんでしたが。。 先週、久しぶりに倉庫の応援に僕の行きました。率先してリーダーシップをとることで 皆が協力しやすくなるだろうと そんなふうにも考えて 倉庫応援行ったんですが、直近の腰痛がさらに酷くなってしまいました。無理しなければよかったな・・と今は感じてます。

山菜膳の会に参加させていただきました

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 土曜日から長野県の栂池高原に来てました。東邦大学 名誉教授の薬学博士 二階堂先生の山菜膳の会に参加させていただきました。 初日の夕食前に山菜についての基本的な説明をいただきました。 山谷に自生し食用にする植物の総称で一部 海浜に自生する食用植物も含むようです。 平地の土手や畦道に自生し食用とされるものを野草として区別されている。 で、この食用とされる「野草」の中で 食味、栄養、育てやすさ などを長い年月かけて品種改良されたものが「野菜」 食味や栽培法がうまくいかず「野菜」にならなかったものが「山菜」 栄養価は「野菜」よりも高いが 灰汁があることで 動物には食べられないですが 料理にも手間がかかる。 そんな話を伺いました。 長い年月かけてサプライチェーンに乗った「野菜」ではなく 色んな理由で乗らなかった「山菜」です。 経済性や味 栄養素など 野草の中で この数十年で出来た境界の上位が「野菜」だとしたら その境界の下位が「山菜」で 数十年より以前はもしかしたら 境界なく食べてたものかもしれません。 我々のビジネスはどうか 飲料で大量生産されて大量消費しているもの 大量消費してもらうためにサプライチェーンの一部分としてお客様にその価値を提供しています。 飲料業界としてこの数十年で出来たサプライチェーンに乗った 多くの人たちが飲む「市販の飲料」というのを扱ってます。それ以前は 野草でいう 野菜や山菜の区別なく 大量消費のために創られたモノではなく 地域にある独自のモノを飲んでいたのかもしれません。