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極力使わないようにしたい言葉(その1)「普通」

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 最近、極力使わないでおこうという言葉が2つありまして 今日はその2つの内の一つの話です。 僕自身 昔からよく使っていた言葉で口癖のように言ってた言葉です。 「フツー」という言葉。英語でいうと Normal 先週木曜日に「ふつうアップデート」というNHK教育の番組がありました。 普段は2チャンネルはほぼ見ないんですが、障害者の方 しかも脳性麻痺の方がメインで出演されてたので それこそ「この番組は普通じゃないぞ」ということで とても気になって見たのですが ファッションの話題でデパートのマネキンは 普通 立ってるマネキンばかりで車椅子がデフォルトの障害者の方たちは座ったときのコーディネートが見たいのにほとんど立ってるマネキンばかり、試着室も車椅子ではほぼ入れない。そんな障害者の目線の健常者じゃ考えてなかった普通の視点が多かったです。 『普通なんて無い みんな違うのが普通。』というのがメッセージだったように思いました。 「普通」 ホントによく使ってました 「普通はこうですよね」とか「普通こうだろ」とか「普通はやらないよね」「普通はこう言うよね」とか。。自分の考えを押し付けたい時に都合のよい言葉なのか 自分のことが普通だと思ってるからなのか とにかくどんな場面でも便利に使ってた言葉の一つです。 行動、感情、思考、プロセス、結果、好き嫌いの嗜好、見た目 全ての物事が普通という枠に囚われていた。普通の枠に入れようとしていた。 おそらく子供の頃はそんな教育だったんだと思います。 人も歯車のように社会に組み込まれていて それは全て同じ形じゃないと社会が機能しない 普通に矯正することが最も社会に貢献しやすい 普通にすることが生産性が高くなる そんな時代だったと思います。 今はそんな世の中では無く成ってきましたので、昔のような使い方や考え方はダメだな というそんな時代になってきてます。 以下は たまたま観た You Tubeの Tedxのスピーチ とても素敵だったので共有します。 不完全さを讃えよう そして誰も自分が正常だなんて言えないことをわかってほしい 私達はみな違ったものを持っている 皆 奇抜でユニークです。 それこそが私達を素晴らしく人間らしくしている。

熊ちゃん最終出勤日

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2006年に本社が今の場所に移転して父の跡を引き継ぎ僕が社長になりました。 その1年後、2007年の秋に入社してくれてます。13年と半年。 当時は熊ちゃんもくわえタバコをしながら倉庫作業をしてたのを思い出します。 2007年頃はというと会社の成長段階でいうと間もなく10億の壁が目の前にあって今までのやり方では全てうまくいかなくなってくる そんなタイミングでした。  翌年 印南の倉庫を出ていかなくてはならなくなるタイミングです。よく言われる 分業をしていかないとならなくなって その分業の弊害がイッパイ噴出してくるタイミングでした。色んな意味でピンチな状況の中で 今ほど社内も整備ができていない 投資もできてない そんな状況で入社していただいた。 社長になって1年ちょい、経営者としてもまだまだ未熟な部分だらけの状況で大変な部分が多い中 頑張っていただいた。 役割でいうと倉庫リーダーの青木の影で 文字通り 分別ある大人として 正しいこと 正しくないことをしっかり言える ある意味 倉庫が 経営者の目の届かない所で運営していかないとイケない中 当社を支えてくれました。 おそらく、そんな面では 居なくなると熊ちゃんが果たしてくれた役割がジワジワとこの会社に響いてくると思ってます。 又 そんな面とは裏腹に 責任感の強さからチャーミングな面も多く 思い出もイッパイあります。楽しいイベントや肝心な時には出れない 居ない という変なジンクスも何度も披露してくれました。 当時と比べても 多少 うちの会社も会社らしくもなってきて 来年 待望の働く環境が 良くなるタイミングで卒業は 熊ちゃんらしいのかもしれないと思ってます。 同世代 しかも高校から共に戦った仲間として 最後 定年まで一緒に居たかったですが、体調のこともあり卒業となりました。 毎回思うのですが、必要なタイミングで必要な方が現れてくれてた。熊ちゃんもまさにそんな存在でした。 今後はこの会社がまだまだよちよち歩きの大変な時に頑張ってくれた卒業生として付き合って頂きたいと思ってます。

Paypayのグランドフィナーレを終えて

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昨日 3月28日(日)は超Paypay祭のグランドフィナーレで記録を塗り替えた一日になりました。 一日の売上で 今までの最高日商を倍以上更新したんじゃないかと思います。 今週は「自分の仕事はしっかりやりきりチーム関係なくフォロー」宜しくおねがいします。 過去に経験したことのない売上を更新していくタイミングは今まで何度も何度もありました。それが日商であったり月商であったり。うちの会社は そのタイミングで毎回 従来の壁を乗り越えて来ました。 従来のやり方を否定して 更に効率を上げる方法や 大量に処理できる方法 に切り替えることで何度もバージョンアップしてきました。今回も絶好のチャンスです。従来の方法を否定して見直して行きましょう。 変えていく ということで言えば 少し内容も聞いてると思いますが、4月から少し組織も変えていきます。 従来より高い視座で仕事に当たれるように そんな組織に変えていきます。 どこかのタイミングでお話した 組織を 10t トラックから トレーラーに乗り換える そんなタイミングだと思ってます。組織も変わるし 一人ひとりの視座も持場も変わる そんな春にしていきましょう。

僕の癖の話

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ストレングスファインダーでスタッフ皆の強みをやっているお陰もあり、「無くて七癖」というのが昔以上によく理解できるようになりました。 元来「人なんて皆 同じだろうが!出来るのと出来ないのが居るだけだろ!」というのが僕の考え方でした。(というとなんというブラックなんだ!と思うかもしれませんが、そもそも当時はそんな教育だったと自分では感じてます。) それが「5つの強み」を少しずつ理解していく過程で 人って色々な強みやその裏返しの弱みを持ってるし、皆 色んな癖がありますよね。 考え方の癖、行動の癖、感情の癖 それが凸凹の凸になったり凹になったりしてる。というのがこの年令になってようやく理解できたわけですけども。。。 僕自身の考え方・行動・感情の癖は 前々から言っているように その他大勢 や 通行人A になるのが嫌い。人と同じが嫌いです。 強みの 自我・着想 がそうしてるんだと思います。 よくある「例年通り」「前回と同じ」「いつもと同じで」ていうのなら「僕が居なくても良かったのに」と感じてしまいます。 例年通りでも できる範囲で一工夫する そうしないと嫌ですし そうすることで新鮮に事に当たれるようになります。 でも、この考え方の癖のお陰で よく失敗するパターンとして 「定石」通りにすれば良かったのに 一工夫したくなって「定石」のとおりにしないから遠回りしてしまう。そんな事も多々ありました。

2回目の海岸掃除

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  3月13日、2回目の海岸掃除を実施しました。 今回は  津井の海岸 まだ2箇所目ですが、海岸によって落ちているゴミの種類が違うのが一番の学びでした。色々な要因はあると思います。海岸に人が入りやすい とか 河口に近い とか 周辺の民家の状況 とか 主要道路に面している とか 地形や 周辺の植物の状況 いろんな要因が重なって海岸に残ってるゴミの種類が決まってきたりするのかなと感じました。 今回も自然物は放置する という掃除ポリシーで実施。 多かったのは ビニール袋やプラスチックパッケージ、金属類なども予想以上に多かった印象でした。 だいたい掃除をスタートして1時間位経過すると 砂利浜の歩きにくさ 最初は一所懸命やって慣れない事なのもあり また概ね目につくゴミは拾えてしまうのでどっと疲れてきます。 適度に休憩を入れながらやるのが良いと思いました。 また 今回は 分別するのに(物流用語で言うところの→)個別ピッキング方式で集めましたが、これは割と非効率だったかなと思いました。 小さな袋を持ってトータルピッキング方式で集め 持ち回れなくなってきたら 分別をする。次回はそんなやり方で実施しようかと思いました。 実際は全員楽しかったかどうか判りませんが、若い連中が楽しそうにやってるのを見てると メンバーが増えて大変な面もありますが 一緒に働く仲間が増えたのは 頼もしくもあり 楽しくもあります。 次回は6月の予定です!

僕自身のダメなところ

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 前回、自分の考え方や行動の癖の話をしました。 「丁度いいのが一番いい」という話で 足りないのもダメだけど 余って無駄を出すのも極力やめたい という考え方 これは義理の父親がよく言ってたフレーズです。落語か何かのフレーズなのかもしれませんが今となってはわかりません。 他にも凸凹の凹は色々ありまして 先週2件あった 自分の凹 「キレる事がある」 行動指針に「礼節と品位」と言ってますが 品位のかけらも無くなってしまう場合もあります。 ・まず僕はクレーム処理が出来ないです。  受注メンバーを中心に皆には頑張ってやってもらってますが 僕自身は理不尽なお客様対応はまず出来ません。 スタッフの皆が無理だったクレーム対応が僕に回ってくることは 最近はもうまずありませんが、年に1件くらい 回ってきても残念な対応しか出来ないで終わります。 ・それとは別に 大きな会社の ちゃんとした会社の人 または その会社のお偉い人 尊敬されるべき方 がイケてないと ガッカリします。コイツなんだろ?とカチンときます。 そんな時も まだまだ 世の中 色んな人が居るよね。と冷静になれないところがあります。 そんなシーン 今後もあると思いますが、「まだまだ社長 人間が出来てませんね。」と思ってください。

丁度いいのが一番いい

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「私のトリセツ」じゃないですが、僕自身の考え方や行動の癖は色々あるんですがお仕事にかなり影響のある部分のお話をします。 収集の強みが無いのもあり、色んなものを余分に集めておくという感覚が無いです。 どちらかというと余分には必要ないと考えてます。 「丁度いいのが一番いい」という考え方をしてます。 この言葉は義父に教わりました。 初めて聞いた時、面白いことを言う人だなぁと思ったものです。  20年くらい前、当時は まだ複合機が会社に無かった頃 商品発送のリスト用紙を印刷したりするのにインクジェットプリンターを使ってました。業務で割と沢山使うので普通ならカートリッジを頻繁に交換しないとイケないのをインクを継ぎ足してできる純正じゃないサードパーティーを使って毎日のようにインクを継ぎ足してた時期がありました。その頃に買ったインクの在庫が今だに残ってたりします。ピッタリ無くなる というのは奇跡に近いと思いますが、こういうのが残ると残念だなと思ってしまいます。 こんな事に限らず 日常業務をやってるとそんな事が多い。  最近はやる機会が少ないですが会社でBBQなんかやるときも だいたい大人数でやったりすると料理が足りなかったら悪いんで食材はまぁまぁ多めになる それが一般的だと思います。でも、僕はそういうのもピッタリ出来ると良いなぁと考える傾向がある。  立食パーティーで終えたあとにイッパイ残ってたりするとガッカリします。それは自分たちが主催する側はもちろん ゲストで参加する場合でも「あんなに残ってどうなん?」って感じます。 世間一般的にはOKラインでもこいつは気になってるぞ という事は理解しておいてもらいたいです。準備段階で失敗してる。無駄をした。という感覚になります。 行政サービスや医療の分野のように収益が第一の目的なら一定の無駄もしょうがない部分はあると思いますが、我々は無駄はいけません。

チームオフサイト実施

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先週の土曜日 13日は初めてのチームオフサイトということで お疲れさまでした。 社外でやるミーティングの始まりは 2015年くらいにリーダースキャンプということでスタートしました。それまでは週に一度のリーダーミーティングと月に一度の全体ミーテイングで会社経営を進めていましたが それだけでは物事が決まっていかない 足元の話し合いしか出来ない 長期的な計画が話し合いにくいなどの弊害が沢山でてきてました。 どうやったらそういった事を解決できるのか?ということで SNSなどで友人の経営者が 役員合宿のようなことをやってるのを見てスタートしたのがきっかけだったと思います。 カレンダーを見ると2015年に初めてやってるようでした。 日常業務から離れて実施ということですが 最初にリーダー連中を連れ出して実施する というのは 一つ自分の中でハードルがありました。 日常業務を放ってという部分が気になってということですが 一方、終えてみると こういった一日はとても重要だな 会社にとっても必要な意味のある一日だったなと思え 今後も継続していくことは重要だな。という認識になりました。 チームオフサイトもとても楽しかったように報告を受けてます。 半年後にも実施しようと思います。

休日の過ごし方

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最近の休日の過ごし方ですが 父が亡くなってから 休日はほぼ100% 昼に 母とドライブという日課になってます。昨日も行ってきました。 父が亡くなって二年半ですので祝日なども入れると150回くらい母親とドライブしてる事になります。主にそれこそ 御坊田辺保健所管内のドライブで 御坊方面と田辺方面の割合は1:4くらい。 どこへ行きたいわけでもなく 車から降りて何かをするわけでもなく 車の中から景色を見てるのと 通ったことの無い道路を通るのが好きなようです。 用もなくドライブするという事が今までなかったので この2年でこの周辺を走り回ってるわけですが、半径30km程度でも行ったことのない道路の多いこと。卸をやっていた30代の10年間くらいはアチコチ車で配達してたのでこの地域はほぼ網羅してると思ってましたが、こんなに知らなかった道路・通ったことの無い道路があるんだなとビックリしています。 父が車の運転が好きだったという話は何度か伝えたと思いますが、もしかしたらそれ以上に 母親が車で出掛けるのが好きな人だったからかもしれません。しかも女性の割に方向は確かでした。 このドライブ いつ終わるか判りませんが、本人が行かないと言うまで続けていこうと思ってます。 ちなみに父が元気だったら今日 88回目 米寿の誕生日です。

「今 熱中してること」というお題で

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 熱中してるわけではないですが、母親が去年の秋ころから料理の作り方が解らなくなってしまって 昼食と夕食を作る係になりました。それまでは調味料を間違ったり 調味料の量を間違ったりしながらも作ってくれてたんですが、だんだんやり方が解らなくなったのか 僕がやることになりました。 さらに1月上旬に目の奥の血管が切れて それまではご飯の準備 磨いだり炊飯器のスイッチいれたりはできたのですが それもできなくなりまして。 だんだん介護が必要になってきてます。介護をしながらの 経営者の仕事ということですが まぁ楽しんでやろうと思ってます。 僕自身 料理は今までそれほどやってなかったのですが 買い物から料理、後片付けまで やってみるとまぁまぁ出来るもんです。 まぁまぁ出来る最大の理由は ネットにレシピが掲載されているからなんですが、凄いですね。冷蔵庫にある材料を入力するとほぼレシピが出ます。 又、やってみないと 解らない気づきも色々ありました。 料理や後片付けをやってみて ・食品スーパーでも 想像していたほど生鮮の品揃えは無いもんだなぁ。  ロスが少ない品揃えにしようとするとリアルは色々厳しいんだろうな。 ・炊事手袋の破壊力は凄くて寒くても水仕事が全く苦にならなくなりました。 ・「美味しい」って言ってもらうととても嬉しい ・キッチン周りに目が行き届くようになると見えるものが違ってくる。 ・自分が作ったら愛着が湧く 多少不味くても(味が濃いとかでも)食べる。 色々な気づきがありました。

「同じ釜の飯を食う」ということ

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 「同じ釜の飯を食う」 大学4年間のいちばん重要な四年生の時の秋のリーグ戦の初戦。 初戦はとても緊張する試合で それまでの定期戦で先発メンバーを決めてベストで望んだ試合でしたが大負けをしてしまいました。 今から考えると 理由はいくつかあったと思いますが、リーグ戦自体は団体戦ですが 個人の表彰もあり 一人ひとりが個人の成績に固執してしまってチームとして一つにまとまっていなかったのが大きかったんだと思います。 OB達もこんな為体ではダメだと感じたのか 試合後に道場に集まって学生にハッパをかける、そんな事がこの試合の後ありました。当時はよくありましたが 僕が在籍していた四年間では一番印象深かった試合後でした。そこで何があったかは割愛しますが 何よりOBもコミットせざるを得なかった そんな散々な試合結果でした。 学生全員が坊主になってその後のリーグ戦の試合に望みましたし。時代としてもそういったことが当たり前にあった良い時代です。 で、その試合後から毎日のように道場に来てくれるようになったのが当時の助監督です。 たしか助監督の案で練習終了後に 部でご飯と味噌汁を炊き おかずは部員持ち 練習終了後にレギュラーだけじゃなく部員全員が腹一杯に夕食を食べて 食べ終えたら 決められた時間に自宅に帰る。規則正しい生活をおくる。 体育会の学生でしたが 弓道部は部員全員が下宿生活だったので 春と夏の合宿以外は いわゆる同じ釜の飯を食べることはなかったのですが、大きなピンチのあと そういった生活で一ヶ月「同じ釜の飯を食って」リーグ戦を戦うことになりました。 その後 色々なミラクルが起きて3勝1敗でしたが 勝敗がもつれ込んで優勝しました。 当時も「同じ釜の飯を食う」という言葉はありましたのでそういう事を目指したんだとおもいましたが、自分が学生で当事者だった当時はあのタイミングでそういった判断や対処は出来なかったです。提案してくださった助監督のお陰でその後のミラクルも起きたんだと思います。 その後、自分が助監督のときにも 学生時代に経験したそういった試みは何度もやりました。 同じ空間で同じものを食べる事で一体感が生まれる。 これって もともと人類のDNAに組み込まれていることなんでしょうね。 コロナ禍で今はなかなかそういった事が出来ない状況ですが、また以前のように月イチで皆でご飯を作って食べたり 

スポーツから学ぶのは未来(最先端)から学ぶことに近いかも

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 スポーツとビジネスは通じるところがある という話は僕自身の僅かな経験だけでも色々お話しましたし、ジャイキリ本はサッカーの漫画からきてたり チームビルディングという言葉も 今では経営者やスポーツ選手なら誰しもこの言葉は聞いたことある言葉だと思います。 スポーツの世界は ある部分ではビジネス世界より とても進んでるところがあって 例えばチームのパフォーマンスをどう上げていくかであったり 個人のパフォーマンスをどう上げるかという部分は ビジネスの世界より とても進んでるように思います。ある意味 未来。 また、良く ビジネスは歴史から学ぶ という人も居ます。 そういう意味では 歴史は過去 で スポーツは未来から学ぶのかもしれません。 で、先日ネットで紹介されてた記事と You Tubeを見たのですが 3つテーマがありました。「チームづくり」「睡眠」「スポーツと科学」 「チームづくり」はチームビルディングの話です。 「スポーツと科学」は主観的なデータと客観的なデータをパフォーマンス向上につなげようという内容で この2つのテーマはスポーツに関して重要なことは言われるまでもなく理解はしてました。 もう一つのテーマが僕の中では意外で「睡眠」が パフォーマンス・人間関係・チームワーク・判断・感情コントロール などにとても影響を与えるということです。 「睡眠は大切ですよ」というのは昔から当たり前のことなんですが、自主的に自己管理する分野で本格的に指導の領域にあるというのは目からウロコでした。 自分自身も50歳を過ぎた頃から夜ふかしはヤバい。夜ふかしをした次の日は大変というのは理解してて誰しもそのあたりは理解できてるのですが、少しずつではありますが 良質な睡眠もトップアスリートの常識に近づいているようです。 良質な睡眠も栄養摂取と同等の扱いになっていくんでしょうね。 スポーツの世界でもっともっとこのあたりも研究され解明されて その後 ビジネスの世界でも重要だと取り上げられる そんな事が当たり前になってくるような気がします。

今年も初詣の御祈祷に皆で行ってきました

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 昨年に続き 今年も地元の氏神さま 山口八幡宮に会社の皆で初詣に行ってきました。 新年の仕事初めの4日夕方に早めに業務を終え 予約をして「社運隆昌・安全祈願」のご祈祷をしていただきました。ちなみに 去年のブログはこちら 去年1年間は コロナの影響で和歌山市への出張の機会も減り 月イチの参拝も地元である こちらの山口八幡宮へお参りさせていただいておりました。 一昨年同様 やはり毎月の参拝でもその時々の課題は変化していましたし、また昨年は大きな決断のタイミングでもありましたので定期的な参拝は自分の中でも重要な意味ある行事となってました。 この写真だけをみると十日戎にお参りしたように見えますが 初詣です。 今年の記念撮影は神主様にも入っていただきました! 昨年初めて会社でのご祈祷を新年に受けたわけですが、その後 会社の方向性を大きく変えていくような出来事が次々と起こりました。 1年前、ご祈祷いただいた時には想像しなかったような未来にこの会社は進んでいこうとしています。 今年もまだまだコロナ禍ではありますが 社員・社員のご家族 お取引先を含めステークホルダーやお客様、業界や関係するすべての方々の運気が上がり 皆が安全に働けますように、また素敵な方々との出会いやご縁がありますように。

海岸掃除やってみた

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 先週の土曜日、「一度やってみようか!」ということで実施した海岸掃除。 26日土曜 出勤メンバー17名で早めに業務を切り上げて 近くの海岸(畑野崎海岸)の掃除に行ってきました。 町役場にも事前に打ち合わせに行ってもらい集めたゴミの処理方法なども確定した上での実行日となりました。 事前に掃除の箇所は下見に行ってきて、候補地が町内でも6ヶ所程度あったわけですが 初めての試みなので ここは駐車場所もあるし 安全に実施しやすい場所だなということでこの場所に決定。相当ゴミが多かったのもあり 通常業務から捻出できる時間も限られてることもあって やる前は「どうなるかな??」と思ってましたが 思った以上にゴミは集まりましたし、想像していた以上に綺麗になるもんだなというのが終えた印象です。 今回の掃除では自然物は拾わない。というコンセプトで実施したので流木などはそのままイッパイ残ってます。 現地に前集合してから実際には約1時間ちょいだったと思います。今回は特に細かい指示をするわけでもなく それぞれがどうやってこの海岸をキレイにしようかと考え 分散したり協力したりしながら 一人ひとりが どう動くか どう動いたほうが キレイになるか 楽しくできるかを考えながら動いた結果だと思いました。 おそらく日々の業務も毎日のことだから解りにくいのですが 所帯が大きくなってきた分 大きな成果を出しているわけだと思います。 掃除を終えた後、一人で振り返りをしてるときに浮かんできたのが「速く行きたければ一人で進め 遠くまで行きたければ皆と進め」というアフリカのことわざです。なんで浮かんできたのかよく解りませんが。。 ネット販売の運営も自分ひとりでやるほうが早く成長でき良かったステージもありましたが、今は 仲間と皆と遠くへ行くステージなんだと思います。 来年も まだ見たことのない遠くまで皆と行きたいなと思いました。

存在承認・アクノリッジメントはやっぱり大事なんだな

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 「表彰されたこと」というお題 書道とか硬筆 写生ですが 小学校のときはあまり無かったんですが 中学の時 夏休みの宿題で書いた絵かなんかが 表彰された記憶があります。どんな絵だったかというと、農家の納屋みたいな場所に勝手に入ってその中で土壁のづり落ちてるのを遠近感出して書いたんですがそれが表彰されました。 たまたまうまく書けたのもあるんでしょうけど、美術の先生が居たことが大きかったです。  上杉先生という方で 実はその先生は母も切目中学の頃 教え子だった。要するに親子2代でお世話になった先生でした。 その先生には目をかけてもらった記憶が多い。 日高高校に行くんなら美術の先生が居るから みたいな話もしてくれてました。 理科も教えていたんですがその授業も好きで成績良かったです。理科は2教科あったのですがどちらも好きで成績もよかった記憶があります。両方の先生とも家族まで知ってくれている先生でした。 それとは逆で 英語は全くダメでした。英語は当時 中学で初めて教科に入るわけですが小学生の頃とは違って 多感なタイミングだったからか最初に教わった先生何人かが僕の中でイマイチだったのが大きかったと思います。 改めて 存在承認・アクノリッジメントはやっぱり大事なんだな。 というお話です。