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親炙してる先輩

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 以前話をした「親炙と私淑」で言うと「親炙」に当たる話です。 親炙:直接接しながら感化を受けていく学び方 私淑:会ったことがない人物を師と定め、その言動から学ぶ方法 金毘羅さん 奥社周辺より GWの終盤に休みを貰って香川に行ってきました。まぁまぁ遠いのですが、何をしに行ったのかというと大学の先輩に会いに行ってきました。77歳で 僕よりも16歳上の大先輩です。学生時代は一切関わったことが無い先輩なんですが 2005年位に初めてお会いしたと思います。その後 定期的に会いに行ってます。 昔 スタッフと高松のアウトレットシューズさん経由から岡山のアマノフーズに行ったときも夜 僕はその先輩と会って飲みました。 今回は9年ぶりだったわけですが。。 色んな件を毎回相談に行ってるわけなんです。 今回 香川に行ったその後も頻繁にやり取りしてまして 夜 先輩から電話があると家内から「恋人から電話よ」っていって茶化されます。 非常に思慮深い方で 軸がブレない なおかつ柔軟な思考をされる方です。 話をしてるととても勉強になる。 世代が違っても同じ話題でああでもないこうでもないと言い合えるのは良いもんです。 その先輩から色々教わってますが全くまだまだ身につきません。 僕自身はどちらかというと根回しもなく正論をブチかましがちになるんですが だいたい上手くいきません。その辺が非常に苦手なんだと思います。 まだまだ勉強しないといけないと毎回感じてます。

仕組みやルール・マニュアルはその時の状況に合わせてアップデートしよう

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 何回か前の朝会で「判断の基準」の話をしました。ルールやマニュアルを守ることも大事ですが それ以前に人として正しいと思うことを優先したほうが良いという話でした。 今日も似たような話ですが、先日から倉庫にハエがたくさん出てくる季節になってます。フォークリフトや台車で踏んで潰すと更に掃除しにくくなるので大変です。実際に掃除をやってみると割とたくさん倉庫内にありました。 聞いてみると倉庫の掃除の仕組みが以前の名田の頃からの仕組みを採用していてエリア毎に順番にやるので なかなかそのエリアの順番が回ってこないという事でした。 そもそも掃除の目的は 衛生面の向上・環境美化・安全性向上なので これはどんな事が起きているかと考えると ・まず現状の仕組みでは掃除の目的を達成できていないということ ・ルールやマニュアル通りに日々やってるだけでは目的は達成しないということもある ・日々 気になっていて気がついていても自らなかなかマニュアル以外の行動は出来ないということ そんな事が現場で起きているんだろうなと考えます。 2つ言えるとしたら ・ルールやマニュアルはその時の状況に合わせてアップデートしていかないとだめだ。 ・ルールやマニュアルは絶対ではない。そのばその場で対応しないと目的は達成できない。 これ(倉庫の掃除)って見えやすい案件だから例にあがりましたけど こういった事って至るところで起きてると思います。 状況が変化しているのに仕組みが従来のまま。 ルールや仕組みが目的と合っていない。 ルールやマニュアルに縛られているだけで考えない組織。 お互い気をつけましょう。

御坊青年会議所での30代の頃の話

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このネットの商売にも繋がるキッカケになった30代の頃の話をします。 青年会議所という団体がありまして、当時 僕も所属してました。ご存知ないと思いますが、全国というか世界的な組織で この御坊日高郡にも御坊青年会議所というのが 今から55年前からあるわけなんです。年に数回地方紙に活動が掲載される程度なので存在を知らない方が多いと思います。 県内にも各地域に現在7つあります。僕らの頃は串本地区にもあったので少し減ったかもしれません。 この組織は40歳になると卒業で僕も10年近く所属してたと思います。入会は結婚した翌年1990年 28歳の時です。きっかけは当時 石橋石油の社長さんにご紹介いただきました。 社会貢献の団体ですが、その活動を通じて色んな事を学んだり学生時代とは違う友人ができたり。 当時は色んな面で大変でしたが 今になって思うと入会させていただいて良かったなと思います。 活動は基本 月に委員会や例会 理事会 があってなんだかんだで週一程度仕事終わりに参加出席するような活動頻度でした。 同世代の経営者同士が集まってる中 社会に出ると色んな方が居るなぁと思いました。元気のいい方 や 羽振りの良い人 お金の使い方の綺麗な人 や 弁の立つ人 付き合いのとても良い方 人を巻き込んでいくのが上手な方 面倒見の良い方 色んなリーダーシップの形も勉強になりました。 頻繁に会合がありましたので そんな同世代の社会人の色んな違いを感じる僕にとっては数少ない機会だったと思います。 組織の中の色んな役割や組織づくり 議事や会議の進行、イベントやプロジェクトの進め方 なども学んだように思います。 学校に行っていた時の勉強ができる優秀な人 やスポーツで優秀な人 とはまた違う 社会に出て組織の中でリーダーシップを発揮して仲間の中で信頼を得て中心になっていく人が居るわけです。 社会に出てからの優秀さとはどういう事なんだろう?と自分の中で考える機会が多かったように思います。  そんな色んな学びもありましたが 飲んだり食べたりも頻繁にあって 当時の僕の安いお給料で小遣いも少ない中 使えるお金はほとんどそちらに消えてました。随分家内にも迷惑かけたと思います。そんな感じなので どちらかというと会員の中でも貧乏で付き合いの悪い部類だったと思います。 詳しい話はすっ飛ばしますが、そんな通常でも活動が多い中 

業務に熱中してた頃の話

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次のお題が「熱中してた話」ということなので僕は「熱中してた頃の話」をします。 その時々で色々熱中してた頃があるんですが、お仕事で言えば 現場のお仕事をやってる頃が何と言っても熱中していたかなと思い出します。。 社長業も熱中しないとイケないんでしょうけど現場の事を最前線で色々やってたときが面白かったという意味で当時の話をします。 出店してから2004年くらいまでが MAXだったかもしれません。30代後半から40代。調べてみると楽天がプロ野球に参入したのが2004年です。 ・一つは自分で全部出来る 分業をしないでも全て指示できる頃だったとおもいます。 ・認知されていない市場で商売をやってる というワクワク感もありました。 ・先陣が居なかった。 楽天の集まりが年に数度その頃もあったと思うんですが 行くときはワクワクして参加していた記憶があります。 業務をどう効率化するか?というのもスタートしたばかりで今と比べると当時は幼稚な仕組みでした。なので効率化のポイントも膨大にある。 仕組みにしろ先陣が居ないので何もかも自分達で作らないといけない。 しかも一つ手を打てば大きな効果もある メールも今ほど埋もれてしまう時代では無かったので メールでアクションを起こしてもお客様からの反応もとてもある。 一つ当たるとそれまでの商売では考えられないくらい売れた。 そんな熱中してた頃がありまして その次にくるのが2005年くらいからグラフを見ても解るように売上が跳ねてます。3億の壁を超えて問題が噴出してくる時代に入ります。

二十数年前にネット販売で頑張ってたお店は・・・

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 ステークホルダーの方々にはよく話をしてる内容ですが、朝会ではまだ話してなかったと思うので 今日は二十数年前にネット販売が世の中に浸透してきていた頃の話です。 ネット販売がスタートした頃 成功店舗と呼ばれていた店舗 まぁまぁ頑張っていた店はどんな店だったか??当時よく言われてたのは 本業がダメな会社でこれを成功させないと数年後には飯が食っていけなくなるような事業者が多かったように思います。退路を経つというその退路も無いような事業者。そんな会社の後継者が中心でやってる会社です。 当社も もちろんこちら側です。 逆に本業が業績良くてまだ余裕のある会社は上手くいかなかったケースが多かったです。 どうしてかを想像すると ・やり方にもよりますがリアルで一定の業績を出せる仕組みがある会社にとってネット販売はやはり当時は面倒だった。 ・本業の良い方に社内のリソースを取られたり優先される。人員や在庫などです。 あと他にも上手くいかなかったケースがありました。 ・大手の会社でパソコンが得意という理由だけでネット販売の立ち上げを任されるケースです。 これは 商売のセンスよりもITリテラシーだけが高いという理由で人選されてるケースです。 しかも権限をあまり持たせてもらえてなく 承認の階層が多いと ネット販売の場合 そのばその場で判断する案件が多くてスピード感をだして店舗運営をすることが出来なかった。 商売は資本力がある会社の方が大体何をやっても有利なんですが、モールは同じ土俵に上がらざるを得ない。従業員数千人居る会社でも一人運営している方でも良くも悪くも同じ土俵で戦わざるを得ない。 この逆で意外と良いパターンとして言われてたのが 経営者の娘が店長として運営しているパターン。 どういうことかというと 娘なんで外にプラプラ出て働いてられるより社内に居て仕事をしてくれたほうが親父も嬉しいのと 娘なので決済権を全て持ってる というのがポイントでした。 息子はどうなんだ?というと 当時は働き盛りの男性後継者がパソコンに一日中向かって仕事してると「何してるんだ??」という見方をされるのも まだまだあった時代でもありました。 ということで色々書きましたが、結局 当時 頑張ってた(結果を出していた)お店は退路の無い店舗だったように思います。

ブラインドスクエアの体験を踏まえ

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(写真は1年前) 土曜日は久しぶりのブラインドスクエアでした。時間が無かったので中途半端になりましたが、苦手な人が多くてもうちの会社はアクティビティーのメインはこれで行こうと思ってます。 新しい方が入ったタイミング 定期的に必要なタイミングで 必ず実施していきます。 それは仕事に色々置き換えやすいと思ってるからです。 今回 初めて見る側に回った方も居ると思いますが、見る側でも気付きは多いです。実際にやったり 見たりを 繰り返すことで気づきが深まるように思います。 今回の僕自身の振り返りとして少しお話します。 ・ゴールの共有には時間がかかる。日々のお仕事もそこをすっ飛ばして作業や業務はやってもらえるけど最初に共有をしておかないと遠回りになってるんだろうなと思う。 昔、がくちょに言われたことを思い出しました。 ・ほんとに人によって理解度は様々だった。正確に伝わってるかどうかの確認が重要。 ・メンバー全員にゴールのイメージが理解できてる状態は大変ですが ・詳細なプロセスの共有も まず最初にどうするか?の とっかかりがメインだったし仕事でもそういうシーンは多いと思う。 また それはやってみないと問題が見えてこない部分も多い。 ・1人でやったほうが良いことを最初から分業すると大変になることもあるし ・簡単だからと最初1人でやると 1人じゃできなくなる段階で大変になる。 どっちにしても複数人でゴールを目指すと チームで物事をやっていくと どっかの段階で大変なんだな。という事も改めて感じた。 指示系統が現場を体験しないと指示が的確ではなくなるし 指示系統が現場に入るとそれはそれで混沌となっていたように感じた。 他にも全員が喋れてないのは勿体無いなと感じた。 改めて「ブラインドスクエアの体験を踏まえ私達は仕事をする時にこういう風にします」 ・明確なゴールと詳細なプロセスを共有します。 ・強みを生かし 弱みをカバーし、社内の雰囲気づくりを行います。 ・自分の考えを解りやすく伝え、全員が発信できるようにします。 ・人によって理解度は様々です、正確に伝わっているか確認します。 ・自分の仕事はしっかりやりきり、チーム関係なくフォローします。

インドビジネスミッションで感じたこと

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インドビジネスミッションの話をします。 なぜ行ったかの話は前回しました。 行程全般の報告はメールでしますがほぼ行程表の通りでした。 今回は文化や習慣の違いで感じたことをいくつか話します。 中国は4000年の歴史といいますが、インドはインダス文明といって5000年も歴史があります。 今回行った場所はインダス川流域ではないですが西側のムンバイという都市。 ・とにかくゴミが凄い。到着して2日間くらいはゴミのことばかり考えていました。ゴミの中で暮らしてるような状況。日本人が行くと誰もがまずそう感じるらしいです。だからといって街中が生ゴミで臭かったわけでは無い。同様に公害も酷く日本で言う昭和30年代の高度成長期のような感じでした。収集の仕組みが無いんだろうか?とか インドの方が海外旅行に行った時に逆に綺麗で何も感じないのだろうか?とか ネットが普及して世界の状況も解るようになったのにゴミだらけが変だと思わないのだろうか?とか 逆に 日本は何があってこんな綺麗な街になったのかも気になるようになりました。 ・インドは世界で4番目に自動車の多い国だそうです。中国・アメリカ・日本・インド スズキやトヨタのように日本の車も非常に多かったですし 都心から離れると小さな三輪タクシーも多い。 ・道路交通法や交通ルールが少ないのかルールを守らない クラクションを鳴らす信号は赤でも止まらない。何でもあり。横断歩道ではない道路の横断は待ってたらいつまで経っても渡れない。独特なタイミングでインド人は横断していきます。それに付いていかないと渡れない。 ・食事は インド料理というくらいで 世界にはフランス料理・イタリア料理・中国料理・日本料理など有名な料理がありますが かなり慎重になりましたが 口に合う しかもスパイスって体に良いんだろうなと数日いて感じました。体調がすこぶる良かったです。 他にも・お客様に対しての歓迎は日本のそれより丁寧であったり・仏教の国だからかお年寄りへの敬意は日本より高そうな印象もありました。

モチベーションの源泉 コンプレックス編

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インドビジネスミッション 無事行ってきました。今日はその報告の話をしようと思ってたのですが、刺激が多すぎてまだ頭の中を整理してお話できるほど纏まってません。 まず、なんで今回行こうと思ったのか?の話だけします。 この4・5年 父や母 コロナの事もあってなかなか外に出るのが難しかった事で今まで無いくらい仕事も引き篭もってる事が多く 気持ちも内向きで 更に建築の投資案件もありました。 元々引っ張られないと出ていかないタイプなのでいい機会だと思ったのと、なかなかこういう機会でもないとインドは自分では選ばない ということで母もショートステイを始めたり丁度いいきっかけなので まだまだ動けるうちにと思って参加しました。 今はYou Tubeなどでの疑似体験も出来ますが、機会があれば皆さんも若いうちに色んな海外は実際に行って観といたほうが良いなと改めて思った。  前々回 モチベーションの源泉となってる言葉の話をしました。「嚢中之錐」 「中江も化けるかもしれませんよ」 「東京にもお店を・・」 他にもモチベーションのバネになってる事があります。 それって自分のコンプレックスなのですが。 よくコンプレックスをバネにとも言いますが 子供の頃の話です。クラスや幼馴染に何をしなくても周りに人が集まってくる子って皆さんが子供の頃も周りに居たと思います。 面白かったり スポーツが出来たり 何かが得意だったり。。カッコ良かったり。。常に中心になってる そんな友達が皆さんの周りにも居たと思います。 僕はそういう周りに人が集まってくるタイプではなく(当時はそんな事思ってなかったと思いますが)そんな友達がどこか羨ましかった。 いつの頃からか解らないけど 結果を出すと集まってきてくれる 今考えると 高校の頃 結果を出すと 皆が集まってきてくれた 注目されたという経験が根底にあったのかもしれません。 その頃からだと思うのですが「僕は結果を出さないと皆と同じ土俵には上がれない」と思うようになったんだと思います。 大勢の中に居ても結果を出さないと 結果を出していないと とても居心地が悪い。結果を出してようやく周りの皆と同じ土俵に並べる。結果を出すことが唯一 その場に居れる というような。何かそんなふうになってきたような気がします。 そんなコンプレックスがモチベーションのバネに 明らかになってる気がします。 もち

モチベーションの源泉 言葉編

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『モチベーションの源泉となってる言葉』誰しもそういった言葉があると思います。 自分のコンプレックスに関わることであったり 想定してなかった周りの発言であったり 家族との会話の中や 何気ない一言が ずーっと自分の中で人生の重要なキーワードになってることってあると思います。 僕の中でもきっと他にも色々あると思うんですが、すぐ思い出す言葉を3つあげるとすると。 1つ目は 前職を退職する時 25歳の3月 35年前の出来事です。 実家に帰ることになって会社に退職願をだして引き継ぎやら送別会やら退職の準備をしてる頃言われた言葉です。。 当時配属の店舗 竹塚東店という店舗だったのですが その時の店長に珍しくランチに誘われてその時 喫茶店で聞いた言葉なのですが「中江さん 退職するということで一つ言葉を贈ります 『嚢中之錐』という言葉です。」って言われました。 恐らく中国のことわざで その時は「大人になるということは こういう事言えるようになるってことなんだな」と感じたのを覚えてます。 袋の中に入ってる錐はいずれ袋を破って出る ということで 改めて検索してみると 「才能ある人は、殊更それを主張しなくても自ずと目立ってくるものであるというたとえ」だそうです。 その時 店長は僕に対して 本心はどういう意味でその言葉を贈ってくれたか解らないですが 心のどこかでこの言葉が今でも気になってます。 2つ目 これも初めて話すと思うのですが 結婚式の時に 当時はバブルの頃 披露宴は取引のあった かどやさん で行ったのですが 当時の取引先メーカーも数名ご招待して行いました。 その披露宴の どの場面だったか覚えてないのですが、家内が唐突に 「頑張って東京に中江商店出しますので!」って言いまして それ聞いた時「え??」って思ったのを覚えてます。言った本人はもう忘れてるようですが これはまだ叶えてあげれてません。 3つ目 これは以前もお話したことある ネットショップを立ち上げた頃 23年くらい前 当時の狭い事務所内で片山さんに ある会話の流れで言われた言葉で「中江も化けるかもしれませんよ!」これも言われたシーンを覚えてます。 こちらももう少し頑張らないと「化けましたね」と言ってくれないと思いますので、頑張ろうと思ってます。

人の応援をするということ

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 宮ノ前ゼミで最近話した 「人は自分のためだけにはそれ程頑張れない」という内容にも繋がりますが。。 15年位前の出来事です。子育ての頃です、読書もそれほど得意ではなく 今から考えると自分が子供の頃の経験と照らし合わせて それでも時代にあったようにしようと思って子育てしましたが、間違ったことも色々したなぁと思ってます。 義理の父が「爺さんを経験するのは初めてだから」みたいな話をしてましたが 誰もが経験するように まさに子育ても初めてで、もちろん社長も十六年くらいやってますが、まぁ初めてのことばかりやってますので解らないことだらけです。 で、当時子供に言ったことで妙に今でも覚えてる事がありましてその話です。 高校に入って確か ブラスバンドをやりだした時 入部した時はまぁ別に良いねと思ってたんですが なんか問題を起こした時だと思うんですが まぁ何きっかけか忘れましたが 「人の応援なんかしてて何が楽しいんだ!」「自分がやらないでどうする」みたいな話をしました。 この「人の応援なんかしてて何が楽しいんだ!」はその言葉を放ってから 妙に自分の中に残ってしまってまして。。 どういうことかというと 部活には 人の応援ばかりしているだけではないでしょうけど 応援団や チアリーディング部 なんかがあってそれはそれで歴史も伝統もあり学びも気づきも多いだろうと思ってます。 当時の楽天のミッションは「日本全国の中小企業をエンパワーメントする」 「応援する」というモノでした。 応援してる会社が上場して今や日本を代表する会社になり 応援されてる会社は 未だに零細企業のまま。。 人を応援することは尊い事で 凄い力を発揮できるんだな ということと 「人の応援なんかしてて何が楽しいんだ!」と言い放ったことの妙な矛盾。今でも気になってます。

2022年振り返り 後編

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前回は前編ということで年初に自分自身が伝えた事についての振り返りをしました。 今回は2022年この一年の出来事を振り返ります。  ・年初から会計士の吉田先生に入っていただきました。 例年 資金繰りや管理会計の精度 財務会計の精度で気になりつつ過していた案件です。今年は大きな投資の直後ということで精度が曖昧なままですと従来どおりでも不安な点が多かったため プロの方に毎月チェックしていただきながら進めていくことがこれたのと 不明な点 不安な点をその都度解決してこれたのは例年と大きく違ってました。 ・1年間 宮ノ前ベースでお仕事をしたこと。 全員が見える状態でお仕事が出来たことは社長になって初めてでしたので例年とは大きく違ってました。 通勤のルートもそうですが、秋から周辺をウォーキングしてるのですがロケーションも大好きになりました。古屋八幡神社にも毎月1日参拝は皆さんにも付き合っていただきましたし もっとこの土地に馴染みたいと思ってます。 夏は敷地の草刈りも大変でしたし 落葉の季節は掃除が大変です。新芽が出るころから落葉して雪が降る頃まで経験して季節の一巡も味わいました。季節の移り変わりがとても感じられるロケーションだなと改めて感じた一年でした。植栽はなかなか大きくなりませんが大きくなってくると今以上に季節の感じれる場所になってくると思います。  家族会・創業90年で叔父たちを呼んだことも記憶に残る出来事でしたし、横丁も良い感じで定着してきてる気がします。お取引先との商談も以前よりはるかにスムーズになりました。 イベントも開催しましたが 特に家族会は この投資が無かったら出来てないことです。 文化祭・業績報告会も自社で出来るようになりました。今後 その効果もしっかり出てくると思います。 ・母の認知症が進んで介護に多くの部分を費やすことになりました。時間もそうですが思考の部分も比較的多く取られた印象です 直近この二週間ぐらいで更に一気に進行しました。 元々 マルチタスクが得意ではないのでビジネスに集中できる時間が少なかったり 母を一人にできない事や 留守に出来ない事 側に居たほうが良い事等で 制約が多いことで出来なかったことが多かったと思います。 でも「それは丁度いい」という事で マイナス面だけではなくこの機会をプラスに繋げれればいいと考えてます。 ・年間の半分程度 友見子

2022年振り返り(前編)

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少し早いですが今年2022年の振り返りをします。 年明け 最初の朝会で皆さんに何を伝えていたかなぁ??と調べてみると2点お伝えしてました。 1.コミュニケーションの量の拡大 2.従来のやり方を否定していこう なんで2022年 年明けのタイミングでこの2点を伝えたか?は  全員が同じ空間で働き始めてチーム作りはイチからなので まずはチームの発達段階の「コミュニケーションの量の壁を超えるための拡大」と  働く環境が変わったのに何も考えないと従来どおりのやり方を疑問も感じないで続けてしまう事が起こりやすいので この2点をお伝えしました。 1点目のコミュニケーションですが、新たな取り組みもスタートしましたが思う存分出来なかったです。出来なかった理由を考えるのはあまり良くないですが。。 ・まだまだコロナ禍であったこと ・僕自身が充分ではなかった 介護やそれにまつわるところで 退社時間が早すぎたりリモートワークだったり 日々介護に引っ張られました。拠点が増えたことと母の認知が進んだことが大きく影響しました。 今日以降も引き続きコミュニケーション量の拡大は一定程度必要ですので改善点として ・コロナや介護を理由にしないように別の方法も考えていこうと思います。 ・会社組織なので僕の状況や誰かの状況、個人の状況に左右されないで出来る体制も必要です。 2点目 従来のやり方を否定していこう 環境が変化したのに従来のやり方が定着しすぎていて去年の新年にお伝えしたんだと思います。 ・新たな取り組みは色々できたかと思いますし、少しずつ従来どおりにしてて変な所は改善できていった。1年経過してそれ程気にならなくなった所をみると少し出来てきてたのかなと思います。 ・こちらもこれでOKではなく 日々状況は変わってきてますので従来のやり方は定期的に「アレ?これで良いんだっけ?」と問いが必要だと思います。これからも定期的に「従来のやり方は否定していこう」でいきたいなと思ってます。

土曜日 チームビルディング アクティビティー「蜘蛛の巣(スパイダーズ・ウェッブ)」をやりました

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先週の土曜日、満を持してというか「蜘蛛の巣(スパイダーズ・ウェッブ)」をやりました! 難易度の設定に自信なかったり うまく出来るか考えるとなかなか実施できなかったのですが一度やってみないと解らないことも多いのでエイヤーでやってみました。結果、問題もありましたが、このタイミングでやって良かったと思えたアクティビティーでした。 ・チームの発達段階で説明すると  フォーミング 最初みんなが好き勝手にやったりネットに近づいたり一人ひとり練習で穴を通ったり詳細なルールを確認したりルールを超える案を出したり  ストーミング では最後に残る人は誰がいいとかこの穴を残した方がいい 二段目は・・とか 体格でこの穴は誰が良いと言い合ってたシーンです  ノーミング は 一回並んでみますか。。。と誰かが言い始めたタイミングかなと。  トランスフォーミングまでは恐らく行ってませんが 時間的にもラストだぞみたいな声掛けやネットの周りにフォローをする人が多くなってきたタイミングや最後数人が残ったタイミングだったかなと。 ・髪を縛ったり、上着を脱いだりベルトを外したり  ・・なりふり構ってる段階ではクリアできない事が多かった ・多田さんがご自身で役割を変えましたけど、皆がこの役割が最適だと思ってる以外の役割もあったです。 ・フォローしてる方をフォローする人の存在も後半とても重要でした。バックアップのバックアップ的な役割 ・途中ばててきたタイミングでメンバーの入れ替わりも大事だった ・委ねるタイミングは中途半端に委ねると皆んなが大変でした。周りを信頼して身をまかすことの重要性も感じました。 もう一度 ゆっくり自分の中で振り返りをやってみても面白いと思います。

見られてるぞ 常に評価されている という話

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我々のビジネスはB2Cでお客様の現場を見ることが無いので視点として欠落しやすいのですが、一般的には商売では「どういったお客様か?」という視点は常に付きまといます。我々の商売はそういった見方が乏しくなる。そんな話です。 B2Bで現場に足を運ぶ商売をしていると そのお取引先の色んな所が見えてきます。 卸をやってたときは 我々仕入先に横柄な態度をする取引先もいれば 従業員の方末端まで丁寧にやり取りをしてくれたりするお取引先もいました。教育が行き届いてるなぁという会社もいれば そうではないところも見えたりします。 僕自身 今 卸やB2Bをやっていたら そんなお客様の どんなところを見るかな?というと ・流石にこの時代なのでIT化にしっかり取り組んでるか? ・経営者はどうだろう? ・この組織はどうだろう? ・従業員教育に注力してるか? ・コスト意識がアルバイトの方々まで徹底しているか? そんなところは間違いなく目につくと思います。 我々の商売はB2Cでネットなのでお客様をそういった視点で見ることは少ないですが 逆に仕入先・ステークホルダーの方々からは常にそういった視点で見られています。 金融機関等は商談などにも来ていただくこともありますが、恐らくそういう目でしか見てません。 日々 商談に来ているメーカーや問屋もそうです。そういったところを常に評価してると言っても言い過ぎではないです。 例えば佐川急便さん 僕が佐川さんの経営者や管理職なら毎日ビッシリ訪問している会社でしかも現場と密接に関わる仕事をしてる集荷に来ている社員に聞きます。 「ナカヱはどうなんだ?」と 毎日現場に来ている彼等の評価は正しいと思う。 ステークホルダーの方々は常に見てるということです。 各自ハンカチを持ってこよう と決めたら全員が忘れずに持ってくる 使ってない場所の電気は消そう と決めたら徹底する 小さなことですが やろうと決めたことは全員が徹底できる そんな会社を目指しましょう。

5S活動

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土曜日はチームオフサイトお疲れさまでした。 チームオフサイトはまだ始めて3年くらいですが、今後も年2回ペースで半年に一度 こんな機会があっても良いかなと思ってます。 オフサイトの前日 金曜日 ちょっとお休みを頂いて家で苦手な片付けをやってました。片付けは母の部屋なんですが。。認知症の人の部屋ってどんなのか知ってます??家族に認知症の人がいなかったら なかなか解らないと思いますが、ネットで検索すると「地獄と化す」って表現してる人もいます。8畳くらいの部屋ですがモノで溢れてしまってどうにもこうにもならないような状況で3年くらい過ごしてきまして、その部屋だけ隅々まで掃除も出来ないような状況でした。 当日は妹と妹の旦那も来てくれて4人でやったのですが、捨てるものを捨てて 家具の配置なども便利に変更して 見事にキレイになったわけです。母が夕方デイサービスから帰ってきてとても喜んでくれて 大変だった我々もその瞬間は家族全員笑顔が溢れるようなとてもいい瞬間でした。 それこそ定位置管理で 靴下はここ、下着はここ、上着はここ、帽子はここと 定位置が出来ました。その後 まだ3日ですがほぼその状態を保ってます。普段いる場所がキレイになるっていうことの破壊力は凄いです。部屋の中を見るたびにやってよかったと思います。 土曜日 オフサイトに組み込んでくれた「5S活動」のプレゼン 中村と山本が発表してくれた内容はとても良かったと思います。 40年くらい前 新卒で入社したスーパーで当時 製造業中心のQC活動を小売業にも導入し始めていたのを思い出しました。 当社は2013年にチームビルディングを導入 2017年にはオフサイトミーティングという考え方を導入しました。 うちの会社は本格的に5S活動として取り組んだこと、導入したことは無かったです。全員でしっかり取り組めばそれに匹敵するくらい会社に与える影響は大きいと思います。2022年に5S活動がスタートしたよね。って後々なると良いなぁと思います。

その立場になってみないと解らない事が多い

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今日は「その立場になってみないと解らないことが多い」 というお話です。 テレビの番組📺とかで ご家庭を訪問したりした時 また 街頭で撮影🎥をしてるシーンでも よくオバサンが犬🐶を抱っこし出てきてる もしくは映ってるのを見たことあります。 そんなシーンを見ると 僕は いつも 「ペットは可愛いし家族のように一緒に映りたいわけなんだな」 とか 「うちの子は特別可愛いから見てもらいたい」 そういうことでしょ?とか思ってました。 実際 自分が犬を飼ってると 例えば 自宅に宅急便が来ても ご近所の方が何かの用で来た時でも わざわざ麦🐶を抱っこして玄関に行ったり 荷物を受け取りに行ってるわけです。 テレビ撮影ではないですが 週イチの You Tube撮影の時にも 抱っこはしてないにしても椅子の後ろに座らせて一緒に映ってます。 あのYou Tube見た人は 皆さんも恐らくそうだと思いますが 社長 麦が可愛いから一緒に出たいんだな とか You Tube見てる人に 麦も見てもらいたいんだな  とか思われてると思うんですが 実際は あれが一番 撮影時に迷惑のかからない方法だからです。 来客時 玄関に出ていくときに麦🐶を抱っこして出ていくのも それが吠えなくて一番迷惑のかからない方法だからです。 これって自分が犬を飼わなかったら 僕は恐らく一生解らなかった事かもしれません。 今年60歳になりました。最近になって 僕が帰ってきた頃の父親の行動が少しづつ理解できてきたこともあります。その立場になってみないと解らないことって多いなと改めて感じます。

ネット販売以前の商売との大きな違い

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先日 7月30日は楽天に出店して23年目でした。それ以前の当社の商売とそれ以降の当社の商売はこの出店をきっかけに大きく変わっていった訳なんですが。。今日は何がどう変わったかの話をしたいと思います。 それ以前の商売は それこそランチェスター戦略の真逆をいくお手本のような商売でした。当初小売をやってて卸売を始めたという経緯もあってか品揃えを増やして売上を増やしていくそんな商売だったと思います。 写真は昭和57年 創業50周年時 時代背景もあったのかも知れませんがそういう商売でした。主要なメンバーは父と母と叔父の3人なのに 線香蝋燭、菓子、加工食品、ギフト、乾物、アイスクリーム、飲料、自動販売機の扱いメーカーもUCC、大塚、サントリー、アサヒ、サッポロ、カネボウ。。。年間に取り扱うSKUはもしかしたらこの当時のほうが多かったかも知れません。 人口の少ない小さな商圏でどう売り上げを上げるかと考えてそうなったのか 要は買ってくれる人に買ってくれるものを販売していた そんな商売でした。 23年前に店舗名を「いわゆるソフトドリンクのお店」として出店した そのタイミングからどうせやるなら一番得意な商品で勝負しよう。ということで特化していった用に思います。徐々に色々扱ってた商品を削っていきました。(でも実際は 僕がこの会社に入ったタイミングぐらいから品揃えや商品の回転、賞味期限への対応、売り切ることの難しさ 取引先の構成など色んな面で飲料以外を取り扱っていくのは当社の規模では難しい状況でした。なので戦略的にそうしたのではなくそうせざるを得なかったと言う方が近いです。) 恐らくネット販売がこれほど伸びなかったら特化していくのも難しかったと思います。 アイスクリーム卸を廃業するタイミングが2002年でした(決断が遅かったと思います)が、この時も父を説得するのが大変でした。父がスタートした商売だったので僕とは違って思い入れが僕には理解できないくらい大きかったと思います。 ということで 23年前の出店日以前の商売と それ以降の商売の大きな違いです。 まず1点目 ・お客様からの反応がある 良くも悪くもお客様から反応がある 反応がある事がこんなに刺激になるとは思いませんでした。 2点目 ・市場が膨らんでいってて 同業者がとても元気ある。 それまではビジネスのどんな集まりに出ても良い話は皆無でした

2006年当時の出荷方法は

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先週、2006年から5年くらい在籍していた塩崎が来てくれました。体調を崩して2012年に当社を離れてもう10年くらいになるわけですが、ようやく体調も戻ってきたということでまずホッとしました。 僕自身も彼に会うのは3年・4年ぶりくらいだったと思います。 色々話している中で木村と当時の出荷方法の話をしてました。ちょっと懐かしく聞いてたんですが 何度か今いるメンバーも聞いたことはあると思いますが、当時の出荷方法を伝えます。 当時は注文情報を1件1件 一枚の用紙に印刷をして その1件ずつを倉庫内で声の通る片山さんが注文内容を読み上げて 他の者全員が商品の個別ピックに回ります。それぞれが個別ピックしてきたものを出荷場まで持ってくる。持って来たエリア番号をその注文情報に書いておく。 送り状が印刷できたら まず 注文情報と納品書と送り状を組み合わせて エリア番号を書いている注文情報を見ながら 既に梱包している商品に 送り状と納品書を貼るという流れでした。 今使ってる 6輪台車は当時は一台も無かった。今はあまり使ってない4輪台車数台でやってました。 十数年前はまだそんな方法がベストなやり方だったわけです。一番間違いが少なく 当時出来る 最も効率的なやり方でした。 そこから少しずつ少しずつカイゼンして今に至ってます。 ちなみにローラーに付いて言えば 10年まえどころか 6年前くらいまで 1台も 使ってなかったです。今では考えられないと思います。最近入ったメンバーはローラー無しでどういうふうにやってたんだろう??と不思議なはずだと思います。でも当時の物量と人員と仕組みではその方法がベストだと思ってやってたわけです。 つい先日も延長のローラーを導入しました。また少し便利に効率的になるはずです。 5年後10年後には 2022年当時は まだ あんなやり方だったよなぁ と笑い話に出来る様に日々引き続き改善していきたいものです。

長野県富士見市 カゴメ 野菜生活ファーム 視察

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6月23日・24日と長野県富士見市のカゴメ野菜生活ファーム視察にお招きいただきました。 新大阪合流で新大阪からはカゴメさんがアテンドくださいました。 車中 指定席をご配慮いただいて1席ずつ離れてましたので色々楽でした。 名古屋からの特急しなのは車窓から観える景色が海岸沿いを走る和歌山とは全く違い山間を抜けて川を上流に登っていく光景がヤバかったです。 初日 ホテルに到着してからの懇親会 カゴメさんに限らず 最近 コーポレートサイトやブログを当社の担当の上長にあたる方々にも事前に色々なページを読んで予習してきくださってるパターンが多くなってきてます。そういう意味では関係する方々への情報発信は順調に出来てるように感じた。 ここでも書きますが、取引先のお偉い方々がこの数年で一気に同期や年下になってしまいました。なんと表現したら良いか・・今までは年上の方々へという気遣いを幾分してたのか、一昔前よりそういった部分が無くなり気楽に話できるようになった気がします。どっちにしろ「年をとったな」という話なのですが。 美味しいお料理をたんまり頂き 久しぶりのお酒の席でしたが カゴメさんの様々な気遣いが素晴らしく学べることは多かったです。とても楽しく過ごせました。担当者同士が良い関係を築けてるのもよくわかりました。カゴメさんの話で取引先によって色々ご苦労もあるのがとても理解できた。 新大阪からの同行で懇親会まで一日目からとてもお疲れだったと思います。 翌日 取組会議 まず、改めて関係者揃っての定期的な取組会議は重要だなと感じました。 トマトジュースの本番はこれからなのでしっかり結果を出せると良いと思います。 工場見学 従来の工場見学とは違い VR ARを駆使してのリアル工場見学はまさに今できるベストな工場見学だと体感しました。 使い方にも寄りますが これは応用すると 社内でも色々使い道ありそうな気がしました。 IL FAGGIO(イル・ファッジオ)でのランチ 絶品でした!ピザは遠方からでも食べに行く価値あり!平日でも地元のリピーターが多いのが理解できます。普段の生活でリピートしたくなる施設を地域に提供することの価値は大きいと思いました。 社内で別事業へ手を挙げる方達はイキイキ働けてるんだろうなと感じた。 野菜収穫体験 こちらも久々の野菜収穫。整備されて準備してくれてるからですが、そんな自然

法人設立32年

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今日は5月30日 当社は1990年5月30日に法人設立しまして 今日で32年。 1990年、僕は28歳です。田舎に帰ってきて丸三年。結婚して丸一年経過して 友見子はちょうど子供を身籠ったタイミングでした。 前もお話しましたが 法人化は全て当時の社長の父がやってまして 僕も家族に聞いてもあまり記憶がないです。 「社名をどうするか?」は父から相談を受けたのを今でも覚えてます。 いくつか候補があって最終 二人で決めたように覚えてます。 僕自身は法人化する必要性も感じて無く へぇ会社にするんか?という感じでしたが 父親はもっと早く法人化しとけば良かったような話もしてましたので前々から考えてて そのタイミングにしたのかなと思います。 法人化してなかったら よくあるパターンですが、家族経営から脱皮出来てなかったかもしれません。 先日 本社で見つかった書類の中に ナカヱ会 今の文化祭 の芳名帳(ほうめいちょう)を見つけました。 第一回の開催が法人化したその年の11月21日水曜日に開催してました。 今は閉業してますが、白浜の十河(そごう)というホテルで開催し 父親の知り合いのお嬢さんが若女将をされていてとても丁重にお迎えいただいたのを今でも覚えてます。問屋さん4社と メーカー5社くらい来てっもらって開催してました。 その後 6回くらい開催して中断し 再開したのが 2008年でした。 その時の両親の様子を 昨日、初めて妹に聞いたのですが ナカヱ会が再開した時は ホテル ベイ古賀の井で開催したらしく そのときは 両親も参加して 父親が母に着ていく服を新調したり 当日はこういう風に来てくれる方にご挨拶しろよと打ち合わせしていた様子でした。とても再開を喜んでくれていたようです。