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仕組みやルール・マニュアルはその時の状況に合わせてアップデートしよう

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 何回か前の朝会で「判断の基準」の話をしました。ルールやマニュアルを守ることも大事ですが それ以前に人として正しいと思うことを優先したほうが良いという話でした。 今日も似たような話ですが、先日から倉庫にハエがたくさん出てくる季節になってます。フォークリフトや台車で踏んで潰すと更に掃除しにくくなるので大変です。実際に掃除をやってみると割とたくさん倉庫内にありました。 聞いてみると倉庫の掃除の仕組みが以前の名田の頃からの仕組みを採用していてエリア毎に順番にやるので なかなかそのエリアの順番が回ってこないという事でした。 そもそも掃除の目的は 衛生面の向上・環境美化・安全性向上なので これはどんな事が起きているかと考えると ・まず現状の仕組みでは掃除の目的を達成できていないということ ・ルールやマニュアル通りに日々やってるだけでは目的は達成しないということもある ・日々 気になっていて気がついていても自らなかなかマニュアル以外の行動は出来ないということ そんな事が現場で起きているんだろうなと考えます。 2つ言えるとしたら ・ルールやマニュアルはその時の状況に合わせてアップデートしていかないとだめだ。 ・ルールやマニュアルは絶対ではない。そのばその場で対応しないと目的は達成できない。 これ(倉庫の掃除)って見えやすい案件だから例にあがりましたけど こういった事って至るところで起きてると思います。 状況が変化しているのに仕組みが従来のまま。 ルールや仕組みが目的と合っていない。 ルールやマニュアルに縛られているだけで考えない組織。 お互い気をつけましょう。

御坊青年会議所での30代の頃の話

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このネットの商売にも繋がるキッカケになった30代の頃の話をします。 青年会議所という団体がありまして、当時 僕も所属してました。ご存知ないと思いますが、全国というか世界的な組織で この御坊日高郡にも御坊青年会議所というのが 今から55年前からあるわけなんです。年に数回地方紙に活動が掲載される程度なので存在を知らない方が多いと思います。 県内にも各地域に現在7つあります。僕らの頃は串本地区にもあったので少し減ったかもしれません。 この組織は40歳になると卒業で僕も10年近く所属してたと思います。入会は結婚した翌年1990年 28歳の時です。きっかけは当時 石橋石油の社長さんにご紹介いただきました。 社会貢献の団体ですが、その活動を通じて色んな事を学んだり学生時代とは違う友人ができたり。 当時は色んな面で大変でしたが 今になって思うと入会させていただいて良かったなと思います。 活動は基本 月に委員会や例会 理事会 があってなんだかんだで週一程度仕事終わりに参加出席するような活動頻度でした。 同世代の経営者同士が集まってる中 社会に出ると色んな方が居るなぁと思いました。元気のいい方 や 羽振りの良い人 お金の使い方の綺麗な人 や 弁の立つ人 付き合いのとても良い方 人を巻き込んでいくのが上手な方 面倒見の良い方 色んなリーダーシップの形も勉強になりました。 頻繁に会合がありましたので そんな同世代の社会人の色んな違いを感じる僕にとっては数少ない機会だったと思います。 組織の中の色んな役割や組織づくり 議事や会議の進行、イベントやプロジェクトの進め方 なども学んだように思います。 学校に行っていた時の勉強ができる優秀な人 やスポーツで優秀な人 とはまた違う 社会に出て組織の中でリーダーシップを発揮して仲間の中で信頼を得て中心になっていく人が居るわけです。 社会に出てからの優秀さとはどういう事なんだろう?と自分の中で考える機会が多かったように思います。  そんな色んな学びもありましたが 飲んだり食べたりも頻繁にあって 当時の僕の安いお給料で小遣いも少ない中 使えるお金はほとんどそちらに消えてました。随分家内にも迷惑かけたと思います。そんな感じなので どちらかというと会員の中でも貧乏で付き合いの悪い部類だったと思います。 詳しい話はすっ飛ばしますが、そんな通常でも活動が多い中 

業務に熱中してた頃の話

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次のお題が「熱中してた話」ということなので僕は「熱中してた頃の話」をします。 その時々で色々熱中してた頃があるんですが、お仕事で言えば 現場のお仕事をやってる頃が何と言っても熱中していたかなと思い出します。。 社長業も熱中しないとイケないんでしょうけど現場の事を最前線で色々やってたときが面白かったという意味で当時の話をします。 出店してから2004年くらいまでが MAXだったかもしれません。30代後半から40代。調べてみると楽天がプロ野球に参入したのが2004年です。 ・一つは自分で全部出来る 分業をしないでも全て指示できる頃だったとおもいます。 ・認知されていない市場で商売をやってる というワクワク感もありました。 ・先陣が居なかった。 楽天の集まりが年に数度その頃もあったと思うんですが 行くときはワクワクして参加していた記憶があります。 業務をどう効率化するか?というのもスタートしたばかりで今と比べると当時は幼稚な仕組みでした。なので効率化のポイントも膨大にある。 仕組みにしろ先陣が居ないので何もかも自分達で作らないといけない。 しかも一つ手を打てば大きな効果もある メールも今ほど埋もれてしまう時代では無かったので メールでアクションを起こしてもお客様からの反応もとてもある。 一つ当たるとそれまでの商売では考えられないくらい売れた。 そんな熱中してた頃がありまして その次にくるのが2005年くらいからグラフを見ても解るように売上が跳ねてます。3億の壁を超えて問題が噴出してくる時代に入ります。

祖父 竹雄のこと

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昨日 祖父の17回忌の法要をしました。 僕から見た祖父の話をします。 明治40年生まれなので計算してみると 僕が物心ついた子供の頃 ちょうど今の僕くらいに年齢だったようです。 区長かなんかやっていた時だと思いますが、印南町の役場の町長室に子守がてら僕を良く連れて行ったらしく そこでオシッコを漏らした話を良くしてくれてました。 高校の時 弓の大会で優勝して賞状を貰ってくると誰よりも喜んでくれいたのも祖父でした。 孫だったので距離はとりつつ とても可愛がってくれてました。 信仰心の厚い人で 人のお世話をしたりしてる印象が強く 商売を熱心にやってたイメージは僕は 無く 当時 お豆腐を朝早く母親と作っててそれが終わると商売には関わってなく商店街や商工会の役をしてたのか そんな印象でした。 以前も話しましたが 戦争に行った話をよくしていて 歳をとると大昔の話ばかりすると思ってましたが今から考えると20数年前の話なので 当時は戦争もそんな大昔の話じゃなかったんだなと思います。僕がネット販売を始めた頃の話をするのと同じです。。 父から聞いてる話でもあまり商売に情熱を傾けた感じではなかったかなと。。 それには時代背景もあったのかなと想像してます。。 昭和7年に結婚して 世界恐慌 満州事変 国際連盟からの脱退・日中戦争から 第二次世界大戦へと進んでいって 終戦を迎え 終戦の翌年 昭和21年12月に昭和南海地震による津波災害を受けました。 その5年後 昭和26年には すでに父は18歳となり働きだしています。 その後 昭和28年に紀州大水害に見舞われ、昭和37年に又 集中豪雨での水害に見舞われてます。水害の度に商売も大きな損害を受けたようでした。 僕から見たそんな祖父でしたが つい数年前に叔父たちから祖父と父の確執を聞いて 僕から見えていた祖父や父は 叔父たちから見ていたそれとは随分違ってたんだろうなと改めて感じました。 先日 新人研修で ひとつの出来事も人によって捉え方は様々ですよ という話をしましたが 出来事だけではなく 一人の人 それが家族でも人によって捉え方は様々ですね。 僕から見てる皆さん一人一人と 同僚として見てるそれぞれ 先輩と見てるそれぞれは色んな見え方がしてるんだろうなと思います。

パーキンソンの法則

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先週 インテルの創業者の一人 ムーアの法則のゴードン・ムーアさんが亡くなったというニュースがありました。 ムーアの法則は説明が上手く出来ませんが 半導体集積回路の集積率は18ヶ月で2倍になる。ということだそうです。モバイル端末の速度が20年で1000倍になるのもこの法則と関係してるようです。 法則 は着想の強みのお陰か大好きです。 『パレートの法則』8:2の法則 2割で全体の8割を生み出している 『ハインリッヒの法則』1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在する 調べてみたら 他にも色々ありました。 『1%の法則』これはインターネットのコミュニティーには100人に一人しか投稿しないけど見てるだけの人は99人も居るという法則です。 今期 当社の最も重要視している 紙一重を超える仕組みを作ろう には 克服しないとイケない法則があるなぁ。。と思ってまして 『パーキンソンの法則』仕事は、完成までに利用可能な時間を使い果たすように拡大していく。完成のために与えられた時間をすべて満たすまで膨張する。支出の額は、収入の額に達するまで膨張する。 夏休みの宿題がギリギリまでかかる 仕事が締め切りのギリギリまで完了しない。という日々直面している『パーキンソンの法則』 克服して紙一重を超えていこう!

判断の基準

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先週、「損得より先に善悪を考えよう」という話がありました。 社内のルールやマニュアルを守る事も大事ですが それ以前に人として正しいと思うことを その場その場で優先しよう。という判断の基準の話です。 「善悪」の他にも判断の基準がありますよね。 「安全」であったり「健康」であったり その場その場で優先を考えて行動する事が必要です。 他にも「面白いかどうか」という判断の基準もありますね。おもしろ飲料カンパニーを目指す当社にとっては「面白いかどうか」は重要で これについてはどっかでもっと詳しく話したほうが良いと思ってます。 最初の話に戻ると 色々な場面で一昔前よりも より「善悪」の判断のウエイトが高くなってきてる印象もあります。SDGSなんかもそうかなと思います。テレビ番組なんかもそんな流れですね。SNSが普及したりインターネットが進化してくるとより「善悪」の判断が重要になってくる印象です。 「善悪」だけで判断して「損得」を考えないとどうなるか?本来は事業が成り立たなくなるんですが、そうとも言えない時代になりつつあるなぁと感じてます。 「損得」といえば 祖母からよく聞いた「損して得とれ」という言事を思い出しました。子供の頃 直接言われた訳では無いですが 大人の話の中で聞いたのか 祖母が叔父や叔母に言ってたのを聞いたのか 祖母からよく聞いたのを覚えてます。 調べてみると二つ意味があって ・長期的に物事を捉えること ・目先の損失を度外視して将来の利益を確保せよ という意味合いだそうです。 「損得勘定」は重要ですがバランスを間違えないようにしないといけない 大きな判断の基準となることが多いです。

二十数年前にネット販売で頑張ってたお店は・・・

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 ステークホルダーの方々にはよく話をしてる内容ですが、朝会ではまだ話してなかったと思うので 今日は二十数年前にネット販売が世の中に浸透してきていた頃の話です。 ネット販売がスタートした頃 成功店舗と呼ばれていた店舗 まぁまぁ頑張っていた店はどんな店だったか??当時よく言われてたのは 本業がダメな会社でこれを成功させないと数年後には飯が食っていけなくなるような事業者が多かったように思います。退路を経つというその退路も無いような事業者。そんな会社の後継者が中心でやってる会社です。 当社も もちろんこちら側です。 逆に本業が業績良くてまだ余裕のある会社は上手くいかなかったケースが多かったです。 どうしてかを想像すると ・やり方にもよりますがリアルで一定の業績を出せる仕組みがある会社にとってネット販売はやはり当時は面倒だった。 ・本業の良い方に社内のリソースを取られたり優先される。人員や在庫などです。 あと他にも上手くいかなかったケースがありました。 ・大手の会社でパソコンが得意という理由だけでネット販売の立ち上げを任されるケースです。 これは 商売のセンスよりもITリテラシーだけが高いという理由で人選されてるケースです。 しかも権限をあまり持たせてもらえてなく 承認の階層が多いと ネット販売の場合 そのばその場で判断する案件が多くてスピード感をだして店舗運営をすることが出来なかった。 商売は資本力がある会社の方が大体何をやっても有利なんですが、モールは同じ土俵に上がらざるを得ない。従業員数千人居る会社でも一人運営している方でも良くも悪くも同じ土俵で戦わざるを得ない。 この逆で意外と良いパターンとして言われてたのが 経営者の娘が店長として運営しているパターン。 どういうことかというと 娘なんで外にプラプラ出て働いてられるより社内に居て仕事をしてくれたほうが親父も嬉しいのと 娘なので決済権を全て持ってる というのがポイントでした。 息子はどうなんだ?というと 当時は働き盛りの男性後継者がパソコンに一日中向かって仕事してると「何してるんだ??」という見方をされるのも まだまだあった時代でもありました。 ということで色々書きましたが、結局 当時 頑張ってた(結果を出していた)お店は退路の無い店舗だったように思います。

eコマース研究会の立ち上げ時の話

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 先週 3月1日に和歌山市でセミナーを受けてきました。楽天に出店している上野アメ横 小島屋さんのセミナーでした。 コロナ禍で3年間くらい ほとんど全てオンラインでやってましたので懇親会を含めて久しぶりに盛り上がった会となりました。 このセミナーは県が主催で和歌山県eコマース研究会が協力して開催です。 今日は この会の話をします。社外の事なので当時も社内では一部の方しか知らないと思いますので自己開示も含めてお話しします。 この会が正式に立ち上がったのが9年前の 2014年です。僕自身はその前年からチームビルディングを学びに行き始め社内にもその考え方を導入しようと躍起になりながら 社外では 県内でも同業者が集まって学び合えるようなコミュニティーが出来れば良いのにな〜という思いから 県内でそういった会を有志で立ち上げる流れになりました。 年齢も50代に入ったばかりの頃でまだまだ体力もあるし 両親もまだ体調も良く 家族も居なかったので1人でやりたいことが自分の思うタイミングでなんでも出来た頃です。今から思うとそういったタイミングっていうのは ほんの数年だったなと思います。 定期的に勉強会などを開催する任意団体を作ろうとなると 大体問題になるのは 事務局が必要だったり 会費の管理が必要だったり 講師代はともかく セミナーの会場費が必要だったりと 継続していくとなると その会の承継のことであったり 色々面倒なことが出てきます。しかも何年もその会の中心でやっていく事も出来ないわけですし そもそも会にとってもそれって良く無い事なので この会を立ち上げるにしてもネックは事務局と会費をどうするか?が僕の中でも問題でした。 もちろん自分達のやりたいことをやっていくために会費を集めてやる方法もありますし、その方が良い面も多いのは十分承知しているというのは前提です。 当時 和歌山県庁にも何度か交渉に行ったりもしてました。 ちょうど国も よろず支援拠点という中小企業をサポートする組織が全国に出来たのが2014年で タイミングもよく紹介いただいて そこが事務局をやってくれる流れになりました。 そんな流れで 和歌山県 と よろず支援拠点 と 我々の会方向が一致して 立ち上がったわけです。なかなか会員が順調に増えたりというのは当初の目標通りでは無いですが 当初の目的であった 会員事業所の業績向上と 

ブラインドスクエアの体験を踏まえ

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(写真は1年前) 土曜日は久しぶりのブラインドスクエアでした。時間が無かったので中途半端になりましたが、苦手な人が多くてもうちの会社はアクティビティーのメインはこれで行こうと思ってます。 新しい方が入ったタイミング 定期的に必要なタイミングで 必ず実施していきます。 それは仕事に色々置き換えやすいと思ってるからです。 今回 初めて見る側に回った方も居ると思いますが、見る側でも気付きは多いです。実際にやったり 見たりを 繰り返すことで気づきが深まるように思います。 今回の僕自身の振り返りとして少しお話します。 ・ゴールの共有には時間がかかる。日々のお仕事もそこをすっ飛ばして作業や業務はやってもらえるけど最初に共有をしておかないと遠回りになってるんだろうなと思う。 昔、がくちょに言われたことを思い出しました。 ・ほんとに人によって理解度は様々だった。正確に伝わってるかどうかの確認が重要。 ・メンバー全員にゴールのイメージが理解できてる状態は大変ですが ・詳細なプロセスの共有も まず最初にどうするか?の とっかかりがメインだったし仕事でもそういうシーンは多いと思う。 また それはやってみないと問題が見えてこない部分も多い。 ・1人でやったほうが良いことを最初から分業すると大変になることもあるし ・簡単だからと最初1人でやると 1人じゃできなくなる段階で大変になる。 どっちにしても複数人でゴールを目指すと チームで物事をやっていくと どっかの段階で大変なんだな。という事も改めて感じた。 指示系統が現場を体験しないと指示が的確ではなくなるし 指示系統が現場に入るとそれはそれで混沌となっていたように感じた。 他にも全員が喋れてないのは勿体無いなと感じた。 改めて「ブラインドスクエアの体験を踏まえ私達は仕事をする時にこういう風にします」 ・明確なゴールと詳細なプロセスを共有します。 ・強みを生かし 弱みをカバーし、社内の雰囲気づくりを行います。 ・自分の考えを解りやすく伝え、全員が発信できるようにします。 ・人によって理解度は様々です、正確に伝わっているか確認します。 ・自分の仕事はしっかりやりきり、チーム関係なくフォローします。

ChatGPTの登場にワクワクしてます

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 最近流行りのChatGPTの登場が久しぶりにワクワク感があります。AIを身近に手軽に本格体験できる初めてのツール。新たなテクノロジーが生活を変えていくということ 今までもGoogle検索が出た時 Gmailが出た時 iPhoneは少し遅れて Googleマップ登場など その時々でワクワクしたり不思議だったり ちなみに Google 検索が世の中に出てきた時はそれ以前のYahoo!のようにポータルサイトではないのが不思議だったり どうして検索のGoogleがフリーメールの領域に進出したのかも不思議に思いました。 例えば Googleマップは2005年に登場したわけですが 世の中を大きく変えたテクノロジーだったと思います。登場まえはどうだったかというと ・従来は地図情報を入手するには 書籍 地図帳を見なければならなかったです。 ・道案内が簡単になりました。 ・プライバシーの意識が変わった。従来は住所がわかっても一般の人は番地など正確に調べることはほぼ不可能でした。今はストリートビューがあるので家のデザインまでわかってしまいます。 ・地図の精度も向上しました。リアルタイムの渋滞情報もわかる ・ローカルビジネスのプレゼンスを強化することで地域経済の発展も担ってきた。 ・施設情報も提供 「ChatGPT」 もっともっと進化していくと思いますが  登場以前と以降ではまた世の中が色々変わっていくと思うとワクワクします。 ちなみに先ほどのGoogleマップ登場以前のネタはChat GPTから教わった内容です。

インドビジネスミッションで感じたこと

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インドビジネスミッションの話をします。 なぜ行ったかの話は前回しました。 行程全般の報告はメールでしますがほぼ行程表の通りでした。 今回は文化や習慣の違いで感じたことをいくつか話します。 中国は4000年の歴史といいますが、インドはインダス文明といって5000年も歴史があります。 今回行った場所はインダス川流域ではないですが西側のムンバイという都市。 ・とにかくゴミが凄い。到着して2日間くらいはゴミのことばかり考えていました。ゴミの中で暮らしてるような状況。日本人が行くと誰もがまずそう感じるらしいです。だからといって街中が生ゴミで臭かったわけでは無い。同様に公害も酷く日本で言う昭和30年代の高度成長期のような感じでした。収集の仕組みが無いんだろうか?とか インドの方が海外旅行に行った時に逆に綺麗で何も感じないのだろうか?とか ネットが普及して世界の状況も解るようになったのにゴミだらけが変だと思わないのだろうか?とか 逆に 日本は何があってこんな綺麗な街になったのかも気になるようになりました。 ・インドは世界で4番目に自動車の多い国だそうです。中国・アメリカ・日本・インド スズキやトヨタのように日本の車も非常に多かったですし 都心から離れると小さな三輪タクシーも多い。 ・道路交通法や交通ルールが少ないのかルールを守らない クラクションを鳴らす信号は赤でも止まらない。何でもあり。横断歩道ではない道路の横断は待ってたらいつまで経っても渡れない。独特なタイミングでインド人は横断していきます。それに付いていかないと渡れない。 ・食事は インド料理というくらいで 世界にはフランス料理・イタリア料理・中国料理・日本料理など有名な料理がありますが かなり慎重になりましたが 口に合う しかもスパイスって体に良いんだろうなと数日いて感じました。体調がすこぶる良かったです。 他にも・お客様に対しての歓迎は日本のそれより丁寧であったり・仏教の国だからかお年寄りへの敬意は日本より高そうな印象もありました。

モチベーションの源泉 コンプレックス編

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インドビジネスミッション 無事行ってきました。今日はその報告の話をしようと思ってたのですが、刺激が多すぎてまだ頭の中を整理してお話できるほど纏まってません。 まず、なんで今回行こうと思ったのか?の話だけします。 この4・5年 父や母 コロナの事もあってなかなか外に出るのが難しかった事で今まで無いくらい仕事も引き篭もってる事が多く 気持ちも内向きで 更に建築の投資案件もありました。 元々引っ張られないと出ていかないタイプなのでいい機会だと思ったのと、なかなかこういう機会でもないとインドは自分では選ばない ということで母もショートステイを始めたり丁度いいきっかけなので まだまだ動けるうちにと思って参加しました。 今はYou Tubeなどでの疑似体験も出来ますが、機会があれば皆さんも若いうちに色んな海外は実際に行って観といたほうが良いなと改めて思った。  前々回 モチベーションの源泉となってる言葉の話をしました。「嚢中之錐」 「中江も化けるかもしれませんよ」 「東京にもお店を・・」 他にもモチベーションのバネになってる事があります。 それって自分のコンプレックスなのですが。 よくコンプレックスをバネにとも言いますが 子供の頃の話です。クラスや幼馴染に何をしなくても周りに人が集まってくる子って皆さんが子供の頃も周りに居たと思います。 面白かったり スポーツが出来たり 何かが得意だったり。。カッコ良かったり。。常に中心になってる そんな友達が皆さんの周りにも居たと思います。 僕はそういう周りに人が集まってくるタイプではなく(当時はそんな事思ってなかったと思いますが)そんな友達がどこか羨ましかった。 いつの頃からか解らないけど 結果を出すと集まってきてくれる 今考えると 高校の頃 結果を出すと 皆が集まってきてくれた 注目されたという経験が根底にあったのかもしれません。 その頃からだと思うのですが「僕は結果を出さないと皆と同じ土俵には上がれない」と思うようになったんだと思います。 大勢の中に居ても結果を出さないと 結果を出していないと とても居心地が悪い。結果を出してようやく周りの皆と同じ土俵に並べる。結果を出すことが唯一 その場に居れる というような。何かそんなふうになってきたような気がします。 そんなコンプレックスがモチベーションのバネに 明らかになってる気がします。 もち

朝会の話、自分自身 気を付けてるところ

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ゼミで朝会の始まった経緯を話しているのですが、詳しい話はまたゼミで話します。 この朝会、週イチですが 毎週 なかなか朝会開始の直前まで話す内容がまとまりません。 2016年10月くらいからスタートしまして 1年54週ですので約50回くらいとして 6年以上経過してるので300回以上お話を続けています。そんなに日々色んな出来事が起こるわけでもなくプライベートな話ばかりしてもしょうが無いので 毎週 ネタが無い中、絞り出すようにアウトプットしています。 で、この話の内容ですが 自分自身で少し気を付けてることがありまして ①同じ話を何度もしないようにする ②聞いただけの話や本を読んだ話だけするのはやめよう ③極力 体験や気付きに基づいた話にまとめよう 上記①については 子供の頃の体験からきてます。祖父が戦争の話ばかりしてたことの印象が強く 僕の中で「歳を取ると同じ話ばかりする」というイメージが強くて 極力同じ話はしないようにしたい という変な拘りから来てます。 朝会だけではなくいつもどこかで「同じ話をしてないか」は気になってるかもしれません。 ②や③は御理解いただけると思います。 ということで、朝会はこんなことを注意しながら内容を決めてるわけですが、一方で「経営者は同じことを何度も何度も伝えなければならない」という話もよく聞きます。 なので今年から今月の給与明細にその月の朝会で話した内容をまとめてプリントアウトして同封することにしました。 父が長年継続していたナカヱ通信の復活です。 恐らく全員 朝会の内容は すぐに忘れてると思うので もう一度読んでもらってもいいですし ご家族の方に渡して読んでもらってもいいですし すぐに捨ててもらうのもOK。 本日お渡ししてるので確認してください。

モチベーションの源泉 言葉編

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『モチベーションの源泉となってる言葉』誰しもそういった言葉があると思います。 自分のコンプレックスに関わることであったり 想定してなかった周りの発言であったり 家族との会話の中や 何気ない一言が ずーっと自分の中で人生の重要なキーワードになってることってあると思います。 僕の中でもきっと他にも色々あると思うんですが、すぐ思い出す言葉を3つあげるとすると。 1つ目は 前職を退職する時 25歳の3月 35年前の出来事です。 実家に帰ることになって会社に退職願をだして引き継ぎやら送別会やら退職の準備をしてる頃言われた言葉です。。 当時配属の店舗 竹塚東店という店舗だったのですが その時の店長に珍しくランチに誘われてその時 喫茶店で聞いた言葉なのですが「中江さん 退職するということで一つ言葉を贈ります 『嚢中之錐』という言葉です。」って言われました。 恐らく中国のことわざで その時は「大人になるということは こういう事言えるようになるってことなんだな」と感じたのを覚えてます。 袋の中に入ってる錐はいずれ袋を破って出る ということで 改めて検索してみると 「才能ある人は、殊更それを主張しなくても自ずと目立ってくるものであるというたとえ」だそうです。 その時 店長は僕に対して 本心はどういう意味でその言葉を贈ってくれたか解らないですが 心のどこかでこの言葉が今でも気になってます。 2つ目 これも初めて話すと思うのですが 結婚式の時に 当時はバブルの頃 披露宴は取引のあった かどやさん で行ったのですが 当時の取引先メーカーも数名ご招待して行いました。 その披露宴の どの場面だったか覚えてないのですが、家内が唐突に 「頑張って東京に中江商店出しますので!」って言いまして それ聞いた時「え??」って思ったのを覚えてます。言った本人はもう忘れてるようですが これはまだ叶えてあげれてません。 3つ目 これは以前もお話したことある ネットショップを立ち上げた頃 23年くらい前 当時の狭い事務所内で片山さんに ある会話の流れで言われた言葉で「中江も化けるかもしれませんよ!」これも言われたシーンを覚えてます。 こちらももう少し頑張らないと「化けましたね」と言ってくれないと思いますので、頑張ろうと思ってます。

人の応援をするということ

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 宮ノ前ゼミで最近話した 「人は自分のためだけにはそれ程頑張れない」という内容にも繋がりますが。。 15年位前の出来事です。子育ての頃です、読書もそれほど得意ではなく 今から考えると自分が子供の頃の経験と照らし合わせて それでも時代にあったようにしようと思って子育てしましたが、間違ったことも色々したなぁと思ってます。 義理の父が「爺さんを経験するのは初めてだから」みたいな話をしてましたが 誰もが経験するように まさに子育ても初めてで、もちろん社長も十六年くらいやってますが、まぁ初めてのことばかりやってますので解らないことだらけです。 で、当時子供に言ったことで妙に今でも覚えてる事がありましてその話です。 高校に入って確か ブラスバンドをやりだした時 入部した時はまぁ別に良いねと思ってたんですが なんか問題を起こした時だと思うんですが まぁ何きっかけか忘れましたが 「人の応援なんかしてて何が楽しいんだ!」「自分がやらないでどうする」みたいな話をしました。 この「人の応援なんかしてて何が楽しいんだ!」はその言葉を放ってから 妙に自分の中に残ってしまってまして。。 どういうことかというと 部活には 人の応援ばかりしているだけではないでしょうけど 応援団や チアリーディング部 なんかがあってそれはそれで歴史も伝統もあり学びも気づきも多いだろうと思ってます。 当時の楽天のミッションは「日本全国の中小企業をエンパワーメントする」 「応援する」というモノでした。 応援してる会社が上場して今や日本を代表する会社になり 応援されてる会社は 未だに零細企業のまま。。 人を応援することは尊い事で 凄い力を発揮できるんだな ということと 「人の応援なんかしてて何が楽しいんだ!」と言い放ったことの妙な矛盾。今でも気になってます。