そもそも何で「チームビルディング」が必要なの?

そもそも何で「チームビルディング」が必要なの?


改めて中江の考えを書いておこうと思います。
自己開示も含めるので少々長くなります。


さかのぼると高校からの話になります。中江は高校の時から弓道をやってました。地味でマイナーな部です。女子なら袴を付けてみたい!そんな憧れも有りますが、男子でやってるのは まず、運動神経に自信がなく 高校スタートのスポーツなら もしかしたら可能性があるかも。とか これなら走ったりしないから疲れないだろう とか まぁ運動神経 落ちこぼれ組としての選択であるのは間違いないです。

(全国にはそうではない高校の部活も沢山ありますが)


しかも入部動機は 同じ印南中学出身の友人が 最初 弓道部に入部したんですが陸上部に鞍替えしたいので そいつの替わりに連れて行かれ入ることになった という何とも微妙な経緯でした。


そんな部で 特に頑張るでも無く 厳しい練習をしたでもなく ただ練習時間に皆で遊んでたり ふざけたりと 緩い部でした。


入部した1年生の時の3年生の女子がとても期待されていたにも関わらず 団体でインターハイ出場すること無く総体予選終了した6月に部活動を引退していたのが少し記憶に残ってるだけ。

その時も 期待されてたのにダメだったんだ〜ふーん。本番でダメだったんだな くらいな感覚でした。

考えてみるとチームになりきれてなかったんだろうなと想像できます。

2年の総体予選の時も1年生の頃からそれほど変わらず 遊び半分でした。一つ上の先輩の同期が顧問と意見が合わなかったのか全員辞めて一人しか残らず、今から思えば団体戦を組むには我々の代もしっかりやらないとイケないのに遊び半分でした。試合結果など記憶にもないくらい気持ちの入ってないやる気のない部員だったと思います。自分が3年生になった時には申し訳なかったなと気づきました。


そもそも同期にカワイイ娘がいるのが楽しくて取り敢えず休まず練習に行っているという程度の不純な動機でした。


それが 2年生の夏休みに 国体の補欠選手に(3年生の大量の引退による繰り上げ当選のような形で)選ばれることになり そこで少しだけ変なスイッチが入ったのか 秋の近畿大会に団体で珍しく出場できまして その近畿大会でのまぐれの個人優勝で本格スイッチが入ったのを記憶してます。その後です。弓の魅力にのめり込んでいったのは。


まだその頃は 個人競技の団体戦(駅伝に代表されるような個人の成績を合計して競う団体競技)にチームワークが必要なのだ!という考えなども 特になく ただただ2年生の秋からは「インターハイに皆と行きたい!団体で出たい!」というだけの衝動に駆られ それまでの人生にないくらい珍しくスイッチがビンビンに入ってる半年くらいを過ごしました。周りにもビッグマウスで言ってました。どれ位のスイッチだったというと後から母に聞いた話ですが「この子、インターハイに行けなかったらどうなるんだろ?とても心配していた」というくらいスイッチが入ってたようです。 結果 競技成績も高校生では県内個人でダントツの成績を常に残してたような1年でした。


ただ、団体戦になると自分以外がそれ程の調子でもなく なかなか「インターハイに5人団体で出る」という夢は 客観的にも主観的にも 叶わないだろうなと 判断できる戦力でした。


それが終わってみると夢がかなった という結果でした。


その過程には色んな事が有り(もちろん過程のボリュームも結構あって今考えてもチームの成長段階を様々踏んでましたが ここでは割愛します) 試合当日には かつて経験したことがないようなチーム一丸になった状態(今思えばノーミング後期のフロー状態)を体験したのでした。


弓道の試合は 足し算で結果が決まる まさに 個人競技の団体戦ですが この日は 5人の足し算だけではない 目に見えない何かの力が働いて 実力ではとうてい無理だった夢を手に入れた という強烈な印象が残った出来事でした。それが「チームワーク」だったと認識できるまでにはまだ数年かかります。。


出ることが目標だったのでインターハイ本戦では散々な結果で全国の壁を見せつけられました。目標や夢が一度達成できた後の次の目標への切り替えが備わってなかった事や正直 遊びに行った感覚もあったのかもしれません。ただ、負けた時は立ち直れないくらい泣いた記憶があります。


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