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自分の強み「慎重さ」について

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自分自身の強みの話は比較的やってるかなと思って 以前の朝会の話した内容を見たら 2019年に6年ぶりにストレングスファインダーを実施したときに新たに出てきた3つの強みの話をしていました。もう3年前です。 そのときにどういう話をしたかというと[6年前とは違い現場を離れ プレーヤーではなく立場が違ってきたことで必要な強みが出てきた]・・そんなお話をしました。 2回とも出てきた「慎重さ」と「着想」については特に僕を形成している強みなわけですが 今日は「慎重さ」の話をします。 【慎重さ】 書籍に書いてる中でもよく当てはまるのがこのあたりです。 『自分のことをあまり対外に向かって発信しない傾向がある。』 社内では「自己開示をしていこう」と言ってる割に自分の話をするのは苦手です。最近はチームビルディングの勉強をしたお陰で頑張って伝えるようにしてますが、でもまだ この朝会が唯一と言っていいくらいでしょうか。 『なかなか打ち解けないという理由であなたを遠巻きにする人が居るかもしれないが、当の本人はあまり気にしないことが多い。【慎重さ】を強みに持つ人にとって人生は「人気コンテスト」ではないからである。』 これも正にそのとおりで、特に地域に対してはこういった側面が多いと思います。昔から家族で笑い話をするのですが、ほぼ人生の大部分をこの街 印南で過ごしてる僕より 家内のほうが知ってる人が多く「友見ちゃんの旦那さんってどの人??」って言われることが多かったようです。もちろん家族にも自分の話はそれ程しなかったです。 『過度に人を褒めたりしません。』 これもイケてない部分ですが 子育てのタイミングでも子供を褒めたりもしなかったと思います。 もちろん「慎重さ」という言葉で想像できるこのあたりも当てはまってます。 用心深い 油断しない 最新の注意を払って進む 世の中を「予測出来ない場所」と考え、危険を感じ取るとともにそれを表面化し、一つ一つ解決していこうとする。 この辺は商売にも影響されていると思います。粗利が低く そもそも慎重でないと失敗する確率が高い商売だと思いますので。。。 周囲からは「真面目な人」と映りやすい。また、実際にそうであることが多い。 この辺も両親の影響や祖父祖母の影響も大きいと思います。 『慎重さ」のそもそもの英語「Deliberative」には 決断するために注意深く検討する

ネット販売以前の商売との大きな違い

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先日 7月30日は楽天に出店して23年目でした。それ以前の当社の商売とそれ以降の当社の商売はこの出店をきっかけに大きく変わっていった訳なんですが。。今日は何がどう変わったかの話をしたいと思います。 それ以前の商売は それこそランチェスター戦略の真逆をいくお手本のような商売でした。当初小売をやってて卸売を始めたという経緯もあってか品揃えを増やして売上を増やしていくそんな商売だったと思います。 写真は昭和57年 創業50周年時 時代背景もあったのかも知れませんがそういう商売でした。主要なメンバーは父と母と叔父の3人なのに 線香蝋燭、菓子、加工食品、ギフト、乾物、アイスクリーム、飲料、自動販売機の扱いメーカーもUCC、大塚、サントリー、アサヒ、サッポロ、カネボウ。。。年間に取り扱うSKUはもしかしたらこの当時のほうが多かったかも知れません。 人口の少ない小さな商圏でどう売り上げを上げるかと考えてそうなったのか 要は買ってくれる人に買ってくれるものを販売していた そんな商売でした。 23年前に店舗名を「いわゆるソフトドリンクのお店」として出店した そのタイミングからどうせやるなら一番得意な商品で勝負しよう。ということで特化していった用に思います。徐々に色々扱ってた商品を削っていきました。(でも実際は 僕がこの会社に入ったタイミングぐらいから品揃えや商品の回転、賞味期限への対応、売り切ることの難しさ 取引先の構成など色んな面で飲料以外を取り扱っていくのは当社の規模では難しい状況でした。なので戦略的にそうしたのではなくそうせざるを得なかったと言う方が近いです。) 恐らくネット販売がこれほど伸びなかったら特化していくのも難しかったと思います。 アイスクリーム卸を廃業するタイミングが2002年でした(決断が遅かったと思います)が、この時も父を説得するのが大変でした。父がスタートした商売だったので僕とは違って思い入れが僕には理解できないくらい大きかったと思います。 ということで 23年前の出店日以前の商売と それ以降の商売の大きな違いです。 まず1点目 ・お客様からの反応がある 良くも悪くもお客様から反応がある 反応がある事がこんなに刺激になるとは思いませんでした。 2点目 ・市場が膨らんでいってて 同業者がとても元気ある。 それまではビジネスのどんな集まりに出ても良い話は皆無でした

2006年当時の出荷方法は

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先週、2006年から5年くらい在籍していた塩崎が来てくれました。体調を崩して2012年に当社を離れてもう10年くらいになるわけですが、ようやく体調も戻ってきたということでまずホッとしました。 僕自身も彼に会うのは3年・4年ぶりくらいだったと思います。 色々話している中で木村と当時の出荷方法の話をしてました。ちょっと懐かしく聞いてたんですが 何度か今いるメンバーも聞いたことはあると思いますが、当時の出荷方法を伝えます。 当時は注文情報を1件1件 一枚の用紙に印刷をして その1件ずつを倉庫内で声の通る片山さんが注文内容を読み上げて 他の者全員が商品の個別ピックに回ります。それぞれが個別ピックしてきたものを出荷場まで持ってくる。持って来たエリア番号をその注文情報に書いておく。 送り状が印刷できたら まず 注文情報と納品書と送り状を組み合わせて エリア番号を書いている注文情報を見ながら 既に梱包している商品に 送り状と納品書を貼るという流れでした。 今使ってる 6輪台車は当時は一台も無かった。今はあまり使ってない4輪台車数台でやってました。 十数年前はまだそんな方法がベストなやり方だったわけです。一番間違いが少なく 当時出来る 最も効率的なやり方でした。 そこから少しずつ少しずつカイゼンして今に至ってます。 ちなみにローラーに付いて言えば 10年まえどころか 6年前くらいまで 1台も 使ってなかったです。今では考えられないと思います。最近入ったメンバーはローラー無しでどういうふうにやってたんだろう??と不思議なはずだと思います。でも当時の物量と人員と仕組みではその方法がベストだと思ってやってたわけです。 つい先日も延長のローラーを導入しました。また少し便利に効率的になるはずです。 5年後10年後には 2022年当時は まだ あんなやり方だったよなぁ と笑い話に出来る様に日々引き続き改善していきたいものです。

長野県富士見市 カゴメ 野菜生活ファーム 視察

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6月23日・24日と長野県富士見市のカゴメ野菜生活ファーム視察にお招きいただきました。 新大阪合流で新大阪からはカゴメさんがアテンドくださいました。 車中 指定席をご配慮いただいて1席ずつ離れてましたので色々楽でした。 名古屋からの特急しなのは車窓から観える景色が海岸沿いを走る和歌山とは全く違い山間を抜けて川を上流に登っていく光景がヤバかったです。 初日 ホテルに到着してからの懇親会 カゴメさんに限らず 最近 コーポレートサイトやブログを当社の担当の上長にあたる方々にも事前に色々なページを読んで予習してきくださってるパターンが多くなってきてます。そういう意味では関係する方々への情報発信は順調に出来てるように感じた。 ここでも書きますが、取引先のお偉い方々がこの数年で一気に同期や年下になってしまいました。なんと表現したら良いか・・今までは年上の方々へという気遣いを幾分してたのか、一昔前よりそういった部分が無くなり気楽に話できるようになった気がします。どっちにしろ「年をとったな」という話なのですが。 美味しいお料理をたんまり頂き 久しぶりのお酒の席でしたが カゴメさんの様々な気遣いが素晴らしく学べることは多かったです。とても楽しく過ごせました。担当者同士が良い関係を築けてるのもよくわかりました。カゴメさんの話で取引先によって色々ご苦労もあるのがとても理解できた。 新大阪からの同行で懇親会まで一日目からとてもお疲れだったと思います。 翌日 取組会議 まず、改めて関係者揃っての定期的な取組会議は重要だなと感じました。 トマトジュースの本番はこれからなのでしっかり結果を出せると良いと思います。 工場見学 従来の工場見学とは違い VR ARを駆使してのリアル工場見学はまさに今できるベストな工場見学だと体感しました。 使い方にも寄りますが これは応用すると 社内でも色々使い道ありそうな気がしました。 IL FAGGIO(イル・ファッジオ)でのランチ 絶品でした!ピザは遠方からでも食べに行く価値あり!平日でも地元のリピーターが多いのが理解できます。普段の生活でリピートしたくなる施設を地域に提供することの価値は大きいと思いました。 社内で別事業へ手を挙げる方達はイキイキ働けてるんだろうなと感じた。 野菜収穫体験 こちらも久々の野菜収穫。整備されて準備してくれてるからですが、そんな自然

久しぶりの猛暑の予感

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 今週 関東甲信越中心に猛暑です。梅雨前線が北上し観測史上最も早い梅雨明けだそうです。今後 物量も増えますし 体が暑さにそれほどなれてないタイミングで梅雨明けのような暑さが到来します。 睡眠時間をとって お酒は控えめに 適切な水分補給 規則正しい食事など 準備をしっかりしてお仕事に臨んでください。 結婚した直後に 人によって快適な温度って違うなぁと思いました。 当社も30人近くいるので 痩せた方も 太った方もいますし 筋肉量の多い方 少ない方 バイトの方を含めると10代〜60代 と年齢層も違う もちろんやって貰ってる業務内容も違いますので運動量も違います。 世の中の流れは 多様性を受け入れていくということなので ますます人によっての違いを受け入れていくことが職場では必要になるということだと思います。 定期的な水分摂取なども全員一律にのみコントロールするのは難しく 休憩を取るタイミング、疲れるタイミングもやはり違います。 全員で一斉に休憩をとることも継続してしていきますが、一人ひとり 今 自分自身がどう感じてるかは ポジティブに伝えていくことが重要です。 なにはともあれ、暑い夏になってくれるのは嬉しい事です!モノの動きが1割増しになります。

気付きの多い 学びの多い会社

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還暦を迎えて 自分の中で何が変わってきたか 最近良く思うのは 「次の世代に何を残せるんだろう?」という視点で考えることが多くなってきました。恐らく その考えは 同世代のお勤めをされてる方々が引退をするタイミングだからだと思います。 この会社にしてもそうですし 個人的なこと プライベートでも そういう視点で考えることが多くなってきました。 例えば どういった会社を残したいか?という問いには 誤解をされても困りますが、現時点では「気付きの多い 学びの多い そんな会社を残したい」と今は感じてます。もちろん利益が無いと存続できないのが会社ですので適切な利益や、従業員やステークホルダー・地域への還元は当たり前という前提です。 「気付きの多い 学びの多い そんな会社を残したい」それは何処から来てるかと言うと やはり大学での経験からの部分が大きいです。 僕は高校・大学と弓をやってましたが、その7年間で色んな学びや気付きがありました。高校と大学 どちらでの学びが多かったかと聞かれると 圧倒的に大学の4年間です。もちろん 高校から大学へと年齢や経験を重ねる事での気付きや学びの多さはあると思いますが 圧倒的な違いは それだけでは無いだろうなと感じてます。 高校の3年間と 大学の4年間では 目指している目標が全く違ってました。高校のときはのんびり1年生の頃は遊び半分で2年生の秋くらいから本気モードになりましたが、それでも目標はインターハイ出場くらいでした。 一方 大学の4年間は常に日本一を目指す 入部したときからそんな環境に置かれた4年間でした。高い目標を常に目指していたことが全てだと思いますが、その高い目標を目指すことで精神的にも肉体的にもギリギリの負荷がかかった状態で4年間を過ごしました。チクセントミハイのフロー図で言うところのフローから不安ゾーンを常に出たり入ったりしている緊張感の高い状態の毎日でした。 そんな状態に置かれた4年間だったからこそ気づきや学びが多かったんだと思ってます。 会社もそれに例えると誰もがフローな状態、もしくは 経験を積めば不安ゾーンを出たり入ったりしている状態でお仕事ができるという環境が 気づきや学びが多い事業所となるのではないかと考えます。

仕事は順調か?志事は順調か?私事は順調か?

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 社員面談で皆に聞かせてもらう内容なので自分自身も同じ質問に答えてみることにします。 1.仕事は順調ですか? 日々直近の業績を受け止めながら事業ミッション・ビジョンに向けて人・モノ・金をどうしていくか?今年はステークホルダーとのプロジェクトもスタートします。とても楽しみです。 もちろんそれだけではなく 人生初の大きな投資をして 設計・建築・完成・お披露目・稼働・運用 と 現在も 日々経験したことの無い領域の出来事が多く学びが多い。全員が同じ空間で働き始めた事で新たな課題が出たり その効果を出せるような風土づくりを考えたり 経営者としてスタッフ皆が充分力を発揮できる為に何が出来るだろう とか 気付きの多い職場になるために何が出来るか そんな事を考える事が多くなった。 理念に立ち戻る そんな場面も多くなった気がするし しっかり浸透していくために僕が何をどうするのが良いかも考えるシーンが多くなった。 2.志事は順調ですか? 順調に年齢を重ねているが前に向かってるか後退してるか数年経過しないと解らない。 チャレンジの難易度が少しずつ上がってるのでフロー図でいうところの横軸は右の高い方に向かってる気がします。 まだまだだと思いますが、年齢のせいか次の世代にどう残せるかという軸で考えるウエイトが高くなってきたような気がします。 この仕事も社会の課題を解決するわけですが、年齢を重ねたり周りが高齢者が多い状況になってきて気付く社会の大きな課題を解決したいという想いも色いろ出てきます。例えば死ぬまで社会に貢献できる仕組みがあると良いなと思ったり。。でも実際はブレなく中途半端にならないように今はこの仕事 本業に専念しなければ。と思う。そんな日々です。 3.私事は順調ですか? とうとう還暦という想像できなかった領域の年齢になりました。母の介護が今は大きな問題ですが、壊れていく母に向き合う事 これは想像していた以上に心が乱れるので日々修行な気分です。数年後には良い思い出に出来るようにしたいという想いと順送りなのでしっかり努めたいし、母親からの最後の教育だと受け止めてますが苦悩葛藤の毎日。 家内が定期的にこちらに居るのと 子供とも必要なタイミングで連絡とったり 彼は彼で家族を養って生活してる 孫も二人順調に成長してるようなので幸せです。ただ、何もかも上手くいく事は無いので逆に怖いというか不安

伝統の正体

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先週、大学入学時に恩師から言われた言葉「ご縁」の話をしました。道ですれ違うだけも前世からのご縁という事です。 職場の皆さんとは 同じ場所で 同じ目標に向かって毎日 何年も一緒に お仕事をさせてもらってます。 そういう意味ではとても深い深いご縁があったんだろうな という事だと思ってます。 今日の話は縁があって入部した その当時 最初に自分が感じたことの話をします。 この話は大学を卒業して 学生を指導していた10年間によく学生に伝えていた話です。 僕自身 18歳で大学の部に入って 色々衝撃を受けたわけなんんですが、一番 カルチャーショックだったのが 当時 大学4年生というと 学生服を着てても かなりのオジサンに見えまして そのいい大人が 四六時中 弓の事ばかり考えてる。 ホントに情熱を傾けてる。関わってる大人の方々(指導陣やOB)も 皆 当然なんですが 当たり前なんですが 日本一を目指してて いい大人がです。これは とてもビックリしました。 日本一を目指すとはこういう事なんだな。 これが伝統の正体なんだなと思ったわけです。 実際は学年が上にあがっていく度に僕自身もこの伝統に押しつぶされそうな感覚になっていきました。 明日、うちの会社も新たなメンバーを迎えます。大なり小なり 従来から居る我々から刺激を受けると思います。 カルチャーショックを受けるほど いい刺激があると良いなと思ってます。

袖触れ合うも他生の縁

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 3月初旬になると大学の部に入部した日のことを思い出します。 1980年3月11日 「集合日」と言います。 和歌山を出発する時に丸坊主にしてアパートに布団袋とコタツを日通で送ってもらって一人暮らしが始まりました。 今はもっと早いようで 昨日 新入生からメールがイッパイ届いてました。男女合わせて10名。テンプレート通りに監督コーチ陣に送信するように言われて送信してるんだと思います。 「お前らは縁があって法政大学弓道部に入る事になった。・・」 42年前、その集合日の初日に恩師から言われた言葉です。 この言葉は当時18歳の新入生の僕には印象的で同期の連中は今でも恐らく皆覚えてるフレーズです。 当時は字面でしか意味を理解できませんでしたが 僕自身この年令になって 恩師が初日のタイミングでなんでそんな事を伝えたか少し解ってきたような気がしてます。 先日 多田さんから来月入社のメンバーの紹介がありました。 ご縁は 切っていくものじゃなくて 繋いでいくものだと思います。 昔から「袖振れ合うも他生の縁」という言葉があります。 “袖触れ合うも” は 道ですれ違う という意味 “他生の縁” とは 前世からのご縁  という意味だそうです。 道ですれ違うだけでも前世からのご縁という考え方ですが、その考え方でいうと 同じ職場でお仕事を一緒にやるというのは 深い深いご縁だと言えます。 皆がお互い良いご縁になるようにしたいモノです。

2021年の振り返り

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遅ればせながら自分自身の去年の出来事を振り返ってみます。 3点 1.なんと言っても 宮ノ前ベース建築です。 用地取得は前年でしたが 規模の検討や設計デザインから建築スケジュール、金融機関からの融資、県・町との立地協定締結、地元対応、各種設備配置 検討・投資、進入町道工事、神事、竣工式・引っ越し、様々な契約。補助金助成金申請。初めての事だらけで皆さんに協力してもらいながら完了。 2.組織変更(ECに参入して20年近くチーム編成のみの組織から昨年は戦略室構成もプラス) 3.朝会継続とブログ継続 残念だったのは何よりコロナ禍で色んな事が出来なかったり リアル開催できなかった。あちこち出張に行ってもらえなかった。ステークホルダーの方々に来てもらえなかった (文化祭・展示会出張・業績報告会・シャッフルランチ・カレーランチ・全体ミーティング・忘年会新年会、歓迎会・室飲み会・女子会、BBQ。お客様イベント)

人は自分のためだけ にはそれ程頑張れない

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「人は自分のためだけ にはそれ程頑張れない。」2005年に目の前で体験したそんな話です。 12日に届いた小田さんの「成長のヒント」   誰だって  自分のためだけには  そんなに頑張れない。  限界もすぐにやってくる。  大事な人を守りたい  という思いが  勇気と強さを引き出す。  誰かの役に立ちたい。  という思いが  知恵と秘められた能力を引き出す。 実際にそんな場面が目の前で起きた そんな話をします。数分で伝えるのは非常に難しいですが、端折ってお話します。 2005年くらいから2015年くらいまで約10年間くらい 色んな事情が重なって しかもこの商売eコマースも少し軌道に乗ってきたのもあり(この商売はノートパソコンさえあれば会社に居なくても対応可能) 大学の部に深く関わってました。 大学弓道の全日本選手権 インカレ は タイトルの中でもなかなか獲れないタイトル。 代表選手が5名で団体戦。実力があってもトーナメント戦なので一瞬の取りこぼしが優勝に繋がらなくなる。そんな捕りにくいタイトルですが2005年から4年間で3度獲得してます。 その最初の年 2005年は 神戸で開催されたわけですが、この時に 元監督であった義理の父が和歌山に引っ越して来て 和歌山に居るから久しぶりに公式戦を観戦に行った。関西にいるOBも久しぶりに神戸に集まったという それ以前には無かったしその後も無い そんな大会でした。 学生にしてみれば、それまでは公式戦の観戦どころか 数年 道場にも行ったりしていなかったのが 久しぶりに公式戦の観戦をしに会場を訪れ、役員席に車椅子で座り 鼻には酸素のチューブをして観戦しに来てるわけです。 (写真は2006年全関東選手権) 噂話には聞いていた 元監督のお爺さんが車椅子で現れてしかも 大勢応援に来ている見たこと無いOB達も嬉しそうに その元監督を慕っている様子を目の当たりにしたわけです。 毎試合 毎試合 自分の為、自分達のためだけに優勝を目指していたのが このシーンでは 「目の前にいる車椅子に乗ったお爺さんに 勝利をプレゼントしたい。」そんな気持ちに変わらずにはいられない。会場にいる役員たちにしても大先輩の久々の観戦で 大袈裟ではないですが会場全体が 杉田さんが来たから法政が勝つんじゃないか そんな空気に包まれた そんな風に僕には見えましたし その場に居合わ

実際に体験・失敗しないと人は気づかない

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金曜日 宮ノ前横丁 ということで自分自身のしくじった話も色々お伝えしたわけです。 皆さんにも同じ失敗をしないで貰いたい。 同じようなピンチを迎えないような人生を送ってもらいたい。ピンチになっても最小限に留めてもらいたい。そんな想いもあってです。 恐らく皆さんの親御さんからも子供の頃から今まで色々話を聞いてるはずです。親御さんも同じ思いで幸せな人生を送ってもらいたい と考えてあーだこーだ伝わらないと思いながら言ってるわけです。 当社にも お子さんが居る方も増えてきて子育てをするときも同様 自分と同じ失敗をしないように幸せな人生を歩んでいけるように伝えれることは全て伝えてるはずだと思います。 ネットにも同様にどうすれば良いか 全て書いている。 でも結局 誰しも同じ失敗をしたりする 大方 みんな同様の道を辿るということ。 人は皆 失敗しながら人生を送ります。 人は 失敗をしないと気づかない生き物。 じゃー伝わらないのに何のために誰もが大切な人に伝えようとしてるのか?って話ですが 色々伝える中でも一つだけでも気づきになれば良いなと思って伝えてるんだと思います。 どちらにしても失敗しないと人は気付け無い。 失敗した時 成功したときも 良かったときも 悪かったときも 振り返る 向き合う 正面から向き合う そんな事が大事だなと思ってます。

「腰を据える」←これ大事。

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感染状況がまた一変してきました。引き続き感染対策には充分気をつけて業務をやっていきましょう。 今週末 年に2回のオフサイトミーティングです。 今回は日常業務している場所での開催ですのでネーミングも考えないといけませんんが、丸一日掛けて通常業務をお休みにして今季の目標の発表、日頃の課題に向き合ったりコミュニケーションを深めたりに時間を取りたいと思ってます。 最近の僕自身の抱えてる問題ですが 今日の朝会もそうですが 実家から参加してます。宮ノ前に移ってからは平日の帰りも週に2日は4時。 本社と宮ノ前を行ったり来たり。 こうなることはある程度想定してましたが、こんなに大変になるとは考えてませんでした。恐らく以前の環境(職場と自宅が下と上の環境で年寄を見ながら)というのが 改めて色々やりやすかった環境だったんだなと認識しました。 現状 皆もそうだと思いますが ・まだ空間そのものの環境に慣れてない ・定位置管理が全然出来ていない ・やらないとイケないこと 決めないとやりにくいこと が山ほど見える 「腰を据える」という言葉がありますが、その重要さも改めて認識してる状況です。 皆さんも日報に沢山書いてくれてるように大なり小なりそんな状況だと思います。 まずはそこの解決に優先順位を置いてやっていったほうが良いな。 そこが最も優先順位が高いなと感じてます。

ピンチとチャンス

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 12月11日土曜日 夜  ブラタモリ 「南紀白浜〜“一大リゾート”への道のりとは!?〜」 という放送内容でした。残念ながら途中からしか観なかったのですが身近な場所だったのでとても興味深く観ました。 内容は 戦後のリゾート・ブームが南紀白浜にもたらしたチャンスとピンチとは!?というものでした。リゾートブームのチャンスで開発が進み白砂で綺麗な白良浜が痩せてしまって ピンチを迎え 日本最古の温泉も 同様に開発が進み 自噴しなくなりピンチを迎えた。 だいたいチャンスとピンチは裏表でやってきます。僕自身のこの10年のピンチとチャンスも同様に裏表でした。ピンチだと思ってたことがチャンスのきっかけだったり 小さな成功が次の失敗へ繋がっていった なんてことも人生でイッパイありました。 「ピンチはチャンス」、「チャンスはピンチの顔をしてやってくる」と言われています。 宮ノ前ベースの新拠点 大きな投資をして完成し 今週末 まずは事務所を引っ越しします。 皆も理解してくれてますが どれくらい大きな投資かというと まだ1年間の売上がまだ20億程度の会社で4.5億の投資しています。数年前まではこういう売上と投資金額の比率を聞くと僕の会社には全く当てはまらない話で 概ね儲かってる製造業の話で世界が違うと思ってました。 新拠点、土曜日、初めて全員でミーティングをしてとても快適でした。 全員が同じ空間で働くことで今まで生まれなかった化学変化が起きるかもしれません。狭いことで諦めていた効率化も別の次元で起きていくと思います。誰もが色んな人から刺激を受けてくれる そんな空間にもしていきたいなぁと思ってます。 我々にとって大きなチャンスですが 大きなピンチでもあると思います。どういう形で現れるかまだ判りませんが 今までどおり 皆で知恵を絞って乗り越えて行きたいと思ってます。

もっともっと色んな経験が出来る会社に 竣工式振り返り

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 12月4日土曜日 竣工式・落成式はお疲れさまでした。 ぐったり疲れていたのか夜はすぐ寝ましたが、一度目が覚めたら そこから 恐らくまだまだ処理できていない出来事や光景が頭の中にどんどん巡ってきて深く眠れませんでした。 今週は 楽天スーパーセールなので通常業務は膨大になりますし 竣工式関係は当日以降にやらなければならないこと や 間近に迫ってきた引っ越し と沢山の事をやっていかなければなりません。 社内で誰もやったことのない竣工式でしたが、こうやって終えてみると どうにかステークホルダーの方々に協力頂いて出来ました。 「竣工式を当事者として実施する」 という事はこういう事なんだな こういう気持ちなんだな というのが良くわかった。周りの方からどうしていただいたら 嬉しかった とか とても理解できた。 経験しないと解らない その立場に立たないと解らないです。 当日の多田さんの振り返りを聞いて 仕事の報酬は仕事 なんだなと改めて感じました。 前畑には竣工式でリーダーシップをとってもらいました。かなり苦悩していたようですが 人それぞれ 色んなリーダーシップのやり方がある というのも理解が深まった。 皆の色んな良い面が見えた。 誰も経験したこと無いことをやると チームワークが高まる ということも体験できました。 改めて もっともっと色んな経験が出来る会社にしていきたい そのための拠点は 空間は出来た。

新拠点 ナカヱ宮ノ前ベース 竣工式・落成式を執り行いました

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12月4日(土)新拠点になります ナカヱ宮ノ前ベース 竣工式・落成式を執り行いました。 2019年の夏頃から2,000坪程度の倉庫用地を探し始めて 和歌山県はじめ 色んな所にお声掛けをさせて頂いて探しておりましたが、その年の11月に印南町に相談に行ったことで 印南町宮ノ前地区のあの場所にご縁ができることになりました。 父も母も印南町出身でそういう意味でも僕自身は純粋なこの地の出身。どうせならそういうご縁のあったこの地で探したいという想いと スタッフの通勤圏内を考えても最適な場所にご縁を頂いたと感じてます。 現在利用させていただいている名田の倉庫を探す時も 当時 JAの元組合長である鈴木さんにとてもお世話になりました。県農の理事長の所にも相談に付いて行って貰いました。その段階から 通勤圏内にはもう最適な規模の借りれる倉庫はなく、引っ越した2012年当時の物量の2倍になると限界だと思ってました。 沢山の方々にお世話になりながら竣工式・落成式の記念すべき日を迎えることが出来ました。 倉庫の建設に関しては用地内のどこに建設するか?や どれくらいの大きさにするか?どれくらいの高さが良いのか?オフィス部分はどれくらいの広さが必要か??なにもかもゼロからでしたので 解らないことだらけ。建設費用をどうするか?設計をどこにお願いするか? 用地取得を決定してほぼ一年半くらいでしたが、完成してみるとこの間 あっという間でした。 竣工式・落成式も コロナの状況もありどうなるかわかりませんでしたが 絶妙なタイミングで感染も収束してきましたので実施できました。 夏過ぎから準備してきた竣工式・落成式も自分たちの手作りでしたので こちらも色んな方々に相談しつつ当日を迎えました。 至らない点も多々あったと思いますが、多くの方々にご参加いただきお祝い頂き無事当日を終えることが出来ました。 当日、ご参加いただいた方々にお渡ししたパンフレットは こちら コーポレートサイトでの竣工式・落成式開催 竣工式 開始 司会:多田 来賓挨拶 中村日高振興局長 来賓挨拶 日裏印南町長 花束贈呈 乾杯はペットボトルで 坂本登県会議員 竣工式 テープカット (左より 岡本設計社長・坂本県議・日裏印南町長・中江・中村日高振興局長 ・冨安県議・玄素県議・中村商工会会長) 午前 竣工式 全体写真 テープカットの後 手締め 堀口町

アカウントのフィルターを外してみる

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 朝会テーマ「おすすめの動画コンテンツ」というお題から 考えてみました。 僕のYou Tubeのメインページにあふれてる動画は eコマース関連であったり キャンプや焚き火、倉庫建築関係で見ていた植栽、建築関係、MacやAppleのガジェット、映画007のメイキング映像やワールドプレミア、高校生あるある など今興味のあるモノや以前観た履歴・好みに最適化されています。 アマゾン・プライム等も同様に最適化されてます。 目新しい動画や普段と全く違うジャンルなど 新たな出会いがそれ程無くなってしまった そんな印象です。検索したらもちろん出てくるんでしょうけど なかなか目的なく検索もしないですし。 つまり全て僕のアカウントでフィルターが掛かってるわけです。 先日、そんな普段見ているアカウントをログアウトしてみたら  ヒカキンとかが久しぶりに出てきた。。普段とは全く違った動画が出てきました。目新しいコンテンツが出てきて興味はそれ程無いですが新鮮な世界でした。 パソコンの中だけじゃなくて 普段見ているリアルの光景も体験も全て僕のアカウントのフィルターが掛かってる。。見えてる景色や体験にフィルターが掛かってるということは そこで感じることなんかも全て僕のアカウントのフィルターが掛かってるわけで、そう考えると あの振り返りが違ってくるのは当たり前ということになります。 動画やネットだけじゃなく 時々 自分のフィルターを外して ログアウトして見てみると全く違う世界が見えるんじゃないか。。 そんなことを想像してました。

商いは牛の涎(よだれ)

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 竣工式のために今 会社の沿革も整理してもらってまして その中で 当社の創業が昭和7年5月7日で1932年創業なので 来年90周年になるらしいです。 ↑印南町からの物品販売業の許可証 朝会の話では チーム作り・目標達成・その過程で起こる様々な課題など色々お話してきましたが 学生スポーツで学んだことがビジネスでもとても役に立ってる そういう話が多かったと思います。 ところが学生スポーツと一つ全く違う要素があって学生スポーツは4年間で結果を出さなければいけないのですが ビジネスは何度もチャレンジが出来ること。ここが大きく違うように思います。 子供の頃 父に聞いたコトワザがあるんですが「商売は牛の涎」 ネットで検索してみると「商いは牛の涎」というようです。 最近はあまり身近で牛を見ることが無いですが 子供の頃 親戚の農家にも牛を飼ってたので牛の涎ってどんなのかが理解できてました。 どういう意味かというと 商売をするには、一時に大もうけをしようとすれば失敗するものだから、牛の涎のように細く長く切れ目なく気長に続けねばならないという意。だそうです。 祖父の代・父の代 来年90年 細く長く気長に続けて来てる まだまだ途中なんだなと思ってます。

田坂広志氏の 「人生で起きることは全て深い意味がある」

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 田坂広志氏が言われてる考え方の中でも 「人生で起きることは全て深い意味がある」 という考え方に 5つの強みの着想持ちとして とても共感するところがあります。ちなみに着想の強みを持ってると点と点が繋がる事にワクワクします。 本のタイトルは少し違いますが・・・。 今まで人生で起きたこともそうですし、これから起きていくことも僕自身の中でなにかしら深い意味があるんだろうなと考えています。 皆さんも同じだと思いますが、僕も こう見えて色んな事が起きてきました。今 現在もどこの家庭でも起きているような色んな事が起きています。 直面している問題では 母親の認知もその一つです。 身近で居るとよく分かるから余計なんでしょうけど 少しずつ少しずつ母が壊れていってます。3日・4日に 1日くらい調子の悪い日があって もちろん 本人が一番辛いんだと思いますが、そばにいると母親なだけに心がコントロール出来なくなります。 対応が解ってはいてもとても難しい。  こんな直面している事にも意味があるんだろうな と思うわけですが、まだまだ未熟でコントロールできない部分が露わになる事が多いです。 大きな投資をして倉庫を建設することに至ったこともそうです。建設することで これから起きることが色々あると思いますがそこにも深い大きな意味があるんだろうなと思ってます。それがどんな意味だったか20年後くらいには解るかなぁとも思ってます。

真妻山登山

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 2018年の5月に社内の有志5人で大峰山に登りましたが、あれから3年ぶりくらいに 昨日 真妻山にモッチャンと一緒に登りました。 豆マラソンもそうでしたが 毎回、舐めてかかって後悔するというパターンです。今回も500m程度の山 全行程でも3時間半 所要時間も大峰山の半分以下なので ハイキング程度で考えていました。 登るコースも数箇所あるみたいですが 一般的なコース 大滝川森林公園に車を止めて山頂を目指し 反時計回りに降りてくるコース スタートが10時15分くらいで 山頂到着は11時半だったので ほぼ1時間程度でしたが殆ど傾斜が急な場所を登っていくコースでしかも大峰山のように山道が整備されていない山肌を登っていくコースでしたので非常に大変でした。日高富士と言われている山頂はとても眺めが良いのですが、到着して眺望に感動するよりも休憩したいばかりで お弁当を食べて落ち着いてからようやく その眺めに感動した状態でした。 下山も毎回そうですが、登りで足がやられているところに 急傾斜な部分が比較的多かったので一時間ちょいでしたがかなり限界に近かったです。  商売はわりと慎重な方だと思うんですが、山登りやマラソンはどうも舐めてかかるところがあるようです。 この3年で体力がやや落ちてそうなのと 階段がある程度整備された山道と ほとんど整備されてない山道はぜんぜん違う。別モノだなというのが理解出来たのと、急傾斜な部分が多いとトータルの時間が少なくてもとても大変。 何事も準備はとても重要だ というのが改めての気づきでした。