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感染症より感染する感情や情緒

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新型コロナの感染者数がまたこのところ大きく膨らんでます。第5波。県内でも4日ほど30人以上の新規感染者が出ています。御坊・田辺保健所管内はまだ少ないですが引き続き職場でも各自それぞれでも感染対策もしっかりしていきましょう。 今日は感染症ではなく なんならデルタ株以上に凄い感染するよねという話です。 僕たちは職場で一日の大部分を一緒に過ごしています。 一緒に過ごしていることで感情や情緒も影響を受けます。一緒にいる時間を比較すると家族や友人より影響をうけるといっても言い過ぎではありません。 感情や情緒は感染症以上に周りに感染します。 ポジティブな感情もネガティブな感情も周りのメンバーに影響を受けて感染します。一般的にはポジティブな感情よりネガティブな感情のほうが感染力が強いとも言われています。 マスクをしていても感染は抑えれませんし 飲食や会食をしなくても感染してしまいます。 感染症より遥かに厄介でリモート勤務していても感染していきます。SNSでも感染します。今取りだたされているアスリートへの中傷なんかもそう言うことだと思います。 必要なのはチームビルディングで言うところの1.1力です。 全員が感情や情緒も周りに伝染していくことを把握しておければ、いい影響を及ぼし合って楽しく働けると思います。 うちの会社には圧倒的なポジティブが強みなメンバーも居ます。強みを発揮していただいて全員が感情も伝染していくことを理解しておきましょう。

一番刺さったトップアスリートの言葉「失敗のプログラム」

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オリンピック競技が始まって日本は柔道やスケートボードで金メダルを獲得し始めました。年々涙もろくなって来てアスリートが何を言ってても泣けてきてしまいます。 今はやらなくなりましたけど 一時期、トップアスリートやプロフェッショナルな方の名言をネットも含めてあちこちで拾ってました。自分自身の僅かな経験でなかなかうまく言語化できない部分が言語化されてるとゾワ〜となるのが大好きで収集してました。 今日はその中でも 僕自身 最も刺さった名言を紹介します。2015年頃に見つけた言葉です。今検索してもなかなか出てこないのでどこで探したのか覚えてません。 恐らくイチロー選手の言葉だとおもいます。 『失敗のプログラム』 意識の中にある「成功しようとしている自分」と潜在意識の中の「もう一人の自分」とは必ずしも同調しているわけでは無い。 言い訳、逃げ道を考え始めたとき、潜在意識の自分が失敗のプログラムを作成する。 言い訳を考え始めた事がトリガーとなって意識していない領域で勝手に失敗のプログラムが動き出すということだと思います。 で、この言葉 なんで刺さったかというと以前 去年の9月にお話した「退路を断つという僕の中での解釈」をとても上手く視点を変えて言語化されてたからです。学生時代に僕が経験した数々の失敗程度ではこの言葉には辿り着けなかったです。

「和を以て貴しと為す」

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これは我が家の玄関に掛けてある書です。今朝出掛けに写真撮ってきました。  元々は家内の実家にあったものです。義理の両親が引越してきたタイミングで我が家にきたのです。 僕がこの書を初めてみたのは高校3年生の冬頃 セレクションで大学に進学することになって父と一緒に監督の家に訪問したとき。狭い帳場に通してくれたその脇に掛かってたものです。義母が几帳面な方でこの額の前に華を生けたりしてる印象が今でも残ってます。 初めてみたときは特に興味もない。なんて書いてるか解らないなぁ。。という印象。 その後も年に何度か監督の家に行くわけですが、数年間解らないままで、ある時 これなんて書いてるか解るか?って教えてもらったわけですが「和を以(もっ)て貴(たっと)しと為(な)す」と書いてるそうです。 聖徳太子の十七条の憲法 の第一条に出てくる言葉 何事をやるにも、みんなが仲良くやり、いさかいを起こさないのが良いということ チームワークは大事だ。ということだと思います。まさに当社の価値観です。 義父は弓と書は超一流の先生に習ってまして(ちなみに弓は浦上栄先生) 書は豊道春海先生に習ってたそうです。 その先生が昭和39年の東京五輪の時に参加各国の選手団に配った色紙で その先生から頂いたようです。 戦後 ようやく復興してきた敗戦国日本での五輪開催の時の色紙です。 56年ぶりにまた東京五輪が開催されます。

3回目の海岸清掃を終えて

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土曜日は海岸清掃 お疲れ様でした。 毎回おしゃべりしながらの小一時間は僕自身とても楽しい時間です。 こちらが過去3回で掃除できた海岸線です。 昨年の12月に思い付きでやり始めたわけですが、最初は海洋プラスチック問題と我々の販売している商品の関係や 地域社会や SDGsへの取り組み等 安直ですが 簡単に始めれそうだとスタートしました。 何かしら本業以外でも社会貢献に取り組めてる会社になりたい。そんな想いもあったと思います。 まだ3回目でしたが、毎回それほど広い海岸を範囲としてるわけじゃないからか短時間でも割と綺麗にできる印象です。今回も1時間程度でざっと目立つゴミは回収できた印象でした。想定以上に出来るもんだな。 一巡したら自然ゴミも対象に入れたらもっと綺麗な海岸になりそうです。 3ヶ月に1度 我々だけでこの調子でやったら無理ですが、本気でやって 色んなところを巻き込んでいったら 和歌山の沿岸 全て綺麗に出来る というのも可能性はゼロでは無いな とまで思い始めてます。ちなみに和歌山県全体の海岸線の延長は652kmだそうです。 まぁ、そんなことを目指してるわけではないですけど。 どんなこともスタートする前とその後では 達成の難易度の感じ方が違ってくるもんだなと改めて感じてます。海岸掃除と同様に まだ一度もやったことがなくて 途方も無いような難易度に感じてることも仲間が居れば想像してることくらいは何でも出来るかもしれない。そんな気がしてきました。

倉庫建築の地鎮祭をしました

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 2019年の秋頃から動き出していた倉庫建築の案件ですが、ようやく先日 6月22日に 地鎮祭を迎えることが出来ました。 施工会社が全て段取りしてくれるので当日 現地に行った時にはあまりに本格的なのでビックリしました。梅雨時で天気の優れないタイミングですがお陰様で当日はお天気にも恵まれ 午前10時から実施。 通常営業日でしたので当社からは古くからのメンバー数人のみで参加することにしました。 設計会社・施工会社・電気設備・内装などの会社の方々にお集まりいただき 慣れない厳粛な雰囲気の中 式次第に沿って開始。 暑いタイミングなのでノーネクタイの平服でとお願いしておりましたが、施工関係の方々はスーツでした。そうなっちゃうんですね。ちゃんとして行けばよかった。 とても厳粛な雰囲気の中スタートしたわけですが、リードで繋いで連れてきていた ペットのトイプードルが開始直後にハーネスを脱いで神主さんの所を走り回ったりして妙な感じになりました。しかも2回も。(前日にセルフトリミングして一回り小さくなったのが脱げちゃう原因かも)   これがその時の写真。(汗) その後も、そんなハプニングもお構いなしに式次第に沿って粛々と式は進みます。 新たな倉庫用地の地域は「宮ノ前」というくらいで川向に八幡神社があり 実はそこの宮司さんも いつもお正月に御祈祷して頂く本社がある地域の宮司さんが兼任されてます。なので、当社は今年2回目の御祈祷となりました。 工事の無事をお祈りして完成を楽しみにしたいと思います。 新倉庫用地(ストリートビュー 2021年2月撮影)はこちら

10回目のオフサイトミーティングを終えて

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土曜日、年に二回開催のオフサイトミーティングを実施しました! 参加人数は過去最高 23名 誰かも言ってましたが人数が多くなってくると統率を取るような場面はなかなか難しい人数になってきてる印象です。それはそれで面白くて僕的にも大好きです。 目指す30人体制が楽しみでなりません。 午前中にやったマンダラチャート これは今回やってみようと急に思い付き、僕が提案してやる時間をとってもらいました。 このところの出来事やこれから起こりうる未来に向けて このタイミングでそういった事をそれぞれが考えてもらうのが必要かな と考えて 一人ひとりが ミッションやビジョンに向かう上で どんな要素が必要だと思ってるか どんな言葉を使うか またそれを他の人と比べることでどんな気づきを感じてくれるのか その辺りが狙いではありました。 回収してるのでじっくり拝見しようと思ってます。何が正解で何が間違ってるというモノでは無いと思ってます。これも何回かやってみるとその時々の課題や成長度合いで変化していくものだろうと思ってます。 苦手な方も居たようですが、それぞれなんらかの気づきはあったように思います。 じぶんがたり は木村からの説明があったとおりです。 この時間帯はあまり関わりがなかったのでどう感じたか それぞれで感じ取ってもらえてると思います。 ブラインドスクエア 今回は全員で挑戦できて誰も自己重要感が損なわれない設計で と希望を貰っていたので 結果的には丁度いい時間で終えて難易度もまぁまぁ良かった感じです。 どういうお題にしても仕事と同様 得意不得意分野があって ブラインドスクエアの中でも得意な部分と不得意な部分をだれしも持っていて その中でも得意な部分を率先してやっていく そんな状態だったように思います。 チェックイン チェックアウト振り返り この辺りの時間配分が毎回損なわれてしまってるのは反省点です。雑な振り返りをしないで深く時間をかけて振り返りを出来ればもっと良かったのにと思いました。 次回は12月頃 新倉庫はすでに完成しています。どんな形でやるか 今後決めていきますが、今までの10回とは違う形になりそうな予感がします。

関係するすべての方々が潤う方法を考えます

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 価値観の3つ目「関係するすべての方々が潤う方法を考えます。」 これはよく言う「三方良し」売り手よし、買い手よし、世間よし と同様の意味合いです。伊藤忠商事の経営理念のようです。 これは重要だなというのは実体験からきてます。 2002年に撤退しましたが当社はアイスクリームの卸をやってました。1960年くらいから40年以上やってたんだと思います。やり始めた頃は夏場 モノが売れない季節に現金で卸取引できるので日銭ができて良かったんだと思います。 NBブランドのアイスクリームは6掛けで仕入れるわけですが 僕が入社した頃にはすでにこの地域にも量販店舗ができていてその量販店への代行卸をやらしてもらってました。6掛けで仕入れたものを65掛けで卸す契約。冷凍で保管してるものを8%程度の利益で卸す契約になってるわけです。 特売のときにはそれが6掛けになっててこれだと利益がゼロなので補助を請求する。請求しないと1円も入らないわけです。今でも会計が二の次になってる位なので家族経営でギリギリに人数でやってたら請求もきちんとできない。長年そんな状況でした。 そもそもそんな契約にしてしまってる この業界はどうなの? 全く利益が出ない。 お給料も少なかった。 このチャネルはそういうふうにしたくないという思いもあります。

「楽しみながら全力でやります」

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価値観の2個目「楽しみながら全力でやります」 ここはそれぞれの解釈でいいと思う。 「楽しみながら」 よく言われる チクセントミハイの フローの状態 であったり チームビルディングの おもしろ化力 という所です。 仕事ってまぁ通常は大変で面倒なことが多いわけです。 お客様の対応であったり、何事もチョット手を抜くとうまくいかなくなる。 もちろん職場の人間関係や、作業のミス、お客様とのトラブル、業務では苦手なこともやらないといけない。 体調の優れない日もある。 嫌な出来事が起こることもある。 まぁこれら全てひっくるめて楽しむ。ということかなと。 「全力でやります」  こちらはスポーツでもよく言うところの「ベストを尽くす」。 全力でやる というのは 行動ですが、その行動の源泉は考え方からくると思います。 よく言われる  思考が変われば 言葉が変わる 言葉が変われば 行動が変わる 行動が変われば 習慣が変わる 習慣が変われば 性格が変わる 性格が変われば 運命が変わる 僕自身しっくり来るのが「全力で情熱を燃やす。」 また 「執着心を持って取り組む。」 ということかなと思います。

チームワークを重要視する理由

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 もともと僕自身は会社の業績とチームワークに関係性があるとは考えてませんでした。 じゃー それはどういう考え方から来たかというと シンプルに 会社の業績 ≒ 売上 じゃー 売上は?というと 売上 = 客数 × 転換率 × 客単価 この売上の方程式の考え方から来ていたと思われます。 一方、スポーツはどうかというとチームワークの良さが勝敗を大きく左右すると誰よりも考えていました。 団体戦の勝敗 = 個人の力量の合計 × チームワークの状態 × 勝ちたい思いの総計 大学を卒業した頃よく後輩に言っていたのは「最上級生は仲良くしろよ」と言ってました。 ・スポーツではチームワークが勝敗に影響あるのはとても理解できていたのに それと仕事が僕の中では 全く繋がってなかった。 それが実際、仕事でも5人以上になった頃から色々やりにくくなってきた。 その原因を当時はどう考えていたか?というと ・今のメンツだから この組み合わせだから上手くいかないのかな? ・収入を得るための仕事ってそもそもこんな感じだろうな? ・目的が様々な人を纏めるのは難しいな ・自分自身の経営者としての未熟さ その頃どんなやりにくさがあったかというと ・一人ひとりは それぞれ頑張ってくれてるが人数が少ない頃にはあった 職場としての一体感が持てない。 ・重要な事を色々伝えてるわけですが何を伝えてもポカンとしている印象 ・受け手によっては僕の言ってることがコロコロ変わってる印象 ・それぞれが言いたいことを全く言えていない ・意見の対立はネガティブだというイメージ。 ・皆が意見を飲み込んでいる。 ・忘年会などを開催してもコチラが気を使って疲れるだけ、もちろん皆も同じだったとおもいます。 ・当時 問題や間違いが起きるとトヨタ方式という「なぜ?」を5回繰り返すような原因究明をやってました。  本来は根本の原因を「人」の問題ではなく「仕組み」としないとイケないのに原因を深く突き詰める習慣が組織に無いので仕組みの解決までなかなか到達できなく「人」で終えてしまう。 ・スタッフに体調不良者が出てきた。 ・僕自身も社内に理解者が不在で経営者として孤独感がとても高まってきた。 ・業績も踊り場 そんな様々な事が会社で起きていました。 実際はもっと色んな事が起きていたと思います。 会社の業績にチームワークの良し悪しが大きく影響する 誰しも組織

ネット販売スタートの頃の話

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事務所でSpotifyがBGMでかかってるんですが、ちょっと前に宇多田ヒカルの超有名なアルバムがかかってて なんかその曲が流れるとワクワクしてくる。 なんでだろうな?と思って調べたら 1999年3月発売でした。 1999年は 25歳で実家に帰ってきて一回り丁度12年経過した37歳。 結婚して10年 子供が8歳 今の家に引っ越してきて3年くらい。 僕はよく1999年起点で考える癖がついてる 僕の中では大きく人生が変わり始めたポイント 出店申請してから開店までにどれくらい期間が掛かったかはハッキリ覚えてないが1ヶ月くらいだったように思う。父の話だと毎晩遅くまでやってたと言ってました。夜中遅くまで。 当時は 夜11時からテレホーダイという定額でインターネットを利用できる時間で そこからページ更新やページ作り 商品登録をしてました。 印象に残ってるのは 夜中に当時まだ上場前の楽天市場に電話しても当たり前のように 「ハイ楽天です!」って女性が出て担当とやり取りできる。 これが非常に新鮮でした。 覚えてるのが商品名登録 アサヒWONDA ワンダフルブレンド ってやっても コーヒーで検索すると出てこないんです。副社長の本城さんがまだシステムを担当してたんだと思いますが すぐに対応してカテゴリーという概念が出来たような記憶です。 1999年 開店してから 半年くらいはメーカーから貰ったグッズをオークションで販売して食いつないでいた。 その後は 飲茶楼のアクセ付き や ペプシボトルキャップ(2001年2002年発売)が沢山売れたタイミングで跳ねた そんな記憶が残ってます。当時でも数千ケース売れました。小さな倉庫で数千ケース出荷するのがとても大変だったのと、大量の商品の出荷日に雨になるとホントに大変でした。 ネット販売の業績が右肩上がりで お客様から常に何らかの反応があるし、通常商品も徐々に売れるようになってきて、それまで感じることのなかった商売の楽しさが出てきた そんな印象でした。 恐らく昭和の時代に小売店を立ち上げた頃や 商店街が出来上がってくる頃 ってこんな感じだったんじゃないかなぁ。 大店法が出来る昭和40年代くらいまでは 全国の商店がワクワクしながら商売をしていた そんな時代に通じるような楽しさがありました。

既存メンバーと新人メンバーの違い(メモ)

新人の方が多くなってきました。 既存のメンバーと新人の方とでは何が違うかを考えてみました。 ・社内の業務経験と業務知識の差   →この部分が実務に直結するので主にOJT(現場での実務)で既存メンバーが指導していますが、その内容はどのチームにしても膨大である。マニュアルも整備できつつあるが P の分野のマニュアルが殆どで M の分野まで網羅できていない。 ・理念や価値観・行動指針の浸透度合いと その背景   →既に出来上がったモノを唱和するのは簡単ですが、腹落ちして理解・浸透するのは難易度が高く 理解してもらうのはとても時間がかかるし既存メンバーでもどの程度 理解・浸透・実践してるかまで考えると難易度が高い。また その背景まで理解できているのとそうでないのとでも違いが大きい。 ・組織や業績・業務内容や作業方法・取引等、この会社や業界が過去からどう変貌を遂げたか   →業績の推移は伝えているがそれのみ その他 過去からこの会社や業界がどう変貌を遂げてきたかまでは伝え切れて無く、その経緯が理解できてない事での認識の違いは起きてしまうし重要な部分である。この部分の共有をどうしていくかも大きな課題。 ・上記、過去からの変貌を理解するとともに どこを見ているか どんなところをベンチマークしているのか 何に自分達は影響を受けながら未来に向かってるか の視点も共有していくことが必要。 ・メンバーの凸凹やトリセツの把握   →5つの強みやトリセツを実施しているのとコミュニケーションの仕組み等で年単位の時間を掛けてそれぞれの凸凹を把握していってもらうがそもそもとても時間がかかる。もちろん凸凹だけではなく 考え方や行動の癖なども理解する必要もあります。深く凸凹やトリセツを把握できるまでは「1.1力」ではなく「1.5力」くらいででのコンタクトの必要性もあり。 ・自分自身の自己開示   →こちらも上記同様 コミュニケーションの仕組み等で年単位の時間を掛けて自己開示していくが そもそも自己開示の苦手な方の方が多い。 これらの差分を少しでもどう埋めていくかが課題。

使わないようにしたいなと思ってる言葉(その2)「関係ない」

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この言葉も非常に便利な言葉です。身近な家族や関わりが濃厚に成ってきた関係性 や そんなタイミングでよく使ってた言葉。 少し深く関わり合ってるから起きてきている面倒な事、煩わしいこと そんな事から距離を置きたい 割り切りたい 面倒なことから逃げたかったり これ以上踏み込んでもらいたくない そんな時にとても都合よく使っていた。 「関係ない」という言葉 「関係ないだろ」「関係ないよね」「関係ないから」 若い頃は 自分の中で都合よく世界が分断されているという考えでした。 職場は職場・家庭は家庭・学校は学校 学生時代の友人達 と 田舎での友人 仕事上の付き合いの方々 と 地域の方々 と 親戚関係の方々 僕自身も色んなコミュニティーに属してて 大切にしたい場所と 重要視しないとイケない場所 なかなか注力できない場所 それら全てが都合よく分断してる。 言い訳かもしれませんが自分のキャパシティーを考えて 自分にとって肝心な ある部分だけ上手くやろうとするわけですが 上手く行かない 実際は 世の中は1つしかなく 都合よく分断なんかされていない 都合よく分断などされてなく全てが繋がってる 関係無いなんて事も無く なんなら全てが関係しまくってる 職場・家庭・学校 学生時代の繋がり 今の繋がり 仕事 プライベート 地域 全てが繋がってる。全てが何らか関係し合いながら全ての出来事が起きあってる。 口癖のように使ってた「関係ない」なんて言えることは何一つ無く 「全てが関係しあってる」 今はそんなふうに考えています。

和歌山県・印南町との立地協定締結 と 宮ノ前ベース(オフィス兼物流センター)建設

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4月27日は立地協定のプレスリリース日ということで こちらにも改めて書いてみることにします。 父のおかげで経営者になっても実質 無借金経営を続けて来まして 良くも悪くも そんなに大儲け出来る商売ではないですが、34年この商売を続けてきました。 還暦が近くなったこのタイミングで まさかこんな大きな投資を(借金を)することになるとは数年前(父が居た頃)には思っても見なかった事なのです。 ネット販売を始めて数年経過した2002年12月に当時借りていた倉庫の隣のJAさんの倉庫も借りることになり拡張することになりました。倉庫の広さでいうと当時の2倍以上になるわけですが、そこを借りるときのエピソードも少し書いておきます。 2002年なので・・楽天市場に出店して3年が経過、お陰様で注文も増えてきて 梱包や出荷を倉庫内では もう出来なく倉庫の外でやってる状態でした。雨の日は出荷準備できた商品にブルーシートを被せて無理くり対応していた様子を見ていた父が隣の倉庫をJAさんにお願いして僕には相談無しで賃貸契約を決めてきたのでした。 当時は期中の業績がどう とか 今月は利益がどれくらい出ているとか まだ見える化されているわけでもなく もちろん利益も出てる状態でもなく ネット販売もこの先どうなるか解らない中  家賃はそれほど高いわけではなかったですが倉庫拡張を勝手に決めてきた父に「大丈夫なのか?」と言い寄った記憶があります。 父はその時に「採算合わなかったら自分が家賃を出す」と言ってたようです。 結局 隣の倉庫を借りて2倍以上の広さになっても その後も売上がどんどん増えて また数年でキャパが足りなくなってしまいました。 僕は今でもそんなところは多分にありますが、当時はホントに投資に対してとても慎重になってました。社会人になって父と商売をするようになり15年ほど経験していましたが、お給料もそれほど取れない時代を過ごし 小さな商売の難しさや厳しさしか体験したことが無かった事も大きかったと思います。売上は右肩上がりであっても商売の楽しさや醍醐味を感じたことなど一度も無かったかもしれません。 15年以上前の出来事です。 今 お借りしている倉庫は2012年4月から稼働しています。この倉庫に引っ越してきた時には売上が倍位になっても大丈夫!と思ってた記憶がありますが、やはりその直感が正しかったのか 昨年 

極力使わないようにしたい言葉(その1)「普通」

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 最近、極力使わないでおこうという言葉が2つありまして 今日はその2つの内の一つの話です。 僕自身 昔からよく使っていた言葉で口癖のように言ってた言葉です。 「フツー」という言葉。英語でいうと Normal 先週木曜日に「ふつうアップデート」というNHK教育の番組がありました。 普段は2チャンネルはほぼ見ないんですが、障害者の方 しかも脳性麻痺の方がメインで出演されてたので それこそ「この番組は普通じゃないぞ」ということで とても気になって見たのですが ファッションの話題でデパートのマネキンは 普通 立ってるマネキンばかりで車椅子がデフォルトの障害者の方たちは座ったときのコーディネートが見たいのにほとんど立ってるマネキンばかり、試着室も車椅子ではほぼ入れない。そんな障害者の目線の健常者じゃ考えてなかった普通の視点が多かったです。 『普通なんて無い みんな違うのが普通。』というのがメッセージだったように思いました。 「普通」 ホントによく使ってました 「普通はこうですよね」とか「普通こうだろ」とか「普通はやらないよね」「普通はこう言うよね」とか。。自分の考えを押し付けたい時に都合のよい言葉なのか 自分のことが普通だと思ってるからなのか とにかくどんな場面でも便利に使ってた言葉の一つです。 行動、感情、思考、プロセス、結果、好き嫌いの嗜好、見た目 全ての物事が普通という枠に囚われていた。普通の枠に入れようとしていた。 おそらく子供の頃はそんな教育だったんだと思います。 人も歯車のように社会に組み込まれていて それは全て同じ形じゃないと社会が機能しない 普通に矯正することが最も社会に貢献しやすい 普通にすることが生産性が高くなる そんな時代だったと思います。 今はそんな世の中では無く成ってきましたので、昔のような使い方や考え方はダメだな というそんな時代になってきてます。 以下は たまたま観た You Tubeの Tedxのスピーチ とても素敵だったので共有します。 不完全さを讃えよう そして誰も自分が正常だなんて言えないことをわかってほしい 私達はみな違ったものを持っている 皆 奇抜でユニークです。 それこそが私達を素晴らしく人間らしくしている。

熊ちゃん最終出勤日

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2006年に本社が今の場所に移転して父の跡を引き継ぎ僕が社長になりました。 その1年後、2007年の秋に入社してくれてます。13年と半年。 当時は熊ちゃんもくわえタバコをしながら倉庫作業をしてたのを思い出します。 2007年頃はというと会社の成長段階でいうと間もなく10億の壁が目の前にあって今までのやり方では全てうまくいかなくなってくる そんなタイミングでした。  翌年 印南の倉庫を出ていかなくてはならなくなるタイミングです。よく言われる 分業をしていかないとならなくなって その分業の弊害がイッパイ噴出してくるタイミングでした。色んな意味でピンチな状況の中で 今ほど社内も整備ができていない 投資もできてない そんな状況で入社していただいた。 社長になって1年ちょい、経営者としてもまだまだ未熟な部分だらけの状況で大変な部分が多い中 頑張っていただいた。 役割でいうと倉庫リーダーの青木の影で 文字通り 分別ある大人として 正しいこと 正しくないことをしっかり言える ある意味 倉庫が 経営者の目の届かない所で運営していかないとイケない中 当社を支えてくれました。 おそらく、そんな面では 居なくなると熊ちゃんが果たしてくれた役割がジワジワとこの会社に響いてくると思ってます。 又 そんな面とは裏腹に 責任感の強さからチャーミングな面も多く 思い出もイッパイあります。楽しいイベントや肝心な時には出れない 居ない という変なジンクスも何度も披露してくれました。 当時と比べても 多少 うちの会社も会社らしくもなってきて 来年 待望の働く環境が 良くなるタイミングで卒業は 熊ちゃんらしいのかもしれないと思ってます。 同世代 しかも高校から共に戦った仲間として 最後 定年まで一緒に居たかったですが、体調のこともあり卒業となりました。 毎回思うのですが、必要なタイミングで必要な方が現れてくれてた。熊ちゃんもまさにそんな存在でした。 今後はこの会社がまだまだよちよち歩きの大変な時に頑張ってくれた卒業生として付き合って頂きたいと思ってます。