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社長の仕事時間は年間4000時間

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先日 目からうろこ な話があったので紹介させていただきます。 その紹介をする前に 毎週やってるリーダーミーティングで数ヶ月前だったと思いますが 何の話の流れからだったか「うちの会社は役員は置かないんですか?」という質問がリーダーからありました。  その時に僕が答えた内容は まだ子育ての最中で子供が寄り付いてくるうちは 経営者として関わるのは適当じゃないと思う。役員になってもらったら週に2日も休ませない。というような話をしました。その時のリーダー4人の反応は「週2日休みでも大丈夫でしょ。」という反応だったと思います。 やり取りはそこまででしたが、僕の中では こいつらまだ甘いな という印象で でもそれ以上この話をしても伝わらないし 僕自身も今の時代だから週に二日くらい経営者も休養を取れるような会社じゃないとイケないのかもな〜 くらいに考えてました。 先日 福井県のユニホームネクストの社長がブログで書いてたことが目に止まって 目からうろこ だったので紹介します。 ランチェスター経営戦略  会社の業績を良くするには社長の実行力が大事 その実行力の67%は目標に投入する時間量で決まる 通常業務+学習時間=仕事時間 社長はこの仕事時間を増やさないといけません。年間に3200時間〜3700時間は必要。 できれば4000時間働きなさい。ということです。 一般の8時間勤務の方で 1880時間 毎月50時間残業をしたとして 2500時間 必勝の3200時間 圧勝の3700時間 決死の4140時間 超人の4530時間 と言うようです。 本田宗一郎 年間5000時間を35年間 京セラ 稲盛 年間5000時間を30年以上 ビル・ゲイツ 年間6000時間以上 勉強不足で こんな話は初めて知りました。 今は僕も集中力がなくて疲れが出てきますので そんなに出来てないですが ネットショップを立ち上げた30代の後半から40代は かなりの時間を費やせたと思います。 とても幸運だったのは この商売はパソコンさえあればどこでも出来ることです。 子供が小さい頃 剣道をやってたんですが夜9時に練習が終わるのでその時間までは最低 事務所で仕事をやろうという風に考えていたり 年に一度 夏に家族3人で お泊り旅行に行った時も ノートパソコンを持って行きました。日曜や祝日も時間が空けば自宅で何かしらやってたと思います

商売は規模の壁

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「規模の壁」商売は規模の壁との戦い と言われてるようです。 倉庫チームは今 チームメンバー10人超えの「規模の壁」ぶつかってるという話をこの前しました。 今から十数年前 会社自体が その壁にぶち当たっていたと思います。 2010年頃 倉庫を美浜町に引っ越した頃 僕が父から引き継いで社長になった頃です。 色んな事をスタッフの皆に伝えようとしましたが、全く伝わりきらないことが多く感じるようになったタイミングです。当時 会社全体でも常勤でようやく10人を超える規模になっていた頃だと思います。 その中で 様々 試行錯誤していろんなことをやっていったと思いますが 「公開経営」に舵を切ったのが 自分の中では大きな決断だったと思います。 それ以前は そもそも 今ほど公開できる数値も無く 年に一度 税理士の先生から 決算報告を貰っても僕と父親だけで「今年も利益が出なかった」とか「こんだけやっても赤字なんだね」とか二言三言 話をして終わりでした。今から考えると信じられないと思います。 例えば  ・商品を間違ってお客様に送付してしまうとどうなるのか? ・倉庫で商品を破損してしまうとどうなるのか? ・リピーターのお客様が ある出来事でそれ以降買っていただけなくなるとどうなるのか? いくら言葉を尽くして説明してもスタッフの皆には伝わりきらない 当時はそんな状態だったと思います。 これは会社の台所事情や毎月の実績など 僕自身が見えてるところ 会社の状態を なるべく全部見えるようにしないと 伝えたいことの本質が伝わりきらないなと感じたことがキッカケだったと思います。 そういう意味では おかげさまで 今は お取引先を含めたステークホルダーの方々にも年に一度 共有する機会まで増えて 当時では考えられないことです。

僕の苦手な話 3つ

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一昨日のオフサイトミーティング お疲れ様でした。 全て終えた後の記念写真 中江家のルーツも ゲーム 自己紹介 職場全員が集まるその楽しさ 皆が集まること 人が集まれない期間を数ヶ月経験して 仲間が集まることは楽しい事だと改めて感じました。 以前のように普通に集まれる生活に戻ったとき 一箇所の職場で仕事ができるようになったとき またそれが当たり前になってしまうと思います。 一昨日の楽しさ 忘れないようにしたいと思います。 今日は僕の苦手な話をします。 昔からいるメンバーには何度か伝えてますので聞いたことは何度もあると思います。 1つ目の苦手 『自我』の強みのおかげで その他大勢に入るのが苦手です。通行人Aの役をやってくださいって言われると辛くなります。その他大勢だと 僕じゃなくても良いですね。通行人Aの役だと僕がやらなくても良いよね。ってなります。 2つ目の苦手 『着想』の強みのおかげで 「去年通りにやりましょう」「いつもどおりで」「例年通りということで」 なんて流れになるともぅ苦手です。 だいたい世の中にある組織や団体 地域の集まり 古くからある会など は概ねそうじゃないかと思います。そういう状況になるとチクセントミハイのフロー図でいう退屈ゾーンに入ってツマラナイなぁとなります。。 自分がリーダーとしてやるとなると それが伝統ある体育会であっても 例年どおりには出来ませんでした。 実際、大学4年の時もそうでした。過去にやったこと無いことを色々させてもらいましたし 監督に交渉して断られたことも多々ありました。部員全員で箱根温泉に一泊旅行に行ったのも初めてだったと思いますし 合宿場所を例年通りの場所から変更させてください って言った時はそれは出来ん!と断られました。 真冬に道場合宿したいです って言ったら そんな事やったら風邪引くからダメだ!って怒られました。 3つ目の苦手 人間関係構築の強みが無いので すでにコミュニティーの出来上がっているグループに入っていく 大勢の立食パーティーに一人で参加する のは超苦手です。 商売で言うと飛び込み営業はその典型。でも卸の時は頑張ってやってました。食っていくためにやってました。

毎年恒例のうちわが今年も出来上がりました

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もう何年続けてるんだろ? たしか2002年くらいには楽天のオリジナルうちわを仕入れて配っていたのでこの行事も20年近くになるかもしれない。 今はもう年がら年中飲み物を飲んでいただける習慣にはなってますが、それでもやはり暑くなる夏には需要が増えます。そんな夏に思い出してもらえれば・・ということで毎年配布している「うちわ」 今年も出来上がりました! 今年は 表はご覧の通り 浪花百景の柴島晒堤の浮世絵をバックに 水売りくんのイラストと店舗名 裏は「瑞雲」という 縁起が良いことの兆しに現れる雲をデザインしました。 今年 当社 法人設立30周年の年なのですが 浪花百景の柴島晒堤は  当社のルーツ 江戸時代に中江家が営んでいた商売に思いを馳せる意味で選んでみました。 お取引先の方とも直接お会いできるタイミングが今年はなかなか無いのですが、次回お会いしたときにはお配りしたいと思います。

6月の第一土日といえば・・・

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6月の第一土日が終わりました。 毎年 この時期になると思い出すことがあります。 今年の高校生達はコロナの影響で無くなってしまいましたが、インターハイの県予選。 当時も6月の第一土日。たしか2日3日とかだったと思います。 自分が今の高校3年生の立場だったらと思うと そのやり場のない苦悩をどう処理できるのか この年令になっても想像できません。 当時 日高は総体県予選の壮行会を体育館で全学生にやってもらったのを覚えてます。 僕自身は2年生の秋ごろから遅咲きでしたが芽を出し始めて 2年生の3学期のころには目標が「男女揃ってのインターハイ出場」というのを口に出して言ってました。 終えてみると 目標を口に出して言う のはとても大事だったと思います。 でもメンバー全員がそういう気持ちで当日までの数ヶ月 挑めてたかというとそうではありませんでした。 5人団体で 3年生が3名しか居なく その内の1名は 大きなスランプに陥ってましたので実質2名。3名は下級生から出さなくてはなりませんでした。 当日までもチーム運営に関わる部員内のゴタゴタが様々あって当日を向かえることになったわけです。どう感じてるか?どう臨むか?のすり合わせで長期にストーミング期が続いていた。今でもそんな印象が残ってます。 まだ17歳だった僕の中ではそれまでの人生では最も重要な 正に運命の2日間。 その2日間ある総体予選の初日は個人戦。その日は熊ちゃんも一緒でした。僕より一つ前の立ちだったと思います。 初日のことはそれほど思い出せないですが一人四ッ矢3回の12射。全部中てたのが僕と新宮高校の菊池君の二人で 優勝を決める競射で僕が優勝できました。 非常に嬉しかったわけですが、目標は男女揃ってのインターハイ出場だったので翌日に向けてチームを鼓舞していたのを思い出します。 翌日の団体戦での記憶は 団体予選のあと トーナメントに入ってから試合を重ねるうちにチームがより強い結束力を持ってきた。本当にイケるんじゃないか、目標に近づくにつけて全員のベクトルが見事に一致していった。勝手な行動を取るメンバーは誰ひとり居ない。チームが一つになってる。そんな記憶があります。今でもスポーツを見ててトーナメントで勝ち上がっていくにつれてチームがどんどん強くなるのはその時の経験でとても理解できます。 で、団体戦も優勝でき目標は叶うわけなんですが 僕

会社のありたい姿

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これは3月初旬にコンサルしていただいた田中薫先生からの提案に起因しています。 田中薫先生からのフィードバックについては 当社の置かれている状況や うちの会社の特徴 特に長所(中にいると解りづらい尖ってる所)を非常によくまとめていただけてた内容でした。 その中での「会社のありたい姿」についてや「当社の歴史」について。 僕自身は毎週 朝会など機会を貰ってるので 少しづつですが、自分自身の考え方や昔の話をアウトプットさせていただいてます。ただ まだ「会社のありたい姿」については不十分だと感じました。 一方、現場を回してくれている チームはどうか?というと 日々の作業や業務は試行錯誤をしながら問題の無いレベルまで来てはいますが チームをどう運営したいのか?とかチームのありたい姿は?と言われるとなかなか そこまで話し合われたり アウトプット出来たりまでは辿り着けてないと思います。 上の図は真ん中に 理念 があり 価値観 行動指針 となってますが このような表現だとチーム運営のありたい姿は それを含めていて 日々出てくる案件はその ありたい姿の 一部分となります。 日々共有されたりしてるのはその 一つ一つの案件が多く なかなか全体像を共有することが難しく なかなか言語化も出来ていない部分が多いと思います。 それはリーダーだけのお仕事ではなくメンバーとも共に言語化していく必要があります。 チームだけではなくもちろん会社全体としても同様 「会社のありたい姿」をもっともっと言語化していかないといけません。

法人化30周年

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今週末、うちの会社が法人化されて丁度30年になります。特に何も実施する予定は無いですが、今年のうちに何か出来れば良いなと考えてます。 法人化のタイミングは1990年5月末で 僕が結婚した翌年。 滝村が入社してすぐ。 家内のお腹には純將がいたタイミングです。 なんでそのタイミングだったか父親には聞かなかった。後々もっと早くから法人にしたかったような話はしてました。 法人化のタイミングは父が手続きをすべてやってたのでそれほど僕自身は記憶がないです。 キリンビバレッジ、アサヒ飲料 が本体から分社化した年なので まさに飲料業界に大手資本が本気で注力し始める年だったようです。 缶飲料のプルトップが一体系のステイオンタブになるのもこの年です。 炭酸・果汁・コーヒーが市場の6割、お茶のジャンルはまだ烏龍茶のみ、ブレンド茶も登場したのはこの2年後、緑茶もまだほぼ世の中に無い時代。カルピスウォターの登場はこの1年後です。 90年代の10年間で飲料業界は1.4倍ちかくになってますが、当社は横這いがこの後も十数年続きます。 業界ではそれまで力のなかったアサヒビールが3年前に発売されたスーパードライの空前のヒットで盛り上がってた。地域の一番の名士はキリンビールの特約店だったのが アサヒビールを売っててようやく日の目を見ることが出来てきた頃。スーパードライに対抗して キリンビールから一番搾りが発売された年です。 うちの会社はアサヒを担いだ。市場が急激に大きくなっていた自動販売機に注力していった。 2020年 節目の年なのは間違いないです。 次の10年に繋がる年にしたいものです。

個別対応をしない その理由

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店舗で お客様対応をどうしているか? お客様に対してサービスの提供をどういう考え方でしているか?これは長年やってきて今現在どう至ったかですが。。 当社はやはり『個別の対応はしないようにしよう』 これが基本スタンスになってます。 例えばギフト包装について  ギフトは個別に色々な対応が必要な事例ですが 当店で無料で出来るのはこういう形です。名入れについてはこうなります。長年の試行錯誤で現在のギフトのマニュアルに行き着いてます。 他にも問い合わせの案件が多い 領収書についても同様 店舗で対応できるのはこういう形です。それ以外は手書きの場合はこうなります。コレも最初からそう決まっていたわけではなくてブラッシュアップしつつルール作りをしてこうなりました。 ほかにも お客様へのサービスは基本 個別対応はしない というのが全ての部分にあります。 これはお客様に対してだけではなく 従業員に対しても同じことが言えると思います。 これも色々あったからそうなったのか?元々そうだったのか。。本来そうあるべきなのか?よく解りませんが 個別対応は極力しない。詳細なルールのない部分も 僕の中では個別の対応はしないほうが良い。という風になってます。 同業の店舗さんで「お客様に言われたら全て個別対応をする」という店舗さんもいます。 それはそれでとても素敵なことです。 何で僕自身は「個別対応をしない」方を選んでしまうのか? 恐らく慎重さの強みのせいだと思います。慎重さゆえ個別の対応に毎回判断するコストが大変だから それなら個別の対応は基本しない そうなってしまったのかなと思います。 店舗の運営や会社の運営でも 経営者の強みがそういう所で出るんだな というのを改めて感じました。

最近気づいたこの商売の特色

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今日は最近気がついた この商売(食品・飲料EC)の特色です。 2点あります。 1点目は皆さんも最近 感じてる事だとおもいますが この2週 お話している エッセンシャルワーカー、の話に関係しています。 2011年 東日本大震災の時には この商売は非常時に欠かせないライフラインである というのを認識しましたが 今回の感染症のパンデミックという 誰もが経験したことのない非常事態にも やはり欠かせない商売だと再認識しました。 ソーシャルディスタンスの時代ならではの需要が圧倒的に高くなった。もちろん スーパーなども非常時には欠かせない業態だというのも同様ですが 自動精算がまだなかなか導入されてない事から 主にレジの方々を中心にですが 不特定多数のお客様と直接やり取りをしながら業務をしなければならないですし 来てくれるお客様は拒めない。 我々の商売は売上規模に比較しても不特定多数の人との接触は必要ありません。倉庫以外は完全在宅も可能です。 2点目 これはeコマースを卒業した友人が言ってましたが、我々の商売は少人数の規模でも非常に領域の広い業務があるということ。これは当社の場合 特にそうなんですが スタートが早く当時は周辺の業務を代行してくれるサービスが無かったこともその大きな特徴の一つです。今は個別に色んなサービスがあるのでそうではないかもしれません。 B2Cの接客 から サプライチェーンの構築 物流業務 WEBサイトの作成 システム構築 企業規模が非常に小さな10人以下くらいの時でも 全てをカバーしないといけません。 少人数でも様々な業務をしないといけない。言い換えればそれだけ周りのメンバーが違う業務を熟しているので組織が小さい割に見えにくい解りにくいお仕事だと言うことです。 意識して全体で何が起きているかを感じながら仕事をしていくことが重要だと思います。

命の根幹を商う

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この商売を始めて 『飲み物を売る』というのはいつ頃スタートしたのか? 『飲み物を売る』というのはどういう商売なんだろうか? そんな風に早い段階で考えることがありました。 楽天いわゆるソフトドリンクのお店 の会社概要ページに大昔に書いた僕の文面が まだそのままありますので引用します。 ーーーーーーー 当店は 人の命にも関わる「水」を販売させていただいています。 よく 『水をお金を出して買う時代になった。』という言い方をされることもありますが 「水」の販売は古くは江戸時代にもありました。 江戸時代には玉川上水や神田上水が既にあり美味しい水の恩恵を受けていましたが、深川や本所などでは井戸から塩水が出るため、江戸の風物詩でもある「水売り」「水屋」が存在しました。 暮らしに欠かせない水をあの時代に衛生的に毎日・毎日届けるという「水売り」の仕事には、ある意味 届けている方々の生活を守っているという “江戸の火消し” に通じる誇りがあったと言われます。 私達もそんな“命の根幹を商う”「江戸の水売り」「水屋」の心意気で、誇りを持って水を販売したいと思います。 ーーーーーーーー 当時は今ほど インターネットにいろんな文献が揃っている時代ではなく 東京に行ったついでに 東京都水道歴史館に行って調べた文脈です。 今 エッセンシャルワーカーという言葉を聞くようになりました。社会生活を支えるためにこの状況でも働き続ける人たちのことだそうです。 医療従事者、鉄道、スーパー、電気・水道・ガソリンスタンド、警察 様々な業種が含まれています。 我々のお仕事もまさに このエッセンシャルワーカーに分類される。 世の中から今 非常に必要とされ お陰様で毎日たくさんのご注文を頂いてます。 今朝も2000件以上のご注文を頂いているようです。 震災のときもそうでしたが 改めて20年近く前に書いた「お客様の生活を守る」「命の根幹を商う」 誇りを持ってこのお仕事をしないと と思ってます。