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チームオフサイト実施

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先週の土曜日 13日は初めてのチームオフサイトということで お疲れさまでした。 社外でやるミーティングの始まりは 2015年くらいにリーダースキャンプということでスタートしました。それまでは週に一度のリーダーミーティングと月に一度の全体ミーテイングで会社経営を進めていましたが それだけでは物事が決まっていかない 足元の話し合いしか出来ない 長期的な計画が話し合いにくいなどの弊害が沢山でてきてました。 どうやったらそういった事を解決できるのか?ということで SNSなどで友人の経営者が 役員合宿のようなことをやってるのを見てスタートしたのがきっかけだったと思います。 カレンダーを見ると2015年に初めてやってるようでした。 日常業務から離れて実施ということですが 最初にリーダー連中を連れ出して実施する というのは 一つ自分の中でハードルがありました。 日常業務を放ってという部分が気になってということですが 一方、終えてみると こういった一日はとても重要だな 会社にとっても必要な意味のある一日だったなと思え 今後も継続していくことは重要だな。という認識になりました。 チームオフサイトもとても楽しかったように報告を受けてます。 半年後にも実施しようと思います。

休日の過ごし方

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最近の休日の過ごし方ですが 父が亡くなってから 休日はほぼ100% 昼に 母とドライブという日課になってます。昨日も行ってきました。 父が亡くなって二年半ですので祝日なども入れると150回くらい母親とドライブしてる事になります。主にそれこそ 御坊田辺保健所管内のドライブで 御坊方面と田辺方面の割合は1:4くらい。 どこへ行きたいわけでもなく 車から降りて何かをするわけでもなく 車の中から景色を見てるのと 通ったことの無い道路を通るのが好きなようです。 用もなくドライブするという事が今までなかったので この2年でこの周辺を走り回ってるわけですが、半径30km程度でも行ったことのない道路の多いこと。卸をやっていた30代の10年間くらいはアチコチ車で配達してたのでこの地域はほぼ網羅してると思ってましたが、こんなに知らなかった道路・通ったことの無い道路があるんだなとビックリしています。 父が車の運転が好きだったという話は何度か伝えたと思いますが、もしかしたらそれ以上に 母親が車で出掛けるのが好きな人だったからかもしれません。しかも女性の割に方向は確かでした。 このドライブ いつ終わるか判りませんが、本人が行かないと言うまで続けていこうと思ってます。 ちなみに父が元気だったら今日 88回目 米寿の誕生日です。

「今 熱中してること」というお題で

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 熱中してるわけではないですが、母親が去年の秋ころから料理の作り方が解らなくなってしまって 昼食と夕食を作る係になりました。それまでは調味料を間違ったり 調味料の量を間違ったりしながらも作ってくれてたんですが、だんだんやり方が解らなくなったのか 僕がやることになりました。 さらに1月上旬に目の奥の血管が切れて それまではご飯の準備 磨いだり炊飯器のスイッチいれたりはできたのですが それもできなくなりまして。 だんだん介護が必要になってきてます。介護をしながらの 経営者の仕事ということですが まぁ楽しんでやろうと思ってます。 僕自身 料理は今までそれほどやってなかったのですが 買い物から料理、後片付けまで やってみるとまぁまぁ出来るもんです。 まぁまぁ出来る最大の理由は ネットにレシピが掲載されているからなんですが、凄いですね。冷蔵庫にある材料を入力するとほぼレシピが出ます。 又、やってみないと 解らない気づきも色々ありました。 料理や後片付けをやってみて ・食品スーパーでも 想像していたほど生鮮の品揃えは無いもんだなぁ。  ロスが少ない品揃えにしようとするとリアルは色々厳しいんだろうな。 ・炊事手袋の破壊力は凄くて寒くても水仕事が全く苦にならなくなりました。 ・「美味しい」って言ってもらうととても嬉しい ・キッチン周りに目が行き届くようになると見えるものが違ってくる。 ・自分が作ったら愛着が湧く 多少不味くても(味が濃いとかでも)食べる。 色々な気づきがありました。

「同じ釜の飯を食う」ということ

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 「同じ釜の飯を食う」 大学4年間のいちばん重要な四年生の時の秋のリーグ戦の初戦。 初戦はとても緊張する試合で それまでの定期戦で先発メンバーを決めてベストで望んだ試合でしたが大負けをしてしまいました。 今から考えると 理由はいくつかあったと思いますが、リーグ戦自体は団体戦ですが 個人の表彰もあり 一人ひとりが個人の成績に固執してしまってチームとして一つにまとまっていなかったのが大きかったんだと思います。 OB達もこんな為体ではダメだと感じたのか 試合後に道場に集まって学生にハッパをかける、そんな事がこの試合の後ありました。当時はよくありましたが 僕が在籍していた四年間では一番印象深かった試合後でした。そこで何があったかは割愛しますが 何よりOBもコミットせざるを得なかった そんな散々な試合結果でした。 学生全員が坊主になってその後のリーグ戦の試合に望みましたし。時代としてもそういったことが当たり前にあった良い時代です。 で、その試合後から毎日のように道場に来てくれるようになったのが当時の助監督です。 たしか助監督の案で練習終了後に 部でご飯と味噌汁を炊き おかずは部員持ち 練習終了後にレギュラーだけじゃなく部員全員が腹一杯に夕食を食べて 食べ終えたら 決められた時間に自宅に帰る。規則正しい生活をおくる。 体育会の学生でしたが 弓道部は部員全員が下宿生活だったので 春と夏の合宿以外は いわゆる同じ釜の飯を食べることはなかったのですが、大きなピンチのあと そういった生活で一ヶ月「同じ釜の飯を食って」リーグ戦を戦うことになりました。 その後 色々なミラクルが起きて3勝1敗でしたが 勝敗がもつれ込んで優勝しました。 当時も「同じ釜の飯を食う」という言葉はありましたのでそういう事を目指したんだとおもいましたが、自分が学生で当事者だった当時はあのタイミングでそういった判断や対処は出来なかったです。提案してくださった助監督のお陰でその後のミラクルも起きたんだと思います。 その後、自分が助監督のときにも 学生時代に経験したそういった試みは何度もやりました。 同じ空間で同じものを食べる事で一体感が生まれる。 これって もともと人類のDNAに組み込まれていることなんでしょうね。 コロナ禍で今はなかなかそういった事が出来ない状況ですが、また以前のように月イチで皆でご飯を作って食べたり 

スポーツから学ぶのは未来(最先端)から学ぶことに近いかも

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 スポーツとビジネスは通じるところがある という話は僕自身の僅かな経験だけでも色々お話しましたし、ジャイキリ本はサッカーの漫画からきてたり チームビルディングという言葉も 今では経営者やスポーツ選手なら誰しもこの言葉は聞いたことある言葉だと思います。 スポーツの世界は ある部分ではビジネス世界より とても進んでるところがあって 例えばチームのパフォーマンスをどう上げていくかであったり 個人のパフォーマンスをどう上げるかという部分は ビジネスの世界より とても進んでるように思います。ある意味 未来。 また、良く ビジネスは歴史から学ぶ という人も居ます。 そういう意味では 歴史は過去 で スポーツは未来から学ぶのかもしれません。 で、先日ネットで紹介されてた記事と You Tubeを見たのですが 3つテーマがありました。「チームづくり」「睡眠」「スポーツと科学」 「チームづくり」はチームビルディングの話です。 「スポーツと科学」は主観的なデータと客観的なデータをパフォーマンス向上につなげようという内容で この2つのテーマはスポーツに関して重要なことは言われるまでもなく理解はしてました。 もう一つのテーマが僕の中では意外で「睡眠」が パフォーマンス・人間関係・チームワーク・判断・感情コントロール などにとても影響を与えるということです。 「睡眠は大切ですよ」というのは昔から当たり前のことなんですが、自主的に自己管理する分野で本格的に指導の領域にあるというのは目からウロコでした。 自分自身も50歳を過ぎた頃から夜ふかしはヤバい。夜ふかしをした次の日は大変というのは理解してて誰しもそのあたりは理解できてるのですが、少しずつではありますが 良質な睡眠もトップアスリートの常識に近づいているようです。 良質な睡眠も栄養摂取と同等の扱いになっていくんでしょうね。 スポーツの世界でもっともっとこのあたりも研究され解明されて その後 ビジネスの世界でも重要だと取り上げられる そんな事が当たり前になってくるような気がします。

今年も初詣の御祈祷に皆で行ってきました

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 昨年に続き 今年も地元の氏神さま 山口八幡宮に会社の皆で初詣に行ってきました。 新年の仕事初めの4日夕方に早めに業務を終え 予約をして「社運隆昌・安全祈願」のご祈祷をしていただきました。ちなみに 去年のブログはこちら 去年1年間は コロナの影響で和歌山市への出張の機会も減り 月イチの参拝も地元である こちらの山口八幡宮へお参りさせていただいておりました。 一昨年同様 やはり毎月の参拝でもその時々の課題は変化していましたし、また昨年は大きな決断のタイミングでもありましたので定期的な参拝は自分の中でも重要な意味ある行事となってました。 この写真だけをみると十日戎にお参りしたように見えますが 初詣です。 今年の記念撮影は神主様にも入っていただきました! 昨年初めて会社でのご祈祷を新年に受けたわけですが、その後 会社の方向性を大きく変えていくような出来事が次々と起こりました。 1年前、ご祈祷いただいた時には想像しなかったような未来にこの会社は進んでいこうとしています。 今年もまだまだコロナ禍ではありますが 社員・社員のご家族 お取引先を含めステークホルダーやお客様、業界や関係するすべての方々の運気が上がり 皆が安全に働けますように、また素敵な方々との出会いやご縁がありますように。

海岸掃除やってみた

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 先週の土曜日、「一度やってみようか!」ということで実施した海岸掃除。 26日土曜 出勤メンバー17名で早めに業務を切り上げて 近くの海岸(畑野崎海岸)の掃除に行ってきました。 町役場にも事前に打ち合わせに行ってもらい集めたゴミの処理方法なども確定した上での実行日となりました。 事前に掃除の箇所は下見に行ってきて、候補地が町内でも6ヶ所程度あったわけですが 初めての試みなので ここは駐車場所もあるし 安全に実施しやすい場所だなということでこの場所に決定。相当ゴミが多かったのもあり 通常業務から捻出できる時間も限られてることもあって やる前は「どうなるかな??」と思ってましたが 思った以上にゴミは集まりましたし、想像していた以上に綺麗になるもんだなというのが終えた印象です。 今回の掃除では自然物は拾わない。というコンセプトで実施したので流木などはそのままイッパイ残ってます。 現地に前集合してから実際には約1時間ちょいだったと思います。今回は特に細かい指示をするわけでもなく それぞれがどうやってこの海岸をキレイにしようかと考え 分散したり協力したりしながら 一人ひとりが どう動くか どう動いたほうが キレイになるか 楽しくできるかを考えながら動いた結果だと思いました。 おそらく日々の業務も毎日のことだから解りにくいのですが 所帯が大きくなってきた分 大きな成果を出しているわけだと思います。 掃除を終えた後、一人で振り返りをしてるときに浮かんできたのが「速く行きたければ一人で進め 遠くまで行きたければ皆と進め」というアフリカのことわざです。なんで浮かんできたのかよく解りませんが。。 ネット販売の運営も自分ひとりでやるほうが早く成長でき良かったステージもありましたが、今は 仲間と皆と遠くへ行くステージなんだと思います。 来年も まだ見たことのない遠くまで皆と行きたいなと思いました。

存在承認・アクノリッジメントはやっぱり大事なんだな

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 「表彰されたこと」というお題 書道とか硬筆 写生ですが 小学校のときはあまり無かったんですが 中学の時 夏休みの宿題で書いた絵かなんかが 表彰された記憶があります。どんな絵だったかというと、農家の納屋みたいな場所に勝手に入ってその中で土壁のづり落ちてるのを遠近感出して書いたんですがそれが表彰されました。 たまたまうまく書けたのもあるんでしょうけど、美術の先生が居たことが大きかったです。  上杉先生という方で 実はその先生は母も切目中学の頃 教え子だった。要するに親子2代でお世話になった先生でした。 その先生には目をかけてもらった記憶が多い。 日高高校に行くんなら美術の先生が居るから みたいな話もしてくれてました。 理科も教えていたんですがその授業も好きで成績良かったです。理科は2教科あったのですがどちらも好きで成績もよかった記憶があります。両方の先生とも家族まで知ってくれている先生でした。 それとは逆で 英語は全くダメでした。英語は当時 中学で初めて教科に入るわけですが小学生の頃とは違って 多感なタイミングだったからか最初に教わった先生何人かが僕の中でイマイチだったのが大きかったと思います。 改めて 存在承認・アクノリッジメントはやっぱり大事なんだな。 というお話です。

何でうちの会社でブラインドスクエアをやり続けているのか??

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 土曜日は全体ミーティングお疲れさまでした。 久しぶりにペーパータワー、二ヶ月連続ブラインドスクエアを実施しました。 振り返りでは新しい方も増えてきたので うちの会社でのブラインドスクエアの位置付けのようなお話をしました。チームビルディングを導入して会社は少しずつ変わってきました。一番影響を受けたのは僕自身だと思いますが、いろんなアクティビティーの中でもブラインドスクエアをうちの会社では何度も何度もやってます。 一番たくさんやってる人は十数回はやってると思います。何度やってもその時々で色んな気付きがあったと思います。 今日は じゃー何でうちの会社で チームビルディングを・・アクティビティーをやるのか? これは 仲山さんの受け売りですが  楽天の店舗がどの店舗も楽天ドリームなどで成功や失敗の共有をしても 規模が大きくなってくると皆 同じ失敗をしてる。 体験を通じてで無いと 人は学習できない。 「人は教わっただけでは学べない」 「体験して気づかないと学べない」 ということです。 あのゲームをやってみると ・自分の考えを伝えるのは難しいよね。 ・伝わってると思ってもなかなか 正確には伝わりきってないね。 ・進捗の共有って大事だね。 ・同じゲームやってても得意なことと不得意なことはそれぞれ違うね ・一つの課題に対してそれぞれアプローチが違うし 動きも違ってるね。 ・お仕事に置き換えるとこういうことだな。 ということが体験で気付きます。 「人は教わっただけでは学べない」 「体験して気づかないと学べない」 日常業務を休んでまで時間を掛けてコストを掛けて 長年 チームビルディングのアクティビティーを当社でやり続けているのは そういう体験からの気付きで成長していくのが 遠回りのようで一番近道じゃないかと考えてるからです。

ビジネスはスプレッドシートにしたら勝ち

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 朝会のスタートが2016年の秋からだったので丸4年になりました。週イチのアウトプットですが毎週 もうネタは尽きたな と思いながら続けています。 毎週ギリギリまで何を話すか考えてるのですが 今日の内容は いつかタイミングの良いときに話そうと思ってた大学の部の話です。 一部の方には話したこともある内容です。 母校の部は僕が入部したころから既に強い部で 卒業してもうすぐ 40年になりますが継続して頑張ってくれています。その当時監督をしていたのが恩師ですが その恩師が40年間 監督をしていて 貢献したこと 様々あると思うのですが その後も 部に影響を与え続けることになった 僕からみて一番影響力があった案件だなと感じてるのが今日の内容です。 こちらの表がそうで、説明すると年間のタイトル表に優勝した大学名を入れる 非常にシンプルなスプレッドシートです。 非常にシンプルが故に学生は自分が在学中に もっと言えば 自分が4年で指揮を執る年にいくつ優勝できるかが 否応なく刷り込まれます。 また優勝校しか名前を入れれないので準優勝の2位は予選落ちと同じ扱いになります。 この表は僕が入部したときにはすでに道場に貼ってましたし常に監督は持ち歩いてました。どこの大学に行っても当時こんな表は作ってなかったです。 当時は面白いお爺さんだな と思ってましたが この表があるだけで学生達は入部した途端に 否応なく優勝を目指すという 十字架を背負うことになります。 先日、楽天の三木谷さんの朗読会がありました。毎回 プロの経営者だな という話が出てくるわけですが「ビジネスはスプレッドシートにしたら勝ち」という話がありました。 先程の部のタイトル表もそう言うことだったんだな と改めて感じました。

自分の苦手なところ「具体と抽象を行き来する」

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 社内プロジェクト『水も滴るプロジェクト』で自分の苦手なところが改めて判明しました。参加している方はSlackで読んでるかもしれませんが、参加していない方も多いのでここにも書いておきます。 滴るプロジェクトではこの会社の目指す方向を再考しているわけですが、過去の歴史 自分たちのやってきたこと 得意なこと 苦手なこと 好きなこと 嫌いなこと を出し合って12月には ワクワクするような方向性を発表する。そんな予定です。  毎月 先生から課題を頂いてそれを進めることでアウトプットしてるわけですが、具体的な問いの課題には対応できるんですが 抽象的な問いにはなかなか答えられない。そんなシーンが多かったです。 先生も言われてましたが、「具体と抽象を行き来する」 それが重要らしいです。ネットにも色々掲載されてますし人気の書籍もあるようです。 そういえば 今までも経営者として どう会社を経営していくか 店舗をどう運営していくか?業務改善をどう進めていくか? 常に課題はつきまといましたが どんな案件も 具体的にどうすればいい。こうすればいい。ああしたい。ここはコノようにしたい。というのは出てくるのですが それを抽象化して説明するのが とても苦手でした。 「具体と抽象を行き来する」のが苦手ということみたいです。 トレーニングはしていこうと思いますが、今後も苦手だろうなと思ってます。

子供の頃の出来事

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 今もあまり変わってませんが 非常に引っ込み思案な性格。幼稚園にはじめて行ったときも園内に入って行けずに 幼馴染のひとつ下の子に引っ張られて園内に入っていった記憶があります。 当時 叔父がまだ結婚する前で家族と一緒に住んでたのですが 家の中で蟻を見て遊んでる僕を見て この子大丈夫か?大きくなっても蟻ん子と遊んでるんか?と心配半分でイジられた記憶があります。 そんな内向的な僕でしたが、とても家族受けした出来事を紹介します。 小学校低学年。 うちの会社は 当時 中江商店として 小売もやってましたが、父と母は卸売をやってたんですが卸売と言っても移動販売のような商売だったと思います。記憶に鮮明に残ってるのが 昭和40年代前半 昭和42年に四国放送で金ちゃんラーメンのCMがスタートして 田舎でも袋麺が売れ始めてきた頃。 わんわんラーメンの実演販売 推奨販売というのがあって 切目川筋 岩代 のお百姓どころで お店が当時もあまり無かった地域に移動販売に行ったシーン。当時は家族も多かったからだと思いますが、そこで箱でラーメンを買ってくれる。一軒で何箱もインスタントラーメンを買ってくれてた印象です。 そんな両親が商品を車に積んで商売をしていたのが子供心に頭に刷り込まれていたのか。。 中江商店には2輪台車が1台だけありましたが、何のスイッチが入ったのかわかりませんが そこにオモチャを積んで近所を移動販売した事がありました。その事が とても家族受けした。とても喜んでくれた。そんな記憶が残ってます。 内向的だったから 大きくなって大人になったときに客商売が出来るのか不安だったからか?商売の真似事をやったのが親として嬉しかったのか?なんだか解りませんが とても家族にウケた。そんな記憶が残ってます。

労働生産性を高めていくためには

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 中期計画で売上30億・30人体制・経常利益6000万を目指しています。 9月を終えて第三四半期を終えました。 今期も今月を含めて後三ヶ月です。 今期の売上はコロナの影響や皆の頑張りでお陰様で18億を超えてきます。 先日リーダーミーティングでも少し話をしましたが 日本は先進国の中でも労働生産性がとても低い という風に言われてます。(労働生産性とは労働者一人あたりの付加価値額。計算式は色々あるみたいです。) 僕自身この件に関して 日本人は勤勉でよく働く国民性なのに労働生産性が何でそんな低いんだろう??と思ってました。 先日聞いた内容では、先進国での その国にある20人以下の中小企業の数(そこで勤めてる従業員の数だったか??)をグラフにすると上記のグラフと真逆になるそうなんです。要は規模の小さい中小企業はどう頑張っても労働生産性が低いということかとおもいます。日本は規模の小さい会社が多く先進国の中でも労働生産性が低くなるということ。 上記は世界規模の話ですが、では。。 10年前 当社の売上は7億2千万で 9月に給与を支払っていた人数は 20名でした。一人あたりの年間売上が3,600万。 今期  18億以上になりますが 27名です。一人あたりの売上は6,600万になります。 この数字だけ見ても(これは売上ですが)労働生産性が上がってそうです。 一定の規模をしっかり目指していかないと我々一人ひとりも潤っていかない。 改めて しっかり中期計画を目指していく事が重要だと感じました。

eコマースで飲料をお届けする 販売する このビジネスの本質は?

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そもそも店頭で買うのと何が違うのか??? 1.販売するタイミングはどうか?というと  店頭販売の場合 従来は現物の在庫が入って店頭に並んでから販売です。  eコマースは現物があっても販売できませんが、逆に現物がなくてもデータが揃ってページに掲載すれば販売可能です。 2.購入するタイミングや場所はどうか?  従来はお客様が営業時間に店舗に行った時に購入するわけですが  eコマースは24時間・自宅や会社から購入します、又 スマホの普及で休憩時間や通勤の電車の中でも購入できることになりました。  又 何かをしながら(テレビを見ながら、デスクワークをしながら、家族で画面を見ながら)購入もできます。 3.商材という切り口ではどうか? 現状我々は市販の商品をそのまま箱で販売してるだけですが  例えば商品の大きさは?という観点で言えば   店頭なら自分が持って帰れるサイズですが、eコマースなら宅配業者が運べるサイズであればOKです。  単価は?という観点からだと   店頭だと1点あたりの価格は数百円程度まででそれ以上の商品は販売しにくいと思いますが、eコマースの場合は3,000円代の商品が販売しやすいと言われてます。  パッケージは?という観点では   店頭ではパッケージだけで商品の説明が完結されてないと販売しにくいですが、eコマースの場合はラベルレスのような商品もOKです。 4.では商品がお客様の手元に届くタイミングは・・・  店頭では決済をする前に手に取ることが出来ます。  eコマースは 決済も済ませて最短翌日以降、例えばクラウドファンディングなら 別に一年後でも可能。 5.商品価格は?  店舗からの自宅や職場まで お客様が労力を使う  自宅や職場までのお届け先までのコストをお客様が支払う。  ただ、ギフトも自宅消費も同じコストで手に入るというのもeコマースの特徴です。 まだまだ他にも切り口は有ると思います。 この違い、この商売の本質を理解して 常にこのビジネスに取り組む事が必要だと思ってます。

「退路を断つ」僕の中でのイメージ

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 土曜日に発表したワークシートで「退路を絶ってガムシャラにやるしかない」と雑に書いたのを紹介したのですが。。。 「退路を断つ」って良く聞く言葉です。 武勇伝を語りたいわけじゃないですが。。 大学を卒業する時に弓道部で文集を作りました。 文集自体はレベルで言うと中学生くらいのフザけた文集です。まぁ何を書いても良いわけで 似顔絵を書いて済ます人もいれば、意味のわからない空想の話を書いて終える人もいたり 後輩も先輩を弄り倒してる文を書いたりと様々なんですが、どういうわけか 僕は 退路を断つ そんな話を書いてました。 なんでそのタイミングでそんな文を書いたか覚えてませんが 2つ考えられるとすると 一つは 個人競技としての競技中に何度も感じた事だった。 もう一つは チームがタイトルを目指す上で とても重要だった。 ということだったと思います。  「人はとても弱い生き物だ」というとカッコいいのですが「僕自身がとても弱い」という事が解ってました。 とても弱いから 逃げ道を塞がないと 自分では意識しないうちに(←ここが重要)逃げ道に流れてしまう。そうならないように まず逃げ道になりそうな所を頑張って蓋をする。僕の逃げ道は一箇所どころじゃないです。  だいたい 誰しも逃げ道は残しておきたいモノです。そこにあるのが解っていても見ないふりをしてそのまま残しておきたかったりする。その全てに蓋をしていく。 そういった地味な作業をする事が何より重要だった。 逃げ道が無くなったら弱い自分でもどうにかなった。そんな印象です。 「退路を断つ」その言葉から想像するイメージは 崖の突端で 自分が渡ってきた橋を壊す そんな感じを誰しも想像してると思うのですが 僕の中では そんな壮絶な兵士のようなイメージではなく ビニールプールの穴の空きそうな所を全て補修してしまう。そちらの方が近いです。 水は低いところに必ず流れます。人も逃げ道があると必ず 本人の意識の外で本人の意志とは逆に逃げ道に逃げていく生き物です。要は 水が漏れそうな逃げ道を塞げれば 誰でも どうにかなる。というのが僕の考えるイメージです。